膨れ上がる疑念

 落ち着いた雰囲気の居間には、これまでのハンナの教師としての功績を讃えた数多くの賞状や賞杯トロフィーが飾られていた。それらを眺めていたクリアスたちの前にフレーバーティーが出され、ハンナがそっとクリアスたちの正面のソファに腰を下ろす。

「ごめんなさい。そういえば、まだ私から名乗ってなかったわね。もう知っているかもしれないけど、私はこの村のシンデルテ初等学校の学長であり、アルジェルの祖母であるハンナ・セイジ・シュライハルトよ。よろしくね」

 玄関での対応とは打って変わって、友好的な雰囲気を醸成するその笑顔は、さすがに多くの人の上に立つ、一つの組織の長たる貫禄を感じさせた。

「それじゃ聞いてくれるかしら。あの子がなぜ魔族の血を引いているのかを」

 笑顔のまま迷いなく切り出すハンナにクリアスの方が戸惑いを示す。

「あの、シュライハルトさん……本当にいいんですか? 私たちのような部外者にそんな大事なことを話して……」

「ハンナでいいわよ。ええ、これはあの子のためにしていることでもあるから」

「あの子のため?」

 ハンナが頷く。

「これはあなたたちが部外者だからこそ話せることなの。この村の人たちは古い通念に捕らわれていてね。どうしてもそこから抜け出せないの。でも、あなたたちは多少なりとも魔族に理解があるようだから、あの子のことを知ってもらいたいの。そしてあの子と話をしてあげて」

 クリアスの身体にじわりと緊張が走った。ハンナの真意は、果たして言葉そのままのものなのだろうか。しかし、その真偽は別にして、嫌がるどころかむしろ積極的に話そうとしているその姿勢に、何か簡単には降ろせぬ期待を背負わされようとしている、そんな予感を覚えた。

 このまま安易に踏み込んでいいものか。不安が顔を覗かせるが、そもそも会いたいと言って尋ねたのはこちらだ。ここで身を引くのは非礼に思えた。生じた躊躇いを胸の奥に押しやり、クリアスは覚悟を決める。

「分かりました。お話を伺います」

 その返事にハンナは穏やかな目で頷き、過去を遡り、語り出した。


 あの子についてやっぱり一番気になるのは誰から魔族の血を受け継いだかということでしょう? だからまずはそこから話を始めるわ。

 あの子の母親の名はリゼーナ。私の娘よ。娘は普通の人間。つまり魔族なのは父親の方。どこにいるかって? 父親は分からないわ。私は会ったこともないから。娘のリゼーナは六年前、アルジェルが六歳の時に天に召されたの。

 リゼーナは小さいころから物分かりはいいし、何をするにも要領がよくて親の贔屓目なしによくできた子だったわ。早くに夫を亡くして、私は女手一つであの子を育てなければならなかったけれど、母親としての苦労はほとんど感じなかったわね。

 ただ、一つあげるとすればあまりに好奇心が強すぎてね。出先の街で一人で遠くに行っては、私が必死に探し回ったのは一度や二度じゃなかったわ。ただ、当の本人は、ちゃんと自分の行動範囲は分かってるって、私の叱責なんかどこ吹く風で小さな冒険を繰り返していたわ。実際、リゼーナは必ず私と別れた場所に戻ってきて、迷子になったことは一度もなかったのよ。

 リゼーナは学業面でも優秀でね。特に古代文明の歴史に興味を持つようになったわ。そして、中等教育を卒業するころには、考古学者になる夢を持ち始めたの。そして、当然のごとく考古学者になったわ。あの子の知性と行動力、それに探究心を活かすには考古学者はまさに天職だったわね。

 リゼーナは独り立ちするとすぐに遠い地へ旅立ってしまって、私は少し寂しかったけれど、近況は手紙で知ることが出来たし、若くして一流の学者として活躍する姿は本当に誇らしかったわ。

 でもそんなとき、リゼーナから突然帰郷するって手紙が届いたの。そして、間もなくして、リゼーナは帰ってきた。でもあの子は一人じゃなかった。その手には片言をしゃべり始めたばかりのアルジェルが抱かれていたわ。

 一体どういうことなのか事情を尋ねると、リゼーナは「旅先で出会った男と恋に落ちて、アルジェルを身籠った。ただ、予想外の妊娠だったから、なかなか言い出しづらかった」と説明したわ。私は、父親はどうしたのかと訊いたら「死別した。それで一人で育てるのは不安だから戻ってきた。この村でこの子を育てるのを手伝ってほしい」と頼んできたの。

 私は、あの子は浅はかな行動をとるじゃないと思っていたから、その経緯には疑念を持ったけど、あの子も傷心の中、戻ってきたのだし、夫を亡くして一人で子育てする不安は十分すぎるほど分かっていたから、二つ返事で了承したわ。それに一人娘が産んだ子供――私にとっての初孫に嬉しさを覚えたのも事実だったわね。

 それからしばらくは三人での穏やかな生活が続いたわ。あの時は本当に幸せだった。でも、あの日……、私はその裏に隠された秘密を知ることになったわ。

 あれはアルジェルが四歳の時のこと。アルジェルを連れて外で遊ばせていたとき、あの子が転んで手を切ったの。その時、私は初めてあの子の血の色を見たの。慌ててアルジェルを連れて帰って、リゼーナに詰め寄ったら、あの子はまるで些末なことみたいに淡々と言ったわ。

「父親が魔族なの。それだけよ」

 そこからは「なぜ黙っていたのか」と言う私と、「半魔族であることで何が変わるの」と言うリゼーナとの間でしばらく言い争いが続いたけど、ともかく今後のことを決めないといけなかったから、私はこのことは村の人には秘密にしておこうと言ったわ。その提案にリゼーナは一応の同意を示したけど、すぐにこうも言ったわ。

「いいわよ。でも遅かれ早かれ、いつかばれるわ」

 その言葉の通り……というより、対策を考える暇もなく、次の日には騒ぎになったわ。アルジェルが怪我したところを見ていた人がいたの。話はあっという間に村全体に広まって、この村には置いておけないという意見が大半を占めたわ。でも、リゼーナは屈せず「魔族の何が悪いの」と言って堂々と村での暮らしを続けた。この国の法律では魔族だからって、強制的に立ち退かせることなんてできない。そんなことをしたら逆にそう強いた方が罪に問われる。怜悧なあの子はその辺りはちゃんと分かっていたのね。私も実の娘と孫を追い出すなんてできないし、魔族は恐れたりするものじゃないって知ってたから、村の人たちには、気持ちは分かるけども理解して欲しいと説得して、リゼーナたちがこの村で暮らすことを了承してもらったわ。

 それからあの子たちは偏見や差別の目に曝されるようになったけど、それでも二人は親子でささやかな幸福を享受していたわ。

 でも、それも長くは続かなかった。アルジェルが半魔族だと判明して一年が経ったころ、リゼーナが胸の病を患ったの。お医者様に診てもらったけど、その病は今の医療では治す方法がなかったのよ。余命は長くて一年と言われたわ。

 蔑みの眼差しを向けられている息子を一人残して逝かなければならないなんて、さぞ悔しいはず。私はあの子に何ができるだろうと悩んだわ。でもあの子に悲観する様子は全くなかった。ベッドから降りられなくなってもいつも通り、明るく振る舞い、笑顔を絶やさなかった。

 そして、一年後、あの子は天に召された。その最後の別れ際、私にこう言ったわ。

「母さん、アルジェルのことをお願いね。あの子の将来なら心配ないわ。あの子には天使がついているもの」

 その言葉の意味は、私にはよくわからなかったけど、ともかく娘の遺言に応えるため、それからは私がアルジェルを育てているの。あの子も母親譲りの聡明な子で将来きっと大成すると思うわ。ただ相変わらず村の人たちの目は冷たくて、大人たちはさっき聞いた子供たちの様にあからさまに邪険にはしないけれど、疎ましく思っているのは確かでしょうね。早くあの子が普通に暮らせる日が来てほしいわ。


 話を聞き終えたクリアスは、唇を結び、テーブルに置かれたティーカップをじっと見つめていた。ハンナの口から告げられたアルジェルの境遇は、ある意味予想通りだった。

 ここに来る前、アルジェルはハンナと二人暮らしだと聞いていたので、両親が不在なのは分かっていた。そして、その話をする宿の女将さんからは、隠そうとはしているものの、明らかに進んで話したくないという空気が滲み出ていた。ゆえにアルジェルの血筋に関する偏見は、聞いていて辛くはあったが驚きはなかった。ただ、今の話でどうしても聞いておきたいことがあった。

「あの、リゼーナさんはアルジェル君のお父さんは亡くなったって言ってたんですよね? でも、ハンナさん、最初に父親がどこにいるか分からないって言ってませんでした?」

 その質問にハンナはどこか仮面のような感情の見えない表情で頷く。

「ええ、そうね。でもあれはあの子がそう言っていただけだから」

「……そうするとハンナさんは、アルジェル君の父親は生きていると思ってるんですか?」

 ハンナはフレーバーティーで軽く喉を潤し、カップを見つめたまま答える。

「もちろん事実は分からないけど、あの子はアルジェルが魔族の血を引いていることを黙っていたわ。それなら父親についても本当のことを隠していたとしても不思議じゃないわ」

 妙に冷たく聞こえるその声に、クリアスはハンナとリゼーナの微妙な親子関係のずれを感じずにはいられなかった。しかし、それは邪推であるような気もしたので、それ以上深くは考えないことにした。

「話はこれで終わりだけれど、あの子はまだ帰ってこないわね。あなたたち、もう少しここで待ってみる? それとも心当たりのある場所があるからそこに行ってみる?」

 そういえばさっきどこにいるか見当はついているとハンナは言っていた。それならば……、

「それじゃ、そこに行ってみます。場所を教えてくれませんか?」

 クリアスは迷わず答える。今はそうしたい気分だった。

「あと、もし会えなければ、明日、またここにお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「ええ、いいわよ。というよりも、会えたとしてもここには来てほしいの。あなたとあの子がどんな話をして、あの子が何を感じるのか。そしてあなたも何を感じたのか。私も知りたいからね」

 やはり何か妙な圧を感じる。クリアスの中で一層疑念が膨らむが、気安い雰囲気で話を続けるハンナからは、その根底にあるものを読み取ることはできなかった。

「あの子はたぶん、村のはずれの浮島イソラに住んでいるディミトリス・シチパスという人のところにいるわ。村の中心部の『実りの浮島』からずっと西へ橋を渡っていけば着けるはずよ」

 その説明にクリアスは即座に浮かんだ疑問を口にした。

「あの……その人はアルジェル君が半魔族だって知っているんですよね?」

 村の人間なら当然、知っているはず。それなのにハンナはそのシチパスという人物とアルジェルが一緒にいることに不安は感じていないようだ。ならば、二人はどういった関係なのだろうか。その疑問を見越したようにハンナが答える。

「その人は、ちょうどアルジェルがこの村に来たのとほぼ同じ時期に、村の外からやってきた人なんだけど、独特の価値観を持っている人でね。アルジェルが魔族の血を引いていることも全然気にしないのよ。ただ、今言ったように少し変わってて、隠遁生活のような暮らしで村の人とはほとんど関りを持っていないの。悪い人ではないんだけど」

 そんな人間のところに孫を一人行かせて不安ではないのだろうか。再度疑問が浮かぶが、ともかくその人物に会ってみようと、クリアスは話を進める。

「分かりました。私に何ができるか分かりませんが、ともかくアルジェル君に会ってみます」

 礼を言ってクリアスは席を立とうとする――が、そこへ横から声が飛んだ。

「その前に俺からも聞きたいことがある」

 それまで身じろぎ一つせず座っていたアインが、そのままの姿勢で尋ねる。

「その坊主は村の橋に火を付けたと他の子供から責められていたようだが、それについてあんたはどう考えているんだ?」

 その唐突な質問に驚いたのか、ハンナは僅かの間、言葉に詰まる。が、すぐにその動揺から脱し、真摯な瞳で答える。

「悪事を働くのに血筋は関係ありません。要はその人がどういう人間であるかです。あの子は虫一匹殺すのも躊躇う優しさを持っていますし、悪意を人に向けるような子ではありません。私は決してそんなことはしていないと信じています」

 その答えを僅かな沈黙をもって受け止めた後、アインは「そうか」といって立ち上がった。クリアスはそんなアインを少し見上げた後、遅れて席を立つ。

「すみません。それでは今日のところはこれで失礼します」

 シュライハルト家を後にした二人は元来た道を戻り、西へ向かう。村外れというだけあって、シチパスという人物がいる浮島イソラまではそれなりに距離はありそうだった。

 時間は十分ある。そこへ向かう道を歩きながらクリアスは横で歩くアインに尋ねた。

「アイン……、最後、どうしてあんなことを訊いたの?」

 地面に目を向けたまま歩くクリアスを一度横目で見た後、アインは視線を前に戻して答える。

「一応、確認しておこうと思ってな。あれでまだ決定的でないことは分かった。お前も同じものを感じたんじゃないのか?」

 その声には微妙な険が感じられた。

 アインが言わんとしていることは、クリアスには十分わかった。魔族の血を引くことになったアルジェルの出生にまつわる話。その端々から伝わってきたハンナが抱いている感情。

 しかし、それはあくまで印象に過ぎない。言葉というものは深読みすればいくつもの意味にとれてしまう。だから、クリアスは否定も肯定もせず、下を向いたまま、ただ長い睫毛を憂いとともに伏せるのみだった……。

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