消えた幻の島へ
聖女というと、エレノアは勝手にお淑やかで慎ましい女性を想像していた。絵本の中で見た聖女とは、そういうものだった。それはゼオンも同様に。
しかし今二人の目の前にいる聖女は想像とはかけ離れている。露出の多い、質素ながらもその品位を感じられる白い服からは女性らしい滑らかなラインが見える。窓から漏れ出る光が彼女の美しい深緑の髪を輝かせている。瞼にはラメが散りばめられており、つり上がった目は未来さえも見据えていそうだ。
「手紙をありがとう、エレノア・ヴィエータ。そちらはゼオン・シェレビアだな。歓迎しよう。本来であれば私と会う者は座ってはならぬのだが、相手が王族様であるからな。椅子を用意した。どうか座ってくれ」
にこやかに笑った聖女シュヴェルは呆然とする二人を無視してその椅子に深く腰かける。
エレノアとゼオンも恐る恐るシュヴェルの真向かいに用意されたソファに座った。座り心地は最高だ。
「手紙をもらったときは驚いたが、今日は別件なのだろう? 皇王より話は聞かせて頂いた」
肘掛けに肘を置き、他国の王族の前で頬ずえをして話す。その長い足を組み、誇らしげなシュヴェル。ゼオンはともかく、堂々とするよう心がけているエレノアでさえも萎縮してしまうほどシュヴェルの存在感は強かった。
「シェレビア王国の国王様は随分と君に執着しているとか。まあ、これは王も可哀想なところもあるのだが」
シュヴェルは堪えきれなかった笑いを吹き出すようにして笑い出す。言葉の意味が分からない二人は顔を見合せた。
「もっと話したいところだが、時間も限られているから単刀直入に言おう。君と契約関係にある黒竜を含む王国にいた妖精は世界のウラで身体を休めている。そしてその世界のウラへ行く道はただ一つ。この聖堂の下にある地下神殿こそ世界のウラへの扉だ」
「世界の、ウラ?」
「ああ。二人は幻の島については知っているな。特にエレノアは黒竜から話を聞いたのだろう。過去に各国によって消された呪いの島。現在は世界のウラで幻の島は存在している」
聖女が何気なく言ったその言葉に二人は目を見開く。各国が爆弾を落として島ごと消したのだ。存在しているわけがない。
突然話された、あまりにも現実離れしている話を現実だと受け入れることはなかなかできない。
「大樹の役割は決して失われてはいけない。島はなくとも、大樹はこの世界に根を張っているんだ。だからそこに大きな土地ができて、幻の島と瓜二つの土地が世界の裏側にできたんだよ」
「なる、ほど?」
エレノアは首を傾げてそう言い、ゼオンは首を傾げながらも頷く。今はまだ疑問点が多すぎて情報が上手く頭に入らない。
「まあ、百聞は一見にしかず。地下へ行こう。行けば分かるさ」
シュヴェルは立ち上がると、謁見の間に二人が入ってきた扉と正反対の場所にある石でできた扉を開ける。ランタンの灯りだけがそこを照らしていて不気味な様子が漂ってくる。見えるのは石の螺旋階段だけだ。
シュヴェルは二人を置いてさっさと行ってしまうので、それを追いかけるように二人は小走りで階段を下りていった。
螺旋階段はとても長かった。自分たちがどれほど下に来たのかも分からない。何分ここにいるのかも分からない。ただただ景色の変わることのない階段を下りるばかりだ。
心身的に疲れて諦めかけたそのとき、水滴が水溜まりに落ちる音が反響した。
「もうすぐだ。長く歩かせてしまって申し訳ない」
シュヴェルがそう声をかけた瞬間、突然の強風が三人の間を通り抜ける。眩しくなって目が開けられなくなる。
目を開けると橙色の光が辺りを埋め尽くす、現実とは思えない空間に来ていた。何もない果てが見えないほどの空間で、目の前に木で作られた扉だけが存在している。
「ここは世界のウラとの境目。ここで迷子になると一生帰って来れないから気をつけること。そこの扉こそウラへの入口。ただし行けるのは一人だけだ。エレノア、君が行くといい。ゼオンは私と留守番でもしよう」
シュヴェルはそれだけ言うと顎でエレノアに扉の先に行くように促す。エレノアはさすがに固まった。
この先に何があるのかも分からない。ちゃんと帰って来れるのかさえ分からないのに、不安だらけなのだ。
散々渋って、エレノアはドアノブに手を置いた。ドアノブは冷たい。深く息を吸い込んで勢いよくドアを開ける。その先に一歩踏み出してしまう前にエレノアは後ろを振り返る。なぜか誇らしげにしてるシュヴェルと興味なさそうにしながらもエレノアから目を離さないゼオンの姿が目に焼きついた。
扉の先は涼しかった。透明な道が続いている。どこか道がなければこのまま終わりの見えない下に落ちてしまう。
目の前には白い大きな、ルゼよりも遥かに大きい木がおどろおどろしくも存在している。そこの辺りから、懐かしい声たちがエレノアの耳に入ってくる。
「あら。あらあら! エレノアなのよ!」
エレノアの姿を見つけた精霊はエレノアの元に羽ばたいて向かった。その声を聞いた精霊がたちまちエレノアの周りに集まる。懐かしい再会を果たしたエレノアたちは微笑み合う。
そのとき、大樹の周りに咲く色とりどりの花たちが揺れた。エレノアは大樹のすぐ側で丸くなっている黒竜を見つける。
「ルゼ、本当にルゼなのよね」
エレノアの震えた声にルゼは視線だけを動かして震えるエレノアの瞳をまっすぐと見つめる。
「こんな所まで来たのか。会いに来てくれたのは嬉しいが……今は来て欲しくなかったな」
ルゼの落胆した声と同時にエレノアの死角になっていた大樹の後ろから見覚えのある男性がエレノアの視界に入った。エレノアは目を丸くさせる。
「ア、アーサ」
「久しぶりだね、エレノア。元気にしていた? ゼオンは迷惑をかけていない?」
そう言って近寄ろうとするアーサ。反射的にエレノアが後ずさりする前にルゼが目を伏せてアーサの名を呼んだ。
「お前ごときが、俺の主に近寄るな」
「ふぅん、俺の主か。分かったよ。今は君の言うことに従ってあげる」
アーサとルゼはまるで昔からの知り合いのように話す。戸惑うエレノアに周りで浮遊していた精霊がそっと耳打ちする。
「ルゼ様と私たちがここに来てからたまに来るのよ」
「追い返したりはしないの? アーサよ?」
「私たちにはそんなことできないのよ。いや、誰にも二人をまた引き裂くことなんてできっこないのよ」
精霊がそう言うとまたふわふわとどこかへ飛んでいってしまった。エレノアは余計に混乱する。
ルゼとアーサをまた引き裂く、とは一体何のことだろう。
言い合いを続ける二人の姿を見るだけで頭が、心が痛くなるのはなぜだろうと、エレノアはただ二人を見つめながら思うことしかできなかった。
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