心の底に抱くもの
いくつかの
「ここがその家かしら……」
大きめの広場程度の浮島の中心に一本の大きな樹が枝帆を広げ、その傘の下に寄り添うように一件の家が建っていた。余計な装飾が一切ないその質素な見た目は、まさしく隠者の隠れ家という言葉がぴったりだった。
訪ねるべき人を求め、クリアスは
「「あなたは……」」
訪れた者と出迎えた者の口から同じ言葉が発せられる。
突然、現れたクリアスにアルジェルは怯えたように一歩後ろに下がる。が、代わりに奥からよく通る渋い声が響いた。
「なんだ、お前の知り合いか?」
白く長い髭を伸ばした老人がアルジェルの後ろから顔を出す。
「いえ、そういうわけでは……」
否定しようとした矢先、アルジェルは「ひっ!?」と今度は明確に恐怖を表に出して後ずさる。その視線の先には、クリアスの背後で黙って佇むアインがいた。
その風貌とちょっと愛想のない表情から、アインは初見ではどうしても敬遠されがちだ。ひとまず落ち着かせようと、クリアスはできるだけ柔らかい声で話しかける。
「アルジェル君。それにシチパスさんですよね。突然お邪魔してすみません。実は私たち、ハンナさんからアルジェル君がここにいるんじゃないかと聞いてきたんです」
そう告げると、アルジェルの顔から怯えの色が少しだけ消える。
「おばあちゃんから? ひょっとして、あなたたちはおばあちゃんの知り合いなんですか?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど……」
どう説明するべきか迷うクリアスに、アルジェルは不安げに首を傾げる。するとその後ろにいたこの家の主、シチパスが、見た目とは裏腹に年齢を感じさせないはっきりとした滑舌で話す。
「まあ、とにかく中に入ってもらえ。何の用かは知らんが、こんなところまで来る物好きだ。それなりに面白い話を持ってきたんだろう」
「いいんですか?」
「ああ、かまわん」
シチパスはそう言いながら部屋の奥へと向かう。その後ろ姿をアルジェルは意外そうに見つめていたが、やがて「どうぞ」とクリアスたちを招き入れた。
シチパスが気難しい性格だと聞いていたクリアスは、少し緊張しながら部屋の中に足を踏み入れる。と、そこで目に入ってきた光景に思わず足を止めた。
「何これ……」
縦長の部屋には文机と奥に簡素な
「それで? お前さんたち、何の用があってここにきた?」
シチパスが奥から飲み物が入ったポットを持ってきて、机の上のカップに注ぐ。聳え立つ本の塔に目を奪われていたクリアスは、慌ててシチパスとアルジェルに向き直る。
「すみません。私はクリアス・ベンジェアンスといいます。彼は友人のアイン。この村には『
本来なら、虐めにあっていたことなど進んで人に話すべきではないだろうが、この村の住人である以上、このシチパスという老人もアルジェルを取り巻く事情は知っているはず。そう踏んでクリアスは事実をありのままに伝えた。
「アルジェル君、怪我は大丈夫?」
いいながらクリアスが近寄ると、アルジェルはなぜか少し奥に下がり距離を取る。その額の傷は前髪で隠れていて見えない。それだけかと思ったのだが……
――えっ? 傷が……ない?
前髪の下には手当ての跡どころか傷自体がないように見える。怪訝な表情を作るクリアスの視線を遮るように、アルジェルは右手を額に翳し、横を向く。
「大したことないですから……」
「でも……」
――まさかもう傷が治った? そんなはずは……
そこでクリアスはあの少年たちの言葉を思い出す。
――そいつは化け物だから、明日には平気な顔してるぜ
しかし、魔族の体は基本的に人間と同じで、すぐに傷が癒えるなどということはないはず。このアルジェルという少年にはまだ何か秘密が……
と、そこまで考えたところで、シチパスが話に入って来る。
「お嬢さん、あんたはこいつの傷を見たのか?」
「……はい」
「じゃあ、こいつが魔族の血縁だということも分かってるんだな?」
「はい、実はそのことで謝りに来たんです」
クリアスはここに来た目的を思い出し、抱いた疑問を先送りにする。
「さっきはごめんなさい。あなたを不快にさせるような態度をとってしまって……。あなたの血が何色であろうと、私は躊躇わず、手を差し出すべきだった。だから謝りに来たの」
そう言ってクリアスは深く頭を下げる。
「ごめんなさい」
その謝罪をアルジェルは茫然と見つめ続ける。そのまま動かない両者に、見かねたシチパスがアルジェルに促す。
「おい、そのお嬢さんが謝ってるんだ。何か言うことはないのか?」
アルジェルは、はっと我に返り、両手を前で振る。
「そんな、頭を上げてください。僕はそんなこと全然思ってませんでしたし、そ、その……」
謝られた方が気まずそうに口籠るのを見て、シチパスが溜め息を吐く。
「しょうのない奴だな。お前、その人見知りは何とかならんのか。とにかくお嬢さん。そいつは気にしてないってことだから、もう頭を上げな」
促されてクリアスが顔を上げると、アルジェルは所在無さげに目を泳がせていた。
女の子のような顔立ちに、そんな仕草が加わると一層可愛らしく見える。さらにそこから伝わってくる純粋さにクリアスは思わず顔を綻ばせる。
「なんだか逆に困らせちゃったかな?」
「いえ、そんなことはないですけど……」
覗き込むように笑いかけるクリアスに、アルジェルは顔を真っ赤にしながら、俯く。
「なんだ? お前、ひょっとして色気づいてるのか。ま、そろそろお前も女に興味を持ってもおかしくない年頃だしな」
「ち、違います! そんなんじゃないです! ただ……」
赤い顔のまま必死に否定していたアルジェルは、急に
「僕が半魔族であることを知りながら、こんな風に接してくれる人は初めてだったので……」
その言葉だけで、この少年がこれまでどのような扱いを受けてきたかが伺い知れた。少年の美しい顔の裏に秘められた悲哀を感じ取り、クリアスは口を噤む。
互いに次の句を言い出しにくい空気の中、代わりにシチパスが口を開く。
「別に不思議なことじゃない。
厳とした声に混じる、村民に対する嘲りの響きにクリアスは複雑なものを感じた。だが、それよりも今のシチパスの言葉の中で、もっと気になったことがあった。
「あの、私、
「いや。だが、その制服を見れば分かる。細かいところは変わっているようだが、
「
驚くクリアスの横で、アルジェルが思い出したかのように呟く。
「そういえば、先生は昔、エルザという魔法学園の教員だったって……」
「
思わぬ経歴にクリアスはシチパスを二度見する。
「もう、随分昔の話だがな。しかし、魔法学園の生徒とはいえ、なんだってこんな辺境くんだりまで『
「私、特別研修生で研究のために近くの街まで来てたんですけど、そこでこの村の『創造の花』の話を聞いたもので……」
それを聞いたシチパスの目がすうっと細められる。
「ほう、特別研修生か。優秀なんだな。それで一体何の研究をしてるんだ?」
その値踏みするような視線は、研究課題の妥当性を裁定する魔法学園の審査官を彷彿とさせた。クリアスの背に自然と緊張が走る。
「『
するとシチパスは虚を衝かれたように目を見開き、それから盛大な笑い声を上げた。
「理の魔法とは、これまた随分と酔狂なことをやってるんだな。よくあんな古代人の戯言かもしれないものに時間と労力を注ぎこむ気になったものだ。そんなことより、その優秀な頭はもっと有意義なことに使うべきじゃないのか?」
相手の心情を斟酌しない無遠慮な物言いに、クリアスはむっと顔を顰める。
「理の魔法は存在します。私はいつかこの魔法を多くの人が使えるようになって、人々を幸せにすると信じています」
大きな瞳に決意の輝きを乗せ、挑むような視線を向ける。そんなクリアスをシチパスはじっと見つめた後、口の端を上げた。
「そうかい、あくまで自分の道を貫こうというんだな。まあ、好きにすればいい。なんだったらここにある本でも読んでいくか?」
「えっ?」
最後の言葉にクリアスは首を傾げる。すると、シチパスは面白がるような笑みを浮かべながら、一つの本棚を指さす。
「そこにあるのは、昔、王立研究所にいた人間が理の魔法について調べたものだ。一般には出回っていない半分趣味で作られたような本だがな」
「ほんとですか!?」
クリアスは駆け寄るようにその本棚に近づき、身を屈める。最下段の段を覗き込むと、それらしい背表紙があった。
「読んでみてもいいですか?」
シチパスは何も言わず、手で許諾の意を送る。
趣味で作られたという割にはしっかりとした装丁の本だった。それを取り出し、軽く目を通した直後、クリアスは食い入るように顔を近づける。
「これって……!」
表紙に記された著者の名前は知らない。しかし、その内容は、斬新な視点から捉えたアルトリア文明の歴史についての論考、そして、これまでの資料にない未知の理の魔法を書き綴ったものだった。
「どうだ? 少しは為になるか?」
「凄い、この本が存在していたなんて……。これを書いた人は今どこにいるんですか?」
「さあな。儂もそれは王立研究所の知り合いから貰ったもので、書いた奴は知らないんだ」
ひとまず著者のことは棚上げし、クリアスは夢中で内容を読み耽る。読み進めるにつれ、流れ込んでくる新たな知識に脳が火照り出す。しかし、湧き上がる興奮を一旦沈め、クリアスは手に取った本を抱きしめたまま振り返る。
「あの……一日だけでいいんです。この本を貸してくれませんか?」
その申し出にシチパスは怪訝な表情を作る。
「借りてどうするんだ? まさか一日でその本の内容をすべて頭に入れようってのか?」
手の中の本はかなりの厚さがある。普通に考えれば一日ですべてを読破するのは無理な分量だった。
「それは……何とかします」
「まあ、この村にいる間なら貸してやってもいいぞ。ただし、それは私の貴重な蒐集品の一つだからな。大事に扱えよ」
「はい。ありがとうございます!」
まさかこんな収穫があるとは思っていなかった。抑えきれない喜びに、クリアスはもう一度表紙を見つめると、頬擦りするように本を抱きしめる。
と、小躍りするように顔を上げた瞬間、茫然とこちらを見つめるアルジェルと目が合う。そこでようやく周囲との温度差に気付き、慌てて体裁を取り繕う。
「ご、ごめんね。私一人で盛り上がっちゃって……」
「いえ……いいんです」
当然戸惑ってはいたが、目を逸らされることはなかった。少しは打ち解けてきたかなと、クリアスはさらに親しい雰囲気を作ろうとそれとなく話を振る。
「そういえばさっきアルジェル君はシチパスさんのこと、先生って呼んでたけどどうして?」
「それは……いろいろ教えてもらっているので……」
「そうなんだ。それって学校の勉強?」
「いえ、学校の勉強はおばあちゃんに教えてもらってます。ここでは別のことを……」
「別のこと?」
確かに通常の学習なら、学長であるハンナが教えてくれるなら充分すぎる環境だ。だとしたらここには何か特別なことを学びに来ている? すると、クリアスの中でこれまでに知り得た事実が一つの線に繋がる。
「まさか……。アルジェル君、あなた魔法を学んでいるの? もしかしてその額の傷は……」
その推測になぜかアルジェルは表情を強張らせる。代わりにシチパスが片側の唇の端を上げ、頷いた。
「さすがに魔法学園の学生なら気付くか。ご明察だ、お嬢さん。こいつは頭の傷を自分で治したんだ。習得した回復魔法でな」
「本当に!? すごいじゃない!」
瞳を輝かせて飛び跳ねんばかりに感激を顕すクリアス。その驚きぶりにアインが口を開く。
「回復魔法というのがあるとは聞いたことがあるが、そんなに驚くことなのか?」
「回復魔法は有名だけど、実際に使える人はごく少数なの。今の
癒しの魔法は地域によっては奇跡の御業とされ、力を持つ者を聖人として認定する国もある。現に、昨今進歩が著しい医療技術でも、一瞬で傷を治すことなどできない。つまり回復魔法とは、苦痛や死から人々を救済する神から授かった力といっても過言ではないのだ。
魔族は優れた魔法の素質を有している。そうとは聞いていたが、こうして目の当たりにするとクリアスは改めてその才能が羨ましくなった。
「ある時、こいつが魔法を教えてほしいと言い出してな。だが、いくら魔族の血を引いているといっても、魔法はそう簡単に習得できるものじゃない。指南は引き受けたものの、儂はすぐに投げ出すと思っていた。ところがこいつは泣き虫のくせに意外に根性をみせてな。今やよほど重傷でなければ癒せるまでの力を出せるようになった。ただ、攻撃魔法の方はからっきしでな。まだまだ修行不足であることは否めん」
シチパスにじろりと睨まれ、アルジェルは恐縮して俯く。だが、クリアスはその突き放すような態度の中に、教え子を誇りに思う温かみをはっきりと感じ取った。
それに今、シチパスが本当に言いたかったこと――魔法の習得は才能でなく、心に決めたことをやり抜く意志の強さがあるかどうか。それはクリアスにとっても心に沁みる言葉だった。
アルジェルもそれが分かっているのか、その表情はどことなく照れくさそうに見える。と、その時、これまでの話からすると少し奇妙に思える、一つの疑問が浮かんだ。
「ねえ、アルジェル君。あなたが魔法を使えること、村の人たちは知らないんでしょ?」
「ええ、そうですけど……」
あの乱暴な子供たちもアルジェルの傷がすぐに癒える理由を知らない。だからこそ、あんな罵倒を浴びせたのだろう。
「それじゃ、ぜひ村の人たちにも知ってもらいましょう。あなたがこんな素晴らしい力を使えると分かれば、みんな……」
「やめてください!!」
突如上がった叫び声が全ての思考を吹き飛ばす。目の前のアルジェルはこれまでとは別人のように激しい剣幕で否定の意志を示していた。
「僕が魔法を使えることは誰にも言わないでください」
「……どうして? あなたの怪我がすぐに治る理由、そしてあなたが人々を救う力を持っていると知れば、村の人たちの目も変わるはずよ」
「いえ、たぶんそうはならないです」
言い回しは推量であるにもかかわらず、それは確信めいた有無を言わせぬ主張に聞こえた。
「お願いします。このことはどうかここだけの話に……」
険しさを懇願に変え、アルジェルは訴える。その顔はひどく苦し気で、悲愴な真剣みを帯びていた。だから――
「分かったわ。村の人には言わない……」
クリアスはそう言うしかなかった。その返事に安堵したように、アルジェルは全身から力を抜き、そのまま、シチパスの前まで歩み寄る。
「先生、僕はそろそろ帰ります。また、明日もご指導お願いします」
「ああ、家でもしっかり基礎鍛錬をやっておけよ」
「はい」
短い返事とともに一礼をし、アルジェルはクリアスにも小さく頭を下げると、その場から逃げるように扉を開け、出て行ってしまった。
締め付けるような静けさが襲ってくる中、クリアスは息苦しさに耐えかねて口を開く。
「あの、シチパスさん……」
「どうして魔法を使えることを秘密にしているのかってことか?」
口に出す前にシチパスから言おうとしていた問いが発せられる。そして、その細められた目がクリアスを推し量るように射抜く。
「さてな。
この言いぶりは明らかに理由を知っている。しかし、シチパスはそれを話すつもりはないらしい。まるで事情を知らない人間が当惑するのを楽しんでいるかのようだ。いや……
――ひょっとして……何かを試されている?
それが単なる意地の悪さであれ、人を量っているのであれ、なぜそんなことをするのか、クリアスにはその心情が理解できなかった。
「ところでお前さんたち、ハンナから聞いてここへ来たんだったな?」
「ええ、そうですけど……」
先の問いかけの意図を悟らせないまま、シチパスは話を変える。
「ハンナは儂について何か言ってたか? 人嫌いの偏屈なじじいとでも言っていたか?」
急な話の転換に面食らいながらもクリアスは首を振る。
「い、いえ、そんなことは……この村でアルジェル君が気安く話せるのはシチパスさんだけとは言ってましたけど」
「ふむ……そうか」
――少し変わってるとは言ってたけどね。たぶん、気を遣って……
と心の中で付け足しながら、クリアスは、何かを考えるように顎髭をさするシチパスを見て――そこで奇妙な違和感を覚えた。
――そういえばハンナさんは、シチパスさんが
クリアスの中で疑念がさらに膨れ上がる。
――それにハンナさんはアルジェル君が魔法を使えることもたぶん知ってる。回復魔法を使えると知っていたからこそ、怪我をしたと聞いてもそれほど心配していなかったんだわ。でも、これも私には隠していた……。
ハンナの不可解な言動にクリアスの胸中に不快な靄が渦巻きだす。クリアスがその思考の迷路を彷徨っていると、
「爺さん、俺からも訊いていいか?」
アインが唐突に口を開いた。これまでほとんど話に加わろうとしなかったアインからの問いに、シチパスは怪訝な表情をしながらも「なんだ?」と質問を承諾する。
「あの坊主は自分から魔法を習いたいと言ってきたんだよな?」
「ああ、そうだが?」
「それならそう言い出した時、あいつは回復魔法と攻撃魔法、どっちを覚えたいと言った?」
それを聞いた途端、シチパスの目が僅かに眇められる。しかし、その感情の揺れを押し殺すように、シチパスはあくまで気難しい老人という様相のみを表に残す。
「……別にどっちとは言っておらん。あいつはただ魔法を覚えたい、そう言っただけだ」
「なるほどな」
アインはその一言だけで話を切り上げた。しかし、クリアスにとってもそれで十分だった。
先のシチパスから投げかけられた問い――それに対する答えが今のアインの質問で明確な輪郭を持って浮かび上がってきた。
対してシチパスは、少し不機嫌そうな顔で机の上のカップを片付け始める。
「さて、もう日が暮れる。お前さんたち、これ以上、用がないなら帰んな。儂も夜は静かに過ごしたいんでな」
「はい……。シチパスさん、本、ありがとうございます。読み終えたらまた返しに来ます」
「おう」
クリアスはアインと一度視線を交わし、シチパスの家を出た。
村の中心部の『実りの
「アインって、あまり人と話さないけど……物事の急所はしっかりと見てるのね」
向けられる輝きをアインはちらりとだけ見る。
「別にそういうことじゃないがな。俺は他人と長々と話すのが嫌いだ。だから、話を聞いて必要だと思うことを言葉にしているだけだ」
「それって結構簡単なことじゃないと思うけどね」
軽く笑って賞賛を送ったあと、クリアスは憂いを帯びた眼差しを前に向ける。
「……ねえ、魔法を使える人間ってアインからみたらどうなの?」
アインはしばし黙ってそれを受け止めた後、静かに口を開いた。
「お前は魔法が身近な環境にいるから、こういう意識に気付き難いだろうが、普通の人間からしたら、魔導士というのは間違いなく恐れの対象だ。なにせ理屈では説明できない得体の知れない力を扱えるんだからな。いわば見えない刃を持ってる人間と同じだ」
なぜ魔法という力が存在するのか、なぜ使える人間と使えない人間がいるのか、それらは未だに分かっていない。そして、この不思議な力にも魔物、魔族と同じ『魔』という言葉が入っている。
「俺が昔、魔法に憧れたのも、普通の人間が持ちえない力を持つことは、それだけで強さに繋がると思ったからだ」
「……アインは、強くなりたくて魔法を覚えようとしたの?」
過去にアインが魔法を習得しようとしたことは知っている。だが、その理由までは知らない。アインという人間をまた一つ知ることができるとクリアスは仄かに期待を寄せた。しかし、
「魔法を覚えようと思う人間は、大抵そういう考えじゃないのか? だから、俺はあの質問をした。……まあ、お前は違うようだがな」
先の質問には答えず、アインは視点をシチパスの家での出来事へと変えた。アルジェルが魔法を使えることを秘密にする理由へと……。
「でも、あの子はそんなことするような子には見えないわ。それにあの子が使えるのは回復魔法だけみたいだし……」
「そうか? 少なくとも俺があいつの立場なら間違いなくそのために魔法を覚える。それに回復魔法しか使えないというのは結果論だ。あいつはどちらを覚えたいとも言わなかったんだからな」
こういう時のアインは容赦がない。クリアスは縋りたい希望が打ち消されていくのを感じる。
「だから、もし村の人間があの坊主が魔法を使えると知ったら、きっとあの爺さんにこう質問するだろう。『回復魔法が使えるなら攻撃魔法も使えるんじゃないか?』ってな。つまり村の人間は、間違いなくこれまでの差別に対する報復を恐れるはずだ」
ついに核心を口にしたアインに、クリアスはやるせない気持ちで唇を結ぶ。
クリアスは、悪意を持って魔法を使用するということを考えたことがなかった。そして、アルジェルもそういう人間だと信じている。しかし、村の人々はそうは見ない――いや、見れないだろう。そこに至らず、短絡的に魔法を開示しようと言ったことをクリアスは深く恥じた。
それに本当のところ、アルジェルの心の底に何が秘められているかは分からない。アインの言うように、もし自分がアルジェルのような境遇だったならと想像した時、クリアスは黒い感情を自制できると言い切れなかった。
「あの坊主の本心がどこにあるのかは知らんが、いずれにしろ村人には魔法を使えることは話さない方がいいだろうな」
「うん……」
力なく頷きながら、クリアスはハンナの言動を思い返していた。
――アルジェル君が魔法を使えることを黙っていたのは、私たちと同じことを考えたから? でも秘密にしたいならどうして私たちをシチパスさんのところに?
アルジェルを取り巻く人々の思惑は、想像以上に複雑に絡み合っているのかもしれない。ハンナを前にして感じた通り、この先は踏み込まない方がいいのだろうか。しかし、アルジェルが現在の境遇のまま生きることもあってはならない気がした。
黄金色が徐々に朱色になりつつある道を無言で歩く。そして、クリアスは決心した。
やはり、このままにしておけない。一人の少年を理不尽な偏見の渦に囚われたままにしてはならない。そのためには、アルジェルを初めとする人々をもっと理解する必要がある。
「アイン。私、明日、またアルジェル君たちと話してみる」
力強く前を見据え、クリアスは霧の海の上に浮かぶ台地を踏みしめる。
その横顔にアインは「そうか」と平坦な声で応えた。しかし、その口元は、クリアスが気付かないぐらい、ほんの少しだけ緩んでいた……。
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