嵐の前の

 この世界は六つの勢力に分かれる。


 王国が土地を治める第一神区。

 帝国が土地を治める第二神区。

 皇国が土地を治める第三神区。

 公国が土地を治める第四神区。

 共和国が土地を治める第五神区。

 連合国が土地を治める第六神区。


 現在はこれらがそれぞれ六つの区域を治めている。多少の変動はあっても誰かが必ずこの六つを守っていなければいけない。誰もその理由を知らないが心に根が張っている呪いのように、そうしなければいけないという感情が芽生えていた。


 なぜ神区というのかというと、大昔にあった大きな戦争で生き延びた、神のように超越した人間六人がそれぞれ分かれて国を作り出したのが始まりとされている。

 よって神が作り出した土地、神が二度と繰り返さないよう力を注いだ土地として神区と呼ばれるようになった。力を入れた人間が違うため、六つには様々な特色があるという。

 大きさも特徴も住み心地も全く違う土地。同じものと言えば言語くらいだろう。世界共通のサラベット語。

 サラベットとはかつて世界が一つだったときの国の名前で、当時使われていた言語を何千年と経った今でも世界で使われているのだ。各土地で訛りがあったり、長い時の中で略されたり変化した字や言葉もあるが、原型は当時とほぼ変わらない。


 そんな神区の中で最も平和と呼ばれる第一神区にあるシェレビア王国。そこから逃げなくてはいけなくなったとある二人が第三神区に隠れ住んでいた。

 第三神区は王族ではなく皇族が国を治めている。似ているようで統治の仕方などが全く違い、二人は生活にしばらく慣れなかった。

 都にはいられないと、外れにある農村で農民と共に畑仕事をしながら忙しく過ごしていた。


 二人は、王族であった身分ではあるのだが。


 ◇◆◇◆◇◆


 元王族であるエレノア・ヴィエータ。一応現王族であるゼオン・シェレビア。二人はシェレビア王国から、シェレビア王国からそれなりに離れた場所にあるテーベン皇国へ逃げていた。


 二人は、皇国といっても都から遠く離れすぎている田舎の農村にいた。

 農民は二人を歓迎した。若者が少なくなり、働き手もなくなっている今、どれだけ若者の訪れを待ち侘びていたことか。住む場所を無償で提供し、手厚くもてなした。

 それはこの農村で畑仕事を手伝うことが前提条件だったのだが。二人はそれを承諾し、ここに住んでいる。


 だが、ゼオンはそれがあまり良く思っていなかった。

 エレノアは随分と前から一人で過ごしていて、こういうことに慣れているかもしれないが、自分は逃げるまで城の従者に世話になっていた身なのだ。自給自足なんて自分には一切関係のないことだと思っていたからこそ、畑仕事に抵抗を感じていた。


「なあ、エレノア。本当にここに居座んのか? 畑仕事なんて、俺がやるもんじゃあねぇんだけど」

「あら。じゃああなたは今までどうやって育ってきたのかしら。その体を作るのに必要だった野菜や小麦は誰が作ってくれていたの? 良い機会じゃない。もっと感謝すべきよ」


 エレノアは呆れたようにため息を交えながら言った。それでもゼオンは睨みつけるように家の中から畑を見る。


「畑の野菜にも愛情を込めてと村長さんも言っていたでしょう? そんな睨みつけたら良く育ってくれないわ。自分の血の通った子供のように思ってごらんなさいな」


 エレノアはゼオンの顔を見ず、ベッドのシーツを整えながら言った。

 一方、ゼオンはエレノアのその言葉に顔をゆでダコのように真っ赤にさせる。もごもごとしてその場に尻もちをついた。その明らかに様子のおかしいゼオンに、エレノアもゆっくりと振り返ってゼオンを見る。


「どうしたの? それより、あなたも手伝ってくれない? せめて洗い物くらい──」

「お、お前、そんな言葉……軽々しく言うんじゃねぇよ!」


 ゼオンは怒鳴るように言うとシンクに溜まっていた洗い物を乱雑に洗い始めた。エレノアはなぜそんなにゼオンが慌てているのか分からない。全然、分からない。


「ああ、もっと丁寧に洗って。割れたらどうするのよ。それに、この村は小さいから家同士の間隔も狭いの知ってるでしょう? 夫婦の設定でこの村にお邪魔させて頂いてるんだから、あまり怒鳴らないで。心配されたりとかしたら嫌よ」

「こんなんで心配されるかよ。喧嘩せずに毎日キャッキャウフフしてる夫婦の方が……。って、ああもう!」


 もごもごと喋ったかと思えば急に大きな声を出すゼオンにエレノアは目を丸くしていた。

 今日のゼオンはどこかおかしい。何かあったのだろうかとエレノアは首を傾げた。


 ゼオンと皇国へ逃げているとき、あることを決めた。村に行くとき、容姿的に姉弟というのは無理があった。似てない姉弟もこの世に存在しているし、義理の姉弟というなら行ける気もしたが、後々のことを考えて設定はなしにした。

 そうなると、残ったのは夫婦だった。愛しているという演技さえすれば良い。考えに考えた結果、そんな簡単な理由で夫婦の設定にしたのだが。

 思っていたより大変だったことを村に入って一ヶ月の時点で二人は気づいた。今までちゃんと喋ったこともない相手と夫婦として愛する演技をするのは、これこそ無理があった。ただ単にゼオンの演技が下手すぎるのもあったが。

 それは村に入って二年経った今でも慣れず、いつかバレるのではないかとヒヤヒヤする毎日だ。


 エレノアは整え終わったベッドに座って綺麗な星空が輝く空を見つめた。その光景は、かつてあの洞窟で見た星空よりくすんで見える。


「そういえば、隣のツェンタおばさんが教えてくれたわ。シェレビア王国の新たな王の即位二年目が明日だって」


 そのエレノアの言葉に今まで落ち着きのなかったゼオンが黙り込んだ。皿洗いでぶつかりあう皿の音だけが家の中に響く。ため息が必要以上に大きく聞こえてしまう。


「親父はまだ牢屋か。母上も牢屋に入ったと聞いたが、お袋まで牢屋にいるんじゃないだろうな」

「フォークスの処刑の知らせも来てないわ。生きてくれているかしら」


 そんな独り言みたいな呟きがしっかりと耳に入っていく。呟いた言葉なのに、その声にはどこか悲しげに寂しさが募っていた。


「ルゼ、あなたは今どこで何をしているのかしら。お父様とお母様や皆の墓のあった場所は、ちゃんと綺麗なままかしら。恋しいわ」

「……今は、まだそのときじゃねぇから、ここにいるしかできねぇけど。時間が来たら俺は国に帰る。アーサが何かやらかす前に、一応弟である俺が止めてやんねぇと」


 ゼオンは消え入る声で言ったが、しっかりとその声には決心で溢れていた。瞳には確かに光が差し込んでいる。


 ゼオンとアーサは母が違う異母兄弟だ。それでも、片方の血は入っているれっきとした兄弟なのだ。ちゃんと話したこともないし、兄弟っぽいことは何一つしてこなかったが、いざとなったら国のため兄のために命は捨てる覚悟は持っている。

 それが王族に生まれた運命だと、そう思っているから。


「私もそのときは一緒に行かせてもらうわ。ルゼから託された場所を守って、待つのが今の私のやるべきことだと思うから」


 エレノアの強いその言葉にゼオンは口角を上げた。水に濡れた皿を乾いた布巾で拭いて、棚に戻す。

 いつか終わりを迎える当たり前の生活を、今日も終える。


 それからしばらくした日。二人の耳に入ったのはまさに嵐だった。

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