期待の先に

 村の最西端の浮島イソラに着いた三人。人を避けるようにそこに建つただ一つの家の扉を叩くと、例のごとく、対応に出たのはアルジェルだった。

「クリアスさん……」

「こんにちは。また少しお邪魔するね」

「はい。いい……と思いますけど、そちらの人は?」

 アルジェルが示す視線の先を見て、クリアスは二人が初対面だったことを思い出す。

「彼も私の友人なの。飛龍、この子がアルジェル君よ」

 クリアスの紹介に飛龍が前に歩み出てアルジェルに手を差し出す。

「よろしく。僕とは初めてだね。僕は天道飛龍あまのみちひりゅう。飛龍と呼んでくれたらいいよ」

「は、初めまして」

 飛龍の手をアルジェルは緊張を滲ませながら握り返す。やはり黒一色の姿は異様に映るのか、緊張は隠しきれない。が、飛龍の柔和な態度もあってか、初対面の印象は悪くなさそうだった。

 これから治療を頼む立場でもあり、アルジェルには、飛龍に悪い心証を抱いて欲しくないと願っていたクリアスは、その様子を見て安堵する。が、その矢先、

「あの、何か……」

 アルジェルの顔が不安気に曇る。その顔を飛龍は握手したままじっと見つめ、不意にクリアスを振り返り、言った。

「クリアス、話の中でもずっとアルジェル『君』って言ってたけど、この子、男の子なの?」

 それを聞いた途端、アルジェルはその愛らしい顔を耳の先まで真っ赤にして下を向く。

 ――もう、どうして今それをいっちゃうかな。そう思うのは無理ないけど……

 クリアスは心の中でぼやきながら、軽く「そうよ」とだけ答える。すっかり萎縮してしまったアルジェルは赤い顔のまま、クリアスたちを中に通す。

 本の塔を倒さないよう、三人が慎重に部屋の中ほどまで来た時、クリアスはそこで初めて、この家の主の姿がないことに気付いた。

「ひょっとして、シチパスさん、出かけてるの?」

「ええ、村の雑貨屋に行ってます。普段は誰も入れないように言われているんですが、クリアスさんたちならたぶん怒られないと思います」

 シチパスが自身を人嫌いで偏屈だと言っていたことから、その指示は想像に難くなかった。だが、おそらく一番の理由は別のところにあるのだろうとクリアスは想像する。アルジェルが一人でいるところへは村人であろうと……いや、むしろ村人を会わせたくないのだろう。

「それでクリアスさんたちはどうして今日ここに?」

 そう言われてクリアスは少し考える。いきなり飛龍の治療のことを持ち出すのも不躾だと思い、まずはアルジェルが話しやすそうな話題を振ることにした。

「ちょっとアルジェル君と話したくてね。アルジェル君は古代の魔法とかに興味があるの?」

 少し唐突だったためか、返答に詰まるアルジェルにクリアスは説明を付け加える。

「実はここに来る前にハンナさんに会ってきたの。それであなたが私の研究に興味をもってそうだって話を聞いていたから」

「そうなんですね……。はい、どんな魔法なのかちょっと知りたいなと思いました」

 遠慮がちに発せられた肯定の声。しかし、次にクリアスの耳に届いて来たのは明晰かつ整然とした声だった。

「僕はもっと自分の魔法を追求したいんです。それにはこの不可思議な力の根幹を理解する必要があって、そのためには本質を捉える多角的な視点が必要です。例え実現できていなくてもクリアスさんの古代魔法への取り組み方や未知の魔法理論を知ることは、僕自身の新たな魔法の習得や既習の魔法の発展に繋がると思ったんです」

 十二歳の少年が呈したとは思えぬ卓越した知への姿勢。そして、そこには確かに貪欲で強かな意志が垣間見えた。

 ――この子、こんな話し方もできるんだ……

 感嘆するとともにクリアスはアルジェルに対するそれまでの認識を改める。大人びた態度は、恵まれない環境ゆえに形成されたのだと考えていた。だが、この愛らしい少年のうちには、物事を深く洞察する生来の素養が備わっていた。そうした面は話に聞いたアルジェルの母親、リゼーナに受けた印象と合致する。

 ――きっと、お母さん譲りなのね。この探求心の強さは……

 その紫水晶アメジストの瞳に宿る澄んだ輝きを見て、クリアスは心が洗われる気分だった。

「そっか、それじゃ、私が知っている限りのことは教えてあげるね」

「はい、お願いします」

 いつのまにかその声には淀みはない。打ち解けてきた感じもあって、クリアスはいよいよ本題に入ることを決める。

「ただその前に、あなたにちょっと頼みたいことがあるの」

 言ってクリアスは飛龍に一度視線を送り、出来るだけ優しい声で言う。

「実は彼、昨日、新しい浮島イソラの調査に行って左肩を怪我してしまったの。それであなたの回復魔法で彼を治してもらうことはできないかなと思ったんだけど……どうかな?」

 聞いた直後、アルジェルは突然のことに戸惑いを浮かべたが、やがて、その顔に愛らしい笑みを浮かべる。

「いいですよ。僕の力が人の役に立てるなら、こんなに嬉しいことはないです。飛龍さん、こちらへ」

 呼ばれた飛龍が近くにくると、アルジェルは少し緊張した面持ちでその左肩を見つめる。

「すみませんが、傷が見えた方が魔法のイメージがしやすいので上着を脱いでいただいてもいいでしょうか?」

「へえ、そうなんだ。ちょっとドキドキするね」

 飛龍が漆黒のコートを脱ぎ、微妙な光沢を放つこれまた黒の半袖の服の姿となる。その左の袖口からはみ出て見える細長い葉をアルジェルが不思議そうに見つめる。

「これは何ですか?」

「……ああ、これは薬草に詳しい人が近くにいてね。応急処置をしてもらったんだよ」

 セリアが施した不思議な草の包帯。袖を捲ってそれを見せた後、飛龍は服を脱ぎ、上半身を曝す。

「ちょ、ちょっと、飛龍!」

 クリアスは慌てて背を向ける。

「どうかした?」

「お、女の子がいる前で躊躇いなく服を脱がないでよ」

 顔を赤らめるクリアスに飛龍はきょとんとした顔で自分の身体を眺める。

「え? そういうものなの?」

 飛龍が順に視線を送ると、アルジェルとアインもそれぞれの表情で飛龍と同じ心情を表す。

 ――もう、この人たちは……。というか飛龍はコートの下に半袖ってどうなのよ

 恥ずかしさに、つい関係のない批判が心の中で漏れる。しかし、意識すまいとするほど、目に入った飛龍の体躯が脳裏に浮かんでくる。

 ――飛龍って線が細く見えるけど、やっぱり鍛えてあるんだ……。すごく引き締まってて無駄なところがない感じ……

 と、そこで昨夜、飛龍の寝台ベッドで寝た時のことを思い出し、一気に熱が顔に登る。

 ――だから私は何やってたのよ!

 一人、悶々としながら背を向け続けるクリアスにアインが言う。

「一体何を恥ずかしがる必要があるんだ? まあ、お前だけ外してても別に構わんが」

「やだ! 私もアルジェル君の魔法を見たいもん。第一、私が見ないと意味ないじゃない!」

「じゃあこっちを向いたらどうだ?」

「やだ、恥ずかしい!」

「結局どうしたいんだ、おまえは……」

「あの……別に服を着てても大丈夫ですから」

 と、アルジェルが言ったことでとりあえずこの場は解決した。

 飛龍が服を着直してようやくクリアスは振り返る。草の包帯が取り外された左肩は赤黒く腫れていた。

「これ、今まで痛くなかったんですか?」

「痛いけどそれほど気にはならないかな。痛み止めの薬草も処置してもらったからね」

 本人よりもアルジェルの方が痛そうな顔をする。が、すぐにその表情を引き締め、両手を患部にかざす。一点に精神を集中するその姿には、普段の気弱さは微塵もなかった。

「溢れる生の輝き、尽きえぬ命、無限の円環、紡がれる想いは永遠の輝きを描く……」

白神の彩光レストレイション』――回復魔法の中でも中位に位置する魔法。それをこの年で使える人間は、クリアスの記憶の中には存在しなかった。そして、それを唱える澄みきった芯の強さを感じさせる声。これがこの少年の本質なのだろうとクリアスは改めて思う。

 ――この子はいわば原石。ちゃんと磨かれれば必ず光り輝くはず。魔導士としても人間としても……

 しかし、その原石を磨くのに最適な場所が果たして魔法学園なのか、クリアスにはまだ判断がつかなかった。そうして、クリアスが答えを見出せない中、魔法が完成する。

「『白神の彩光レストレイション』」

 アルジェルが最後の力ある言葉を唱えると、その両手から白い光が輝き、飛龍の左肩を照らす。すると腫れが徐々に引いていき、数分と経たぬ間に飛龍の肩は健常なそれに戻っていた。

「どうだ?」

 アインの問いかけに飛龍は左肩を回して具合を確かめる。

「すごい、治ってる……。さっきまでの怪我が嘘みたいだ。正直、変な感覚だよ」

「変な感覚……ですか?」

 飛龍が漏らした呟きにアルジェルが怪訝な表情をする。

「ああ、ごめん。君の魔法が悪かったとかそういうことじゃないんだ。怪我が急に治るなんて、これまで経験したことがないからね。何だか前より肩が軽くなったような不思議な感じがするんだ」

 その返答にアルジェルは安心したように表情を緩める。

「それは分かります。僕も最初自分に使った時は同じような感覚を覚えましたから」

 飛龍は頷いた後、立ち上がりアルジェルの肩に手を置く。

「ありがとう。君は本当にすごい子だね」

 その感謝と賛辞にアルジェルは頰を染めて下を向く。同じ恥ずかしがるのでも、今回はその中身が違う。ようやく見れた明るい表情に、クリアスもつい自分のことのように嬉しくなる。

「本当に凄いわ。私もこんなに完全な回復魔法を見たのは初めて。間違いなくこれは誇っていい力よ」

 クリアスが送る賞賛に、アルジェルは再びはにかみに喜びを乗せる。が、しかし――

「あなたは褒めてくれるんですね……」

「えっ?」

「……いえ、なんでもないです」

 その顔から急に色が抜け落ち、笑顔が儚げになる。クリアスはそこにこの少年に絶えず付き纏う影を見た気がした。しかし、その影を隠すようにアルジェルは明るい表情を作り、クリアスに尋ねた。

「ところでクリアスさん。ここに来たのは僕の魔法学園への入学の話のためですか?」

 いきなり向けられた質問にクリアスは体を硬直させる。もっとしっかりとした形で伝えるつもりだった話を、まさかアルジェルの方から聞かれるとは思わなかった。その心情を悟ったようにアルジェルは薄い笑みを向ける。

「クリアスさんに魔法学園への推薦状を頼むことはおばあちゃんから聞いてます。それにさっきクリアスさんが『私が見ないと意味がない』って言ってましたから、だからここに来たのは僕の魔法を見るためでもあったのかなと思ったんです」

 クリアスは驚くと同時に納得する。この聡い少年ならこの程度のことを察しても不思議ではない。

「じゃあ、私と一緒に魔法学園に行くかもしれないことは?」

「それも聞いています。そのためにこの村にいる間、クリアスさんたちに同行させてもらうよう、お願いすることも」

 ハンナの言う通り、アルジェルにも事情は全て伝わっている。しかし、この話を進める前に一つ聞いておかなければならないことがあった。

「お前はそれでいいのか?」

 まさに尋ねようとしたことを口にしたのは意外にもアインだった。冷厳さを含むその声は、確認というよりもどこか突き放す感じがした。

「お前は本当に魔法学園に行きたいと思っているのか?」

 さらに冷たさが増した声にアルジェルは一瞬、怯えたように体を震わせる。が、すぐに紫水晶アメジストの瞳を下に向け、悄然と答える。

「はい……。そうするのが一番だと考えています」

「それは誰にとってだ? 俺が聞きたいのはお前の本心だ」

「待って、アイン。そんな聞き方したら、アルジェル君が困るだけよ」

 たまらずクリアスは二人の間に割って入る。

 アインが苛立っているのは分かった。何に対して苛立っているのかも分かる。だが、アインがここまで感情を露にする心情、その根底にある輪郭をクリアスは明確に掴むことができなかった。

 対して、アルジェルは胸の中で渦巻く苦しみに堪えるように俯いている。こちらもその苦悩をもたらしているものの正体が分からない。それぞれが抱く感情を量りかね、クリアスはどうするのが最善なのか、答えを見い出せないでいた。

 その時、アインと飛龍が扉の方を向く。すると扉の向こうから声が飛んできた。

「アルジェル、戻ったぞ」

 家の主シチパスの呼びかけに、その場の緊張が途切れる。一瞬の間を置いた後、アルジェルが扉に駆け寄り、シチパスを迎える。

「おかえりなさい」

「ん……。おう、お前たちも来てたのか。一人、知らん奴もいるが」

 雑貨屋で仕入れてきたらしい麻袋を机に置きながら、シチパスは飛龍に一瞥を送る。それに応じて、飛龍が例のごとく名を告げるとシチパスは片方の眉を興味深げに上げる。

「その名前からすると、ヒーナシナエかヤハン辺りの出身か」

「ヤハン出身です。僕の故郷を知ってるんですね」

 少し驚いた様子の飛龍に、シチパスは長い顎髭を撫でながら答える。

「伊達に歳はとっておらんのでな。それで、お前たちは今日、ここへ何しに来たんだ?」

 その問いに、飛龍はアルジェルに肩を治してもらったことを伝える。それを聞いたシチパスは長い顎髭をさする手を止め、細めた目を飛龍から別の方向へと移す。

「なるほど、アルジェルに治療を頼みにな。だが、目的はそれだけではないのだろう?」

 その問いかけから、クリアスはシチパスがすでに事情を知っているのだと悟った。

「はい、そうです。魔法学園へ推薦するため、アルジェル君の魔法を見ておきたかったんです。シチパスさんはもうこの話は知っているんですね?」

「ああ、その話はハンナから直接相談を受けているのでな」

「そうですか……」

 クリアスは背後のアルジェルがどんな表情をしているか想像は着いた。だが、敢えてそれは見ずに率直に質問をぶつけた。

「ではシチパスさんは、アルジェル君が魔法学園に行くことには賛成なんですか?」

 息を呑む気配が背に伝わってくる。だが、本人のためにも、クリアス自身にとってもこれは訊いておかなければならないことだった。

 クリアスは瞳を逸らさず答えを待つ。対してシチパスは、つと視線を机の上に置いた麻袋に向け、手を伸ばした。その中から深緑色の小さな箱を取り出し、アルジェルに歩み寄る。

「アルジェル。お前が欲しがっていたペンダント用の鎖だ。フィグーリエから取り寄せたロビウム銀製だから今度は切れることはないだろう」

 シチパスがその箱を差し出すと、アルジェルは戸惑いながら首を振る。

「えっ……ロビウム銀製なんて、そんなもの、僕貰えません。もっと安いもので……」

「儂がいいと言っているんだ。それにもう買ってしまったんだから素直に受け取っとけ」

 そう言って、シチパスはその箱を押し付けるように渡すと、なおも困惑し続けるアルジェルに少し乱暴にも聞こえる口調で言う。

「それを持って母親のところに報告しに行きな。『これで二度と失くしません』ってな」

「すみません、先生。言ってることが……」

「早く行け」

 重さを感じさせる低い声に、アルジェルは追い立てられるように外へ出て行く。その様子をただ見守るしかなかったクリアスたちに、シチパスは微かに笑いながら椅子に腰を下ろす。

「全く、やっぱりあいつはまだまだ子供だな。こんな単純なことにも気付かんとは」

 それを聞いて、クリアスはシチパスの行動の意味を知る。

「……やっぱりアルジェル君には聞かせたくない答えなんですね」

 シチパスが鼻を鳴らす。

「お嬢。お前さんも案外、嗜虐的なことをするなあ。それが分かっててあんな質問をしたのか?」

 微笑の中の睨め付けるような目にクリアスは唇を固く結ぶ。シチパスはそんなクリアスからアイン、そして飛龍へと視線を移しながら言う。

「あいつは前々から村の子供に嫌がらせや乱暴を受けていたんだが、この間、そいつらから逃げるときに母親の形見のペンダントの紐が切れてな。危うく失くしかけたんだ。必死に探し回った結果、ペンダントは見つかったが、それ以来、あいつはまた落とすかもと、持ち歩くことができなくなったんだ。それで儂は出した課題をやり遂げたら、褒美として切れない鎖を買ってやると言ったんだ。さっき渡したのはそれだよ」

 シチパスは机の上の本を整理しながら、話を続ける。

「それで、魔法学園に行くことについて儂の意見を聞きたかったんだな? もちろん儂は賛成だ。ただ、お前さんはその中身が知りたいんだろう?」

「はい……」

 消え入るようなクリアスの声に、シチパスは本を整理していた手を止める。

「しかしな。儂から話せることにも限度がある。だから、お前さんの知りたいことがその範疇なら答えてはやれる。で、何が知りたい?」

 そうであれば、真っ先に浮かぶのはあのことだった。

「では知ってたら教えてください。さっき、私がアルジェル君の回復魔法を褒めた時、彼は『あなたは誉めてくれるんですね』って呟いたんです。その意味が分かりますか?」

 するとシチパスは唸るように息を吐き、緩慢に見えるほどゆっくりと椅子に身体を預けた。

「……あいつが最初に魔法を使えるようになった時のことだ」

 しんとした部屋に低く重い声が満ち渡る。

「魔導士が誰しも覚えている瞬間というのが、初めて魔法を使えるようになった時だという。例に漏れず、あいつもその時は子供らしい顔をして喜んでいた。だが、あいつにとって一番の望みは魔法を使えるようになることじゃなかった」

 何のために魔法を覚えたいか。アルジェルにとっての答えがそこにあった。

「魔法を使えるようになったことを誰よりも早く見せたい相手がいた。そして、あいつはその人間の前で指先の小さな切り傷を魔法で治してみせた。儂はそれを物影から見ていたんだ」

 そこでシチパスは黙然と目を閉じる。そのまま続きは語られず、無音の時が流れる。その先は聞かずとも分かった。だが、この場においてそれは訊かざるを得なかった。

 クリアスはゆっくりと、しかし、明瞭な声で尋ねる。

「それで、その人はどんな反応をしたんですか?」

 閉じられていたシチパスの目が細く開く。

「……少なくとも喜んではいなかったな」

 その遠回しな表現は、直接言われるよりもありありとその場の状況を描き出した。

 それだけ聞けば十分だった。これまで繋ぎとめられていた希望が儚く消えていく。

「……ありがとうございました」

「もういいのか?」

 クリアスは頷きだけを返す。

「そうか。それなら途中でアルジェルを迎えに行ってくれ。今日はもうここに用はないはずだからな。ここから『実りの浮島イソラ』に渡り、村の入り口の方からぐるりと回ると、その先に小さな浮島がある。そこにはあいつの母親が眠る墓地がある。あいつはそこにいるはずだ」

 立ち上がり、踵を返すクリアスに飛龍とアインも付き従う。そのまま三人が外へ出ようとしたとき、その背に声が掛かる。

「ベンジェアンス。さっき言ったように儂にも話せることとそうでないことがある。そしてこれは人生の先達としての助言だが、物事を正しく判断するためには当然、理性を持って考えなければならない。だが、時には直感に従うことも必要だと覚えておくことだ」

 クリアスは足を止めて、振り返る。

「……それはどう言う意味ですか?」

「さあな。意味があるかはお前さんが判断しな。儂が言えるのはここまでだ」

 深い青灰色の瞳がクリアスを捉える。が、すぐにシチパスは背を向け、部屋の奥へと下がっていく。その背が語るままに、クリアスはシチパスの家を後にした。

 ここの浮島は短い丈の草に覆われている。冬が近づき、ほとんど枯れたそれらの上を歩きながらクリアスは呟くように言った。

「……二人とも、ずっと何も言わなかったね、どうしてなの?」

 飛龍が渡るべき吊り橋の前で一度足を止める。

「これは君の問題だから、口出しすべきじゃないと思ったんだ。余計な横槍は君に誤った答えを出させてしまう気がしてね」

 ――誤った答え? じゃあ、今のところはそうじゃないの? 私は正しく答えを導き出せていると飛龍は言いたいの?

 クリアスがそれ自体に疑心を拭えない中、吊り橋を渡り終えたところでアインが話す。

「俺は特に話すことがなかったからだ。訊くべきことは全てお前が訊き、そこから出た結論も同じだったしな」

「……結論って?」

 聞き返すクリアスにアインは鉄の声で言った。

「はっきり言っていいんだな?」

 その声はクリアスの心を冷たく撫でたが、それでもクリアスは小さく頷いた。向かい合うべき事実を明確にするために。

「昨日、あの坊主は俺たちに、魔法を使えることを村の人間には話すなと言った。それは魔法という力がそれを使えない人間にとって脅威であり、恐怖の対象になると分かっていたからだ」

 アルジェルの悲しげな顔がクリアスの脳裏に蘇る。

「さっきまで俺は、あいつが魔法というものを理解していく上で、一つの推測としてそこに至ったのかと思っていた。だが、違った。あいつは実際にそれを経験していたんだ」

 続く言葉をアインは少しだけ声の調子トーンを落として言った。クリアスはそこにアインの優しさを感じた。

「その経験の元となった相手、つまりこの村であの坊主の魔法を恐れている唯一の人物。それは他でもない、あの婆さんだってことだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る