奇跡の再開

 エレノアがゼオンに連れてこられたのは、先程エレノアが訪れていた貸本屋だった。

 ゼオンと店主は昔からの仲らしく、店主は嫌な顔せずエレノアたちを店の中に入れた。


 それもほんの数分前の出来事なのだが。


「最初からここに来たら良かったじゃない。なぜ土の中に隠したのよ。それに、あそこにあなたが立っていたらバレるに決まってるでしょ。馬鹿なの?」

「あぁ? 助けてやったってのに何様のつもりだよ」


 エレノアとゼオンは睨み合って口喧嘩を繰り広げていた。止めようとした店主もすっかり二人の気迫に押され、カウンターで身を隠している。


「……お前が、ヴィエータの生き残りの姫様か」


 突然呟くように言ったゼオンにエレノアは驚きながらも、睨み続ける。


「どこでその話を?」

「アーサが、昔っから言ってたんだよ。僕には女神がいる。あの森に彼女が待っているって。何のことかさっぱりだったけどな。エレノア・ヴィエータ。落ちぶれた王族の生き残り」


 ゼオンもエレノアを差別するように、冷めた目でエレノアを見下ろした。そのあまりにも鋭い目線に思わずエレノアは後退りする。


「落ちぶれたなんて言わないでちょうだい。私はヴィエータに誇りを持っている。それは許せないわ」

「お前らがまともに生きてくれれば、俺は今頃こんな思いをしないで済んだかもしれねぇのに」

「あ、あなたのことなんて知ったことじゃないわ。全く、シェレビアにこそまともな人間はいないわけ?」


 そう反抗するようにエレノアが言うと、ゼオンは睨んでいた目を大きくさせて、皮肉ったような笑みを零した。


「ははっ、言えてるな。シェレビアには狂ったやつしかいねぇ。親父も急に手に入れた巨大な権力に酔いしれて、実の母は執務に明け暮れて義理の母は贅沢三昧。義理の兄は子供の頃から変わってる。俺も、出来損ないの欠陥品だ」


 ゼオンはその言葉を吐くように言い、その言葉にエレノアも何も返せなかった。カイデルがあのときゼオンを出来損ないと言っていたことを思い出す。ゼオンはきっと幼い頃からそう言われてきたのだろうと、今エレノアは痛感したのだ。


 ヴィエータは、決して幸せな家ではなかった。憎まれ恨まれ。自由に遊ぶことさえ許されなかった。それでも父には愛された。母からも愛されていた。

 実の親から出来損ないと吐かれた気持ちを理解できないエレノアにも、その悲しさはなぜか分かった。一番理解して欲しい相手に放られるのは、どれほど苦しいのだろう、と。


 しばらくの沈黙が流れた店内の中、口を開いたのは店主だった。その視線はエレノアを向いていた。まるで、生き別れの身内に会ったときのような目で見つめて。


「エレノア様、エレノア様か」

「え、ええ。そうよ、私がエレノア・ヴィエータ。あなたたち平民は特に私たちを憎んでいることでしょう。本当に、ごめんなさい」


 そうエレノアが頭を下げて謝ろうとするのを誰かの強い力によって阻止された。店主だった。店主はエレノアを強く抱きしめた。エレノアは何が起こっているのか理解できず、瞬きを繰り返す。


「あ、あの……」

「生きておられた。ああ、良かった」


 店主はしばらくの間エレノアを抱きしめ続けた。エレノアとゼオンは目だけを合わせる。お互いに何が起こっているのか理解できていない。


 体を離した店主は、エレノアとゼオンに実はヴィエータに仕えていた執事だと告げた。本名はフォークスという。あの日、外の者と共に処刑されることを望んだが、アルゼルの頼みで弟が経営していた貸本屋の店主として働くことになった。この店はアルゼルがよく通っていたが弟が病気で倒れたこともあって店を閉じる気でいたのだ。それを嫌がったアルゼルによってフォークスは名前を変え、自分がヴィエータの元にいた形跡を全て消してこの店を継いだ。

 アルゼルが生前大事にしていたエレノアを、フォークスも可愛がっていた。代々ヴィエータの執事をしていた家に産まれ、王からも信頼されていたため幼いエレノアを世話することもあったフォークス。こうして生きて出会えたことが、彼にとって何よりも嬉しかったのだ。


「ごめんなさい、あなたの記憶がなくて。でも、あなたを見て懐かしいと感じたのは、きっと私の心が覚えていたからなのでしょうね。生きててくれてありがとう、フォークス」

「こちらこそでございますよ。生きててくださって、こうして美しく成長してくださって何よりです。ゼオン様、ワシのことは国王様に報告してくれても構いません。ヴィエータの人間は見つけ次第即処刑。エレノア様にも会えた。もう未練もありませぬ。せめてエレノア様だけお助けになってくだされば、もう望むことはありません」


 フォークスはゼオンに深々と頭を下げた。その顔は清々しいほどの笑顔で溢れている。この世の未練を微塵も感じさせないほどに。

 しかし、ゼオンは首を横に振った。


「言わねぇよ。どうせ俺は出来損ないだ。シェレビアのルールに今更従ってやるつもりはねぇからな」

「ゼオン様。良いのですか、ワシはこうして生きてしまって」

「別に生きてるからって害はねぇだろ。こんなよぼよぼが反乱起こす体力を隠し持っているとは思えねぇし。それに、エレノアを知る数少ない人間なんだろ。エレノアのためにも、生きててやれよ」


 ゼオンはぶっきらぼうにも、そう声をかける。フォークスはその目に涙を浮かべ、何度もゼオンに感謝を告げた。


「良い方じゃ。ゼオン様は、こんなにも良い方だったのか」

「別に、そんなんじゃ、ねぇし」


 ゼオンは俯いて答える。それでもフォークスは嬉しそうに微笑んでいた。

 すっかり日付も変わってしまいそうな頃、エレノアは置いていた荷物を持って立ち上がった。ルゼに日が変わる前に帰ると約束したことをこんな時間になってやっと思い出したのだ。


「エレノア様、お帰りになられますか」

「ええ。今の私の唯一の理解者が待ってくれているの。帰らなくちゃ」


 エレノアは手いっぱいの荷物を抱えながら微笑んだ。エレノアは分かっていた。もう、自分が二度と街へ来ないことを。二度と、フォークスに会えないことを。

 今だって怖いのだ。こうやって、すぐに自分の正体がバレてしまった。それが平民であれば、誰もが持つナイフで刺し殺されてしまうかもしれない。それに、何が目的か分からないアーサが住む街だ。安易に来れないのだ。

 これが、今生の別れになる。そう思っても悲しくはなかった。お互いが会えないと思っていた人に会えた。それだけで、十分だった。


「ゼオン、あなたともお別れね。短い間だったけど、ありがとう。フォークスも会えて良かった。どうかお元気で」


 エレノアはそう言うとドアを開けた。埃っぽい店の中にいたからか、無性に空気が澄んでいるように感じる。

 もうこうして間近で見ることは叶わないであろう街並みを目に焼きつけて、エレノアは街を後にした。


「ゼオン様、止めなくてよろしかったのですか?」

「んで止めんだよ」

「今までのゼオン様とは明らかに違ったので、そういうものなのかと。縁があればまた会える。ワシがこうして出会えたように」


 ゼオンはそう微笑んでいるフォークスの言うことを理解できなかったし、この心に残るわだかまりが何なのかも分からず、また一つ謎が増えてしまった。

 また、会える。フォークスのその言葉を信じてエレノアの去っていった方向をじっと見つめていた。

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