歪んだ愛情
エレノアは時が止まったように感じていた。その言葉が何度も何度も頭の中で繰り返される。
エレノアが、ヴィエータ王族の人間だとバレてしまっている。エレノアは信じられなかった。アルゼルが今後エレノアが苦労しないようにと城はともかく、森から出すことなど滅多にしなかったから。
そもそもアーサとエレノアはあの時が初対面のはずだ。なぜアーサはエレノアの正体を知っているのか。エレノアの心臓は飛び出してしまいそうなほど早く鳴っていた。
「な、何を言ってるのか分かりませんわ。ヴィエータならとうの昔に滅びたはずでしょう……?」
エレノアは自分を閉じ込める腕にそっと手を添えて言う。その声は明らかに震えている。
「とぼけても無駄だよ。だって、ずっと前から君のことを知っている。ああ、二度目に会ったときは綺麗な茶色の髪だったね。今と同じように」
そうアーサは愛おしむように髪をすくい上げる。アーサが何をしたいのか全く分からず、エレノアはただ怯えることしかできなかった。
「人違いですわ。ヴィエータの王族はシェレビアによって処刑された。姫も父によって殺されたと」
「でも死体も、骨すらも見つからなかった。姫だけ死んだ証拠がないんだよ」
アーサはそう言うと深いため息をついて、エレノアの肩に顔を乗せる。吐息が肩にかかり、エレノアは手足まで震えた。どうしたら逃げられるのかと必死に考える。
「アーサ、様。他の方に見られたら大変ですわ」
エレノアは全力を出して、アーサの体を押す。しかし、やはりアーサの体は一ミリたりとも動かない。
「それでも構わない。そうだ、このまま既成事実を作ってしまおうか」
アーサは左手をエレノアの頭に置き、舐めるような手つきでそのまま髪を撫でる。エレノアは左手が空いたことで腰が捻られるようになったので、後ろを振り返って海藻サラダが盛りつけられた皿をアーサに思いっきりぶつける。
ドレッシングがかかっていて冷たかったのか、驚いたアーサはエレノアを抱く力を弱めた。その隙にエレノアはドレスを持ち上げて全力で走り出した。今会場を出るのは余計に注目を集めてしまうと思い、今日は立ち入りが許可されているガーデンの方まで走り出した。
ガーデンには長さが整えられたふかふかの芝生が広がり、目の前には大きな噴水がある。先程、パーティーが始まる前に執事であろう人に右には花が植えられた迷路のような花畑があり、左はティーパーティーの会場に使われたりもするレンガの道が続く場所であると説明がされていたことをエレノアは思い出す。右からは楽しそうな声が聞こえるので、左の方向に走っていくことにした。
左側のガーデンは執事の言葉通り、洗練されていて完璧を感じさせる空間だった。ガーデン用ベンチが至る所に置かれ、座ってお茶をするためか、机を中心に椅子が置かれるものもある。所々に季節の花が植えられていて、花の香りが心を落ち着かせた。
「どこかに隠れなきゃ、アーサに見つかったら今度また逃げられるか分からないわ」
エレノアは目線を彷徨わせながら歩いていた。
「……ノア?」
アーサとは違う、低くて声からやんちゃな性格を感じさせる声。エレノアは振り返らなかった。自分の名を呼んだわけではなかったから。
「ノア、だよな?」
二回も呼び止められ、エレノアは恐る恐る振り返る。そこにはオレンジの髪に深紫色の瞳でアーサと同じように豪華な衣装を着たゼオンが立っていた。ゼオンのその深紫の瞳は夜空の下では闇のような色に見える。
「ノア?」
「お前の名前、ノアじゃねぇの? あの女が、ノア様って言ってたから、そうなのかと」
エレノアは納得したように頷いた。令嬢を助けたときに令嬢に教えて、そのときに呼ばれた名前をゼオンが覚えていたのだ。
「そう、ノアよ。ごめんなさい、今こうやって話している場合ではないのよ。また、別の機会に」
「……アーサか」
エレノアは驚いた。名前も出していないし、アーサの姿も見えないのにゼオンはそう断言したのだ。アーサはまさかこのような癖があるのだろうかとも思う。
「細かい話は後だ。着いてこい。良い隠れ場所がある」
そう言ってエレノアが連れてこられたのは、土の中。土の中と言っても、随分と前に掘られて長く使われているような、狭いが一部屋分の大きさがありそうな空間だ。簡易的な木のドアがあり、そこからのみ出入りできた。
ゼオンはエレノアを入れて自分は外にいた。エレノアの近くに立ち、アーサが来ることを警戒しているようだった。
そのとき、芝生を踏む音が近づいてエレノアとゼオンは息を呑んだ。
アーサは笑顔でゼオンに近づく。ゼオンもアーサを睨みつけながらその場に踏みとどまった。後ろに下がるわけにはいかないと言うように。
「おや、ゼオン。またサボりか。そろそろ真面目にしないと父上も許さないだろう。また僕が肩を持ってあげるから、パーティーに戻ろう」
「どうせ今いったってあれは許さねぇだろ。つまんねぇものに自分から行く馬鹿がいるか」
「全く。お前はもっと自分が王族だということを自覚して──」
「うるせぇな。お前は良かったな、恵まれてて。俺は何やっても駄目なんだよ。お前より劣っているから。王の息子はお前一人で十分だろ」
ゼオンは怒鳴るように言う。怒鳴られてもアーサは笑顔を壊さない。それがすごく不気味で、ゼオンは拳を握りしめた。
「で、彼女がこちらに逃げたはずだけど。教えてくれと言っても教えないよね。だって君は僕のことが嫌いだから」
「当たり前だろ。そもそも俺はその女のことを知らねぇし」
「とぼけたって無駄さ。君も会っているだろう。それに、今そこに隠している」
アーサはゼオンの足元の方を指さした。ゼオンは信じられないとでも言いたげにその指した方向を見つめる。
そこには他の土と何ら変わりはない。なぜ、アーサはそこに隠れ場所があるのか、ゼオンは謎で仕方がなかった。
「バレてないとでも? 昔っから隠れるときはここにいたじゃないか。それにお前のその様子。ここに隠しているんだろう?」
「さあ。気になるなら自分で調べてみろよ」
アーサはゼオンの顔を伺うように見る。ゼオンも深く息を吐くと睨むようにアーサを見る。
アーサはしゃがみこみ、ゼオンの足元辺りの土を掘り出した。
「ぐ、はぁっ」
ゼオンはアーサの首を狙って蹴りを入れた。アーサは首を押えて倒れ込む。息はしているようだ。ゼオンは土の中のドアを開け、エレノアを腕の力だけで引っ張り出す。
エレノアは何が起こったのか理解していなかったが、ゼオンに聞く前にゼオンに担がれてしまい、その場を去っていった。
遠くの方で、アーサの美しい金色の髪が夜空の月に照らされて、エレノアはその光景に目を離すことがどうしてもできなかった。
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