再会

 魔族――人で在りながら、人で在らざる者。この種族が蔑視される理由はその呼称にある。

 生まれつき魔力に秀でた種族。そうした意味で魔族という名称は生まれた。だが、「魔」という響きから、いつしかそれが魔物と同種、または魔物から転じた存在という誤った偏見が生まれ、それが広く世間に浸透し、今日では差別の対象となっている。くだらない理由だが、それが現実である。

 実際のところ、人に忌み嫌われるこの種族は魔物とは全く関係がない。種としては限りなく人に近く、両者の間には子供もできる。だが、魔族と人では決定的に違うところがある。それは魔族の血の色が紫色であるということだ。血は古くから純粋さの象徴でもあり、穢れの象徴でもある。人とは違う血の色が魔族に対する歪んだ印象を増長させたことは間違いない。

 そうした魔族と人との混血児ハーフは、皆、紫水晶アメジスト色の髪をしている。人の中にもそうした髪の色の者がいるので、それだけでは混血児だとは分からないのだが、血は人と魔族の血を混ぜ合わせたような赤紫色をしているので、一目で違いが分かる。あと付け加えるなら、なぜか見た目が美しいものが多いということだろうか。そして、魔族と人の混血児は、人の血を穢したものとして、地域によっては純粋な魔族以上に迫害の対象とされてきた。

 クリアスは少年を探して、村の中心部に来ていた。額の傷の具合も気になったが、それ以上に少年の境遇が心配だった。なぜこの村にいるのか、どうやって暮らしているのか。あの赤髪の少年たちの話しぶりから、平穏に暮らせているとは思えなかった。

 そして、それとは別に、胸に刺さる棘のような痛みにクリアスは急き立てられていた。

 魔族についての書物はいくつも読んだ。クリアスは魔族に関する正しい認識を得ているつもりだった。しかし、少年の額の血を見た時、とっさに差し出した手を止めてしまった。その後も足が動かなかった。

 胸の前で右手を握る。その下で続く疼きにクリアスはいつしか駆け出していた。

 少年がどこに住んでいるのかは、この規模の村であれば村民は誰でも知っているはず。それにおそらく少年が半魔族であることも……。

 探しているうちに目の前に人だかりが現れた。その原因をクリアスはすぐに察する。麓の街レゼントで聞いた話から、おそらくあの向こうは『創造の花リグレッタ』が公開されている集会所に違いない。クリアスは一度立ち止まり、人垣の向こうを見る。『創造の花』は一日のうち、決まった時間帯にしか公開されないと聞いていた。だが、すぐに顔を逸らし、歩き出す。

 漏れ聞こえる話から、どうやらこの集まりは『創造の花』を見るために村の外から来た見物人らしかった。尋ねるなら少年のことを知る村の人間でなければ意味がない。それらしき人を探し、クリアスは辺りを見回す。すると、

「やあ!」

 不意に快活な声が掛かった。その声に振り向いた先で、クリアスはぎょっと立ち止まる。

「どうも愛らしいお嬢さん。君はこの村の人間じゃないね?」

「え……そうですけど、あなたは……」

 声の主は奇抜な服装に不思議な紋様を顔に施した男。あまりに突飛なその姿にクリアスは近寄る男から思わず身を引く。

「そう、怖がらないで。私の名はクレオン・ロタティーガ。この世のありのままの姿を謳う吟遊詩人だ。少しお嬢さんのことが気になったんでね。声を掛けさせてもらったんだ」

「吟遊詩人……ですか?」

 むしろその容姿は道化師と言った方がしっくりと来る。容貌と認識の不一致から不信感をぬぐい切れないクリアスに、ロタティーガと名乗ったその吟遊詩人は構わず、話を続ける。

「そうだよ。それで聞きたいのだけれど、君はどうやら誰かを探している様子。それもかなり真剣な様子で。それで、この村に来たばかりの君がどんな人を探しているのか、興味を惹かれてね。差し障りなければ、どんな理由で誰を探しているのか話してもらえないだろうか?」

 その要望にクリアスは驚き、そして、より警戒の色を濃くする。

「……なぜ、わたしがこの村に来たばかりだと分かるんですか?」

「いやあ、ただの勘だよ。しいて言うなら君の様子からかな。君はさっき『創造の花リグレッタ』が展示されている集会場の方を一度覗こうとしたね? つまり君はあれに興味がある。でもあの『創造の花』は、今日は昼前も一度公開されている。もし、君がこの村に昨日以前から居るならその時すぐに見に行っているはずで、あんな風に立ち止まって見ないかなと思っただけだよ」

 その回答にクリアスは一応納得する一方、そこまで詳細に観察されていたことに少し薄気味悪さを感じた。しかし、あの少年を少しでも早く見つけたいという思いから、迷った末、事情を話すことにした。ただ、当然、村人でないこの詩人には、少年が半魔族であることを告げるつもりはなかった。

「この村の子で紫水晶アメジスト色の髪をした十一、二歳ぐらいの男の子を見ませんでしたか? 頭に怪我をしていたようなので心配になって……」

「ふーむ。残念ながら見てないねえ。しかし、村の子なら君にとっては見知らぬ間柄だろう? それをあんな必死な顔で探すなんて、見た目通り君は清らかな心の持ち主のようだね」

 ある程度予想できていた答えにクリアスは落胆する。そんな賞賛より、少年の手掛かりの方が欲しかった。だが、知らないものはしょうがない。クリアスは急ぎ、村人探しを再開しようとする。が、しかし……

「いい。これはいいね」

「え?」

 突如浮かんだ喜色を訝るクリアスを前に、男は両手を広げ、天を仰ぐ。

「今、私の上に一つの詩が舞い降りてきそうだ! 至純の心が織りなす繊細でそれでいて激しい善なる行動。それは人が持つ本質の一つであり……」

 本当に詩でも歌い出しそうなその気配に、クリアスは慌てて両手を前に出し、後ろに下がる。

「あ、あの、すみません! 急いでいるのでまた今度に……」

「やや、これは失敬。残念だが君の物語の邪魔をしてはいけないね。それではその坊やが見つかることを祈っているよ」

 芝居じみた慇懃な礼をする男から逃げるように、クリアスはそそくさとその場を後にした。

 ――吟遊詩人だって言ってたけど……『創造の花リグレッタ』のことを詩にするつもりでここに来たのかしら。それにしても変な……独特ユニークな人だったわね。

 背後を振り返りながら集会所を離れると、辺りは急に静けさに包まれた。

 少年のことを尋ねようにも辺りには家屋も人の姿もない。どうしたものかと困り果てていると、進む先に家々の集落と宿と思しき建物が見えてきた。

 ようやく話が聞けると、逸る気持ちのまま、クリアスは宿の入り口の小さな階段を駆け上がり、勢い込んで中に入る。が、間が悪く、開けた扉のすぐ向こうに人がいた。

「きゃっ!!」

 完全にぶつかってしまったと思い、クリアスは反射的に目を瞑る。しかし、肩透かしを食ったように目の前に人の姿はなく、代わりに横から声が掛かる。

「ああ、悪い……ん? お前……」

 その声にクリアスは閉じていた眼を開く。そこにいたのは――

「あなた……アイン!」

 その容姿を見紛うはずはない。どこかの民族の趣向を取り入れたような一風変わった服。獅子のごときくすんだ金の髪。そして、その顔の右半分を覆う火傷の痕と、右が白く、左が鳶色の異なる色の瞳。数か月前、あの港街で出会った時と変わらぬ姿がそこにあった。

 何年も会っていなかったような懐かしい感じがする一方で、さよならを言って別れた後、すぐに再び出くわしたような気恥ずかしい気持ちも湧き上がる。

 その不思議な感覚に捕らわれ、クリアスが言葉を失っていると、アインが呟くように言った。

「クリアス、お前もここに来てたのか……」

 あまり感情を見せなかったはずのアインだが、その顔は驚きに彩られていた。今度はその表情の新鮮さに目を奪われ、クリアスは黙ったまま、アインを見つめ続ける。

「どうした?」

「え? あ……ひ、久しぶり……」

 ぎこちない挨拶を返すクリアスに、すでにいつもの冷静さを取り戻したアインが尋ねる。

「お前も『創造の花リグレッタ』が目的でここに来たのか?」

「うん、そう……。でもそれよりもひょっとしたらって気持ちの方が強くて……。それで男の子を探していたら、本当に出会えるなんて……」

「……すまん、お前の言っていることが分からない」

「あ、ごめん! えっとね……」

 様々な想いが一気に溢れ出て、支離滅裂な答えになっていたことに気付き、クリアスは慌てて取り繕う。しかし、まだ収まらぬ気持ちの昂りに、つい先のアインの質問をそのまま返してしまう。

「その……アインたちもやっぱり『創造の花』を見に来たの?」

「ああ、飛龍が見たいと言ってな。あいつはあの剣に繋がる手掛かりがあることを期待していたんだが、今のところ収穫はない。まあ、少し見たところで俺たちに分かることはほとんどないし、元々、物見遊山で来たようなものだからな」

 アインの旅の相棒である飛龍が持つ剣は、超常的な力を宿す『創造の花』の一つ。その剣には、クリアスが探求している理の魔法の言語であるアルトリア文字が刻まれている。飛龍は自身の出自を知るため、その剣の由来を探る旅をしており、アインはそれに協力している。ただ、それは表向きの目的で、彼らが本当に求めているものは、はっきりとは知らない。

「その言い方だと、アインたちはこの村で発見された『創造の花』はもう見たのね」

「ああ、今日、俺だけな。お前はまだ見ていないのか?」

「うん。さっきここに着いたばかりなの。……あれ? 『俺だけ』ってそういえば飛龍は?」

 周りを見回すが、共に旅する相棒の姿がない。するとアインが若干白んだ声で言う。

「あいつは女の尻を追いかけてる」

「へ?」

 あまりに予想外の答えにクリアスは思わず間の抜けた返事を漏らす。

「その辺りは時間があるなら説明するが、いいのか? 何か急いでいたようだが」

「あ、そうだ! あの男の子……」

 言われて、クリアスはこの宿に入ろうとしたそもそもの目的を思い出す。しかし、踏み出しかけた足は地に引かれるように止まった。

 心の中でずっと願っていた再会。もっと話がしたかった。それにここで別れると、そのまま二度と会えない、そんな気がした。クリアスは考えた末、ほとんど哀願に近い声で言った。

「あの、アイン……。今、時間ある?」


 宿の女将さんに尋ねると少年のことはすぐに分かった。少年の名前はアルジェル・セイジ・シュライハルトといった。なんとこのグランザルムにある学校の学長の孫だという。

 この辺境の村グランザルムは、『創造の花』が発見される前から、二つの特色で一定の人々にその名は知られていた。一つはこの特殊な台地で育まれた甘く実る葡萄であり、それから作られる葡萄酒だった。そして、もう一つが来る途中に見えた、辺境の村には似つかわしくないともいえる、品格ある学校――シンデルテ初等学校である。

「教育こそ人を幸福にする」――その昔、志を同じくする数人の教師がこの村に一つの学校を創り上げた。なぜこの場所を選んだのかは定かではない。一説には外界から隔絶されつつも、一年を通して天候が大きく荒れることのない環境を気に入ったからだと言われている。

 優れた教師たちは自然と優れた人材を引き寄せ、それが代々受け継がれ、伝統となり、今やこの学校の名は他国にも知れ渡っている。そのため、この村には遠方から良家の子息なども寄宿生として学びに来ている。

 そうした名のあるこの学校の学長は人格者として知られ、村の運営にも携わり、村長よりも発言力があるらしい。その学長の孫があの半魔族の少年、アルジェルだった。

「なるほどな。それでお前はその子供を探していたということか」

『創造の花』を確認した以上、他にやることはないと、アインは少年を探すのに付き合ってくれることになった。教えてもらった少年の家に向かう道すがら、クリアスは少年を探すに至った経緯、そして、その時、自分が取った行動を説明していた。

「うん。傷のこともあるし……それに言わなきゃいけないことがあるから」

「お前がそうしたいのならそうするといい。ただ、お前がそいつを警戒するのは当然だと思うがな。頭で理解していることと、実際に体感することは違う。いきなりそんな血の色の奴に出会って、普通の人間と同等に接するなど無理だろう」

 一瞬、それは異質な者への差別を容認する非情な意見にも聞こえた。しかし、クリアスは、アインという人間を考えれば、本当に言いたいことはそうではないと受け取った。

「アイン……ありがと」

「……今の話のどこに礼を言うところがある?」

「いいの。私が勝手にそう感じただけだから」

 数歩前に出てクリアスは笑顔で振り返る。

 体感は経験となり、経験は積み重ねることで理解に昇華する。つまりは少しずつ前進すればいいだけのこと。当たり前でありながら、つい忘れがちなことをアインは思い出させてくれた。おかげでずっと続いていた胸の疼きは少しだけ軽くなった。

 葡萄畑の横を歩き、吊り橋を一つ渡り、シンデルテ初等学校のある『修学の浮島イソラ』を少し北に進むと、質素ながらこの村にしてはやや大きな邸宅といえる家が見えてきた。ここがアルジェルという少年が暮らす家のはず。今日は休校日と聞いていたので、おそらく少年と祖母はここにいると想定し、クリアスが呼び鈴を鳴らすと、物腰穏やかな婦人が出てきた。

「はい、なんでしょうか」

 この婦人がおそらく少年の祖母であり、シンデルテ初等学校の学長ハンナ・セイジ・シュライハルトだろう。しかし、祖母というには若々しく、気品を感じさせる所作からは内に秘めた活力を感じる。そんな婦人は見知らぬ人間の訪問、とりわけアインを見て不信感を露わにする。

「突然お邪魔してすみません。私はクリアス・ベンジェアンス。魔法学園エルザの特別研修生で、この村へは『創造の花リグレッタ』を見に来たのですが、実はその途中で見かけたお孫さんのアルジェル君のことでお話がありまして」

「アルジェルの……?」

 クリアスはまずアインのことを紹介し、それから村に来てすぐ目撃した少年たちの暴挙、アルジェルがこの家の子だと宿の人に聞くまでの顛末を話した。ちなみにアインのことは知り合いの冒険者だと説明した。本人が自称する「しがない旅人」などと言ってはいらぬ疑念を持たれるし、まさか、アインのを話すわけにもいかない。

「そんなことがあったのですか……」

 説明を終え、訪問の事情を理解すると婦人の表情から徐々に硬さが消える。しかし――

「はい、それでそれほど酷くはなかったのですが、頭に怪我をしていたので、大丈夫なのかなと……」

 そう言った途端、婦人の目に異様なほど強い光が宿った。

「あの子の傷を見たんですか?」

 その確認の意図は明確だった。鉛のような重い空気が圧し掛かる。だが、クリアスは、全身に力を入れ、背筋を伸ばして答えた。

「はい。でも誤解しないでください。私は魔族に関してそれなりの知識と理解は持っているつもりです。ここに来たのはただ彼のことが心配だったからです。それと……できれば彼と少し話をさせていただけないかと」

「あの子と何を話すというのです?」

 抑揚のない声。それは逆に裏に潜む心情を表しているようだった。

 クリアスは唇を結び、一度視線を下げた後、すぐに顔を上げ、想いのままを告げた。

「たった今、理解があるといった矢先にこんなことを言うのは申し訳ないのですが、彼の血を見た時、私は思わず差し出した手を引いてしまったんです。だから、そのことを彼に謝りたいんです。そして、もっといえば彼を理解したいんです」

 その大きな瞳に一途な輝きを乗せ、クリアスはまっすぐに見つめる。婦人はそんなクリアスを数瞬の間、推し量るように見つめていたが、不意にふっと体から力を抜いた。

「そう。ただ、あの子はまだここに戻ってないの。夕方までには帰ってくると思うけど」

「そうなんですか? でもそれなら探しに行ったほうが……」

「いえ、どこにいるかは見当がついてるの。きっと一人じゃないわ。それに話を聞く限り、怪我も大した事なさそうだから、それほど心配することはないわ」

 その物言いにクリアスは反感を覚えた。確かに不安にし過ぎないよう、怪我は酷くはないと言ったのだが、もう少し気に掛けてもよいのではと思わずにはいられなかった。それにこの婦人は孫が虐められていたという話をしても驚きも憤りも示さなかった。その淡白な受け止め方に、クリアスは少年を取り巻く環境に不安を覚えずにはいられなかった。

 そんなクリアスの気持ちをよそに、婦人はいつの間にか少し砕けた感じに変わった口調で尋ねてきた。

「ところで、あなたは本当にあの魔法学園エルザの特別研修生なの?」

「ええ、そうですけど……」

「疑うような言い方をしてしまってごめんなさいね。だけど、魔法学園の特別研修生がこんな村に来るなんて不思議だったものだから……」

 魔法学園エルザのことは学校関連の繋がりで知ったのだろうか。もちろんそれぞれの教育の指針は違うが、学業において優秀な生徒を育てるという観点では、魔法学園エルザもシンデルテ初等学校も同じであり、指導者の間で交流があってもおかしくはない。現にこのシンデルテ初等学校から魔法学園に入学した生徒もいるとクリアスは聞いたことがあった。

「その、ここに来たのはたまたまというか……研究ため、近くの街に来ていて、そこで『創造の花』の噂を聞いたものですから」

「そうなの。でも魔法学園エルザの生徒なら、魔族について正しい認識を持っているというのは信じられるわね。そうね、あの子ももうすぐ帰ってくるかもしれないから、少し上がっていかない? あなたには話してもいいと思うから」

「えっ……何をですか?」

「あの子の生い立ちよ。あなたもあの子と話をするなら、知っておいた方がいいでしょう?」

 思わぬ誘いにクリアスは言葉に詰まり、それから一つの意志を込めた視線をアインに向ける。その無言の訴えにアインは何も言わず、小さく頷き返してくれた。

 ――アインって、なんだかんだで相手のことを尊重してくれるのよね。

 そう心の中で感謝しながら、クリアスは婦人の手が指し示すまま、シュライハルト家への招待を受けることにした。

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