空に舞う翼
――遺跡へ向かう道中。前を歩く飛龍が森の草木についてセリアに尋ねている。飛龍の話にあった通り、セリアは一見同じに見える草木についても瞬時に判別できるほど、この森のあらゆる植物のことを知っているようだった。
その二人の後ろを歩いていたクリアスの背に囁くような声が掛かる。
「クリアス、さっき話した『
クリアスは歩を緩め、前の二人から少し距離を置く。
「可能性はあると思っているわ。私は発見された『創造の花』を見てもいないから何とも言えないけど、ひょっとしたら彼女の一族がここから消えたのも、『創造の花』が何か関係しているかもしれない」
「なるほどな。それならそれを証明できたとして、本当にアルフォワースの奴らにそれを話すのか?」
アインが言わんとしていることはすぐに分かった。クリアスもそれを考えなかったわけではない。
「今回の『創造の花』の発見は広く周知されてる。それに村の人たちの目もある。だから、彼女の一族がそうした特殊な技術を持っていたと知っても、彼らは融和的な方策を取ると思うわ。でも……」
クリアスは一時だけ足を止める。
「もし、彼らに知らせるときは、慎重に見極めてからでないといけない。でないと私たちがセリアと彼女が待つ人々に悲劇の橋を渡らせることになる」
アルフォワースによる手段を択ばぬ技術の簒奪。ほんの数か月前なら考えもしなかったであろうその可能性を、クリアスは思い描かずにはいられなかった。
クリアスが歩き出すと、ともに立ち止まっていたアインも歩き出す。
「そうか、今訊いたのは確認のためだ。お前ならそこまで考えているとは思っていたからな。それともう一つ聞いておく」
アインはその声音に暗い響きを乗せて言う。
「お前、あの女を信じるのか?」
クリアスは数歩、歩き続け、時間を作ってから答えた。
「悪い子じゃないとは思う……。表情が乏しいのは……たぶんうまく自分を表現できないんじゃないかな」
訥々と答えるクリアスの顔を見て、アインは僅かに表情を緩ませる。
「なるほど、お前も少しは人を疑うようになったんだな」
言われたクリアスは半眼になってアインを見る。
「……ねえ、アインって人の心が読めるの?」
「そんなわけないだろう。単にお前が顔に出やすいだけだ」
見透かされたことは不本意であったが、アインの言う通りだった。クリアスはまだセリアを完全に信じることはできないでいた。その理由は……、
「アイン。私の気のせいかもしれないけど、彼女、魔物って言葉を口にした時、一瞬戸惑わなかった?」
あの時、飛龍はすぐにセリアから視線を逸らしたため、気付かなかっただろう。しかし、クリアスには、「魔物はいない」と答えたセリアが僅かに身を硬くしたように見えた。
アインは前を行く飛龍とセリアの様子を伺いながら答える。
「……いや、特に何も感じなかった。というより俺は最初から疑いを持っているからな。はっきり言って全部が怪しく見えている」
「そう。じゃあ、やっぱり気にし過ぎかな」
「いや、そうとは限らない。好意的に見ようとしていたお前がそう感じたんなら、その勘は馬鹿にできない。あのシチパスという爺さんも言ってただろう。理詰めではなく最初の感覚に従うべき時があるってな」
もちろん、何も知らないシチパスがセリアのことを指して言ったはずはない。あの言葉は別の何かを示唆しているはず。だが、果たしてこの場面にも当てはまらないと言えるだろうか。
そんな自問と葛藤に心が揺れるクリアスの前で、不意に快哉に似た声が上がる。
「そういうことか……!」
前を行く飛龍が振り向く。
「二人とも。セリアから話を聞いて分かったよ。確かにここには二つの森があるんだ」
アインとクリアスが顔を見合わせ、歩を速めて近づくと、飛龍が森を示しながら話す。
「見てごらん。ここから先とこれまでの森。ここを境に植生が全く違うんだ」
言われてクリアスも辺りを見回す。確かに今立っている場所の前後で生えている植物の種類が違うように見えた。ただ、植物に詳しくないクリアスには、単にそういうものだとしか思えなかった。
「それがどうかしたの?」
「例えば山の稜線や標高を境に植生が変わることは普通にある。でもこんな森の途中から草木の種類が綺麗に分かれるなんて見たことがない。こんな不思議な場所は初めてだ」
そう言われてもやはりクリアスはピンとこなかった。そうだとして、それにどういう意味があるのか。
「結局、そこから何が分かるんだ?」
同じ感想だったのか、アインがクリアスの心情そのままに飛龍に尋ねる。すると飛龍は少しばつが悪そうに頬を掻く。
「それは……正直、分からない。セリア、君もなぜこんな風に森が分かれているのか知らないんだよね?」
セリアは無言で頷く。
「でも、クウェルセの民という人たちがここを守ろうとしていたということは、この地には特別な何かがあるのかもしれない。そして、それは彼らがセリアをここに残していった理由にも関係しているんじゃないかな……」
飛龍にしては煮え切らない意見だったが、現状、これ以上のことは分からないだろう。ともかく謎を解く手掛かりは『
ほどなくして森の樹々が少し開けた場所に件の遺跡が見えてきた。途方もない年月を重ねたであろう、その全貌がはっきりと姿を現すと、クリアスはその異様に圧倒された。
角のないあらゆる部分が流線形の塔。見ようによっては人の形にも見える。そして、驚くべきことにその遺跡は木でできていた。見た目から相当な年月を経ていると思われる木造建築物が、何の手入れもされずにその形を維持していることは奇跡に近い。加えてその塔は一つの大木をそのまま加工したかのように継ぎ目は一切見えず、建築学に疎いクリアスにも、その技法は現代のそれを凌駕しているように見えた。
好奇心と少しの不安を呼び起こす未知なる造形物を見上げるクリアス。しかし、横にいたアインは別の感想を抱いたようで、静かに塔を見上げながら呟く。
「意外と小さいものだな。ちょっとした教会ぐらいの大きさか。しかもこれだけだな」
言葉の通り、その塔以外周りには何もなかった。この場所にこれだけというのもそれはそれで不思議だった。
「じゃ、入ってみようか」
飛龍が躊躇なくその塔に向かって歩き出す。
入り口には扉はなく、上部が丸い扉型の穴だけがぽっかりと口を開けている。中はがらんどうで、壁には一定間隔でくり抜いた窓のような穴が開けられ、光の柱が差し込んでいる。空間の中央には幾何学模様が掘られた祭壇と思しきものがあり、おそらく『創造の花』はここに安置されていたのだと推測された。飛龍が興味深げに周囲を見回した後、セリアに尋ねる。
「どう、セリア。何か見覚えがあるものとか、思い出したことはある?」
「ないわ」
身も蓋もない答えが返ってくる。飛龍は肩透かしを食らったように頭を掻き、次にクリアスに話を振る。
「クリアス、君は? これがどんな古代文明のものか分かる?」
しかし、クリアスは申し訳なさそうに答える。
「ごめんなさい。期待を裏切って悪いけど、これは私の知識の範疇にはないわ。この祭壇に書かれてある文字は何かの座標のように見えなくもないけど、こんな文字見たことないし……。少なくともアルトリア文明やそれに近しいものでないことは確かだけど……」
「そっか……」
「あ、そうだ。聞こうとして忘れていたんだけど、ここで見つかった『創造の花』って、どんな効力を持っているものか知ってる?」
その問いかけに飛龍は視線をクリアスからアインに移す。
「僕はまだその『創造の花』を見ていないんだ。アインは何か聞いたかい?」
そういえば、この三人の中で『創造の花』を見たことがあるのはアインだけだったとクリアスは思い出す。しかし、水を向けられたアインは小さく首を振る。
「いや、それについては説明はなかった。集会所に見物に行った時、近くにいた奴らが『これはカンテンイを司るものらしい』と言っていたが、俺には何のことだか分からなかった。ただこれも、どこからか聞いた噂をうろ覚えしただけのようだったから、当てにはならんな」
「カンテンイを司るもの? いったい何なのかしら……?」
もしかしたら『創造の花』の能力については、まだ、その全ては分かっていないのかもしれない。いずれにせよ、これだけではクリアスにも予測を立てることすらできなかった。
結局、ここで得られるものは何もなかった。この塔の遺跡はクウェルセの民とは関係がないのか。それともセリアの失われた記憶の奥に真実が隠されているのか。行き詰まり感が漂う中、四人が塔を出ると、不意にアインがセリアに話しかけた。
「ところで、お前、翼が生えるというのは本当なのか?」
その単刀直入な質問にアイン以外の全員が動きを止める。
そのことはクリアスも聞きたいのはやまやまだったが、飛龍の話だと本人はそれを他人に知られたくないようだった。それゆえ言い出せなかったのだが、アインは全く頓着せずにそれを切り出した。
セリアは一度飛龍に目をやり、答える。
「彼から聞いたのね」
「ああ」
僅かの間の後、セリアが答える。
「本当よ。私はそういう存在」
「そうか、それでお前は何者なんだ?」
「アイン、いきなりそんな聞き方は……」
歯に衣着せぬ物言いを飛龍が咎めるより早く、アインが言い返す。
「ここでただ分からないものを眺めていても仕方がない。それよりも俺たちが今後どうするか決めるには、こいつが何者かを明かしてもらうのが一番じゃないか。それにな……」
アインは一度言葉を切ると、鋭い視線を飛龍からセリアに送る。
「お前は飛龍の命を救った。そのことには礼を言う。だが、俺は正体も分からない奴を信じる気にはなれない。俺に信じろと言うなら、それなりの答えを示してもらう必要がある」
飛龍が少し硬い表情でアインとセリアの間に入る。
「アイン、人には他人に話せないこともある。それに彼女は記憶の一部を失っているんだ。そうしたくてもできない部分もある」
「それなら可能な範囲で話してもらえばいい。そうだろう?」
アインは鋭い双眸で飛龍を見返すと、それをセリアに向ける。並の人間なら気圧されそうなアインの視線を、セリアは怯みもせず受け止める。その様子は感情そのものが欠落しているように見えた。だが――
「……言えないわ」
小さな否定の声。その声のままセリアは再度、繰り返す。
「それは言えない……」
抑揚がないにもかかわらず、クリアスにはその声はひどく儚げで、寂しく聞こえた。そこには決して人形ではなく、間違いなく血の通った――それも外に吐き出せぬ懊悩をその裡に秘めた一人の少女がいた。
クリアスはそっとアインの腕に手を掛ける。
「アイン、それ以上は……」
その瞳に映る懇願をアインは無言で見つめると、静かにセリアに向き直る。
「分かった。これ以上は聞かないでおく。だが、お前は『言えない』と言った。つまり、記憶を失っているのではなく、自分が何者なのか自覚はある上で、俺たちには秘密にしているということだ。それが相手にどういう印象を抱かせるかよく考えるんだな」
「……分かっているわ」
そう答えると、セリアはくるりと背を向けた。
「もう用は済んだのね。それなら私は行くわ」
答えを聞き終わらないまま、足早に立ち去ろうとするその背に飛龍が駆け寄る。
「セリア……」
何かを言いかけるが、それを呑みこむように口を噤む。それから細く息を吐くと真剣な目でセリアに告げる。
「僕は兵士たちを殺したのは村にいる誰かだと考えている。だけど外から来た魔物がこの森に逃げ込んだ可能性もないとはいえない。くれぐれも用心してほしい」
そう心配する飛龍をクリアスは不思議に思った。そうならば今だけでも村に来るよう誘ってはどうなのかと。しかし、すぐにその考えを否定する。
もし王国軍に見つかれば、調査を妨害した件でセリアはすぐに拘束される。命の危険と拘束されることを天秤にかけるならば、普通は命を第一に考えるだろう。しかし、これまでの経緯を考えるとセリアは間違いなく逆の選択肢を選ぶ。おそらく飛龍もそう考えたに違いない。
飛龍の想いはセリアに伝わっているのだろうか。憂慮の目でクリアスが見つめる先で、セリアが体ごと飛龍に向き直る。
何かを告げるのかと思いきや、セリアはただ飛龍を見つめるのみだった。そして、飛龍もセリアを見つめ返す。それだけで互いの意思を確かめ合えたかのようにセリアは視線を切った。
木々の間に見える大空を見上げ、小さく息を溜めてから走り出す。するとその背中から、二対の純白の翼が生え、最初は力強く、浮力を得てからは大らかに羽ばたく。
天翔ける翼は一瞬にして森の向こうに消えた。が、すぐにとって返し、クリアスたちの上空を一度旋回すると、その姿は霧の揺蕩う渓谷の方へと飛び去っていった。
その後を追って少し冷たい風が通り過ぎていく。するとその風の道から外れたのか、一枚の白い羽が舞い降りてきた。その羽を拾い上げ、手に取ったクリアスは、指先がじんじんと震えているのを感じた。
胸に沸き立つのは感動であり、畏怖でもあり、羨望でもあった。抑えきれない胸の熱さが顔まで登ってくる。
「まるで天使ね」
「僕も初めて見た時、そう思ったよ」
飛龍はクリアスと肩を並べ、同じように空を見上げる。
「それにあれは彼女なりの二人への
クリアスは頷く。
「彼女はあの姿を他人に見られたくないと言ってた。それなのにその姿を私たちに晒した。それは彼女が示せる一番大きな誠意だから……。でも、そんなに大切な秘密をどうして急に見せる気になったのかな?」
「理屈じゃないよ。そうしたいと思ったんだ。きっと……」
飛龍は消えた翼を追い求めるように空の向こうを見続ける。しかし、未練を振り切るように背を向けると、クリアスとアインに決然とした眼差しを送る。
「行こう。僕らにはやることがある。彼女も含めて僕らの行動によって助けられる人がきっといる」
セリアのことも、アルジェルのことも、兵士を殺害した犯人のことも、関わりを拒むことはできる。しかし、もうそれらは自分たちにとってやらなければならない義務に思えた。ならば今できる全てをやる。
その気持ちを胸に刻みつつ、クリアスは今一度、森の緑に切り取られた青き空の彼方を見上げていた……
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