また会えるから
ゼオンは焦っていた。誰がフォークスを告発したのか。なぜ、今更ヴィエータの姫を探すのか。随分と前に、王もヴィエータの王が自ら娘を殺したのだと認めていた。
それなのに、急にどうしたのだろうか。
ゼオンは暗く、気味の悪い森を走っていた。目指すはエレノアのいるヴィエータの城。
そんな大層な正義感が働いているわけではない。ただ、数日前に共に同じ場所で交流をした二人が自分と血の繋がった人間に殺されてしまうのは、何だか許せなかった。
きっとアーサが行ってしまったらエレノアは救えない。あの城で、自業自得だがゼオンの人望は厚くない。実の母親だって息子を助けるほど暇していない。
なら、今しか助ける時間は残されていない。もしかしたらゼオンを追いかけてアーサがやって来るかもしれない。少しでも早く、エレノアを逃がすしか方法がない。
ゼオンは険しい山道を行く。
ヴィエータは簡単に攻め込まれないよう、わざわざ山の上に城を建てた。道のりは決して楽なものではない。これを自分よりも体の小さく女性であるエレノアが簡単に行き来できるのが不思議で仕方なかった。
目の前に現れたヴィエータの城は、この天気のせいかまるで魔王城のようだった。誰かに見られているような、そんな寒気がゼオンを襲う。
恐る恐る、ゼオンはエレノアがいるであろう城の扉を開けようと手を伸ばした。
「うぐっ……!」
ゼオンは強い力で扉から離され、背後にあった大きな岩に勢いよくぶつかる。
痛さに目をしかめ、その場に座り込んだ。息をするだけでも痛みが全身を走る。
それでも、痛さに負けてる場合ではなかった。今すぐにでもエレノアを助けなければいけない。
ゼオンは力を入れて目を開けた。その目の前にいたものたちに、ゼオンは目を見開いた。
小さな体に美しい羽。絵本に出てきた精霊そのものだ。
「まだ生きてるのよ」
「エレノアはあたしたちが守るのよ」
その小さな精霊は体から光を出し、何かゼオンにしようとしているようだった。ゼオンは慌ててそれを止めようとした。
「信じられねぇと思うが、俺はエレノアを逃がしに来たんだ」
「シェレビアの言うことを信じる気などないのよ」
「さっさとお家に帰るのよ」
精霊は一向に聞く耳を持たない。しかし、ゼオンの言葉がやっと耳に届いたのか精霊は動きを止めて固まる。雨がお互いを絶え間なく濡らす。
「あなた、あたしたちが見えてるの?」
「は? 見えちゃいけないもんなのか?」
「普通は見えないのよ。エレノアでさえルゼ様と契約を結ぶ前まではあたしたちが見えなかったのよ」
お互いが困惑に包まれ、もやもやとした空気がどんよりと流れる。
「今はそんなことよりエレノアだろ。シェレビアの人間がエレノアを探している。見つけ次第、あのじいさんと一緒に処刑すると」
「それは、本当の話なのかしら?」
「ああ。急にどうしたのか知らねぇけどな。エレノアはここにいるのか?」
精霊は迷い、不安げに顔を見合わせている。本当に教えていいのか分からない。だが、そのゼオンの真剣な顔を見て、精霊はゼオンをエレノアの所に案内することにした。
精霊は、城内のエレノアの部屋にエレノアがいると言った。精霊の後について、ゼオンは外観からは想像もできなかった綺麗な城内を歩いていた。
階段を何段上ったか数え切れないくらい上った後、白い大きな扉が廊下の先にあった。
「エレノアに何かしたら、あたしたちは許さないのよ」
精霊はそう言ってその扉を開ける。エレノアが部屋の窓を開けていたからか、風が優しく吹いた。
ゼオンは一瞬立ち止まったが、決心をし、部屋に駆け込んだ。
「エレノア、訳は後で話す。ここから、いや、この国から出ていけ」
その言葉に、急に現れたゼオンにエレノアは目を大きく見開いて驚く。しばらく声も出なかったが、小さく呼吸をして落ち着かせた。
「……何を言ってるのか、理解はできないけれど。それよりフォークスは大丈夫なの? 彼は、どうなってしまうの?」
「お前が見つからなければ、じいさんは殺されねぇ。お前を見つけ次第、二人は処刑される。今すぐ、シェレビアの人間がお前を見つける前に目の届かない所へ逃げろ」
エレノアは息を呑んだ。
フォークスが捕まったのは本当のことだったのだと。そして、処刑されてしまうことも。
自分が見つからなければフォークスが殺されることもない。しかし、だからといってフォークスを置いて逃げて自分だけが助かるのも、それでも良いのだろうか。
それに、ここにいる妖精はどうなってしまうのだろう。妖精は無事でいられるのかどうかもエレノアは知らない。
この城付近のことしか知らないエレノアにとって、逃げるなど無鉄砲すぎることなのだ。
「でも、できないわ。どこに行けば良いのか分からない。私は、ここしか知らない」
「……だが、早くしねぇとアーサが」
そう焦ってゼオンがエレノアの手を掴んだとき。精霊が窓から慌てて入ってきた。
「金髪の若い男が兵士を連れて森に入ったのよ! あたしたちが邪魔をしているけど、圧倒的に数が多すぎるのよ」
ゼオンとエレノアはその言葉に、言葉も出なかった。
まさかこんな早く来るとは思わなかった。それに、こんなにも早く兵士をたくさん集めるなんて。ゼオンは乾いた笑いを零した。
最初から王は、父はゼオンを信用してなかった。アーサに頼んだのだろう。兵士を集めたのも、きっと前から指示していたはずだ。知らなかったのは、自分だけだったのだ。
「……ルゼ。そうだわ、ルゼの所に行きましょう。何か教えてくれるかもしれない。今なら外に出ても間に合うはずよ」
エレノアはゼオンの手を引いて走り出した。
行く手を阻んでいる妖精も、そう長くは持たない。妖精を、大切な命を容易く奪わせるわけにはいかない。
二人で城を出て、洞窟に向かう。暗い道だが、まるで光で照らされているかのように、迷わずに走り出していた。
「ルゼ、大変よ。シェレビアの人間が森に──」
「ああ、知っている。大丈夫だ。安心しろ」
ルゼは落ち着いた声でそう言った。目を伏せて、何かを受け入れているように。
「なぜ? もうそこまで来ているのよ。私はここに残る。あなたはここにいる妖精を連れてどこかに逃げて、お願い」
「何を言っている。俺とお前は共同体。どちらかが死ねば、死んでしまうのだぞ。それに、逃げずとも妖精は無事だから心配するな」
先程からエレノアはこんなにも慌てているのに、正反対なルゼに少し腹が立ってきた。
腹が立つ意味などない。深い訳もない。ただ、この焦りを発散するところがどこにもなかった。
「前にも言ったが、俺はもう過去のような強い魔力は持っていない。遠い昔、無駄に使い続け、大樹にも吸われた。次、魔力を使えば最後だろうな」
ルゼの話したことに、エレノアは首を傾げる。急に何の話をしているのか分からない。
「アーサ・シェレビア。あの男に並大抵の魔力は効かない。きっと記憶消しの魔法も効いてなかったことだろう。普通の人間にはあまりにも危険すぎるほどの魔力で相手をしないといけないみたいだ」
ルゼは目を開いてエレノアを見た。その表情は、まるで別れを告げるように穏やかだ。
「エレノア、その男と共に森を出なさい。街に行くだけで良い。この森から出さえすれば影響はない」
「さっきから何を言っているの? まるで、お別れみたいじゃない。あなたがその気なら私もここに残るわ」
「いや、死にはしない。心配するな。……会えたんだ。別れてもまた会える。さあ、行け」
エレノアは固く手を握り込んだ。これからどうなるのか分からない。全く見当もつかない。ただ、ルゼと別れることだけははっきりと分かる。
ここに残りたい。でも、隣にはゼオンがいる。ルゼは二人で逃げろと言った。ルゼの言うことを守った方が良いと、頭では分かってる。
だけれど、エレノアの足は動いてくれなかった。唇を強く噛んでも、血が流れても、込み上げる涙は止まらない。
両親が死んで、独りになって。そんなとき、ルゼと出会った。自分より遥かに歳は上なのに、兄のようで父のようで、友のようで。幸せだった。
お別れはいつまで? いつになったら会えるの?
そんな不安な気持ちがエレノアの頭を駆け巡る。
自分は、あとどれほどの別れをしなければいけないのだろう。なぜ、皆自分を置いていってしまうのだろう。
「おい、エレノア。そろそろ行くぞ」
「ええ。分かってるわ。分かってるのよ。でも、足が動いてくれないの」
エレノアは震えた声でそう言った。動きたいのだ。動かなければ、いけない。足音も近づいてきた。もう時間がないことも分かってる。
また、別れをちゃんと告げられないままお別れをしなければいけないということが、とてつもなく悲しかった。
エレノアはルゼを見たくとも、見てしまったら本当に動けなくなりそうで。俯いて目を閉じていた。
「シェレビアの者よ。お前を信じたくはないが、今は致し方ない。エレノアを頼んだ。大人びてはいるが、まだ世界を知らん。どうか不自由なく暮らせるように。幸せでいてくれるように」
ルゼはゼオンと目配せをした。ルゼは深呼吸をすると、下を見ているエレノアに微笑みかけて姿を消した。
ゼオンは泣き崩れるエレノアをおぶって走り出す。
エレノアも大人しくも、ゼオンの背中にしがみついて泣いていた。この募るばかりの悲しみを晴らす場所が、ここしかなかった。
森を出て街から離れてしばらくした頃、森の方から轟くような稲妻の音が大地を割るように響いた。
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