初めまして

 時の流れとは早いものでヴィエータ王国滅亡から五年が経ち、エレノアは十歳となった。

 エレノアが住むのは一人で住むにはとても広すぎる壮大な城。だが、そこは外も中も既に廃墟同然。まるで魔王でも住んでるかのような城に変貌していた。実際そこに住まうのは十歳の幼き少女なのだが。


 エレノアはシェレビア王族や城を荒らした人々などを恨んではいない。愛する父、母を殺した張本人すらも。なぜならエレノアは父の最期の言葉を忘れることはなかったからだ。恨みなどしない。復讐などしない。最期まで誇りを持ってヴィエータの人間として生きるのだと。そう自分に言い聞かせながら生きてきた。


 エレノアは元はといえ王族ではある。だが今は従者の一人もいない。王族が処刑される前、王族に仕えていた人間の大半が逃亡するも皆殺された。城に取り残された幼き姫と一緒にいることを誓った者でさえ、あの日殺されてしまった。

 父が遺した地下壕に隠れていれば自分と同じように見つからなかったのに。そう重たい気持ちだけがエレノアの心に積もっていた。どこへ行ったのかと探しているといつの日か、いくつもの見知った顔をした首が城の前に置かれていた。エレノアはしばらくショックで引きこもっていたが、しばらくの時日を経て涙を零しながらそれらを両親の墓の隣に埋めた。


 エレノアは妙な矛盾を感じていた。王族にはそれは多くの従者がいた。執事もメイドも、騎士たちも。そのほとんどが処刑されたのだ。しかも彼らはエレノアの存在を知っている。彼らは王が娘を愛し、次期国王にするため教育を受けさせていたことを知っているのだ。なのに、処刑されたときに姫が城にまだ残っていると言わなかった。おかげでエレノアが指名手配され追われるなんてことは一度もないし、国民全員が姫は死んだと思っているのだ。

 不思議な気持ちを抱えながらエレノアは遠く離れた場所にある真っ白なお城を眺める。離れて声など聞こえるわけもないのに人々の賑やかな声が聞こえてくるようだった。

 今日は両親の命日。墓が誰も来ないのに綺麗なのは毎日のようにエレノアが訪れては綺麗にしているからだ。


 拙い文字で両親の名が彫られた墓石の前にエレノアは花を添える。墓と言えどここに骨は埋まっていない。カイデルがヴィエータ王国滅亡を公表した際にアルゼルとその妻であるべルーアを公開で処刑し、骨が灰になるまで焼き尽くしたしためにこの世にはもう二人の骨は残っていない。それでもせめて形だけでも墓を作りたかったエレノアは、自力で両親の墓を作ったのだ。

 歪な形をした墓の前でエレノアは合わせた手を組む。酷い王様だけれど良い父親だったと思いながら、愛してくれてありがとうと感謝も告げた。


 エレノアは好奇心のない子供であった。アルゼルが姫を守りたいがばかりに外に出ることを禁止していた。それゆえに段々と全てに対して好奇心が薄れてしまったのだ。外に出れば危険がたくさん潜んでいる。そんな教えは未だに根づいており、エレノアは両親の死後も城と墓のある場所にしか行かず、森からは出なかった。

 そんなエレノアが突如普段行かない方角に顔を向けた。強く風が吹き、誰かに呼ばれた気がしたのだ。あちらに何があるのか分からない。ただ、その直感が強くエレノアを惹きつけた。エレノアは城とは違う方向へと歩き出した。


 ヴィエータの城のある森は神の森とも言われる。人ならざる力を持つ妖精と呼ばれる生命体が唯一住まうとの伝説を持つ森。そのためこの森はどこか神秘的な空気を放っていた。エレノアはそんな森で大きな洞窟を見つける。入口は自分の身長の何十倍もあるほど大きい。そこに入ってしまえばもう戻って来れないとでも思うほど真っ暗闇の向こう側。

 エレノアは来ているワンピースの裾を強く握りながら洞窟の中に入った。


 洞窟に足を踏み入れた瞬間、水を踏んだ音が響く。暗い道を歩いていくと、少し先から光が漏れているのに気づいた。そこへ一目散に駆けていくと、水面が見える。池だと思われるそこに、定期的に天井から水が落ちていた。そばにある岩は苔で彩られ、池の真ん中にある木が根を張ってその存在感を示す。ぽっかりと穴が空いた天井から陽の光が届いており、陸部分には緑が生い茂っている。そんな神秘的な光景に目を奪われのも束の間。エレノアはそこにいたある存在から目が離せなくなった。


 それは大きかった。自分よりも遥かに。目玉ですら、エレノアの身長より大きい。そこにいたのは竜だ。しかもエレノアはその竜を本の中で見たことがあった。黒い体に赤い瞳。そして人間と比べものにならないほど大きい竜。

 その竜は、国で厄災の竜と呼ばれる竜だった。

 かつてこの地を治めていた王国の三分の二を一瞬で焼き払い、滅ぼしたと言われる竜。竜が起き上がり、空を飛んだ日には国が滅びると書物に書かれるほどのもの。それからその竜は厄災をもたらすとして厄災の竜と呼ばれるようになったのだ。

 竜はただじっと寝そべったまま、エレノアを見つめる。エレノアも目を逸らさずに竜を見ていた。


「あなたも、独り?」


 そのエレノアの問いには竜は答えない。表情すら変えず。


「奇遇ね。私も独りなの。大好きな人もみんな殺されちゃったもの」


 エレノアはそう言って苔の生えた岩の上に座った。池を挟んで反対側に竜がいる。怯える様子を見せないエレノアは、竜とそのまま距離を置いて話を続けた。


「孤独は慣れないものね。私にはいつもお父様がいた。どんなときも。でも、それも五年前の話。大好きな人はもう骨すらこの世にない。酷い王様だったのは知ってる。それでも私にとっては唯一の父親で、大好きな人だったの」


 エレノアの目に涙が浮かぶ。その涙が頬を伝う前に乱雑にそれを拭う。そして、エレノアは立ち上がって竜を見るその目を輝かせた。


「ねえ、また明日も来ていい? 独りは、嫌だもの」


 エレノアは歯を見せて笑った。竜はエレノアのその言葉に顔を背けた。エレノアは目を細めて笑うと、踵を返して来た道を辿って行く。エレノアは誰もいない、誰かに引き裂かれたカーテンでさえそのままの城へと帰った。


 エレノアはその言葉通り、翌日も洞窟へやってきた。そしてその次の日も、また次の日も。何も変わらない日々なのにエレノアの話すことは毎日話が変わる。竜は何の反応を示さないのに、エレノアはお構いなしに話を続けた。


「何もない日だったの。起きたらお昼で、そのままぼーっとしてたらいつの間にか日が沈んでて。そんな日だったわ」


 そう言ってエレノアはため息を零す。相変わらずおとぎ話のように竜が話し出すわけもなく。話すネタがないと肩を落とすと、竜に別れを告げてとぼとぼと帰っていく。


「今日は、もう終わりか」


 そう低くも若い、それでいて少し寂しそうな声が背後から聞こえてエレノアは振り返る。そこに人影はない。ずっと寝転がる黒竜の姿しか見えない。竜はじっとエレノアを見つめるだけ。本ばかり読んでいるがさすがに現実との区別はついている。人間の言葉を話せるわけがないと、エレノアはまた歩き出す。


「せっかく声をかけたというのに」


 そうため息混じりの声がちゃんと聞こえた。聞き間違いではなかったとエレノアはまた振り返ると竜のすぐ近くまで歩いた。竜との距離は手を伸ばさずとも触れられる距離。今までこの池から先へは行かなかったのに。こんなに近づいたのも初めてだ。


「あなた、人間の言葉を話せるの?」

「何百年も人間の戯言を耳にしていれば嫌でも言葉を覚える」


 竜はゆっくりと口を動かしながら話す。エレノアは目を輝かせながら少しジャンプをした。


「すごいわ。竜が喋れるなんて。なら、これからはたくさんお話ができるね」

「……お前はやはり変わっているな」

「私が? あなたと話したいと思うのは本当のことだし、心から望んでいることよ。だって、ずっと独りだったんだもの。喋らずとも話を聞いてくれる存在がどんなに素晴らしいものだったか。言葉にできないほど、嬉しかったのよ」


 エレノアは目を伏せながら微笑んだ。竜は何も言わずにエレノアを見る。まるで、その言葉が嘘ではないか見定めているように。


「怖くはないのか。王族でったのなら書物で読んだことくらいあるはずだ。王国を滅ぼした厄災の竜のことを」


 そう尋ねる竜の瞳はとても冷たかった。今まで冷たさを感じなかった竜の瞳。今は何だか命まで取られてしまいそうでエレノアは全身を走る恐怖に少し震えた。しかし、その手を握りしめてしっかりと竜を見る。自分の意思を見せるように。


「怖くはないわ。あなたが滅ぼしたということが事実でもそうでなくても、私には関係のないことだもの」

「関係ない?」

「だって、私のお父様が治めていた国はもう滅びてしまった。あちらの国ではもう私は死んだことになっている。私には、もう失って悲しむものがこの世に残されていない。だから国を滅ぼす力を持つ竜すら、恐れることはないのよ」


 エレノアの声は震えていた。強く握りしめた手も、僅かに。だが、竜を見つめる目だけは逸らさなかった。少しでも自分の気持ちが伝わるように、と。


「やはり、お前は変な人間だ」


 竜は諦めたように言うと目を閉じて、しばらく黙り込んだ。エレノアは固唾を呑んで竜を見ていた。これから何をされるのか分からず、何もできずにいたのだ。


「家に帰れ。待つ者がいずとも、そこがお前の帰る場所。かつてお前を愛した者が、唯一お前を愛することができた場所。お前だけが守れる場所だ。早く帰ると良い」


 エレノアが想像していた言葉ではなかった言葉を竜は呟く。竜はそう言って眠ったように喋らなくなる。エレノアは度々振り返りながら城へと帰った。

 エレノアは、帰り道はっとしたように目を開く。名を聞くのを忘れた。そもそも自分を名乗っていないのだから仕方ないかもしれないが。まず竜に名前があるのかも分からない。それは今度で良いと城に向かってまた歩みを進める。


 城はエレノアにとって最初で最後の家。守るべき場所。竜に言われた言葉がなかなか頭から離れなかった。

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