思いのままに

「これが昨日、あの森、そして渓谷であったことなんだ」

 一人増えたことでさらに狭さを感じる宿の部屋。そこで飛龍はあの浮島イソラで経験した出来事を話し終えた。ただし、セリアに対して抱いた心証や共に過ごした夜についての詳細は省略した。それらを話さなかった理由は……言わずもがなである。

 話を聞き終えたクリアスは、心ここにあらずといった感じでぽつりと呟く。

有翼人フェザーフォルク……」

 その呼称に飛龍が反応する。

有翼人フェザーフォルク? ひょっとしてそれは彼女の種族のこと? クリアス、何か知ってるのなら教えてほしい」

「あ、そうじゃないんだけど……」

 真剣な表情で身を乗り出す飛龍に、クリアスは慌てて説明する。

有翼人フェザーフォルクは私が昔読んだ物語に出てきた種族なの。人はやっぱり大空への憧れがあって、翼のある人間というのはよく話には出てくるんだけど……」

 エルフ、そして魔族などは一般の人々の目に触れることはほとんどないが、間違いなく実在する種族である。翻って有翼人はあくまで神話や物語の中でのみ存在する、空想の産物であったはず。

「それが実際にいた、ということだな」

 アインが端的に事実をいう。

「うん、間違いなく彼女は存在する。そして、その身を危険に投じようとしている。僕は何としても彼女を助けたい」

 その目には、静かながら鬼気迫るほどの揺るぎない意志が宿っていた。そのあまりの入れ込みようにクリアスは戸惑いながら尋ねる。

「でも、そのセリアって子を助けるにしても、どうする気なの? 正直なところ、その子については分からないことだらけだわ……」

「確かにそうだね。それじゃ一つずつ整理していこうか」

 飛龍は自身も確認するように、視線を下に落として話し出す。

「まず、セリアはあの森でクウェルセの民という人々と暮らしていた。その人たちからあの森を守るよう言われた。そして、出て行った人たちが帰ってくるのを待っている」

「そこが分からないの。その子は飛龍とそんなに変わらない年なんでしょ? でもあの浮島イソラは何十年も橋が繋がっていなかったのよ。そのクウェルセの民って人たちは一体いつ、どうやって外に出て行ったの?」

「それは分からない。僕らが知らない別の経路や方法があるのかもしれない。ただ、それとは別の観点から一つ考えていることがあるんだ」

 そこで飛龍はクリアスを見つめる。

「クリアス、僕はあまりこういうことに知識がないから教えて欲しい。エルフって確か人間よりかなり長生きなんだよね??」

 その質問の趣意をクリアスはすぐに察した。

「ええ、そう。はっきりとは分かっていないけれど、エルフの寿命は二~三百年、五百年も生きるって話もあるわ。つまり、その子もエルフと同じく長寿の種族で、見た目は若いけどずっと前からあの森で暮らしている。そして、一緒にいた人はもっと昔に出て行ったってことね」

 飛龍が頷く。確かにエルフのように永き時を生きる種族なら、それも考えられなくはない。

「でもその子は自分以外の人たちは普通の人間だって言ってなかった?」

「普通の人間とは言っていなかったよ。翼がないと言っていただけでね。だから彼女の言うクウェルセの民も僕らとは違う長寿の種族という可能性はある。まあ、それについては、もう一度彼女と話をすれば教えてくれるかもね」

 クリアスは俯いて考え込む。その少女は自分が特別な種族であることを隠そうとしていたという。それならば、クウェルセの民という人々についても簡単には話してくれないような気がした。しかし、そこはとにかく訊いてみればいいのかもしれない。

「俺も一つ疑問に思っていることがある」

 クリアスが考えを整理している間にアインが口を開く。心なしかその声には責めるような鋭さが感じられた。そして、クリアスはその印象が間違いでなかったとすぐに気づかされる。

「一番分からないのは、飛龍。お前がその女の言うことを頭から信じ込んでいることだ」

 はっきりと示された不信。その矛先は件の少女へというよりも相棒である飛龍に向いていた。

「なぜ、そいつが偽りを話しているという可能性を考えない? その女がずっとあの森にいたというのも、森を守るために外界の人間を排除しようとしているというのも、全てそいつが言っているだけで真実であるかは分からない。むしろ、そんな得体の知れない奴の言うことを信じる方がおかしいんじゃないか?」

 これには響くところがあったのか、若干の動揺を見せながら飛龍は反論する。

「……いや、彼女があの森の住人であることは間違いないよ。彼女はあの森の植物を知り尽くしていた。ずっとあそこにいた人間でない限り、あんなに詳しくなれるはずはない」

「なるほどな。だが、それならあの森に人を立ち入らせないようにしている理由については? お前の話ではその女は記憶の一部を失っていて、誰に指示されたのかも覚えていないそうだが、そんな曖昧な記憶だけで、自分の命を危険に曝そうとするか?」

 アインの疑念は尤もで、少女の行動やその動機についてはクリアスも思うところがあった。しかし、一方でその追及には全面的には賛同できないでいた。

 確かに不明な点はあるものの、話を聞く限り、少女に悪い印象は感じない。それに、目の前にいる飛龍は、そう簡単に騙される人間ではない。おそらく直接接した飛龍には、言葉や事実以上に感じるものがあったのではないか。そして、そこから苦境に立つ少女を救いたいという想いが生じたのなら、もう少しその心情を汲んでやってもいいのではないか、そう思わずにはいられなかった。

 そんな願いを抱くクリアスの前で、飛龍は重苦しく口を開く。

「……そうだね、アインの言う通りだよ。僕は少し客観的な視点を欠いていたようだ。彼女を疑いの目で見ることも必要かもしれない」

 重く深い自省の言葉。視線を落とす飛龍をクリアスは複雑な表情で見つめていた。

 物事を否定的に見ることも必要だとは思う。しかし、時には心が感じたまま進んでもいいのではないだろうか。それが悪い結果を招こうとも、自分を押し殺し、胸に重いものを持ち続けるよりは後悔がない気がする。それに、まだ短い付き合いだが、飛龍がここまで感情を行動に転化することはそうはない気がする。ならばその気持ちを尊重してあげたかった。

 ――やっぱりここは話そう

 唇を結び、クリアスは一度下げた視線を上げる。と、それと同時に飛龍も顔を上げた。

「でも僕は彼女を信じたい」

 その目には再び確固たる信念が瞬いていた。

「彼女には分からないことが多すぎる。でも、彼女は僕の命の恩人だ。だから彼女を取り巻く謎を解き明かして、彼女が助けるべき人間か確かめたいんだ。その上で必要なら力を貸したい。うまく口では言えないけど、そうすべきだと言う気持ちが胸から消えないんだ。この気持ちが消えない限り、僕は彼女を助けるために行動する。だから……」

 そこで飛龍は笑った。

「アインには違う視点から彼女を見てほしい。それでもし僕が騙されていたり、間違っていたりしてると思ったら、僕を止めて欲しいんだ」

 悪戯への許しを請う少年のような笑み。その笑みにクリアスはどきりとした。そこには一切の邪気はなく、嘘偽りない純粋な願いが溢れ出ていた。一方、アインはその笑みに虚を衝かれたとばかりに黙り込んでいたが、やがて深い溜め息を吐き、言った。

「つまり偏った見方をしてる自覚はあるんだな。その上で自分ではどうしようもないから俺に歯止め役になれと」

「ま、そう言うことかな」

「……お前、そんな他人任せの人間だったか?」

「さあね。でも今回は頼らせてもらえないかな?」

 飛龍は変わらぬ笑みで軽く答える。しかし、その目から伝わるのは曇りのない信頼と期待。クリアスは張り詰めていた空気が一気に緩むのを感じた。この時点で結論がどうなるかはもはや聞かなくても分かった。

「……やっぱりお前はろくなことに首を突っ込まないな」

 心底呆れた声。しかし、それはアインが飛龍の提案を受け入れたということに他ならない。

「ありがとう。やっぱり持つべきものは仲間だね」

 飛龍の真っすぐな謝意にアインは鼻を鳴らす。

 対極の性格にも見える二人は、結局同じ道を歩む唯一無二の組み合わせ。クリアスはそんな二人を微笑ましく見つめる。

「じゃあ、その子がまた安心して暮らせるように私たちで何とかするのね!」

 両手をぐっと握って意気込むクリアスに、アインが怪訝な視線を送る。

「どうしてお前もそんなにやる気なんだ?」

「う~ん、なんとなくかな」

 笑いながら、クリアスは数か月前のことを思い出していた。

 理の魔法の手掛かりを求め、飛龍たちと出会った街で巻き込まれることになった恐ろしい事件。だが思い返せば、命の危機に遭ったことなどは記憶の一部に留まり、むしろ三人で力を合わせ、非道な陰謀に立ち向かったという充足感、そして、街で出会った人々との間に生まれた温かい思い出の方が強く心に刻まれていた。

 この二人と困難に向き合うことで、再びあの時と同じ気持ちが味わえるような気がする。そんな不思議な高揚感がクリアスの胸に込み上げていた。――と同時に、それとは違うもう一つの想いがクリアスを奮い立たせていた。

 その大きな瞳に並々ならぬ強い光を宿すクリアス。しかし、それには気付かず、アインは飛龍の方を向く。

「しかしどうする気だ? その女の望みを叶えるということは、アルフォワースの連中と対立するということだぞ。勝算はあるのか?」

「……今のところ妙案はない。あそこがただの森なら彼女と村の人が共存する道を模索することも考えられたけど、それは無理だね。あそこはアルフォワースにとって貴重な資源のありどころのようだから」

 言いながら飛龍は左肩を押さえる。その仕草にクリアスは重要なことを思い出す。

「そうだわ。ねえ飛龍、あなたが見た森に咲いていた変わった花……その花について、王立研究所の人が言っていた名前は、本当に聞き間違いじゃないの?」

「いや、間違いないよ。あのマレルという人は確かに『アルボレセンス』と言っていた」

 飛龍の断言にアインの顔が俄かに険しくなる。

「そうか。それなら王国軍と王立研究所が突然調査を打ち切り、森への立ち入りを一切禁止したのも合点がいく。その花の確保のためだろうな」

 クリアスの背筋にねっとりとした悪寒が走る。

 アルボレセンス――ほぼダーニオン帝国のみに自生するという希少性の高い植物。そして、それはアルフォワース王国の国家機関である王立研究所、その裏に存在する機関が秘密裏に行っているという非道の研究『生物の魔物化』に必要とされる材料の一つだった。

 それがあの森にある。この村にいる王立研究所の人間が、先の魔物化の研究に関わる人間かは分からない。しかし、アルボレセンスの発見は間違いなく王立研究所に伝えられるだろう。ならば、その裏の機関があの森を手放すはずがない。

「そういえば、お前、例の女にその葉をすり潰したものを塗られたんだろう? 体に異変はないのか?」

「大丈夫だよ。むしろこれのおかげで痛みはずいぶん消えたんだ。僕も最初は不安になったけど、考えてみれば、彼女が僕に毒になるようなものを与える理由はないからね」

 軽く腕を回し、壮健なことを示す飛龍。そこへクリアスが情報を付け足す。

「そのことなら心配ないはずよ。私はあれから魔法学園エルザに帰った時に調べたんだけど、アルボレセンスという花は、普通に薬としても使われているみたいなの。だから、過剰使用でもしない限り体に悪いことはないし、ましてあなたが魔物になって私たちを襲うなんてこともないから安心して」

 最後の言葉を冗談と取ったのか、飛龍は苦笑じみた笑いを漏らす。

「そうか、それならいいが……。ただ、これからあの女を守るためにアルフォワース王国軍、それに奴らに雇われた冒険者とやり合う可能性もある。その肩で大丈夫か?」

 クリアスとしてはできる限りそうした事態は避けたいというのが本音だったが、当然、考えておかねばならぬことだった。

「厳しいけどしょうがないね。一瞬で怪我を直す方法なんてないし、こればっかりは早く回復するのを祈るしかない」

 飛龍は特に意図せずそう答えたのだが、そこからクリアスの脳裏に一つの妙案が閃いた。

「そうだ! アルジェル君に治してもらおう! ちょうど彼のところにも行く必要があったし、彼ならきっと力を貸してくれるはず」

 これぞまさに神様がくれた巡り合わせ。期待を満面に浮かべ、クリアスは飛び上がるように立ち上がる。

 飛龍が「アルジェル?」と疑問符を顔に浮かべる中、アインもクリアスに同意を示すように頷いた。

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