澱む空気

 村に戻ったクリアスたちは、まず兵士殺害の犯人を捜すため、遺体発見前後にあの吊り橋付近で目撃された人間がいないかを確かめた。これは王国軍が魔物の捜索時にすでに村人に訊いていたため、確認を取るだけでよかった。ハミルトンに魔物討伐の結果を報告した後(といっても遭遇しなかったと伝えただけだが)、そのことを尋ねると、あの時間帯には誰も吊り橋の近くにはいなかったことが分かった。つまりあの場にいたのは犯人だけということなる。

 次にクリアスは『樹陰の浮島イソラ』で見つかった『創造の花リグレッタ』について尋ねた。『創造の花』を創った文明、『創造の花』と認定するに至った根拠、そしてどんな力を宿しているかが分かれば、クウェルセの民について何か分かると思ったからだ。しかし、これはすげなく却下された。機密事項ゆえ明かせないというのだ。だが、『創造の花』の力については悪用されることを防ぐため、公に出来ないのは分かるが、どの時代のものなのか、さらに認定した根拠まで秘匿するのは腑に落ちなかった。これでは王立研究所が勝手に『創造の花』だと主張しているとも取られかねない。しかし、何を言っても結論が変わるとは考えられなかったので、クリアスたちは大人しく引き下がることにした。

 翌日はアルジェルとハンナの家を訪れた。

 現在、二人が暮らす家がある『修学の浮島』へ通じる橋は通行が規制されているため、許可を得る必要があったが、ハミルトンに顔を覚えられていたためか、割とすんなり許可は下りた。

 アルジェルはもう随分、一時の憔悴から立ち直っているように見えた。しかし、そこは大人びたアルジェルのこと。周りを心配させないように振る舞っているだけかもしれない。そう考えクリアスたちは取り止めのない話だけをして、シュライハルト家を後にした。

 兵士たちを殺した犯人、セリアの居住権、アルジェルの進学。どれを取っても答えを得る糸口を見出せず、クリアスは宿の食堂で飛龍たちと気の晴れない午後を過ごしていた。

「飛龍、何かいい考え思いついた?」

「いや、『創造の花』に関してはマレルさんに会えればと思ったけど、それもできなかったしね」

 ハミルトンの元を訪れた時、飛龍はマレルに会うことを求めた。当然、マレルも口止めされているだろうが、これまでの言動からうっかり口を滑らせるのではないかと、飛龍はちょっと悪い策略を考えていたのだ。しかし、返ってきたのは会わせられないという答えの一点張り。どうやらハミルトンもその辺りは分かっているらしい。

「じゃあ、これからどうする?」

「兵士の殺害については残念だけど、何か動きがあるのを待つしかない。後手に回るほど、事態がいっそう悪い方向に向かう気がするんだけどね」

 犯人は誰なのか。何のために兵士を殺したのか。分からないということが人を不安にさせる。そして、不安というものは時間が立つと伝染し、増長し、変異する。

「だから、やっぱりあの橋を落とすべきじゃないか」

 食堂のカウンターで宿の女将さんと村の人間らしき男性が話している。二人とも表情と声に苛立ちと不安が滲み出ていた。

「私もそう思うけどさ。村長さんたちが同意しちゃったんだっていうし……」

「それは村長たちがアルフォワースの奴らに丸め込まれたのさ。あの浮島イソラの遺跡の権利を渡す代わりに、この村には協力金として結構な額の金が提供されたそうじゃないか。村長たちはそれに目が眩んでるんだ」

「そんなお金より命あっての物種だよねえ」

「そうさ。だから、村のみんなで訴えるんだ。村人の総意とあれば、村長たちもきっと考えを変えるはずだ」

「うん、そうだね。そうとなればさっそくみんなに話を伝えてくれないかい?」

「よし、わかった」

 意気込んで出て行く男性を見送りながらクリアスは小声で囁く。

「ねえ、何だか変な雰囲気になってきてない?」

「うん。村人たちの間で一旦は落ち着いていた不安がまた広がり始めてるみたいだ。もちろん村の人は、あの浮島イソラに魔物がいると信じているのだから無理はないだろうけど……」

 しかし、殺人犯が村の中にいると知ったら、それはそれで村は混乱に包まれるだろう。むしろ、より一層、人々に恐怖をもたらすかもしれない。ゆえに兵士殺害犯が村の中の誰かだという説は完全に確定するまでは表に出すわけにはいかない。だが、このままでは本当にあの浮島に繋がる橋が落とされかねない。

 と、そのことを想定した時、クリアスは一つの考えに至った。

 もし橋が落とされてしまった場合、一つの案件が解決する。それはセリアが王国軍の介入を受けなくなるということだ。そしてセリアにはまたあの神秘と謎を抱く森で静かな暮らしに戻ることになる。そう考えれば彼女にとってはいいことなのかも知れない……。

 ――飛龍はそれでいいのかな。それだともう彼女に会えなくなるし……

 そう考えたところでクリアスは飛龍の話を思い出す。

 ――あっ、そういえばセリアは、クウェルセの民って人たちが戻って来るためには橋が必要と言っていたのよね? じゃあ彼女にとってもこれは都合が悪いことなのかも……

 が、しかし、そこではたと気付く。

 ――待って……蔦の橋は村の人たちがそうなるよう手を加えたから懸かった。セリアがそうしたわけじゃない。それならセリアはどうやって仲間の人々を迎えるつもりだったの? 戻ってくると信じているなら、その人たちがあの浮島に渡れる手段を講じておくはず。

 それともう一つ。

 ――セリアは空を飛べる。だからグランザルムの村が近くにあることも見えているはず。それなら森に来た調査隊をどうして村の人間じゃなく、迎えに来たクウェルセの民だと思ったの? そもそもこんなすぐ近くに人がいて、一切接触しようとしないなんてあるかしら……

 何かがおかしい。セリアの言葉には矛盾がある。しかし、もし嘘だとしたら何のために?

 飛龍はこのことに気付いていないのか? 言い出そうとしてクリアスは開きかけた唇を結ぶ。何となくこれは飛龍に対して言い出しにくかった。

 ――後でアインに相談してみようかな。アインはちょっと疑り深すぎるけど、今回の件に関して客観的に判断してもらうには……

「やあ、皆さん!」

 どこかで聞いた声がけに思考が断ち切られる。驚いて振り向いたその先にいたのは……

「あなたは……」

「クレオン・ロタティーガです。先日はどうも失礼しました」

 道化師……ではなくそう見える吟遊詩人ロタティーガは、例のごとく、芝居がかった慇懃な礼をしてから三人に歩み寄る。

「何やら悩んでいるようだね。まあ、正体不明の魔物が現れ、さらに村に閉じ込められたとなれば不安になるのも無理はない」

 緊張感のない撫でるような声にアインは不機嫌さを隠さず、突き放すように言う。

「そう言うお前はずいぶん呑気そうだな」

「とんでもない。村の人々も神経質になって私も気安く交友を深めるどころではありません。詩人にとって詩を披露できないことがどんなに辛いことか、ご理解いただきたいです」

 アインの皮肉にロタティーガはさも心苦しげに天を仰ぐ。

 兵士の死や魔物より重要なのはそっちなのかと、呆れると同時に、クリアスの頭には別のことがよぎる。

 ――犯人が外部から来た人間ならこの人も容疑者の一人なのよね。

 その奇抜な服装から来るエキセントリックな雰囲気は、異常な殺人を行っても不思議ではないように思えた。しかし、かといってそれ以外に疑う根拠は何もない。

 ――何だか私もアインみたいに疑い深くなってるなあ……

 悩むクリアスの横でロタティーガが憂いの表情で宿を見渡す。

「しかし、村人たちの気持ちも分かります。聞けば亡くなった兵士たちは全く抵抗できず、しかも残虐にも喉を食いちぎられて殺されていたとのこと。いかに人員を増やして警戒しているとはいえ、果たして本当に撃退できるのか。私も不安といえば不安です」

 ようやくその口からまともな意見がでる。しかし、それに飛龍が鋭く反応する。

「すみません。それはどこで聞いたんですか? 兵士たちがどこに致命傷を負って殺されたのか、王国軍はその詳細までは公表してないと思いますが」

 するとロタティーガは数度瞬きし、さも当然のように答える。

「このことはもう村中に広がってますよ。知らない人はいないんじゃないですかね?」

「……そうなんですか?」

 今度は飛龍が意外そうな顔をする。

「人の噂に戸は立てられぬと言いますが、みな何が起きているかは知りたいでしょうし、王国軍も口が硬い人ばかりではないでしょう。皆さん、知るべくして知ったのだとは思いますよ」

 そこでロタティーガは言葉を切ると、その瞳にきらりと光を宿す。

「ところで今の話からすると、あなたたちは別口から兵士たちの死の状況を知った様子。兵士たちの死体を最初に発見したのは、村の子供とある冒険者たちと聞いたのですが、もしかして……?」

 ここまできたら隠し通すのは無理だろうとクリアスは観念する。飛龍も内心は気が進まないのだろう、致し方ないといった顔をしている。なぜなら、それを認めてしまうと……

「ええ、僕らです……」

「なんと! やはり私の直感通り、あなた方は数奇な運命の元にあるようですね。となると新たな浮島イソラへと魔物討伐に向かった人間がいるとも聞きましたが、もしやそれも……」

「まあ、そうです。でも結局魔物は見つから……」

「素晴らしい! 何という邂逅だ。私は今この世を導く勇者たちを目の前にしているしれない! きっと後世に名を馳せるあなた方の勇姿は何としても伝え残さねば!」

 予想通りの反応を示してくるロタティーガにクリアスはうんざりする。そして、この後の展開も分かる。視線を移した先で、アインがもはや殺意を感じさせる瞳でロタティーガを睨みつけていた。そうしてアインの怒りが、悦に浸るロタティーガの笑顔に突き刺さるかと思われた時、

「……とあなた方の活躍を聞きたいのは山々ですが、実は先約がありましてね。また後日にでも皆さんの元を伺わせていただきます」

 そういうと、ロタティーガは再び慇懃な礼をして、さっと身を翻して宿を出て行ってしまった。その後ろ姿をクリアスは茫然と見つめる。

「何だったのかしら?」

「さあ?」

 飛龍も狐につままれたような顔をする。

「どうでもいいだろう。五月蠅い奴がいなくなった、それだけで十分だ。それよりも村の連中の話だ」

 アインが声を落として、周りに目配せする。昼下がりのためか、客が少ない食堂は閑散としている。しかし、それだけではなく、何かが息を潜めているかのように雰囲気が重苦しい。

「嫌な空気だ。こうした乱れた流れの時、人は付け込まれやすい。兵士たちを殺した奴がそろそろ何かやるかもしれない」

 その不吉な言葉が発せられてから、その日は時間すらも歩みを重くしたかのようにゆっくりと過ぎていった。

 ――翌日。クリアスは、その予言じみた言葉が現実となったことを知る。

 人々の不安を増長させる濃い霧が村中を覆った夜のうちに――『創造の花リグレッタ』が保管蔵から忽然と消えていたのだ。

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