幻か、現実か
エレノアは白くシワひとつないシーツのひかれたベッドの上で、ぼうっとしていた。ルゼから聞いた話を、今も作り話を聞いている心地で。でも、それは本当にあった紛れもない事実。まだ受け入れられなかった。
ルゼは、ああやって淡々と話してはいたがきっと心では怒りに満ちていたはずだ。話してくれたことに感謝を覚えつつ、申し訳なさがエレノアの心に募っていく。
「ルゼは厄災の竜だと言われている。そう書物に書いてあるから。でも、本当に厄災なの? 人間は、いつまでも勝手なんだわ」
エレノアは同じ人間として恥ずかしくなり、いてもたってもいられなくなった。どんなときだって、人間はいつも被害者面をするのが恥ずかしくて、悔しくて仕方がない。
だが王位を失い、為す術も何もないエレノアは無力だった。その無力さに打ちひしがれながらベッドに倒れ込む。それから、エレノアはゆっくりと目を閉じる。
──夢を見た。
エレノアが見たこともない景色。レンガの整備された道があちらこちらに続き、可愛らしい見た目の家が立ち並ぶ、活気に溢れた街。今のシェレビアとはまた違う街並みだ。
ここは、どこだろう。
エレノアは鼻を通り抜けるパンの匂いや賑わう声につられて、そのレンガの道を歩いていく。まるで何かに引きつけられているように。知らぬ場所だというのにある場所へ行かねばならないと強い意志を持つように。
「……これは、ラベンダー?」
エレノアはよく嗅ぐ匂いを感じ、辺りを見渡した。右斜め先にあるこじんまりとした花屋。その一角にラベンダーがたくさん咲いていた。
なぜエレノアがラベンダーの香りをよく嗅ぐのかというと、ルゼのいる洞窟の周りに夏頃咲き始め、辺り一面がラベンダー畑になるからだ。
懐かしさを感じながら、エレノアはその花屋の方へ歩き出す。そんなエレノアの横を一人の青年が走っていく。黒色の髪を持つ青年は、何やら嬉しそうな顔をして花屋に立ち寄った。
その見たことのない青年を見て、エレノアは胸を掴まれたような心地になった。理由は分からないけれど。
花屋から一人の少女が顔を出す。明るい茶色の長い髪に人懐っこそうな優しい顔。その少女も青年の姿を見るなり、顔を綻ばせて喜ぶ。
少女はその青年の名を呼んだ。
ルゼ、と──。
エレノアは目を覚ました。呼吸が荒い。悪い夢を見ていたというわけではないのに、汗をびっしょりとかいて心臓はバクバクと周りの音をかき消すほどに鳴っている。
さっきの夢は一体何だったのだろうか。エレノアはまだ暗い空を見つめながら考えた。
ルゼから過去の話を聞いたせいだろうか。
妙に現実味を帯びた夢は、エレノアを沼へと引きずり込むようだった。
深く考えるのはやめようと、エレノアはまた眠りにつく。あの夢を見ることはなかった。
気持ちの良い朝だ。太陽の光がこれでもかと差し込み、風がゆったりと吹く。遠くの方から精霊の楽しそうな声が聞こえてくる。
エレノアは立ち上がって身支度を整える。精霊と共に片付けた城内は、もう足元に注意を払う必要もない。蝋燭を片手に歩き回る必要もない。改めて、エレノアは精霊に深く感謝をする。
エレノアは朝食を食べ終えると、書斎に向かった。ルゼのある言葉がずっと引っかかっていたからだ。
ヴィエータ王国の前の国。そういえばまだ自分が王族であったときに授業でも本でも前の国の名前すらも教えてもらえなかったことを思い出した。我々は古来より世界に選ばれた正統な王族なのだと教えられていたから、そもそも前の国があったなんてことが初耳だったのだ。
そのことで、とりあえず過去の文献でも漁ってみることにしたのだ。
「うーん、ないわ。確かに厄災の竜の出来事は書かれてるのに、前の国については一切書かれてない。これはそもそもこの城にはないから? それともどの本にも前の国のことを書いてはないのかしら」
エレノアは大量に積まれた本を前に、大きなため息を吐いた。これだけの本を読んでさえも、ヴィエータの前の国について書かれてない。何百年も昔のことだから、逆にあったらあったで驚きものだが、さすがに一冊くらいには書かれているとエレノアは信じていた。
「エレノア、何をしているのかしら?」
数人の精霊が窓からやって来て、項垂れてるエレノアの前をふわふわと飛ぶ。エレノアは視線も向けずに口を開いた。
「探し物をしていたの。でも全く見つからなくて」
エレノアはルゼの言葉をよく覚えていた。妖精は古来より人間から迫害されていたことを。今、エレノアがヴィエータの前、シェレビア王国が本当にあったのかを調べていると聞いたら精霊は気分を悪くするかもしれない。また、その国は精霊、妖精恩人である人を殺した国なのだ。言えっこなかった。
「何を探しているの?」
「昔のことよ。一人で探せるから心配しないで。こんなにも早く見つかったらそれはそれで面白くないでしょう?」
「そうかもしれないけど、あたしたちはエレノアの力になりたいのよ」
精霊はエレノアを心配するように顔を覗き込む。一人の精霊がエレノアが読んでいた本をパラパラとめくってみる。
「厄災の竜、ヴィエータ王国建国の歴史? どうしてこんなこと調べているのよ」
「ルゼから過去の話を聞いて興味を持ったの」
「どんな話を聞いたの? そんなつまらない過去のことなんて、エレノアが気にするような話じゃないのよ」
精霊はまるで、エレノアに過去を調べて欲しくないとでも言うように迫った。エレノアはこれ以上精霊を心配させるわけにはいかないと思い、本を全部本棚にしまう。
「分かったわ。子供の頃になかった好奇心が今になって溢れ出ちゃったの。心配かけてごめんなさいね」
「分かってくれればそれでいいのよ」
「エレノアには傷つかないでいて欲しいのよ」
精霊はそう微笑んで言うと、また窓から外へと飛んでいった。
気まぐれな彼女たちのことだが、心配しているのは本当のことだろう。知ってしまったらエレノアが悲しむ。傷つく。そうなって欲しくないという純粋な気持ち。エレノアは精霊からそれを感じ取った。
しかし、気になってしまうのも拭えない気持ちだ。エレノアは精霊に心で謝って城を出た。ある場所へ行こうとしたのだ。
「お別れしたばかりなのに、まさかこんなすぐ会うことになるなんて。恥ずかしい話だわ。あのときは今生の別れだと思ったのに。勘なんて信じちゃいけないわね」
エレノアはフードを深く被り、自分に姿隠しの魔法をかけて山を下る。だんだんと木々が少なくなり、森を抜けようとしたそのときだった。
「どこへ行く、エレノア」
背後から聞き馴染んだ声に呼び止められて、エレノアは振り返った。
そこにはルゼが睨みつけるようにエレノアを見ながら立っていた。
「ルゼ。あら嫌だわ、言ってなかったかしら。街に私が幼い頃にお世話してくれた執事が店をやっていたのよ。そこに遊びに行こうかと」
「やめておけ。街にも出るな」
今までにないような、厳しい声で咎めるルゼ。その様子にエレノアは驚きながらも引き下がることはしなかった。
「なぜ? どこへ行こうが私の勝手でしょう? それに、いつあなたは私に命令できるようになったのかしら。何を言われようと、私は行くわ」
「俺の話が原因か」
「……どうかしら」
エレノアは踵を返して歩き出した。
「行かないでくれ、今だけで良いから」
エレノアは足を止める。泣きそうな、悲しい声でルゼはエレノアを止めようとする。
エレノアに様々な疑問が飛び交った。
「理由を言ってくれなきゃ分からないわ。なぜ行ってはだめな──」
エレノアは振り返りながらそう言った。振り返ってルゼを見ようとしたそのとき。ルゼの姿があの夢に出た青年に見えた。短い黒髪で背の高い青年。
エレノアは息を吸うのも忘れ、その姿を目に焼き付けんばかりに瞳を大きく見開いた。
しかし、それも幻だったのか。ルゼはあの竜の姿のまま。何も変わっていなかった。
「……エレノア?」
「い、いいえ、何でもないわ」
エレノアは頭を横に振り、さっきのは幻だったのだと言い聞かせる。
「嫌な予感がする。今、お前が街に出たら二度と会えない気がしてならない」
「それは、私を止めるための口実でなくって?」
「嘘だと思うのなら、城からでも街を眺めていると良い。今日は良くないことが起こるから」
ルゼは肩を落としたように項垂れ、姿を消した。
思えば、洞窟から出たがらないルゼがこんな街に近い所まで下りてきてくれたのだ。よっぽど止めたい理由があるのだろうとエレノアは思う。危険なことがあるならフォークスをここまで連れてきたいが、今はルゼの言葉を守ることにする。
心配してくれたというのに、反抗してしまった。
子供のようで恥ずかしく、罪悪感でいっぱいになる。
エレノアは街に行くのをやめて、大人しく城に戻った。街の見える方向の部屋のバルコニーに椅子を置き、本を見ながら街を眺める。
ゆっくりと夕日が傾く。何も起こらなかった。やはりルゼの嘘であったのかと笑い、明日からかいに行こうと思ったとき。
街の方から叫び声が聞こえた。
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