どんなに時が流れても

 気持ちの良い朝。子鳥のさえずりと共に目を覚ます。

 ベッドの横の丸机に置いてあるネックレスを首につける。そのネックレスに通されたもう自分の指には入らない小さな指輪が、輝きを放っていた。


 起き上がってスリッパを履いて、バルコニーの扉を開ける。花の香りを運ぶ風を大きく吸い込んでいると、部屋の外から慌ただしい足音が聞こえた。

 ノックや声が聞こえる前に自分から言葉を口にした。


「そんなに急ぎの用であるなら、部屋に入っても構わないよ」


 その言葉のすぐ後、速いノック音が聞こえて扉が優しく開いた。

 初老の男が汗を垂らしながら入ってくる。


「レイスト公爵じゃないか。こんな朝早くからどうしたのかな」

「国王陛下、ご無礼をどうかお許しください。昨日からノクトーン伯爵令嬢が王に謁見をしたいとついに駄々をこね始めてまして。どう致しましょうか」

「……仕方ない。一度だけ、話を聞くと伝えて」


 レイスト公爵は安心したような、それでいて不安を感じている表情を浮かべながら頭を下げ、部屋から出た。


 シェレビア王国。

 前の王国を滅ぼした後に国を建てた男は傭兵だった。村生まれで世間をよく知らない。政治なんて尚更。そんな男が、かつてこの国を治めていた王を殺したことによって王座は彼の物となった。

 しかし、村で遊んでばかりでまともに勉強をしてこなかった男だ。公務は妻や爵位を持つ者に任せっきり。自分は愛人と贅沢三昧だった。


 そんな彼には有能すぎる息子がいた。父を反面教師にするように、賢い子になった。その上強く、人望にも厚い。

 誰から見ても、息子の方が王に相応しいことは目に見えて分かるようだった。


 今から二年前、王は急死したと報道された。その真相は世間に明らかとはなっていないが、彼の死の真相をしつこく知りたがる者は少なかった。それほどまでに新たに即位した王の魅力は国中を虜にした。


 彼には二人の息子がいたが、王太子ではなかった二人目の息子が二年前に行方不明となったため、有能な長男へ争いも何もなく王の座が渡った。


 シェレビア王国はますます発展し、人々は若き王を神だと崇拝した。

 そんな新しき王の名をアーサという。


 しかし、そんな完璧な王にも一つ問題があった。

 それは一向に結婚をしたがらないこと。政略結婚の話など一日に数え切れないほど、国内外問わず来る。大きな力を持つ貴族や他国の王族など様々だが、アーサはそれらを全て会う前から断ってしまうのだ。

 少数の国民からは世継ぎを心配する声も上がっている。アーサはその理由を誰にも明かしていない。


 アーサは身支度を整えると、謁見室に向かった。

 謁見を求めた相手はノクトーン伯爵の一人娘。


 ノクトーン伯爵は優秀な人間で、伯爵領の民が不満に思うことは何もないと豪語できるほどの力を持ちながら、王に忠誠を誓う非常にできた人であった。

 けれども、そんな彼にも欠点が一つあった。それは娘を溺愛しすぎること。愛することは大切だ。素晴らしいことである。

 しかし度が過ぎており、世間に迷惑をかける破天荒っぷりにも目をつむってしまう。娘のやることは全て許す、甘い父親だった。


 伯爵の娘の名をレイアという。国一番のわがまま娘で、贅沢が好きな少女。アーサとは二歳差であるため、今年成人する年齢なのだ。

 伯爵であるならこの歳で婚約者はいるものなのだが、レイアには婚約者がいなかった。

 理由は一目瞭然だが。


 アーサが謁見室に入ると、きつく巻かれた長い髪をクルクルと弄りながらソファに堂々と座る謁見するには豪華すぎるドレスに身を包んだ少女がいた。

 彼女こそ、レイア・ノクトーンだ。


 アーサは彼女の正面のソファに深く座ると足を組んで貼りつけた笑顔を浮かべる。輝く瞳で見つめるレイアに冷たい風が吹くが、レイアは目の前のアーサに気を取られて気づけない。


「朝早くから、何か早急に伝えなきゃいけないことでも?」

「アーサ様、お手紙は読んでくださっているかしら」

「手紙? そんな物、届いてないと思うけれど」

「そんなことないはずですわ。毎日、二通ずつ送って差し上げてるんですもの。でもですね、書いてあることは全部違いますのよ」


 アーサは明らかに嫌な顔をしているのだが、それに気づかないのか、気づかないふりをしているのか構わず嬉しそうな顔で話を続ける。

 そのハートの強さには、謁見室にいる数人のメイドも尊敬したものだ。


「お願いがあるんですの」


 長々とした自慢話とも言えるような話の後、レイアはもじもじしながら話を切り出した。


「アーサ様、私と婚約を結んでくれませんこと?」


 急にレイアの口から出てきた言葉に、アーサだけでなくメイドも思わず咳き込んでしまう。

 なんということだろうか。あろうことか王に求婚をするとは。それも、正式な場ではない所で。

 ついにアーサの抑え込んでいた怒りが爆発した。


「今日はお引き取り願えるかな」

「ど、どうしてですの? まだお返事を聞いてませんわ。せめて、それだけでも」

「まず、親しくもないのに名前を呼ばないで欲しい。君は伯爵令嬢だ。その家の誇りに泥を塗ったも同然の行為をして恥ずかしくないのかい? それに僕は君と結婚する気はこれっぽっちもない。諦めてくれ」


 そのアーサの言葉にレイアは信じられないとでも言いたげな表情でアーサを見つめる。レイアは何とかこの部屋に残ろうと必死に声を上げて許しを乞うたが、アーサは聞く耳を持たずにレイアを部屋から、城から追い出した。


 謁見室にアーサとアーサの小さい頃から仕える執事だけが残る。執事もあれは追い出して当然だという気持ちではいたが、内心少し焦ってもいた。このままでは王が未婚になってしまう。妻を迎えなかったからこの国は終わってしまう。

 そんな、焦り。


「陛下、私めにも陛下が何に執着しているのか分かりませんが、そろそろ結婚を考えてくださいませ。もう子供ではないのです。初恋の相手と結ばれるなんてそんなのおとぎ話ですよ。きっとその方に似た女性がこの求婚リストに一人はいるはずです」


 執事は目を閉じて考え事をしている素振りをするアーサを見つめる。本当はこんなこと言いたくないのだ。小さな頃から厳しい教育の中育ったことは誰よりも知っている。だからこそ自由に生きて欲しいと願っている。

 それでも世継ぎの問題は国の問題だ。それで亀裂が入り、アーサ自身に危害が加えられるならそれは執事が願うことではないのだ。


「お前は心配しすぎだよ。大丈夫。必ず戻ってくる。そして必ず僕の物になる。また、会えたのだから」


 アーサはその開いた瞳に確かな野望と希望を映しながら微笑んだ。


「ああ、そうだ。牢屋に行こうか。この国の大罪人が今も怯えて僕の訪れを待ちわびているだろうからね」


 その深く腰掛けていた立ち上がったアーサは謁見室を出て地下牢に向かった。

 そこにはみすぼらしい服装に、ボロボロとなった体となってしまった初老の二人がアーサの訪れに、まるで神に縋るようにして僅かな隙間から手を伸ばした。


「頼む、ここから出してくれ。悪かった、悪かったから。せめて、妻だけでも」

「……なら問おう。なぜお前は牢屋に入れられた? なぜ、この僕がこんなにも早く王座を手にした?」


 上から見下ろすアーサの問いに、その圧からか一人の男は口すら開けることができなかった。その男の様子にアーサは鼻で笑う。


「失望した。この世に僕を産んでくれたことは感謝しよう。だけど、君たちは失敗した。残念なことだよ。答えを見つけるまで出すことはできない。ああ、出しても君たちに残されているのは、かつて自分が殺した男と同じ場所に堕ちることだけどね」


 アーサは踵を返して生臭さが漂う牢屋からゆっくりとした足取りで出ていった。牢屋から、陽の光が失われた。

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