墓前での祈り

 村の南東にある小さな浮島イソラには、簡素な墓石が等間隔で並んでいた。流れる風以外、何も音を発しようとしない静寂な空間。もちろん華やかな墓地というものはそうそう存在しないだろうが、それにも増して、ここはひどく寂しく、悲哀が満ちているように見えた。それとも今、抱いている心境がそう感じさせるのか。

 墓地の入り口に立つと、クリアスはすぐに探していた姿を認めた。奥の方に一つだけ、他からは少し距離を置いて作られた墓石の前に、白いローブと紫水晶色アメジストの髪の後ろ姿が蹲っていた。

「なぜ、ここだと分かった?」

 並んでその後ろ姿を見つめながら、アインがおもむろに尋ねる。

「今、あの子は『創造の花リグレッタ』を盗んだ嫌疑を掛けられてる。そんな中でシチパスさんのところに身を寄せれば、批難の目はシチパスさんにも向けられる」

 乾いた風がクリアスの髪を撫でる。

「兵士さんを助けようとした行為から、彼が自分よりも他人を大切に想う子だということは分かったわ。だからあそこへは行かないと思った。でも、十二歳の子ならやっぱり誰かに助けを求めずにはいられないんじゃないかなって……。だったらここしかないと思ったの」

 その心の拠り所となり、人が責めようにも届き得ぬ存在。最後の時まで息子を守り続けたアルジェルの母親はここに眠っている。

 クリアスは足音を立てて、それでいて敵意がないことが分かるように歩き出した。あと数歩というところまで近づいたところで、アルジェルが振り返る。

「クリアスさん、どうしてここへ?」

 小さいながら、その声に存外、落ち着いた印象を覚える。が、クリアスはすぐにその認識を改めた。この少年から漂っているのは落ち着きというより、むしろこの世のあらゆるものに対する失望、そして、諦観だった。

「あなたを探していたのよ……。お母さんと話してたの?」

「……いえ、祈っていました」

 アルジェルは形見であるというペンダントを首から下げ、右手でそれを握り締めている。

「死ぬ少し前にお母さんが言っていたんです。これは『黎明の雫』という御守りで、祈りを捧げ続けるとその人の前に神様が降りてくるって……」

 言いながらアルジェルは手を開いてペンダントをクリアスに見せた。中心に小さな瑠璃ラピスラズリが据えられたそれは、独特の紋様が施されていて、不思議な力を感じさせた。もしかしたらこれは、アルジェルの父親である魔族の男性がリゼーナに送ったものなのかもしれない。

「神様に……会いたいの?」

「はい……」

「会ってどうするの?」

 アルジェルは母親の墓石を見つめたまま、虚ろな目で言った。

「お願いをします。もし、生まれ変わったら……普通の人間にしてくださいって……」

 不吉な予感がクリアスの体を突き抜ける。

「アルジェル君! 馬鹿なこと言わないで!」

 クリアスはしゃがみこんでアルジェルの肩を掴み、その顔を覗き込む。しかし、アルジェルは苦しげに目を逸らし、体を離す。

「事情は分かっているわ。『創造の花リグレッタ』の盗難のことなら心配しないで。今、私たちはあの事件の真犯人を探しているの。あなたの無実は必ず証明するから」

 そう言ってからクリアスは一瞬後悔した。まだ犯人を突き止める算段は全く立っていない。それなのにこんな無責任な安請け合いをしてしまっていいのかと……。

 しかし、クリアスは覚悟を決めた。少しでも希望を与えなければ、この少年の繊細な心は今にも崩れ去ってしまう。

 その願いが通じたかのようにアルジェルの瞳が僅かに輝きを取り戻した。だが――

「クリアスさん、あなたは本当に優しい人ですね。でも、もう……」

 すぐにそれは雨に打たれた灯火のように消え去り、儚い色に覆い尽くされる。

「僕はこれまで精一杯、やってきたつもりでした。でも、やっぱり生まれ持った運命を変えることはできない。何もかもが無駄だったんです」

 これまでアルジェルは苦難の日々をどうにか耐えてきた。しかし、その心は絶えず深く傷つき、限界を迎えていたに違いない。そこへ起きた今回の事件が、激流のように少年の心を深淵へと押し流してしまった。

 だが、クリアスは諦めきれなかった。諦めたくなかった。何とかしてこの少年を救いたい。この理不尽な運命から一つの純粋な心を解き放ちたかった。

 ひたすらそれを願い、クリアスは手を伸ばす――

「それで結局、神頼みか?」

 酷く冷たい声がその伸ばした手を、そして、アルジェルを貫いた。

 振り向く先で日を背にアインが立っていた。昼間だというのにその表情は不気味なぐらい陰っている。

「精一杯やってきたというが、俺に言わせればお前はただの臆病者だ。本気で何かを変えようとはしていない。怯えてばかりで何も選ぼうとせず、他人に選択を委ねてばかりだ。挙句の果てにそれを神などという幻想に託すとはな」

「アイン! そんな言い方ないわ! 彼は……」

 クリアスは眦を釣り上げ、詰め寄ろうとして……足を止めた。アインの強烈な視線のさらにその奥に見えた光が、クリアスをその場に縫い留めていた。

「生まれ変わって、お前はどうしようというんだ? お前に何ができるんだ?」

 アインの二色の瞳が抑えつけるようにアルジェルを見下ろす。しかし、アルジェルに怯む様子はなかった。むしろ、それまで見られなかったたぐいの感情がその瞳に宿っていた。

「僕は……僕は……」

 拳を握り、そして――。

「普通の人間になって、いろんなことがしたいんです! こんな呪われた血が流れていなければ、僕はもっと好きなことができた! あんな嫌な思いをせずに済んだ! もっと幸せになれたんです!」

 激情が迸る。心の底からの叫び声。ずっと秘していたそれがついに抑えきれなくなり、端正な顔から怒りの焔が巻き散らされる。

「それがお前の本心か。ようやく聞けたな」

 だが、アルジェルの激憤を受けてもアインは全く動じない。

「だが、お前の望みは叶わないだろう。本当に信仰というものを持っている奴に言わせれば、神は見返りを求めて祈る人間に手を差し伸べたりしない。神に縋る人間に慈悲など与えない」

 するとアルジェルが笑った。これまで見たことがない、翳のある笑みだった。

「そんなものは建前ですよ。みんなそれが高潔な振る舞いだと謳われてるからそう口にしているだけです。弱い人間は報われると信じなければ……幻想がなければ生きていけないんです。見返りがないと思っていたら……誰が神など信じるでしょうか」

「だからお前もそうするというのか? 幻想と分かっていて」

 鈍い矢に貫かれたかのようにアルジェルは顔を歪ませる。

「それならどうしろと言うんですか。この体に流れる血はいくら努力したって赤くはならない。この血が流れている限り、僕は何も選ぶことはできない。大切な人にも振り向いてもらえない。もし普通の人間に生まれ変わってやり直すことができたら、僕だってきっと……」

「まだ分からないのか、糞餓鬼が!」

 恐怖を覚えたアルジェルが下がるより速く、アインはその胸ぐらを掴み、付きそうなほど顔を近づける。

「この世から苦しみや辛さがなくなることはない。例え何者になろうとな。それを打ち砕けるのは自分の意思だけだ! 今この時を生き抜けない人間が、生まれ変わった先の世界で何かを成し遂げられるとでも思っているのか? 無能な人間は生まれ変わっても無能なままだ。そんな奴は王になろうが、強大な力を得ようが所詮、卑小な人間のまま、朽ちていくだけだ!」

 クリアスは胸の前で右手を握りしめ、その光景を見つめていた。本来なら止めに入るべき場面のはず。しかし、アインから伝わる痛いほどの情動が、クリアスをその場から動けなくしていた。

 アインが突き飛ばすようにアルジェルから手を離す。

「人はいつでもやり直せるという奴もいる。だが、俺は、人にはその後の生き方を決定づける重要な一瞬があると信じている」

 倒れ込んだアルジェルを獅子のような眼が見下ろす。

「お前にとってはまさにここがその分水嶺だ。このまま諦めたままで終わるのか。それとも宿命に抗い、自分の意思で歩き出すか、全てお前次第だ」

 アインは唸るように息を吐き、背を向けた。そこで、ようやく金縛りから脱したかのように、クリアスはそっとアルジェルに歩み寄った。

「クリアスさん、僕は……」

 何かを言おうとするアルジェルに、クリアスはその腕を取りながら首を振る。

「私にはあなたの苦しみは分からない。だから私はあなたに厳しくは言えない。でも、これだけは分かって。アインは決してあなたのことを蔑んではいないわ。そして、アインが言ったことをどう受け止めるかはあなた次第。あなたが答えを出すしかないわ。でも……」

 手に取った腕を引き、立ち上がるように促す。

「今日のところは家に帰りましょう。明日までは王国軍もあなたのところには来ないから……。人には何も考えずに立ち止まる時も必要だわ」

 クリアスは薄く微笑む。

 アルジェルはしばし心ここに在らずといった様子で立ち尽くしていたが、次第に瞳を潤ませ、ついには耐えきれなくなったとばかりにクリアスの胸に飛び込んだ。

 涙が溢れ、浮島イソラを隔てる渓谷に慟哭が響き渡る。

 クリアスは優しさを持ってそれを受け止めた。柔らかい髪に触れ、そっとその頭を抱く。

 これでアルジェルが抱いてきた苦悩が洗い流されるわけではない。しかし、例え一時の慰めであっても、刹那の忘却であっても……この瞬間だけは、この少年が悲しみの鎖から解き放たれる。それを祈らずにはいられなかった……。


 ――そのころ

「隊長からは立ち入りの許可は出ているが、あまり現場を荒らすなよ」

「はい、気をつけます」

 飛龍は『創造の花リグレッタ』が収容されていた保管蔵の中にいた。

 入り口から真っ直ぐ進むと、奥の壁に嵌め込み型の小さな窓が三つあり、その一つが割れて、焼け痕の付いたガラス片が室内に散乱していた。そして、窓枠に残った破片には酸化し、暗赤紫色となった染みが付着し、その下には同色の丸い血痕のような跡があった。状況だけを見ると、窓からの侵入者が破片でどこかを切り、血痕が下に落ちた、とも見える。しかし――

 飛龍は破片などには触れないように慎重に近づき、窓枠の暗赤紫色の染みを見る。と、不意にある感覚が反応し、ほとんど付きそうなぐらい、その染みに顔を近づけた。

「なんだこれは……一体どういうつもりで……?」

 数秒制止した後、飛龍は眼を見開く。するとそれを聞き留めたのか、入り口にいた兵士が入ってきて、飛龍の傍まで来る。

「おい、さっきから何やってるんだ? 変なことしてないだろうな?」

 飛龍は少し後ろに下がって振り返ると、訝る兵士に尋ねる。

「はい、何でもありません。ところで一つ教えて欲しいのですが、王国軍の人たちは、最初これを発見した時、なぜこれがアルジェルの……半魔族の子供の血だって思ったんですか? 普通、こんな色のものを血なんて思わないですよね?」

 不意の質問に兵士は戸惑いながらも答える。

「そりゃ何も知らなかったらな。ただ、付き方が明らかに血のそれだろ。それに噂で半魔族の血が赤紫色だって聞いてたからな。すぐに二つが結びついたんだ」

「噂?」

 飛龍が眉を顰める。

「ああ、例の橋の前で俺たちの仲間が……魔物に殺された事件があっただろ。あの事件の後ぐらいから、あの子供が半魔族だって噂を聞いたんだ。お前は聞いていないのか?」

「ええ……僕は聞いてないです」

 仲間を失ったことを再自覚したのか、兵士は俯き加減に話す。そのため飛龍の声が深刻味を帯びるのには気付かなかった。

「ちょうど同じぐらいに、隊長も村人からあの子供が半魔族だってことを聞いたらしくてな。だから王国軍の人間は大体知ってるんじゃないか?」

「……そうですか。ちなみにあなたはその話を誰から聞いたんですか?」

「ん? ああ、名前は聞かなかったけど、両手に色んな宝石の指輪をつけた商人から聞いたんだ。この村には『創造の花』を見るために来たらしいが、すごくお喋りな奴でな。ああいう奴にかかれば、村の片隅で起きたことも次の日にはみんなが知ることになるんじゃないか」

「そうなんですね……。分かりました。ありがとうございます」

「もういいのか?」

「はい、ここで必要なことは分かりました」

 そう言って踵を返す飛龍。その背に少し躊躇いを含んだ声が掛かる。

「なあ……お前はあの子供が無実だと信じてるから、こんなことをしてるんだよな?」

「そうですが、それが何か?」

「正直、この状況を考えるとアルジェルって言ったか……あの子がやったように見えるんだが……集会所であの子と少しだけ話した印象からすると、どうにもそういうことをしそうな子には見えなかったんだ。それに魔族だからって悪さをするわけじゃない……。この村の連中は魔族の血ってやつを随分忌み嫌っているようだが……今時、そんなのも馬鹿らしいよな」

 歯切れ悪い言葉の端々にやるせなさと同情が垣間見える。

「だからあの子が犯人じゃなかったら、それに越したことはないなと思ってな。それで隊長には悪いが、ひょっとしたらお前が何か見つけるじゃないかって、ちょっと期待してるんだ」

 苦さを滲ませながら、その兵士は初めてその口元を緩めた。その様子をひたと見つめた後、飛龍は尋ねる。

「あなたのお名前は?」

「俺か? ニューマン。リヌス・ニューマンだ」

「ニューマンさん。もしあなたにその気持ちがあるなら、そこの割れたガラスに鼻を近づけてもらえませんか? その後のことはあなたにお任せします」

「は? 何だって?」

 ぽかんと口を開けるニューマンを飛龍は黙って見守る。ニューマンは首を捻りながらしばし戸惑っていたが、やがて飛龍の言う通り、割れた窓へと歩を向けた。窓枠に残る暗赤紫色の血痕。そこへ顔を近づけ――その目が驚愕に見開かれる。弾かれるように振り向いたニューマンに、飛龍はその黒曜石の瞳に確信の光を宿し、深い頷きを返した……。


「どうもありがとうございました」

 アルジェルを送り届けると、クリアスたちは早々にシュライハルト家を後にした。

 クリアスは一度振り返り、まだ玄関先に立っているハンナを見る。ハンナとアルジェルの関係を掴みかねる中、二人だけにして大丈夫なのか一抹の不安を覚えずにはいられなかった。だが、頭を振り、その考えを振り払う。

 ――大丈夫。だって二人だけの家族なんだから……。きっとハンナさんは……。

 信じる思いを胸に抱き、前を向く。なにせ時間はあと半日しか残されていないのだから……。

 急がなければならないという思いを足に伝える。が、それに矛盾するように歩みは速くならない。その原因は分かっている。

 少し前をアインが歩いている。寡黙なその広い背中にクリアスはか細い声で言った。

「……ねえ、アイン。さっきはどうしたの?」

 アインは立ち止まり、首だけで振り返ると、クリアスが横に並ぶのを待って再び歩き出す。

「あの坊主に怒ったことか? あれはあいつのあまりの情けなさに腹が立っただけだ。それがどうかしたか?」

「ううん。ただアインがあんな感情的になるところ、初めて見たから……」

 アインは前を向いたまま答える。

「そうだな。確かに大人気なかったかもしれん。だが俺も人間だ。虫の居所が悪い時もある」

「怒ったのはたまたま機嫌が悪かったから?」

「ああ」

「そう……」

 クリアスは思った。これも初めてだと。アインがすぐ分かる嘘で本心を誤魔化すのは……。

 その時、正面から押し留めるような強い風が吹きつけてきた。クリアスは顔の前に手を翳し、体を丸めてその風をやり過ごす。まるで立ち止まれと言わんばかりのその突風が過ぎ去り、打って変わって寂しいぐらいの静寂が広がったとき――

「まるで昔の自分を見ているようだった」

 空隙に静かな独白が流れた。

 顔を上げ、風が沁みる目を開くと、アインが誰かを睨むように前を見つめていた。その鋭い眼差しに含まれる悲しみとも苦しみとも取れる色に、クリアスはアインの少年時代の話を思い出した。

「あの頃、俺は強くなりたいと願っていた。だが一方で、どうしようもない諦めの気持ちに憑りつかれていた。望むものを得られるのは限られた人間だけ。他の人間はいくら努力しても無駄なんだと」

 アインが後ろを振り返る。その視線の先には、草木のない台地にぽつりと立つ少年と祖母が暮らす家があった。

「最初会った時から感じていた。こいつも同じ目をしていると」

 その横顔を見つめながら、クリアスはこれまでのことを思い返していた。そして、理解した。アインはずっとアルジェルに対して厳しい視線を送っていた。苛立つような態度をとったこともあった。しかし、本当のところ、それはアルジェルを見ていたのではなかったのだと……。

「だが、あいつは俺とは違う」

 アインはより一層、鋭さを増した双眸で前を向く。

「ただ甘ったれていた俺とは違い、あいつは本当に酷薄な道を歩んできたんだろう。俺があいつの立場ならそれこそ死を選んでいたかもしれない。だが、そんな中でもあいつは自分を見失わず、真っ当に生きてきた。それだけじゃなく己を高める努力も欠かさなかった。魔族の血を引いているとはいえ、あの年であれほどの魔法を使える奴はそうそういないんだろう?」

 クリアスは黙って頷く。普段と打って変わって、心情をありのままに吐露するアインは驚くほど人間味に溢れていた。

「それなのにあいつは諦めようとしている。意志の強さも生き方を選ぶ力もある。それなのに、一歩踏み出す勇気を出そうとしない」

 声にも怒りが滲みだす。

「そんなところがこの上なく腹立たしい」

 アインは心底怒っている。しかし、それは憎しみのこもった憤りではなかった。クリアスは生まれて初めて、怒りを発する人間を見て、嬉しいという感情を抱いた。

「アイン……」

 クリアスはそっとその力強い手を取る。

「大丈夫。きっとあの子もあなたと同じよ」

「俺と同じだと……?」

 驚いたように見つめ返すアインにクリアスは頷く。

「あなたが言ったように人には決断しなければならない時がある。そして、あなたも昔、大きな決断をした。それがあなたにとって最良だったのかは分からない。でも間違いなく意味はあった。だって、少なくとも私にとっては、あなたは出会って良かったと思える人だもの」

 敢えて退路のない過酷な環境に身を投じた少年は、厳しさとともに一人の少年の未来を憂う温かさを持つ人間となった。

「だから、あの子もきっと決められる。自分の意志で。でも、あの子とあなたの違う点は、あの子には私たちが――あなたが傍にいる。どんな道を選ぶにしろ、あの子がそれを決めるための手助けを私たちでしてあげよう」

 その言葉をアインは珍しく惑うような表情で受け止める、だが、ひと時、クリアスの緑柱石の瞳を見つめると、ふっと視線を逸らし、素っ気なく言い放つ。

「俺は腹が立った理由を言っただけで、別にあいつがどうなろうとどうでもいいんだがな」

 その言葉にクリアスは唖然とし――次に声をあげて笑った。

「何がおかしい?」

「うん、そうね。アインはそうなんだよね。ふふふ」

 不満げに黙り込むアインの前で、クリアスは声を抑えつつも笑い続ける。

 日を遮っていた雲が通り過ぎ、上空に清々しい青空が広がる。その空の下、クリアスがようやく気持ちを落ち着けたところで、前方から誰かが駆けてきた。

「あれは?」

 近づいてきたのは王国軍の兵士だった。兵士はクリアスたちに目を向けると、軽く敬礼してそのまま村の中心部へ繋がる橋へと走って行く。

「どうしたのかしら?」

 不思議そうにその姿を見送ると、兵士が来た方向から、今度は一目で分かる黒い姿が歩いてくるのが見えた。

「飛龍だわ」

 クリアスが駆け寄ると飛龍は軽く手を挙げて応える。

「あの子は見つかったみたいだね」

「うん、家に送り届けてきたところ。そっちはどうだった?」

「まずは吉報だよ。あの子はやっぱり犯人じゃなかった。証拠もある」

「ほんと!?」

 まさかこれほど早く解決するとは思わず、クリアスは喜びと驚きを半々にその顔に表す。だが、嬉しさの方はすぐに霧消した。疑いが晴れたという割には飛龍の表情が硬いままだったからだ。

「分かるには分かったが、と言った感じだな」

 アインの言葉に飛龍は首を振る。

「いや、逆だよ。ますますこの事件が分からなくなってきた。……でも、一つ考えていることがある。それを確かめるために行きたいところがあるんだけど、いいかな?」

 クリアスはアインと顔を見合わせる。

「もちろんいいけど……考えていることって?」

「それはまだ話せない。というかまだ漠然としていて、具体的な形にはなっていないんだ。その輪郭を描くためには、もっとこの村で起きていることを知る必要がある」

 その深刻な顔に不安を覚えつつも、クリアスは少しずつ深い森の先が見えてきた気がした。

「それじゃ、これだけは教えて。アルジェル君の無実を証明するものって何なの?」

「それは道すがら話すよ。その方が時間を有効に使える」

 その言から飛龍が事を急いでいることが伺い知れた。それが何故なのかは分からない。しかし、これまでも飛龍はその慧眼をもって隠された真実を明らかにしてきた。その行き着く先にはきっと全てを繋ぐ真相があるはず。

 そう信じ、クリアスは飛龍が促すままに歩を前に進めた。

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