対面

 視界がゆらゆらと揺れる。何が待ち受けているか分からない深い森へと長く撓んだ橋を渡る。

 魔物討伐の話を持ち出すと、ハミルトンは森から何も持ち出さないという条件でこの浮島イソラへの通行許可を出した。そして、クリアスにとっては未踏の地となる『樹陰の浮島』へといざ向かわんとしていたのだが……

「ちょっと、この橋すごく揺れない!?」

 クリアスは前を行くアインと、すでに向こう岸にいる飛龍に向かって叫ぶ。そして、背後の岸壁からは、兵士たちの「大丈夫か?」 という視線がひしひしと伝わってくる。

 この吊り橋は、これまでの中で最長であるらしく、しかも今日は風がある。村の中の移動で少しは慣れてきたと思っていたが、この場において、クリアスは村に来た時以上の恐怖に包まれていた。

「きゃっ!」

 一陣の強い風が踏み出しかけた足をその場に縫い留める。止まると余計に揺れが強く感じられ、ついにクリアスは吊り橋の中央で完全に停滞する。

「しょうがない奴だ」

 アインが戻ってきて、手を差し出す。その意味を察したクリアスはそっとその手を掴んだ。

「行くぞ」

「うん……」

 その力強い手に恐怖とは違う胸の高鳴りを覚えながら、クリアスは足を前に運んだ。

 なおも谷間を踊る風が、子供のように手を引かれるその様子を茶化すように橋を揺らす。それでもクリアスはアインの背中だけを見て橋を渡り切った。

 対岸に着いた途端、襲ってきた安堵感にクリアスはその場にへたり込み、背後を振り返る。

「確かにこんなに揺れるんじゃ、どんな魔物でも気付かれずに渡って来るなんて無理かも」

 風に揺れる吊り橋を見て、クリアスの中で飛龍の説を支持する気持ちが強くなる。と同時に、村に来た時と同様に、帰りもここを通らなければならないことに気付かされ、再び気持ちが沈む。しかし、無為に時間を過ごすわけにはいかない。クリアスは待ってくれていた二人を見上げ、立ち上がる。

「もう大丈夫。行こう」

 事前の話し合いで、まずは飛龍がセリアと別れた場所に行くことに決めていた。その途中、森の木々の間に広がる黄緑色の花の群落が見えてきた。

「飛龍、もしかしてこれが……」

「うん、アルボレセンスだよ」

 クリアスはしゃがみこみ、頭を垂れるその花の一つを掬い上げるように手に取る。

 黄緑色の花とは珍しいが、それ以外に目立った特徴はない。花自体は可愛らしく、これが人を魔物化するために使われるとは想像がつかなかった。

 アルボレセンスの姿を実際に目で見ることができたのは一つの収穫だったが、それで何ができるというわけではない。クリアスたちは先に進むことにした。

 三人は森が途切れた先に、断崖が切り立つ浮島イソラの端へと辿り着いた。渓谷に揺蕩う霧が少し晴れ、向かい側の広大な台地が形作る壮観な光景が見えてきた。

「セリア―――!」

 飛龍が渓谷に向かって叫ぶ。さらに続けて数度叫び、少女の名が渓谷に谺する。飛龍はしばし断崖の端で佇んだ後、クリアスを振り返った。

「クリアス、それじゃ頼むよ」

 クリアスは頷くと精神を集中させ、呪文を唱え始める。

 この広い森でセリアと会うためにはどうすればいいか、出立前、クリアスが抱いたその疑問に飛龍は一つの方法を提案した。正直なところそれはクリアスには妙案とは思えなかったのだが、これという代案もなかったので、ひとまずその方法を試すことにする。

 呪文の詠唱が終わり、クリアスは力強く最後の言葉を唱える。

「『闇夜に灯る希望ヴェル・フィンクゥル』!」

 包むように広げた両手の間に、顔の大きさほどの光球が輝く。クリアスが手を差し出すと、光球は大空に向かって上昇し、一定の高さで停止した。

「これで本当に来てくれるかしら?」

「絶対とは言い切れないけど、かなり可能性は高いと思う。彼女はすごく眼がいいんだ。さっきの呼び声もこの渓谷のならかなり遠くまで響くはず。あとは待つだけだ」

 飛龍は期待の眼差しで光球を見上げている。しかし、光量をできるだけ上げているとはいえ、この目印はあくまで広い森の一角で瞬いているに過ぎない。セリアという少女も常に森全体を見ているわけではないだろう。未だ懐疑的なクリアスの横でアインが別の懸念を投げかける。

「だが、あの女は別れ際に、お前にもうここには来るなと言ったんだろう? それなら気付いてもお前とは接触を持とうとしないんじゃないのか?」

「いや、彼女は来るよ。きっと……」

 飛龍は渓谷に目を向けながら風に言葉を漂わせる。普段の論理的な思考からではなく、漠然とした感情から発せられた言葉。クリアスはそんな飛龍に違和感よりも、むしろ近しい感覚を覚えた。飛龍という一人の人間の姿がそこに見える。それはクリアスがだった。

 それから小一時間ほど経ち――

「来ないわね……」

 クリアスが呟くと飛龍も残念そうに頷く。

「そうだね……。じゃあ、目印と書置きを残していこうか」

 これも事前に相談していたことで、明日、再び同じ時間にここに来ると書置きを残すことにしていた。ただ、話言葉は通じるが、現在の世界共通言語の文字をセリアが理解できるのかは分からない。

 そうして飛龍が双剣の一つで地面に目印を描こうとしたとき、

「飛龍」

 アインの低い声が掛かる。しばらくの後、元来た森の方から木の葉を踏みしめる音が近づいてきた。森の中から姿を現したのは――

「セリア」

 様々な植物を組み合わせた奇妙な服。それを纏った少女に飛龍が駆け寄る。

「良かったよ、無事で」

 理屈はどうあれやはり心配だったらしく、安堵の笑みを浮かべる飛龍。一方でそれを見つめ返すセリアの様相は対照的だった。

 ――ほんとだわ。アインが人形みたいだと言ったのがよく分かる。

 その一切動きのない表情からは、何を考えているのか窺い知れない。ただ、クリアスはその顔と全身を観察し、ある事実を目の当たりにした。

「何が良かったの?」

 つれない――というより単調な声の疑問に飛龍が答える。

「君はまだ知らないだろうからね。説明するよ。ただ。その前に僕の仲間を紹介させてもらえないかな」

 言いながら飛龍は二人のところへセリアを誘う。しかし、セリアはその場に留まったままだった。

「どうかした?」

「昨日の話では、あなたの仲間は男の人がもう一人だけだったはず」

 その目は真っ直ぐにクリアスに向けられていた。表情に変化がなくとも、その所作の意味は明らかだった。

「ああ、彼女とは昨日、君と別れてから村で再会したんだ。でも、大丈夫だよ。彼女も信頼できる仲間の一人だから」

 飛龍がそう言うと、セリアはアインとクリアスを交互に見た後、ゆっくりと歩き出す。そのセリアが二人の前まで来たところで、飛龍が双方を紹介する。

「二人とも、彼女がセリアだよ。セリア、こっちは話していた仲間のアイン。君とは一度顔を合わせてるけど、あの時は調査隊が君を追いかけて大変だったから、覚えていないかな?」

「いえ、覚えてるわ。その人の顔は特徴的だもの」

 その返答にアインが鼻を鳴らす。

表情かおで言うならお前も相当特徴的だと思うがな」

 アインが返した痛烈な皮肉に飛龍が困り顔をするが、セリアは相変わらず無表情のままだった。

「アインはちょっと気難しいけど、根はいい人間だから。それでこっちはクリアス。彼女は魔導士の卵なんだ。あの光の合図も彼女が魔法で作り出したものなんだよ」

 その説明にセリアは一度空の光球を見上げる。が、その後は何の反応も示さない。対して、クリアスもセリアの全身を観察するように視線を巡らせたあと、黙って向かい合う。

「……ま、まあ、最初は何を話したらいいかわからないよね。とりあえず本題を話そうか。話をしていればそのうち打ち解けて……」

「……可愛い」

「えっ?」

 不意にクリアスが漏らした呟きに、飛龍が話しかけたままの表情で固まる。そんな飛龍にクリアスはぎゅんと首を向け、詰め寄る。

「ちょっと飛龍! こんな可愛い子だなんて聞いてないわよ!」

 何がなんだか分からない飛龍は、ただただ、たじろぐ。

 飛龍はセリアについて、見た目や自身の心象はほとんど伝えていなかった。よってクリアスはここにきて初めて、想像とのズレを認識することとなった。

 森の中で暮らす前時代的な衣服を纏った少女。その言葉から、クリアスは世俗離れしたというか、もっと野性的な少女を想像していた。だが――。

 毛先が外側に刎ねたショートボブの髪は空気を含み、柔らかさを感じさせる。纏う草葉を紡ぎ合わせた服も粗野な感じはせず、むしろある種の洗練された民族衣装に見えた。肌は抜けるように白く、森で暮らしている割には汚れ一つ付いていない。そして、その表情のない顔の中で宝石のごとく澄み切った光を反射させる柘榴石ガーネットの瞳。控えめに言っても美少女だった。おまけにすらりとした体型ながら、艶やかな曲線を描く体。そこからクリアスは自分の胸元に視線を下ろし、

 ――私だって平均よりはちょっとある方なんだから!

 誰に言うともなく心の中で叫ぶ。

 女性から見ても魅力的なその容姿を羨望の眼差しで見つめながら、クリアスは微妙な冷たさを含む声で言った。

「……ねえ、飛龍。色々あって突っ込むのを忘れてたけど、あなた、彼女と一夜を共にしたのよね?」

「ク、クリアス、その言い方は語弊があるよ」

 明らかな動揺が飛龍の顔に走る。

「でも木の根っこか何だかでできた狭い空間で一緒に寝たんでしょ?」

「それはそうだけど……他に休む場所がないから彼女が泊めてくれただけで……」

 まさか抱きしめて寝たとは言えず、焦りを滲ませる飛龍、そんな飛龍をクリアスは白んだ眼で見つめる。

「そっかあ……なんとなーく、分かったような気がする」

「な、何を?」

「ううん、飛龍も男の子だったんだなあって思っただけ」

「クリアス。勘違いしているようだけど、僕が彼女を助けようと思ったのは……」

「いいの、いいの。別にそれが悪いとは思ってないから」

 クリアスは満面の笑顔で飛龍の抗議を遮り、黙って会話を聞いていたセリアに歩み寄る。

「私、クリアス・ベンジェアンス。よろしく」

 改めて名乗り、努めて友好的な笑顔でセリアに向かって手を差し出す。セリアはその手を見つめたあと、軽くではあるがきっちりと手を合わせて握手を交わした。

「セリア・セラフィック」

 端的だが、敵意のない名乗りにクリアスは安堵する。と、その手から顔を上げると意外なものが目に飛び込んできた。

 ――あれ? 何だか心なしか顔が赤くなっているような……

 そう思ったのも束の間、握っていた手が離れると、すぐにその色は消えてしまった。しかし、今の一瞬はそれまで抱いていた印象を書き換えるには十分で、構えていた気持ちが急に軽くなり、滑らかに舌が動いた。

「セリア・セラフィック……いい名前ね」

「名前に良い悪いがあるの?」

「そうね。由来は分からないけど響きがきれいだわ。あなたにぴったりだと思う」

 その言葉を受けて、セリアは少しだけ考えるように視線を上げた後、再度クリアスの顔を見て言った。

「あなたの名前も……見た目と同じで可愛いと思う」

 思わぬ返しにクリアスは一瞬目を丸くし、

「ありがとう」

 にっこりと笑った。

 ――この子、ひょっとして表に出さないだけで、中身は普通の女の子なのかも……

 そう考えると、人見知りの少女と何ら変わらない気がしてきて、途端にクリアスはこのセリアという少女をもっと知りたくなった。

 二人の間に漂う予想外に親し気な雰囲気に飛龍も釣られるように笑う。が、すぐに表情を引き締め、セリアに向かって言った。

「セリア。さっき言いかけたけど、ここに来たのは君に伝えたいことがあったからなんだ」

 表情なく振り向くセリアの横で、クリアスも真剣な顔つきになって頷きを送ると、飛龍は村であった兵士の殺害事件、そして、そこから組み立てた推論を説明した。

「……ということでこの森に魔物がいないか確認しに来たんだ。君はどう思う?」

 こうして無事な姿でいるのだから、答えは聞かなくとも分かっていた。念を押す意図で投げかけられた問いかけに、セリアは予想通りの答えを返す。

「ここに魔物…はいないわ。少なくとも私は見たことない」

「まあ、そうだろうね。となるとやっぱりあの兵士たちを殺したのはおそらく村の中にいる誰かになる」

 下を見ながら頷く飛龍に今度はセリアから質問が飛ぶ。

「あなたたちがここに来た理由はそれだけ?」

 その問いを先の約束についての期待だと受け取り、飛龍が申し訳なさそうに顔を上げる。

「ごめん、王国軍と話を着ける算段はまだ付いていないんだ。もう少し待ってほしい」

「それはあなたがやりたいから勝手にやるという話だったはず。私は一人でもここを守るつもりだから気にしなくていいわ」

 言葉だけなら冷たく突き放したようにも聞こえる。ただ、セリアの場合、それが普通なので本心は分からない。その心情が読めないため、若干躊躇したものの、クリアスはここで考えていたことを口に出すことにした。

「その話なんだけど、私、考えたの。もしこの浮島イソラで発見された『創造の花リグレッタ』が、彼女がいうクウェルセの民のものだと証明出来たら、彼女がここで暮らす権利が得られるんじゃないかしら?」

 飛龍とセリアが一斉にクリアスの方を向く。

「つまりクリアスは、今回見つかった『創造の花』は、セリアと共に暮らしていた人たちが作ったものだと?」

 クリアスは頷く。しかし、それに対して飛龍は疑念を示した。

「でも、彼女は『創造の花』そのものを知らないらしいよ。それにそのクウェルセの民という人たちも、見つかった遺跡の『創造の花』を守るようには言ってなかったって」

 飛龍がセリアの方を見ながら言う。当の本人はそれが肯定の意なのか、無反応のままだった。

「でも彼女は記憶を一部、失っているのよね? それなら『創造の花』のことを忘れているということも考えられるわ。それに『創造の花』は私たちの呼び方だから、彼女たちはまた別の名前で呼んでいたのかも」

 そこでクリアスはセリアに目を向け、少し遠慮がちに尋ねる。

「えっと、セリアって名前で呼ぶけどいい?」

「ええ」

「それじゃ、セリア。あなたはこの浮島にある遺跡を見て、何か思い当たることはなかった? どんな些細なことでもいいの。あなたの失われた記憶がこの状況を打開する鍵になるかもしれないわ」

 何かきっかけがあれば、そこから一気に謎が解けるかもしれない。そう期待してクリアスは尋ねたのだが……

「さあ、見たことがないから分からないわ」

「え? 見たことないの?」

「上からは見たことがある。でも外の森は私が守るべきところじゃないから、近くまで行ったことはない」

「外の森?」

 ここまでこの浮島に繁茂する森はずっと一続きだったはず。一体セリアの中でどんな境界線が引かれているのだろうか。同じ疑問を抱いたのか、飛龍もセリアの顔を見ながら複雑な表情をしている。と、そこへアインが口を開いた。

「それならそこへ行ってみたらどうだ。どうせその予定だっただろう?」

 アインの言う通り、実際にその目で見てもらうのが早い。その提案に飛龍が頷く。

「どうだろう、セリア。一度その遺跡を見てみないかい?」

 飛龍の勧めにセリアは表情を動かさぬまま、答えた。

「……分かったわ。そうする」

 その同意を経て、四人は『創造の花リグレッタ』が眠っていたという遺跡に向かうことにした。

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