滲みだす悪意

 集会所を出てすぐに、飛龍は『修学の浮島イソラ』の方角へ体を向ける。

「それじゃ、僕は『創造の花リグレッタ』が保管されていた蔵に行ってみる。クリアスたちはアルジェルを頼む。この村はそれほど広くないし、彼が行きそうなところは大体見当つくよね。もし、彼を見つけて家まで送り届けたら、その後合流しよう」

「うん、分かった。……でもその前に確認させて欲しいことがあるの」

 クリアスは人気のないところに二人を誘い、周囲を見回してから声を潜めて話す。

「飛龍はこの事件の犯人が誰か見当がついてるの?」

 その問いに飛龍は一瞬動きを止め、難しい表情を作る。

「……いや、それはまだ全く分かっていない」

 その回答にクリアスは悄然と黙り込む。ああまで言い切ったのだから、てっきりある程度の目星は着いていると思っていた。それを察したのか、飛龍が申し訳なさそうに言う。

「さっき、ハミルトン隊長に言ったことからそう思ったんだね? でもあそこはああ言うしかなかったんだ。曖昧な言い方だとあの人はアルジェルへの追及を止めないと思ったからね」

 その弁解にクリアスは納得した。確かに頭の固いあの隊長は、生半可な提案では話に乗ってこなかったのかもしれない。一日という期間は短すぎるが、それでもこの危機からアルジェルを救うための時間を勝ち得た飛龍の機転には、むしろ感謝しなければならない。

「そうだったのね。でも、きっと犯人は見つけ出せるわ。相手が人間なら完璧なはずないもの。何か手掛かりを残しているはずよ」

「そう願うよ」

 前向きな意見に感化されたのか、飛龍もわずかに唇を緩める。クリアスもそれに強い意志を乗せた笑顔を返すが、すぐにその表情を引き締める。

「でも、まさかこれが狙いだったなんてね」

「狙い?」

 疑問符をその顔に浮かべる飛龍にクリアスも同様に疑問符を返す。

「今回の一連の事件よ。すべては『創造の花リグレッタ』を盗むために仕組まれたんじゃないの?」

 飛龍ならすでに見抜いていると思っていたため、その反応を意外に思いながら、クリアスは自身が行き着いた仮説を披露する。

「例の魔物騒動が起きて、王国軍は『樹陰の浮島イソラ』への橋を見張るため、多くの兵士たちを動員しなければならなくなったわ。そして『創造の花』の警備に十分な人員を割くことができなくなった。だからハミルトンさんは、それまでと同じ『修学の浮島』にある保管蔵に『創造の花』を収容して、そこへ行く唯一の道である橋に検問を設けることで人が近づけないようにした。でも、それは犯人の狙いだった。この人物は監視の目をどうにかして掻い潜ってあの浮島に渡る方法を知っていた。だからあの魔物騒動を起こしたのよ」

 クリアスの説明を飛龍は黙って聞いている。

「そして、アルジェル君が疑われてる学校の北側の橋が燃やされた事件。あれもこの『創造の花』を盗むための準備の一つだった。もし、あの橋があれば、『修学の浮島』へ渡るもう一つの道が存在したことになるわ。そうしたら王国軍も別の保管場所を考えたんじゃないかしら。つまり、犯人は『創造の花』を強奪するために、橋の放火と兵士の殺害という乱暴な二つの手段を取ったのよ」

 普通は一つの古代遺物を盗むのにここまではしないだろう。しかし、『創造の花』は、ともすれば世界の構造を変える可能性すらある超常的な力を宿す遺物。手に入れるには人を殺しても、と考える人間がいても不思議ではない。

 とにかく、犯人はこれら三つの事件を実行し得た人間に違いない。それをどうやって突き止めるか。それをクリアスが言い出そうとしたその矢先、

「クリアス」

 飛龍が静かに口を開く。

「確かにこの村では異常なことが続いている。でもそれらが『創造の花』盗難のために行われたと考えるのは少し無理があるんじゃないかな?」

 必死に考え抜いた推論を敢え無く否定され、クリアスは二の句を失う。

「じゃあ、飛龍は、今話した三つの事件はそれぞれ関連のないものだと考えてるの?」

「……それじゃ、ここでお互いの考えていることを整理しておこうか」

 飛龍はアインとクリアスを交互に見てから話しだす。

「まず『創造の花』の盗難は、兵士殺害の事件がきっかけとなって行われた。それは僕も同意だよ。でも、これが意図的に計画されたものかというと、そうではないと思うんだ」

 クリアスはじっと飛龍を見つめ、耳を傾ける。

「さっき君が口にした言葉がまさしくそうなんだ。もしあの兵士殺しが『創造の花』を盗むために行われたのだとしたらあまりに乱暴すぎる。兵士が殺されても王国軍が『樹陰の浮島イソラ』に繋がる橋の警備を増強するとは限らない。『創造の花』も話に出た蔵には保管せず、王国軍が手元に置く可能性もある。他にもまだあるけど、つまりはこの方法には上げ出したらきりがないぐらい不確定要素が含まれているんだ」

 クリアスはその論に頷かざるを得ない気持ちを抱きつつも、一方で納得しがたい疑念を覚えた。つまり飛龍の考えだと『創造の花』の盗難は計画立てられたことではなく、盗む機会チャンスが生まれたからそうした、ということになる。が、それはそれで変な気がする。そうだとしたら兵士たちは何のために殺されたのか。別の目的、別の犯人がいるのだとしたら、ことはさらに複雑になって来る。クリアスがそれを訊こうとしたとき、飛龍が反対側を向く。

「そうそう。今回の盗難事件に関して、アインに聞きたいことがあったんだ。『創造の花』ってどんな形、大きさだった?」

 いきなりがらりと変わった話題にクリアスは一瞬、困惑する。だが、『創造の花』を探す上で、それがどんなものなのかは、確かに把握しておく必要はある。飛龍のその考えが分かっていたのか、アインは全く動じず質問に答える。

「そうだな。形は細長い賞杯トロフィーのようなものだった。大きさ……というより長さは俺が抱えた場合、頭一つ分、出るぐらいだな」

「そこそこ大きいね。さすがに重さは分からないよね?」

「それはな。だが、あの坊主が持ち出せないほどではないだろう。でなければ王国軍も嫌疑などかけないはずだ」

 満足したかのように飛龍が頷く。その様子を見てクリアスの胸中に不吉な雲が沸き立つ。

「ねえ……二人はアルジェル君が盗んだ可能性もあると考えてるの?」

 不安に彩られたその表情をアインは目を細めて、見返す。

「クリアス、判断に情を持ち込むな。偏った目で物事を見ても碌な結果にはならんぞ」

 それは先の質問に対する肯定の返事と受け取れた。悲愴な眼差しで言葉を失うクリアスにアインは続けて言った。

「お前にとっても、あいつにとってもな」

「私は…………え? あいつにとっても?」

 付け加えられた言葉にクリアスは少し拍子抜けた声を出す。するとそれに対し、飛龍が安心させるように笑いかける。

「大丈夫だよ、クリアス。僕はあの子が盗んだなんてこれっぽっちも思ってないよ。ああ、ごめん。『僕らは』だね」

 飛龍が意味ありげな眼差しを向けると、アインは一つ鼻を鳴らす。

「わざとらしすぎるだろう。どれもこれもがあの坊主が不利になる状況、証拠ばかりだ。特に割れたガラスに血が付いていたという話。そんな怪我をして本人が気づかないはずがない。それに血が残ればそれが何を意味するか、あいつが一番分かっているはずだ。仮にあいつが盗みを考えていたとして、窓から侵入したのだとしても、そんな状況になればすぐに引き返してるだろう。中に侵入した形跡だけなら『創造の花』を一目見たかったからとか、いくらでも言い訳はできるしな」

 そこでアインはクリアスを真っ直ぐ見つめる。

「だが、あいつが犯人じゃないというのも、あくまで俺たちが抱いている印象に過ぎない。それを裏付ける事実を探し出す必要がある。そのためには感情で動いてはならないんだ」

 それを聞いてクリアスは先の発言を恥じた。

 そう、二人はこういう人間だったはず。常に理を持って判断するその根底には、揺るぎない信念と優しさがある。もっと二人のことを信じるべきだった。そして、アルジェルのためを思うなら、ここは冷静に事実を見つめるべきだったのだ。

「ごめん、二人はそこまで考えてたのね……」

 クリアスは弱々しい声で謝りながら地面を見つめる。が、すぐに顔を上げた。落ち込むのは後でも出来る。今やるべきは下を向くことではない。

「それじゃ、教えて。二人はこの事件をどう考えてるの?」

 また二人に頼ってしてしまうことに申し訳なさを感じるが、そんなことは二の次だった。まずはアルジェルを救うためにできることをする。それだけだ。

 問われた飛龍は、考えをまとめるように少しだけ間を置き、答えた。

「……まず、僕がさっきのアインの話を聞いて思ったことは、やっぱりこの盗難は理屈に合わないってことだよ」

「理屈に合わない?」

 その意味するところを掴めず、クリアスが首を傾げると、飛龍はさらに言葉を付け足す。

「僕が『創造の花』の形状を聞いたのは他でもない、犯人は盗んだ『創造の花』をどうしたのかが気になったからなんだ」

 クリアスはしばし考えた後、あっと口を開く。その表情から言わんとしたことが伝わったと見て、飛龍は続きを話し出す。

「『創造の花』を盗んでも、今、この村は外部から遮断されてる。となると犯人は盗んだ物をこの村のどこかに隠しているんだろうけど、アインの話だとその『創造の花』はそれなりの大きさがある。そんなものをそれほど広くないこの村のどこに隠したんだろう?」

 王国軍はすでに『創造の花』の捜索を開始しているだろうし、見つからなければ、そのうち王国の権限を使って徹底的に調べ出すに違いない。となると下手な場所には隠せない。地面に埋めるなどするにしても、森や背の高い草原がほとんどないこのグランザルムの地形では、すぐに人目についてしまう。犯人はよほどうまい隠し場所を見つけたのかもしれないが、それがどこなのかはクリアスには想像がつかなかった。

「そして、もっと大きな疑問はなぜこの時に盗んだのかということ。普通、物取りが目当ての物を手に入れたのなら一刻も早く遠くへ逃げたいはず。でも村の入り口の橋が架かるまで、まだ数日はある。時間が経つほど、盗んだ『創造の花』を見つけられる危険性は高くなる。それなら退路が確保されるまでは、犯行は控えようと考えるんじゃないかな。だから、こんな時に盗みを実行したのが不思議でならないんだ。それに橋が開通したとしても、王国軍は村から出ようとする人間は入念に調べるはず。そうなると持ち出すのは容易じゃないよ」

 説明を聞いていくうちにクリアスもこの盗難事件の不可解さが分かってきた。『創造の花』はどこに行き、一体犯人は何を考えているのだろうか。

 そんな答えの出ない問いにクリアスが捕らわれていると、今度はアインが口を開いた。

「犯人の考えもわからないが、俺はむしろ王国軍の動きの方が疑問だ」

 アインはちらりと集会所の方を見る。

「いくら『創造の花』を保管していた蔵とやらが堅牢で、そこへ行く道が一つに限定されていたとしても、近くに見張りの一人も置かないというのはあまりに無警戒じゃないか? まるで隙があれば盗めと言ってるようなものだ」

 それはクリアスも最初聞いた時に感じたことだった。ハミルトンは、『創造の花』の収集はアルフォワース王国の国策の一つだと言っていた。それならもっと厳重な警備体制を敷いてしかるべきだったのでは無いだろうか。

「無論、あいつらの自作自演などではないだろうが、今回の盗難について、あいつらがただの被害者だとは考えない方がいいと俺は思っている」

 王国軍がとった方策はただの失態なのか、それとも別の思惑があってのことなのか。話がさらに複雑化する中、飛龍が最後の一石を投じた。

「あと、これは二人……とりわけクリアスを混乱させるから黙っておこうかとも思ったけど、やっぱり犯人について僕の考えを言っておくよ」

 少しもったいぶった言い方のあと、飛龍は低い声で言った。

「兵士殺しと『創造の花』の盗難。僕はこの二つの事件の犯人は同じじゃないかと考えてる」

「えっ!? だってさっき、二つの事件は関係ないって……」

 驚くクリアスに飛龍は小さく首を振る。

「『創造の花』を盗むための計画的な犯行ではないと言っただけだよ。僕が思うにこの二つの事件はそれぞれがもっと別の……邪な思惑のために行われた気がしてならないんだ」

「邪な思惑……」

 飛龍がその漆黒の瞳の先に何を見ているのか。それは知りたいと思う一方で、ひとたび覗き込めば、深い深淵に引き込まれそうな気がして、クリアスは肌を粟立たせた。

「その根拠は?」

 言葉を発せないクリアスに代わってアインが尋ねる。すると飛龍は詫びるように肩を竦めた。

「ごめん、実は全くないんだ。ただの勘だよ」

 飛龍がこうした問題に、論理的でない意見を述べたことがクリアスには意外だった。しかし、それがなおのこと、この事件が内包する理屈を超越した悪意を感じさせた。

「とにかく、これでお互いの考えは共有できたかな。でも、分かることはここまでだよ。この先を考えるにはまずは情報を集めないといけない。だからさっき言った手筈で、僕は手掛かりを探しに行く。クリアスはまずアルジェルを探してほしい」

 分からないことだらけだが、やるべきことは、『創造の花』を盗んだ真犯人を見つけ出し、アルジェルの冤罪を晴らすこと。

 クリアスが力強く頷き、次の行動に焦点が定まると、飛龍は手を上げ、『修学の浮島イソラ』へと歩きだす。クリアスはその背を少しだけ見つめたあと、アインを振り返った。

「私たちも行きましょう」

「そうだな。しかし、あの坊主も何かと面倒ごとを持ち込んでくれるな。まあ、この村であいつが逃げ込める場所は限られてる。どうせあの爺さんのところだろう」

 アインが当然のごとく、そう断定する。しかし――

「ううん、違うと思う」

 クリアスは首を横に振った。その横顔をアインが見つめる中、クリアスは物哀しげな目で村の中心部に広がる葡萄畑、さらにその向こうに目をやった。

「たぶんあの子はあそこにいる……」

 来るべき冬を前に葡萄の樹々が精一杯、命の雫を実らせている。錦秋に染まるその景色は、美しさの中に脆さと儚さを共存させる少年の心そのものに思えてならなかった……。

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