この二人は!

 ――翌日

 宿の一階の食堂でクリアスが待っていると、飛龍とアインが事前に決めておいた時間にきっちりと降りてきた。予めとっておいた席に飛龍とアインが座る。

「どうだった新しい部屋は?」

「うん、快適だったわ。でも……一人だとちょっと不安だったかな」

 言いながらクリアスは昨夜のことを思い出す。集会所での話を聞いた後、ひとまず明日以降のことはそれぞれに一晩考え、休もうとなったとき、

「え? クリアスもこの部屋に泊まってる?」

 魔物との遭遇や予期しえない事態の時でさえ冷静さを失わない飛龍が、心底びっくりしたとばかりに目を丸くする。それからアインとクリアスの間で視線を行き来させ、

「へえ……」

 何かに納得したような声を上げる。

「ちょっと飛龍! あなた何か変な想像してない!?」

 クリアスは慌てて反論する。

「他に部屋がなかったから、私が無理言ってこの部屋に泊めてもらったのよ! それだけ!」

 その力の籠った言い分に飛龍は不思議そうに首をひねる。

「ん? いや、僕は単にアインがそれを許したことに驚いただけだよ。アインはよほど信頼してる人間じゃないと一緒に部屋で過ごすなんてしないから。僕と旅を始めた時も最初は『部屋は別々だ』って言い張ったんだよ」

「え……? そういうこと?」

 その返答に今度はクリアスが毒気を抜かれたような顔をする。と同時に飛龍の言葉の裏側にある事実に気付き、はたと動きを止める。

 ――それじゃ、昨日、アインが私を泊めてくれたのって……

 途端に湧き上がった面映ゆいような嬉しいような感情に、クリアスはちらちらと横を伺う。そんなクリアスを飛龍が不思議そうな顔で見つめる。

「だから、別に変なことじゃないと思うんだけど……クリアスは一体どんな想像を……」

「いいの、いいの! 気にしないで! 大したことじゃないから!」

 危うく藪蛇になりそうなところをクリアスは何とか阻止する。

 結局、昨夜は橋が落ちる前に村を出た客がいて、運よく一部屋空きが出たので、クリアスはそちらに泊まることになった。部屋を移るクリアスを見ながら宿の女将さんは「修羅場は回避ね」と残念そうに呟いていたが……。

「そ、それより今日はこれからどうするの?」

 余計なことを言われる前に話の矛先を変えようと、クリアスがそう言いだした矢先、

「黒助!」

 クリアスには聞き慣れない呼び声が掛かる。振り向いた先にいたのは、二人組の冒険者のグラベルとシールズだった。巨漢のシールズは相変わらず何を考えているのか分からない無表情だったが、グラベルの方は幽霊でも見たかのように驚愕を体全体で表している。

「お前、生きてたのか? 体は透けてたりしないよな?」

「この通りちゃんと実体がありますよ」

 飛龍が両手を広げながら笑う。

「そうか、まあ、無事でよかったぜ。しかし、どうやって助かったんだ?」

「崖に張り出した木があって、運良くそこにしがみつくことができたんです。それであとは崖に繁っていた蔦を掴んで登ってきた、というわけです」

 如才ない態度で説明する飛龍。しかし、それを聞いたグラベルの目に懐疑的な光が宿る。

「……ここの地質は脆くてすぐ崩れる。そんな方法で助かったとは思えねえな」

 もちろん飛龍が言ったことはセリアの秘密を守るための嘘だ。そして、グラベルの疑いは尤もで、このグランザルムの台地の性質を知っているなら、飛龍の説明はあまりに非現実的だと思われて当然だ。だが――

「だから運が良かったんですよ。多分あの場所以外なら助からなかったでしょうね」

 飛龍は臆面もなく、そう言い切る。それに対し、グラベルはただ黙り込むしかなかった。

 どれだけ疑わしくともグラベルは受け入れるしかない。なぜなら真実は生還した本人しか知らず、いくら信じられないと言ったところで、否定する側には根拠がないからだ。

 グラベルはなおも探るような視線を向けるが、やがて根負けしたとばかりに質問を変える。

「そうかい。それでお前が助かったってことは、あの嬢ちゃんも助かったのか?」

「ええ、彼女も生きていますよ」

「なるほどな。お前にとっては幸福の女神だったのかもな。だが、お前は助かったが、あの嬢ちゃんはまだ生きてるかどうかわからないぜ?」

「……それは魔物のことを言っているんですか?」

「ああ、魔物があの森にいるなら、もう食われちまってるかもな」

 それは決して揶揄ではなく、あくまで現実的な意見として言っているようだった。それに対し、飛龍は静かな声で答える。

「いいえ、彼女はきっと生きています」

「へっ、信じてるってか? 全く大した入れ込みようだ。なら教えてやる。王国軍は、今度は魔物の討伐隊として冒険者を雇うらしい。それに名乗り出ればまたあの森に行けるぜ」

 意外な情報に飛龍は驚く。

「それはどこから出た話なんですか?」

「さっき集会所の前を通りかかった時に副隊長のソルベンヌって奴から聞いたのさ。正式に発表されるのはこの後だろうけどな」

 横で話を聞いていたクリアスは昨日の話を思い出す。会合では、橋が開通次第、討伐隊を申請すると言っていたそうだが、それとは別にこの村にいる戦力でどうにかしようというのか。そんな疑問を抱いていると、飛龍は別の視点から質問をする。

「……ところで、こんな朝早くにあなたはどうしてそこに?」

「村の入り口の橋を見に行った帰りさ。通れなくなったと聞いたが、一応、自分の目で見ておかないと気が済まなくてな。まあ、あれじゃ確かに外には出れないな」

「そうですか……。それで、あなたも参加するんですか?」

「討伐隊にか? まさか」

 手を振ってグラベルは否定する。

「俺は遠慮するぜ。というか名乗り出る奴なんていないんじゃないか?」

「それは何故ですか?」

「何故って……お前、あの森の嬢ちゃんのことで頭がいっぱいで、正常に頭が働いていないようだな。それとも兵士がどんな殺され方をしたのか聞いてないのか?」

 どうやらグラベルは、兵士たちの遺体を発見したのが飛龍たちだということは知らないようだった。グラベルは呆れながらも、その目に警告の光を宿らせる。

「話じゃ兵士たちは一切抵抗をする間もなく、殺されていたそうじゃねえか。しかもあんな見通しのいい所でな。どんな魔物か分からないが、こいつは相当ヤバい奴だ。そんな奴と無数に待ち伏せ場所のある森でやり合おうなんて正気の沙汰じゃない。他の奴もそう考えるはずだ」

 グラベルはさらに皮肉を込めて言う。

「王国軍も当然それは分かっている。だから今回の討伐隊は冒険者だけで組織されるそうだ。あれだけ人を入れないようにしてたくせに今度は勝手に入れとさ。全く大した扱いだぜ」

 クリアスの頭の中で、アインから聞いた世間における冒険者の立ち位置というものが蘇る。

 危険な場所にも出向き、都合よく働いてくれる人種。つまりは……。それ以上は考えたくなくて、クリアスは思考をそこで切る。

「まあ、そういうことだ。お前もよく考えろ。そして、行くなら十分用心していけ。俺たち冒険者にとって最も重要なのは臆病なぐらいの慎重さだ。それがない奴は遅かれ早かれおっぬことになる」

 それは金言というより、グラベルが冒険者として乗り越えてきた数多の経験そのものにクリアスには聞こえた。飛龍も神妙な表情でその忠告を受け止める。

「ありがとうございます。こう言ってはなんですが、心配してくれてるんですね」

「まあな。若い奴に死なれるのはあまり気持ちのいいものじゃないからな」

 いつものふざけた雰囲気は鳴りを潜め、グラベルは真剣な目で答える。クリアスはそんなグラベルをじっと見つめる。

 飛龍が死んだと告げてきた時は、良くも悪くもある種の割り切った人間だと思っていたが、こんな意外な一面もあることに素直に驚く。やはり、人の本質というものは少し見ただけでは分からない。

 飛龍もグラベルの予想外の態度に少し戸惑っていたが、やがて不思議そうな顔をして尋ねる。

「ところで僕のことを若い奴って言いましたけど、グラベルさんは何歳なんですか?」

「野暮なことを聞くなよ。取り敢えずお前より大人だってことはわかるだろ? 大人の言うことは聞くもんだぜ」

 それだけ言い残して、グラベルは相棒のシールズを連れてその場を去っていった。

「案外優しい人なのかしら……?」

「優しいというか、自分の中で定まったものがあるんだと思う。まあ、癖はあるけど悪い人じゃないよ」

 立ち去ったグラベルの背中がまだ見えているかのように、飛龍は宿の扉を見続けていた。

「それで、どうするんだ? 今の話が本当ならあの浮島イソラに行くことは出来るようだが」

 そう尋ねながらもアインはすでに飛龍の返事が分かっているかのようだった。

「行くよ。あの兵士たちを殺したのが絶対に魔物ではないとは言い切れないからね。セリアの安全は確認しておきたい」

「それじゃ食事が済んだら早速ハミルトンさんのところへ行く?」

 クリアスがそう訊くと、飛龍とアインがそれぞれに驚きの表情を作る。

「まさか、お前も来る気なのか?」

「え、だって……」

 言いかけてクリアスは二人が驚いた理由に気付き、言葉に詰まる。まるでそうするのが当たり前のように思ってしまっていたが、向かう先は魔物がいるかもしれない森の中。飛龍たちと違いクリアスには自分で身を守る術がない。ならば二人にとって自分がどういう存在なのかは聞かなくとも分かった。

「足手まとい……だよね」

 胸の内に諦めたくない気持ちが灯るが、これは命が掛かったこと。我儘は許されない。しかし、未練を断ち切り、顔を上げたクリアスに飛龍がこの上なく澄んだ瞳で言った。

「いいよ。来ても」

「でも……」

「ついでだからあの浮島イソラで発見された遺跡も見に行こう。それなら古代文明に詳しいクリアスがいてくれた方が助かる。それで、もし何かあったとしても……」

 飛龍が真っ直ぐにクリアスを見つめる。

「君は僕らが守るよ」

 その奥に神秘の闇を抱く漆黒の瞳に射抜かれ、クリアスは思わず頬を染めて目を逸らす。

「飛龍……それ、ちょっと気障っぽいよ」

「え? そ、そうかな……」

 恥ずかしそうに頭を掻く飛龍。しかし、もっと熱さを感じているのはクリアスの方だった。

 ――飛龍っていつも深謀遠慮で本音を出さないように見えるけど、こういうところは純朴というか、裏表がないのよね……

 顔に登る熱と胸の高鳴りを誤魔化そうとクリアスは必死に平静を装う。

「ありがとう。二人にはできるだけ迷惑かけないようにするから」

 しかし、その静かな決意にアインが再び疑問を投げかける。

「俺たちのことはどうでもいい。問題はお前自身だ。危険であることは百も承知だろう?」

 クリアスはしばし上を向いて考えたあと、答える。

「そうなんだけど、二人が一緒なら大丈夫かなって……。ごめんね、勝手に頼りにしちゃって」

 その返答にアインは盛大な溜息を吐く。

「やっぱりお前、このままだと長生きできんぞ」

「もう、またそんなこと言う。どうせわたしは考えなしの人間ですよ」

 むくれるクリアスにアインは真剣な目つきで言う。

「真面目な話だ。俺たちは神でもなんでもない。できることは限られている。まずお前が生き延びることを心掛けなければ、助けられるものも助けられない」

 至極真っ当な意見で諭され、クリアスは下を向く。

「うん、分かった……ごめん」

「謝る必要はない。言っただろう、お前自身のためだ。それに俺もお前には死なれたくないからな」

 直後、時が止まったかのようにクリアスは硬直する。その脳裏では、この村でアインと過ごした時間が絵物語のように次々と回想されていた。

 アインは疑り深い。故に容易に自分を見せようとしない。それなのに過去の自分を話してくれた。同じ部屋で無防備な姿を晒した。そして今、堂々とその胸の内を明かした。

「どうした?」

「な、なんでもないわ!」

 心の動きそのままに視線を泳がせるクリアスを、飛龍とアインが怪訝な表情で見つめる。それに気付かない振りをしながら、クリアスは心の中でやり所のない衝動を思いっきり叫んだ。

 ――全く、この二人は!

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