そして、少年は踏み出した

「影蠍団の解散が現実味を帯びてきたある日、俺は団長に話があると呼び出された。団長から告げられたのは俺の故郷、プロシス国ピレチアの近況だった。八年前の『幻惑の一年戦争』時にダーニオン帝国の侵攻を受け、一時的に占領されたピレチアだが、その後、ダーニオン帝国が撤退して一応の平穏さを取り戻した。俺はちょうどそのころ影蠍団に入団し、家族はそのままピレチアに住んでいると思っていた。だが、妹はもう街にはいないと団長は告げてきた」

 クリアスは顔を曇らせる。アインは自分より二つ上の十九歳。その妹がいくつ年下なのかは分からないが、働きだしていたとしても普通は親元から離れるような年ではない。どんな事情があったのだろうか。その疑問を見透かしたようにアインが言う。

「どうもあいつは冒険者になったらしくてな」

「冒険者に!?」

 もちろん女性の冒険者というのはいる。しかし、そういうのは何か特別な理由のある人がなるものだとクリアスは認識していた。普通に街中に暮らしている少女が一時的に憧れることはあっても、本当に冒険者になるというのはまた別の話。その名は広く認知されてはいるが、冒険者とはそれほど希望に満ちた職業ではない。先の調査隊の話がクリアスの脳裏に浮かぶ。

「でも、どうして……?」

「あいつは俺が家を出てからずっとその行方を探していたらしい。そして、それには冒険者になるのが一番だと考えたんだそうだ」

 冒険者は同業仲間や世界中にある冒険者ギルドの支部を通して、様々な情報を得ることができる。今現在、この世界で最も広い情報網に築いているといってもいい。手掛かりのない人物を一から探すなら、冒険者になるというのはある意味、理に適っているようにも思えた。

 だがクリアスはそんなことよりも、アインが言った冒頭の言葉の深奥を考える。

「……ひょっとしてアインの家族は、あなたが影蠍団に入ったことを知らないの?」

「それはそうだろう。影蠍団は裏社会の集団だからな。入団したこと自体、周囲に知られてはならない。俺の家族は、俺が暗殺団に入団したとは夢にも思っていないだろう」

「じゃあ、何も言わずに家を出てきたの? それならご家族は心配しているに決まってるじゃない!」

 少し語調が鋭くなる。だが、それは咎めるがゆえではなかった。

 突然、息子がいなくなった両親。そして、兄を探すため冒険者に身を投じた妹。残された家族の心情に思いを巡らし、痛みを堪えるようにクリアスはブランケットを握り締める。

 その様子を横目で見ていたアインは、体を起こし、視線を正面に向ける。

「団長にも同じことを言われたな」

「団長って……影蠍団の?」

「ああ、入団してそれほど日が経っていないある日、あの人は俺を呼びつけて言った。『お前、いきなり家を出てきて、残された家族がどんな気持ちになるか考えなかったのか』ってな」

 暗殺団の首魁という、非情な印象しかない人間からそんな言葉が出たことにクリアスは驚く。

「だが、はっきり言ってあの頃の俺は、自分のことしか考えていない、思慮の浅いガキだった。親は心配しているかもとは思ったが、反面、出来の悪い息子だったから、いなくなっても気に病むことはないだろうとも思っていた」

「そんなこと……!」

 言いかけてクリアスは口を閉じた。話にまだ続きがある。それを感じとり、じっとその先を待つ。

「そうしたら団長は『お前がどう思おうが、これまで生きてこれたのは親のおかげだ。家を出るにしてもそれなりのけじめはつけなければならない』。そういって、俺の家族には手紙で言伝ことづてをしてあると言ってきた」

「言伝? その団長さんはなんて伝えたの?」

「よく覚えていないな。この話を聞いたのもずいぶん昔のことだからな。『お前たちの息子はある決断し、遠い場所にいる。然るべき時まで戻らない』そういった内容だった気がする」

 そう語るアインの声は抑揚がなく、どんな気持ちを抱いているのかは見えない。

「だから一応、家族には俺が自分の意志で家を出たということは伝わっているはずだ。だが、それでも妹は俺を探し続けているらしい。それも冒険者なんかになってだ」

 アインは片膝を立てた姿勢で前を見続ける。

「お前も知っての通り、冒険者というのは常に危険と隣り合わせの稼業だ。そんな道を妹は自分の望みじゃなく、俺を探すという目的のために選んだ。俺の勝手な振る舞いで、あいつに不毛な人生を送らせるのはさすがに気分が悪いからな。だから、俺が生きているということを知らせて、家に戻るように伝えるつもりだ。それが俺にとってのいわゆる〝けじめ〟だ」

 クリアスにとって、それは不可解さを伴う回答だった。

「アインは一緒に帰らないの? 妹さんだけじゃなく、ご両親だってきっとあなたが戻って来るのを待っているはずよ」

 身を乗り出してクリアスは訴える。しかし、アインは鋭い瞳にどこか荒漠とした色を宿し、答えた。

「クリアス。お前は戻ってきた息子が元暗殺団の一員となっていたと聞いて、喜ぶ親がいると思うのか?」

 クリアスは一瞬言葉を詰まらせる。が、すぐに偽りない気持ちをその声に乗せた。

「私はアインのご両親のことは全然知らない。だから、勝手な言い分に聞こえるかもしれないけど……私はそれでも戻ったほうがいいと思う。それに……たぶん、団長さんって人も同じ考えだったんじゃないかな」

 クリアスは向けられた二色の瞳を見つめる。

「それに団長さんがアインの家族に伝えた言葉――『然るべき時までは戻らない』。その人は最初から、いつかアインが家族の元に戻ると考えていたんじゃない?」

 いつものように、アインは他人に心を読ませないとするかの如く、表情を動かさない。しかし、続く沈黙は、その胸の内で錯綜する感情の渦に耐えているがゆえにも思えた。

 その様子にクリアスは一つ間を置いた後、尋ねる。

「そもそもアインはどうして暗殺団なんかに入ることになったの?」

「……そんなことを聞いてどうするんだ?」

「聞きたいの。お願い……」

 切実な瞳とともに向けた懇願。それをアインは静かに受け止めていたが、不意に視線をクリアスから反対側にある窓へと向け、口を開いた。

「そうだな……。今思えば何も考えてなかったんだろうな」

 まるで他人事のように話すアイン。しかし、今見えている火傷の痕がないその左の顔には遠い過去の自分を憐れむような翳がかかっていた。

「ガキの頃、俺は『強さ』というものに憧れていた。それはどんな子供も一時罹る熱病みたいなもので特段の理由はなかった。ただ、さっきも言ったが、俺はガキの頃、どうしようもなく情けない人間だった。望みだけは高いくせに何事も途中ですぐに投げ出す、そんな奴だった」

 クリアスは以前聞いた、アインが魔法という力を求め、そして、それに挫折したことを思い出す。

「当然、同年代の奴らからは浮いた存在だった。そして、ダーニオンの侵攻時にこの顔の火傷を負うと、俺は気味悪がれ、疎まれるようになった。それが悔しくて喧嘩を売ったものの、結局返り討ちに遭い、逃げ帰り、ふてくされる毎日だった」

 暗い部屋の中にアインの静かな声だけが響く。

「だから俺は自分を変えたかった。そうなってようやく少しだけ本気になったんだ。それで俺は、強くなるには絶対にそうならざるを得ない環境に身を置く必要があると考えた。そんな時、偶然、俺が秘密の隠れ場所にしていた空き家に二人の影蠍団の団員が来た。そいつらは後々になってもうっかり屋だったが、その時も俺がいるとも知らず、呑気に団員の話を喋くっていた。影蠍団はその頃かなり噂になっていたから、どういう奴らかは俺でも知っていた。それで俺は、秘密をばらされたくなかったら入団させろと言った。二人は困り果てて、やむなく団長に意見を求めた。すると俺は団長に認められ、その時から影蠍団に入ることになった」

「……それだけで団長さんはアインを入団させたの?」

 秘密を知られたとはいえ、それだけで子供を入団させたことがクリアスには不思議でならなかった。先のアインの両親への配慮を考えれば、むしろその団長という人なら、アインの入団を拒否しそうなものだ。その団長という人の考えがどうにも分からない。

「当時の俺はなりふり構わず行動していただけだったが、団長は俺の何かが気に入ったらしい。とにかく俺が影蠍団に入ったのはそんな経緯だ」

 クリアスはしばし語られた話を頭の中で反芻していたが、一通り整理が終わると、少し気まずそうに率直な想いを口に出す。

「あの、こんな言い方、悪いとは思うけど………………そんな理由で?」

 それを聞いた途端、アインは小さく笑いを漏らす。その一瞬に垣間見えた、子供のような無邪気さにクリアスは思わず釘付けになる。

「そうだ、そんな理由でだ。だから何も考えてなかったと言っただろう?」

 アインとは対照的に、クリアスは言葉を失ったまま、すでに笑みの消えたアインの顔を見つめていた。

 アインが子供の頃、どんな辛さを味わっていたのかは分からない。ただ、それでも普通の生活を捨て、家族との絆を断ち、血の臭いの漂う闇の世界に身を投じる動機としては、あまりに突飛すぎるとしか思えなかった。

「それで家族から離れて……アインは後悔しなかったの?」

「後悔? したさ。入団してすぐにな」

 アインは目を細め、どこでもない、そして今でもないところを見つめる。

「影蠍団での生活は甘ったれたガキの想像など遥かに超えていた。だが、もう後戻りはできなかった。『抜けるなら死を与える』と言われたからな。だから、それから俺は、強くなるというよりは生き抜くのに必死だった。毎日が後悔の日々だった」

 感情の薄い声で語られる話にクリアスは悲哀を含んだ震える息を吐く。

「しかし、不思議なもので俺はそんな環境にも次第に慣れていった。一年も経たないうちにあそこで生活は俺にとっての普通になっていた。そして、徐々に力をつけ、影蠍団の仕事をするようになった。だが、そのうち入団の動機だった強さを求めるという願望は薄れ、いつの間にか消えていた。なぜ俺はあんな強くなりたがったのか。今ではもう自分でも分からない」

「アイン……」

 クリアスは本人が分からないと言う、その心境の変化の理由とアインという人間そのものに思いを巡らせていた。

 出会った当初からアインは他人に自分を見せなかった。しかし、それは他者との関わりを嫌厭しているからではないのかもしれない。

 影蠍団に入ったことで、アインにとって、やりたいことはやらねばならぬことに変わり、それが当たり前となった。その変化はいつしかアインという人間そのものに及び、願望は義務へと転じ、いつしか行動原理そのものとなっていたら……。

 アインは以前、自分は好きなように生きると言っていた。しかし、会話の中でアインの口から出た言葉の端々には、むしろ逆の意識が働いているように思えた。

 妹の行方を捜している理由をアインはけじめをつけるためと言った。それは一種の義務ともいえる。両親に対しても、相手のためには会うという意思があった。

 アインはそうして、一つ一つの重荷を背負い、自分を押し殺してきたのではないだろうか? それも本人の自覚もないままに……。もしそうなら、それはとても――。

「アイン、やっぱり一度でいいから家族の元に帰ってみたら……だって……」

 クリアスは潤んだ瞳で身を乗り出し、続きを言おうとした。しかし、そこで口を閉ざす。

 何も知らない他人がその先を言い切るのはあまりに傲慢に思えた。だから、クリアスはただアインを正面から見つめた。火傷のため、左右で大きく様相の異なるその顔は、アインの心の内と外を表しているようだった。

 濁りのないクリアスの瞳。そこに映る自分を確かめるかのようにアインは静かに向き合う。そして――

「クリアス……」

 その視線を下に向け、いつも以上に無感情な声で言った。

「近い……それに寝間着がはだけてるぞ」

「えっ……きゃっ!!」

 その指摘にクリアスは自分の姿を見つめ、慌てて胸元を閉じ、さらに露わになっていた太ももを隠す。

「お前、そんなに油断してると本当に押し倒すぞ」

「そ、そんなこと言わないでよ!」

「だったらもう少し用心しろ。そんなんだと襲われても文句は言えんぞ」

 顔を赤らめて身を引くクリアスを横目に、アインは平然と寝台に身を横たえる。

「もう時間も遅い。俺は寝るぞ」

 そういうとアインは習慣なのか、枕は使わず、自分の腕を頭の下に敷き、反対側を向く。流れる沈黙に会話の終焉を見て取り、クリアスも少し冷たさを帯びたブランケットを引き寄せ、その中に潜り込む。

 上から染み渡って来た寒さが徐々に強く感じられ、部屋に満ち始める。そのしんとした空気の中、不意に声が響いた。

「クリアス」

 その呼びかけにクリアスが目を開けると、アインは背を向けたまま言った。

「今日の俺はどうかしていた。今の話はただの戯言だと思って忘れろ。それとこの話は飛龍にはするな。あいつに知られたらまたどんな曲解をされるか分からんからな」

 クリアスはしばしその後ろ姿を見つめていたが、仄かに光る角灯ランプの明かりの中、小さく「うん」とだけ答える。

 その唇は嬉し気に緩んでいる一方、瞳はこれ以上ないぐらい真剣な輝きを放っていた。やがてその瞳を閉じると、優しい声で伝えた。

「――おやすみ」

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