世界のウラへ

 いつもと同じ晴れた朝。

 エレノアとゼオンはジュレーの家へ行っていた。


「大聖堂へ? 確かに、聖女様なら何でもお導きをして頂けそうだけれど」


 ジュレーは頬に手を置いて考えるような仕草をした。


「でも聖女様は多忙よ。なんてったって数十年経ってやっと現れた待望の聖女なんだから、あちらこちらで引っ張りだこでね。聖女様への謁見が果たして叶うかどうか……」


 ジュレーは二人のためにどうすれば良いのかと頭を捻っている。同じようにゼオンも唸り声を上げていた。対するエレノアは余裕もって微笑むばかりだ。


「安心なさい、ジュレー。二日前、送った手紙の返事が届いてたの。大聖堂で二日後お待ちしてると」


 そのエレノアの言葉に二人は驚く。特に驚いていたのはゼオンだ。


「二日前? 大聖堂に行こうって決めたのは昨日だろ? こうなることが読めてたってことかよ」

「いいえ、違うわ。さすがに私でもそれはできないもの。ただ、別件で相談がしたくて。ちょうど良かったって話よ」


 ジュレーは喜んだように手を合わせて微笑んだ。安心したのだ。

 ジュレーは内心不安だった。急に指名手配された二人。良い人たちだった。指名手配されるような人たちではないとちゃんと信じている。

 しかし、こんなちっぽけな村の村長なんてしてやれることは何もない。もし自分のせいで二人が危険に晒されたら。そう、不安だったのだ。


「大聖堂までの道は分かる?」

「分からないわ。でも、その旨を伝えておいたら聖女様が馬車を手配してくれるそうなのよ。だから心配いらないわ。ありがとう」

「いいのよ、私にできるのはそれくらいしかないから。きっと聖女様なら、聖女様にしかできないことをたくさんしてくれる。とても良い人よ。あなたたちに、神のご加護がありますように」


 ジュレーはそう手を組んでお祈りをする。

 皇国は大聖堂があるように宗教が根づいた国だ。こうして神に何かを祈るのが皇国の大きな特徴だ。


「お迎えが来るのはこの先にあるヴェネチュネという都市らしいの。そこに昼頃待ち合わせだから、そろそろ行かなくちゃ」

「そうね。名残惜しいわ、とっても。いつでも帰ってきていいのよ。あなたの行く道がどうか幸せで満ちているように。毎日神に祈りを捧げているからね」


 ジュレーはそう言うと、エレノアと優しく抱き合った。その温かみをしっかりと受け止めながら覚悟を胸にする。

 そのとき、エレノアたちの家の方からゼオンが走ってやってきた。


「あら、ゼオン。どこへ行っていたの?」

「家だよ。金はないとまずいだろ。ああ、あと家にあるもんはここらの村のやつで分け合え。俺らには必要ねぇからな」


 ゼオンは親指で背後の家を指しながら言う。別れ際でもぶっきらぼうなゼオンにジュレーは呆然としながらも頷いた。後に、その方がゼオンらしいかもしれないと微笑ましくなった。


「ありがたく、村の皆とそうさせてもらうね。ヴェネチュネはそう遠くないわ。まっすぐ歩いて下っていけば着くから。じゃあ、行ってらっしゃい」

「ええ、本当にありがとう。この恩は絶対に忘れないわ。あなたもどうか元気で、幸せで」


 エレノアは小さく手を振るとそのまま村の奥の山道を歩き出した。ゼオンも恥ずかしそうにしながらも軽く会釈をしてエレノアの後ろをついていった。

 ジュレーはそんな二人を見て、似た者同士の可愛い夫婦で和んだと言った。


 ジュレーの言った通り、ヴェネチュネまで本当に一本道だった。途中で分かれ道や荒れた道などもあったが、全てに丁寧に行き先が示されていて迷うことなく辿り着けた。


 ヴェネチュネ。自然に囲まれながらもその自然を生かした産業が発達し、栄えた都市だ。首都からは離れているが、人口などは首都にも及ぶほど。自然が多いため、家族連れに人気の街だ。


「随分と可愛らしい建物が並んでるのね。都市でも自然の中にいるみたい」

「……まだ馬車は来てない、か。適当に腹ごしらえでもしてよーぜ」

「それもそうね。何か有名な食べ物とかあるのかしら」


 エレノアは辺りを見回して見つけた、近くにあった食欲をそそる匂いが立ち込める小屋の戸をノックした。

 そこから出てきたのはエレノアよりもう一回り体の大きなガタイの良い中年の男性。人の良さそうな表情を浮かべてエレノアとゼオンを見た。


「ここは食事ができる所で合ってるかしら?」

「いかにも。なんかどっかで見たことあるような顔だが、初めましてだよな。良かったら食べてくか?」

「ええ。そうさせてもらうわ。見たことあるのは気のせいよ。小腹を満たせる物、どうせだったらここら辺でしか食べれない物とか良いわね。二人分、お願いできる?」


 エレノアの言葉に店の店主は大きく頷く。

 店主は店内に案内し、自然を一望できる席に座った。


 エレノアは机に用意されたお手拭きで手を拭く。そんな中、座ってから何もせずにただ一点を見つめるばかりのゼオンを怪訝に思って首を傾げる。


「さっきから何か考えているようだけど。何か悩み事でも?」

「え、あいや。今頃、シェレビアどうなってっかなって。王が変わったって言ったけど、親父らはどこにいんのかなって」

「あら、あなたにも親を心配する気持ちがあったのね」

「……心配、か。ちょっと違ぇかも。もし、牢屋にでもいなければ俺はあいつらの駒にされそうで」

「なんだ、ただの臆病者の考えじゃない」


 エレノアがため息をついて言った言葉に、ゼオンは立ち上がって睨みつける。が、その通りだと何も反論できずに座り直した。


 ゼオンが今まで飄々として生きてきたのも、なんだかんだ言って親から逃げるためだった。王族という縛りから、優秀な母と兄を持つことで期待する親の目から逃れたくていつも城の外にいた。

 そして街から見える狂気じみた気配を感じる旧王国の城に昔いた姫も、非道の道を歩いていた父の背中を見て何を感じていたのだろうかと思っていた。


 また二人の間に沈黙が流れる。その沈黙を遮って店主が机に二つのスープの入った平皿と魚の乗った小皿を置いた。湯気が立ち上り、食欲がぐんと湧いてくる。


「お待ちどうさん。これはフォッカラチュっていう蒸し鶏と季節の野菜のスープさ。そしてこれは天然鮎の塩焼き。全部ここらでとってきた物さ。味わって食ってくれ」


 二人はそれぞれの料理に手を伸ばした。


「美味しい。スープは優しくて懐かしい味がするわ。野菜も柔らかくて色とりどりで素敵ね。鮎、と言ったかしら。塩だけだからなのか、シンプルなのにとっても美味しい」

「おっ、分かってくれるねぇ。ここらの家庭料理だから他所から来た子たちにそう言われるのは嬉しいよ」


 二人は無言で二皿を綺麗に完食した。

 気前よく振舞ってくれた店主に代金を支払って店を出た。


「指名手配されてんなら、フードでも被ってくるべきだったな。キョロキョロと見てくるやつが多すぎる」

「……そうね。ゼオン、ちょっとこちらに来て」


 エレノアはゼオンの手を引いて茂みに隠れる。ゼオンは何をするのかとエレノアを見つめる。そのエレノアは目を瞑って何かを考えている素振りをしている。何が起こるのか分からない。

 そのときだった。突然自分の身が青白い光に包まれ、その光はたちまちどこかへ消えていった。

 ゼオンは自らの手を見る。特に何も変わっていない。体も通常通りだ。何が起こったのだろう。


「髪と瞳の色を変えさせてもらったわ。安心して、すぐ戻るから」


 生憎今は手元に鏡がないからそれを確認することはできない。ゼオンはそれよりもエレノアの隠していた力に驚いて目を見開いた。

 この時代、魔法を使うことはできない。魔力が備わっていないからだ。器は誰にもある。その人にこのくらいの魔力がありますよと示すものはあるのに、それに入っている魔力はゼロだ。

 なぜエレノアは魔法を使えるのか疑問に思ったが、よく考えれば思い当たる節があった。


「ルゼと契約を結んでたのか」

「良く知ってるわね。ええ、そうよ。ただ周りには言わないで。私たち人間が魔法を使えなくなったのは訳があるから」


 ゼオンはエレノアの言葉に少し疑問を覚えたが、頷いた。

 そのとき向こうの方からざわめきが聞こえてきた。


「馬車が来たわ。さあ、行きましょう」


 エレノアとゼオンはヴェネチュネの中心にある噴水広場の方に向かう。そこには皇族でも乗っていそうな豪華な馬車が止まっている。


「エレノア様とゼオン様でお間違いないですか?」


 馬車の前に立っていた白い神聖な服に身を包まれた男性がそう尋ねる。二人は頷いた。


「聖女様がお待ちです。お手をどうぞ」


 そうして二人は馬車に乗り込んだ。ふかふかのソファに広々とした空間。

 いかにも過ごしやすい快適な空間が、そうでなくなったのは先客がいたから。


「初めまして。遠くの国から来た王族様たち。ようこそ、私たちの国へ」


 にこやかに笑った若い男性は普通とは違う、異様なオーラを放っていた。

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