ハンナの頼み

「半魔族の子か……」

 シュライハルト家へ行く道すがら、クリアスは飛龍にこれまでの経緯を話していた。

「クリアス、君もまた不思議な背景を持つ人を助けようとしていたんだね。僕は『魔族』という存在自体を知らなかったけど、でもやっぱり、いきなり赤紫色の血なんてものを見たら戸惑うと思うよ」

 その言葉はクリアスが吐露した心情に対する心遣いであり、飛龍の偽らざる本音なのだろう。それ自体はクリアスの心を軽くしたが、同時に最初抱いた気持ちを忘れてはならないという自戒の心も湧き上がる。

 その想いを改めて胸に刻むクリアスの横で飛龍が呟く。

「その子は『化け物』と呼ばれてるのか……」

 その小さな呟きからあることを思い出し、クリアスは飛龍に尋ねる。

「ねえ、飛龍。そういえばあなたが森で出会った女の子について、もう一つ聞きたいことがあったの。その子はどうして自分のことを『悪魔』だなんて……」

「これはこれは! 春の清流のごとく心の乙女よ! また会いましたね」

 突然、舞台の台詞じみた大声が掛かり、クリアスは小さな悲鳴を上げて飛龍に飛びつく。横手の葡萄畑から三人の前に出てきたその声の主は、奇抜な化粧を顔に施し、飄然と人と相対する吟遊詩人、ロタティーガその人だった。

「クリアス、知ってるの?」

 クリアスほどではないが、多少面食らいながら飛龍が尋ねる。

「知ってるというか……。アルジェル君を探してるときに話しかけられて……」

「そう。見知らぬ悲運の少年を気遣う、あなたの美しき慈愛の心は私の琴線を大いにかき鳴らした。失礼。私は孤高の吟遊詩人クレオン・ロタティーガ。どうやらこのお二人はお嬢さんのご友人のようですね。以後お見知りおきを」

 貴族の舞踏会で見るような畏まった礼をしたあと、ロタティーガはその顔を上げると、飛龍とアインと見て驚嘆というべき表情を作る。

「その風貌、それに滲み出る威風。やはり輝くものを持った者同士は魅かれ合うのですね! お二人は見た目通り、いやそれ以上の数奇な運命を背負った方とお見受けします! 私の新たな詞藻のため、ぜひあなた方のことを……」

「おい」

 ロタティーガが自身の世界を構築しようとしたところで、それを断ち切ったのはアインの低い一声だった。

「少し黙れ」

 形があれば切れそうなほど鋭いその視線に、ロタティーガは気圧され、押し黙る。僅かな沈黙を置いた後、アインはクリアスに尋ねる。

「で? こいつはお前の知り合いでも何でもないんだな?」

 クリアスは出会った経緯を少しだけ説明すると、アインは納得したように頷き、

「なら、失せろ。お前のくだらん趣味に付き合うほど俺たちは暇じゃない」

 先刻以上に鋭利な眼光を向ける。ロタティーガは戦々恐々と言った様で慌てて横に身を引く。

 アインがそれを見もせずに歩き出すと、飛龍もそれに付き従い、少し遅れてクリアスが「すみません、急いでるので」と謝罪の声を掛けてから駆け出す。

 しばらく歩いた後、遠近感以上に小さく見えるロタティーガを振り返りながら、クリアスはアインに言う。

「アイン、あそこまで邪険にしなくても……」

「俺はああ言う手前が心底性に合わないんだ」

 嫌悪感を隠そうともしないアインに飛龍が苦笑する。

「まあ、アインとは一番合わない感じの人だったよね」

「それにしても、もうちょっと言い方ってものが……。飛龍もああ言う人は苦手?」

「うーん、まあ、騒がしい人はちょっとね……」

 その感想を聞きながら、クリアスも心の中で呟く。

 ――正直なところ、私もああいうグイグイ踏み込んでくる人は敬遠しちゃうかな……。というかほとんどの人がそんな気もするけど。

 そんな一幕を経て、三人はシュライハルト家に辿り着く。

 涼やかな呼び鈴の音が邸宅に響き渡ると、樫の扉の向こうから誰何の声がした。対応に出たのはハンナだった。

「いらっしゃい。よくきてくれたわね。あいにくアルジェルはまたシチパスさんのところなの。あら、クリアスさん。そちらの方もあなたのご友人なのかしら?」

 飛龍の姿を見とめたハンナにクリアスが説明する。

「はい、そうです。彼はアインと旅をしていて、昨日は別行動だったんです」

 クリアスの説明に飛龍が少し前に出る。

「初めまして。僕は天道飛龍といいます。飛龍の方が名前なのでそう呼んでいただければいいです。クリアスとはちょっとした縁で知り合い、それ以来の友人なんです」

「あなたも誠実そうな人ね。それでここに来たってことは、大体の事情は分かっているということでいいかしら?」

「まあ、そうですね……」

「そう、ではどうぞ入って」

 昨日と同じ居間に案内され、同じソファにクリアスは腰掛ける。飛龍とアインがその両脇に座ると、ハンナは、今回はクリアスから斜め向かいの場所に座った。

「昨日、あなたたちがあの子が会ったことは聞いているわ。それでどうかしら? あの子と話してみて、あなたが感じたそのままを聞かせて欲しいの」

 その要求にクリアスは若干の緊張を抱きながら、口を開く。

「アルジェル君はとてもいい子です。ハンナさんの言う通り、話しぶりからも才知に溢れていることが伝わってきましたし、礼儀正しく……同年代であんな落ち着いた子はなかなかいないと思います」

「なるほど、『落ち着いた子』、ね」

 ゆったりと噛み締めるようなハンナの呟き。そして、一切揺れることなく注がれる視線に、クリアスはそれまで抱いていた緊張が一気に全身に広がるのを感じた。

 クリアスが伝えたアルジェルに対する印象は偽りではなかった。しかし、その言葉の裏には別の感情を隠していた。

 十二歳にしては大人びた態度。それは幼少期から半魔族であるという偏見に晒され、これまで経験してきた苦難と失意によって形成された性質に思えた。よって、美点には違いないものの、同時にそうならざるを得なかったとも言え、そのことにもの悲しさを覚えずにはいられなかった。そして、その感情を敢えてそのまま表に出す必要もないと考え、婉曲な言葉を選んだのだが、その思惑自体をいとも簡単にハンナに見透かされた気がした。

 手にじわりと汗を握りながらも何とか平静を保ち、今度はクリアスからハンナに質問する。

「ところでハンナさんはアルジェル君が魔法を使えるって知ってたんですよね?」

「ええ、そうだけど?」

 全く気にした様子もなく答えるハンナに、クリアスはさらに質問を重ねる。

「私が魔法学園の生徒であると知っていながら、どうして黙っていたんですか?」

「理由はいろいろあるけれど、一番は、あの子が周りにそのことを知られたくなさそうだということ。だから、私から話すことではないと思ったのよ。それにシチパスさんのところに行けば、結局、彼からあなたに話が伝わるとも考えていたしね」

 その言からすると、ハンナはアルジェルが魔法を使えることを秘密にしている理由を知らないのだろうか? いや、いくらなんでも何も聞いていないということはないはず。それではハンナ自身はどう考えているのだろうか?

 それを聞くべきか聞かざるべきか、迷っている間にハンナが話し出す。

「そういえばね。昨日、アルジェルにも話を聞いたのだけれど、あの子、あなたのことをとても優しいお姉さんだって言ってたわよ。それにあなたが古代の……『理の魔法』だったかしら? その研究をしてることにも興味津々だったわ。あまり他人のことを話さないあの子が、あんなに饒舌になるなんて本当に久しぶりだったのよ」

 別れ際の空気が微妙だったため、そんな印象を抱かれているとは思っておらず、クリアスは返答に戸惑う。しかし、ハンナが向ける朗らかな笑顔を見て、徐々に胸の奥が温かくなる。

「そうですか……。アルジェル君がそんな風に思ってくれたのなら私も嬉しいです」

 過酷な境遇に身を置くアルジェルにとっては一時の光でしかないかもしれない。それでもクリアスはあの愛らしい顔に明るさが灯ったその瞬間を想像して、微かに顔を綻ばせた。そして、出会った時の態度に対する償いを少しだけ出来たような気がした。

 その様子を見ていたハンナが一つ頷く。

「あの子もあなたもお互い、いい印象を持っているようね。これなら大丈夫かしら……」

「え?」

 不意に付け足された言葉にクリアスは眉を顰める。

「実はね、あなたに頼みごとがあるの」

「頼みごと……」

 その瞬間、クリアスは悟った。おそらくこれから告げられることが、ハンナがクリアスをここに呼んだ目的であり、同時にクリアスがハンナに抱いていた疑問への答えとなるだろうと。

 固唾を呑んで次の言葉を待つクリアスに対し、ハンナはあくまで従容とした物腰で話し出す。

「いきなりで驚くでしょうけど、私は前々からあの子をあなたのいる魔法学園に入学させようと考えていたの」

魔法学園エルザに?」

「ええ、それでね、その推薦状をあなたにお願いしたいの」

「魔法学園への……推薦状?」

 寝耳に水な申し出にクリアスは呆けたように呟く。

「あなたが魔法学園エルザの特別研修生だと聞いたとき、魔法学園の推薦制度を思い出したの。どう? あの子を確実に合格させるために力を貸していただけないかしら」

 笑みの中に真剣さを宿すハンナ。クリアスは困惑の中にいながらも、記憶の棚から魔法学園の規定を引っ張り出す。

 魔法学園に入学するには、中途教育を受けることになる十三歳で入学試験を受け、それに合格しなければならない。入学試験を受けられるのはその時期のみで追試などはない。しかも毎年受験者数は入学定員を遥かに超える。つまり一般入試で入るには非常に狭き門が待ち構えている。しかし、それとは別に、稀にいる魔法の才能に秀でた子を特別枠で受け入れる制度がある。おそらくハンナはそのことを言っているのだろう。確かにアルジェルの才能は類稀なもので、その枠で入学させようと考えても無理はないのだが……。

「確かに特別研修生が推薦状を書くこともできますけど、はっきりいって学生から出されたものなんてほとんど評価にはなりませんよ。箔をつけるならもっと権威のある人でないと……。あっ、元教員のシチパスさんがいるじゃないですか。あの人に頼んだ方が……」

「規定では、推薦できるのは『現在、学園に所属している者』だったはずだけど?」

 笑顔のままハンナは困ったように眉根を寄せる。名のある学校の学長とはいえ、外部の人間に学園の規定を説明され、クリアスは恥ずかしさに思わず下を向く。

「そ、それに推薦といっても魔法学園の場合は学力試験もあります。通常試験ほど厳しくはないですが、それなりの水準は必要です。……シンデルテ初等学校に通ってるならそれなりに高いとは思いますが」

 迷った末、クリアスは最後の言葉を口にした。するとやはりというべきか、それまで悠然と湛えられていたハンナの笑みが一瞬消える。

「あの子はね。学校へは行っていないの。最初は通わせていたのだけれど、周りの子とうまくいかなくてね。それで勉強は私が教えているの。でもあの子の学力はここの生徒と比べても上位に入るぐらいだからその点は心配していないわ」

「そう……ですか」

 沈んだ表情でクリアスは頷きを返す。昨日、アルジェルはハンナに勉強を教わっていると言っていた。普通ならそれは学校の授業の他にという意味になるはずだが、クリアスはそうは受け取れなかった。そして、今、ハンナの口から告げられた実情はクリアスの予想の通りだった。おそらく単純に他の生徒と折り合いがつかなかったのではないだろう。つまりは……

「それでどうかしら?」

 嫌な想像に囚われていたクリアスは、再度の要求に現実に引き戻される。そして目下の問題を熟考し、訥々と返事する。

「私なんかでよければ引き受けますが……。ただ、私とアルジェル君は昨日、出会ったばかりです。推薦するといってもどう書けば……」

「そうね。それで、それにも関係していることとして、あなたにもう一つお願いがあるの」

 さらなる要求があると聞いて、クリアスは再び身を硬くする。

「魔法学園の受験日は年を跨いですぐじゃない? だから、近いうちにあの子を魔法学園まで連れて行く必要があるのだけれど、私ももう年で長旅をするのはかなり不安だったの。だから、私の代わりにあの子を魔法学園まで連れて行ってくれないかしら? もちろん旅費やその他の費用、それに謝礼はお渡しするわ」

 これにはさすがに面食らい、クリアスははっきりと否定の色を顔に浮かべる。

「ちょ、ちょっと待ってください。さっき言ったように私とアルジェル君は知り合ったばかりです。いくら彼が私に対していい印象を抱いているといっても、ともに旅するとなれば話は別です。それにアルジェル君はあなたにとってたった一人のお孫さんでしょう? 私としてもそんな大切な人を預かる責任はちょっと背負いきれないです……」

「そう思うのも当然でしょう。ただ、私の心情も察して欲しいの。なぜ私が見ず知らずのあなたにこんなことをお願いしているのか。あなたはあの子がこのままこの村で暮らし続けることが、この先の幸せに繋がると思う?」

 そう突き付けられれば、クリアスとしては否定の言葉を発することはできなかった。しかし、それとこれとはまた話が別であるのも事実だった。

「ハンナさんは、行きずりの私なんかにアルジェル君を預けることに不安はないんですか?」

「もちろんあるわ」

 先の発言と矛盾する断言にクリアスは言葉を失う。そこへ間を置かず、ハンナが話す。

「そこで提案なの。クリアスさん、あなたこの村にはどのくらい居るつもり?」

 唐突な質問に困惑しながらもクリアスは頭の中で、今後の予定を検討し、当たり障りのない日数を口に出す。

「取り敢えず、二、三日はいるつもりですが……」

「そう。それなら、その間、あの子をあなたたちと一緒に行動させてもらえないかしら?」

「私たちと?」

 思わぬ提案にクリアスは再び面食らう。

「この数日間、同じ時間を共有してみて、あの子とあなた、そして私で、あなたたちがうまくやっていけるかどうか見極めるの。結論を出すのはそれからでもいいんじゃないかしら?」

 その案を熟考する前にさらにハンナが言い募る。

「あなたもあの子をより理解したいと言っていたでしょう? それに一緒に連れて行ってもらえないとしても、魔法学園に紹介してもらうためには、あの子のことをより知ってもらう必要があるわ。ただ、あなたにも予定があるでしょうから、一緒にいるのはあなたの都合のいい時だけでいいのよ。どうかしら?」

 そこでクリアスは、先ほどハンナが「それにも関係していることとして」と言った意味に気付いた。つまり、ハンナはあの時すでにここまで想定して話をしていたことになる。

 クリアスは視線を下げて考えこむ。

 ハンナの言う通り、この話はクリアスの方からアルジェルと関わりを持ちたいと言い出したことが発端であり、無碍に断ることはできなかった。しかし、安易に受諾していい問題でもない。様々な葛藤が押し寄せる中、クリアスは結論を出す上で最も大事なものを失念していたことに気付いた。

「あの……その前にアルジェル君の気持ちを聞いておかないと……彼としても、いきなりよく知らない人と一緒にと言われても……」

「つまり、この話を通すのはあの子の気持ち次第ということね?」

 その念押しに一瞬、微妙な響きを感じながらもクリアスは小さく頷き返す。するとハンナが笑みを浮かべ、答える。

「それなら大丈夫よ。あの子にはもう話してあるから」

「え?」

「こうなるかもしれないと思っていたからね。あの子も了承してくれているわ。人見知りの激しい子だから少し不安がってはいたけれど」

 アルジェルの性格を考えればそれは当然に思えた。しかし、今、不安を覚えたのはクリアスの方だった。

 最初訪れた時からここに至るまでの一連の流れ。何かうまい具合にハンナに誘導されている気がする。その裏にはどんな感情が秘められているのか。それが分からず、クリアスは心を落ち着かせることができなかった。そして、逆らえない空気を感じる一方、それとは別にどうしても一つの疑念が頭に纏わりつく。

 ――本当にあの子は納得しているのかな。魔法学園に行くことも……

 果たしてこの問題にどう向き合えばいいのか、クリアスが考えあぐねていると、

「別にいいんじゃないか」

 不意に横から声が飛んだ。

「都合のいい時だけという話なら、俺たちの行動に支障がでることもない。それに魔法学園に推薦するなら、あの坊主に魔法を見せてもらうのが一番じゃないか? 元々ここに来たのは、それが目的でもあったんだからな」

 そう言いながらアインが飛龍を親指で指す。

 普段、あまり人と関わろうとしないアインの意外な言葉にクリアスは戸惑う。一方で、事情を知らないハンナはアインの発言を理解しかね、軽く首を傾げていた。

 セリアについてすべてを話すわけにはいかないので、ひとまずクリアスは飛龍が怪我をしたという事実のみをハンナに説明する。

「あらそれは大変だったわね。ぜひあの子に頼むといいわ。きっと快く応じてくれるはずよ」

 アルジェルの治療を温かく請け合うハンナに不義の気配は見られない。クリアスは気持ちの整理ができないまま、アインと飛龍に視線を移し、尋ねる。

「それじゃ、シチパスさんのところに行く?」

 二人が「ああ」「そうだね」とそれぞれ肯定の意を示し、この先の行動が決まる。

 席を立った三人をハンナは玄関まで送る。その別れ際に、ハンナはクリアスに今一度声を掛ける。

「あの子のことをお願いね」

 優しげな微笑とは裏腹に、その言葉は重しのようにクリアスの心に圧しかかった。その苦しさを吐き出すようにクリアスは答える。

「あの……先ほどの頼みごとについては考えさせてください。やっぱり簡単に引き受けるなんて言えないです」

「ええ、だから結論はあの子のことをより理解わかった上で出してくれればいいわ」

 期待の眼差しを向けるハンナに、クリアスは小さく頷きのみを返して、その場を辞す。

 シチパスの家に向かう途中、クリアスは重い溜め息を吐いた。

「なんだか妙なことになってきたね」

 同情の響きを乗せる飛龍にクリアスは嘆くように答える。

「ハンナさん、一体何を考えてるんだろう。私だってアルジェル君の力にはなりたいと思ってはいたけれど……」

 結局、なし崩し的にハンナの提案を呑むことになってしまった。と、そこでその決定打となった発言を思い出し、クリアスは横を見る。

「ねえ、アインはどうしてハンナさんの提案を受け入れたの? 正直にいうとアインってこういうことにはあまり関わりたがらないと思ってたから」

「ああ、その通りだが?」

 そう返され、目を丸くするクリアスにアインは冷めた声で言う。

「あの婆さんは俺たちの都合がいい時だけ、あの坊主を連れていけと言っただろう? だったらそうするまでだ。飛龍の怪我を治療してもらった後は、適当な理由をつけて一緒にはいられないと言えばいい。お前にしても、最終的に連れて行けないと答えればいいだろう?」

「そんなつもりだったの!? それは何というか……あまりに不誠実じゃない?」

「何言ってるんだ。お前も分かってるだろう? あの婆さんはお前の人の良さにつけ込んで利用しようとしてるんだぞ」

 クリアスは俯いて歩きながら、小さな声で答える。

「確かに私もそういう考えが浮かばなかったわけじゃないけど……あれがアルジェル君を想ってのことなら、ハンナさんを悪く言うことはできないよ」

 憂いに満ちたその横顔を、隣を歩く飛龍が目を細めて見つめる。

「相変わらず純真だね。君は」

「な、何言ってるのよ、飛龍」

 頬を赤らめ、目を逸らすクリアスを飛龍はなおも眩しそうに見つめる。対してクリアスを挟む形で反対側を歩いていたアインは冷淡な眼差しを向ける。

「そうだな。あれが本当にあの坊主のために言ったことなら、そう考えるのも分からなくもない。だが、お前は本当にそう思っているのか?」

 その問いにしばし沈黙したあと、クリアスは飛龍に尋ねる。

「ねえ、飛龍から見てハンナさんはどういう人に見えた?」

 その質問に内在するものを感じ取ったのか、飛龍は遠くを見据えるように前を見つめたまま、ゆっくりと答えた。

「そうだね。不遇な孫のため、形振り構わず尽力するお婆さん、かな。

 その感想はクリアスが予想していたものではあったが、儚い期待を裏切るものでもあった。そうして発した言葉を驚きもなく受け止めるクリアスを見て、飛龍が尋ねる。

「ひょっとして、僕が知らない間に何かあった?」

 クリアスは重々しく頷き、アルジェル、そして、その母親であるリゼーナについて、ハンナが語ったそのままを伝えた。

「なるほどね。その話を聞くと、アインの言っていることも分からなくはないね。ただ……」

 飛龍はそこで一度言葉を切ると、少し鋭くなった目で前を見据えながら言った。

「僕はあのご婦人はもっと複雑な人のような気がするんだ」

「どういう意味だ?」

 疑問を呈するアインと同様、クリアスも飛龍の真意がつかめなかった。

「こればっかりは印象でしか言えないんだけど……例えば、クリアスにそのアルジェルという子を魔法学園まで連れて行ってほしいと頼んだ話。たぶん、あの時点では本気じゃなかったはずだよね?」

「そうなの?」

 クリアスが首を傾げる。

「だって、そのあと、君が不安はないのかと尋ねた時、あのご婦人は『ある』って断言したじゃないか。そして、最終的にはこの村でクリアスとそのお孫さんがうまくやっていけるかを確認してから、改めて頼む気だって言った」

「それはそうだが、結局は魔法学園までの坊主のお守りをクリアスに委ねようとしていることは変わらないだろう。お前が言う『複雑な人』というのはどう繋がるんだ?」

「つまりさ。あれは反応を見てたんだよ。もし、あの時、クリアスが簡単に『引き受ける』なんて言ってたら、あの人はたぶん何かと理由を付けて断っていたんじゃないかな。あるいは完全に無理だと拒否した場合もね。つまり、クリアスが悩むぐらい真剣に受け止めていて、かつ引き受ける可能性がある人間かを確かめたかったんだと思う。あの人はこれからの数日間でアルジェルという子とクリアスの関係を見て、一緒に行かせるか結論を出すって言ってたけど、すでにあの時から見極めは始まってたんだよ」

 考え込みながらクリアスはいつしか立ち止まっていた。飛龍の考えが正しければ少し話は変わってくる。そのクリアスが脳裏に思い描いた想像を飛龍が言葉にする。

「そしてこのことから一つのことが分かる。あのご婦人はお孫さんのことを真剣に考えている。でなければ、こんな回りくどいやり方なんてとるはずがない。それが、あのご婦人に対して僕が『複雑な人』という印象を抱いた理由だよ」

 クリアスは途方に暮れた目で秋の高い空を見上げる。ますますハンナという人物が分からなくなってきた。いったい何を考え、何をしたいのか。そういう意味では飛龍の言う『複雑な人』という呼称が今のところ一番しっくりくる気がした。

 そうして悩み続けるクリアスの横でアインが相も変わらず、冷淡な口調で言う。

「だが、それはお前自身が言った通り、印象の範疇でしかないだろう。あの婆さんの腹の内は、本当はもっと単純なものかもしれない」

「そうだね。だからそれを知りたいなら、これから会うアルジェルという子と話をしてみるのが一番じゃないかな」

 クリアスは少し寂し気な空から視線を前に向ける。

 心に生じた疑惑は一向に晴れない。だが、アルジェルのために何かしたいと言い出したのは自分だ。ならばこれはもう自分に課せられた避けられない命題に思えた。

「そうね。それじゃ、行こう」

 クリアスは飛龍とアインに呼びかける。目の前には渓谷の上を揺れる吊り橋がある。しかし、もうそれに対する不安や恐怖はない。その蔦をしっかりと掴み、文字通り島と島の懸け橋をクリアスは前を見据えて渡り出した。

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