別れ、そして旅立ち

――数日後。

クリアスたちはシュウの病室にいた。

シュウは術後の経過もよく、すでに起き上がれるまでになっていた。飛龍たちも歩けるまでは回復している。

レベッカの言う通り、クリアスはシュウにすべてを伝えた。シュウは時折驚きを示しながらも黙って話を聞いていた。そして、すべてを聞き終えた後も「そうか……」と短く答え、それきり沈黙する。

「あの……、それでシュウさんはどうするつもりですか?」

「そうだな……」

一拍おいてシュウは口を開いた。

「何もしない。いや、できないと言うべきだな……。ダーニオン帝国の人間の言う通りになるのは癪だが、現状、私にできることはない。傷が治ったらアルフォワースに戻り、そこから今回の事件の首謀者を一から探す。それだけだな」

シュウは一連の事件について、魔物が街を襲い、その中でラウルセンが死亡。ラウルセンの陰謀、そしてダーニオン帝国との繋がりは不明のまま、ということにするという。

「……でも、それだとシュウさんに対してあまり良くない印象が残らないですか?」

クリアスは弱々しく尋ねた。王立法務院の人間からすれば、シュウは疑惑を何も解明できず、街への魔物の侵入を許し、被疑者を死亡させたということになる。

不安げなクリアスにシュウは毅然と言い切る。

「それはお前が心配することではない。私の立場など些細なことだ。ただ、魔物がこれまでの厄災の時候で惨禍の徒を投入せず、その戦力を温存しているという話。そして、すでにこの世界で侵攻の準備を進めているという話は絶対に周知しなければならない。こんなことをいきなり話しても誰も信じないだろうが、これは人類の存亡に関わることだからな。方法はおいおい考える」

「そうですね……」

クリアスはいつか強大な魔物の軍勢が現れ、世界を恐怖に陥れる未来を想像して身を硬くした。しかし、一方であまりに話が遠大なため、まだ実感が持てないというのも事実だった。

クリアスは厄災の時候を経験したことすらない。そして、ジグマが言った計画がいつ行われるかも分からない。厄災の時候も、そして魔物がその総力をあげて人類を滅ぼそうとする、より大きな厄災の時候も、もしかしたら運よく死ぬまで経験しないことも在りうる。だが、人々の未来のため、何かはしなければならない。クリアスは目に見えぬ、それでいて途轍もない重りを背負わされた気分だった。

深刻な表情で考え込むクリアスに、シュウはその心の中とは違う心配を想像し、声を掛けた。

「そうだ、クリアス。お前が『理の魔法』を使えることは内密にしておくから安心しろ。飛龍、アイン、お前たちについても魔物の駆除に手を貸してくれた冒険者ということにする」

「俺が元影蠍団ということは報告しないのか?」

アインの問いにシュウは小さく笑みを漏らす。

「たとえ元暗殺団の人間だとしても、お前は世界から一つの脅威を排するのに貢献した一人に違いはない。それに私自身、お前が悪い人間とは思っていない」

その声にいつもの硬さはなく、響きは涼やかだった。クリアスはそれがシュウの本心だと感じ、自然と笑みがこぼれた。だが、一転してシュウの双眸が嶮を帯びる。

「だから、もうあんなことはやめるんだ」

鋭い眼差しがアインに、そして、飛龍へと向かう。シュウが何を言わんとしているか、クリアスはそれを言下に察した。

飛龍は黙ってその眼光を受け止めていたが、やがて一度瞑目すると視線も真っすぐに口を開く。

「それは……」

「あの……!」

クリアスは思わず声を上げていた。

「飛龍、アイン、シュウさんも……レベッカの話を聞いてどう思いました?」

唐突な質問にシュウが眉根を寄せる。

「……それはどの点についてだ? あの娘がラウルセンの研究、そして、その黒幕を探っていたという話か? それともお前たちを仲間に引き入れようとしたことか?」

「えっ……と、正しい意志を持った人間が……世の中を動かしていく、と言ってたことについてなんですが……」

歯切れの悪い問いかけに、飛龍とアインも訝しげな視線をクリアスに送る。クリアスがたじろぎながら三人を見回すと、最後に目が合ったアインが口を開いた。

「……俺は自分が世界を動かすなどこれっぽっちも思っていない。あいつが俺たちをどう評しようと構わんが、俺は俺のしたいように生きる。それだけだ。……ただ、あの女自身は少し面白いとは思ったがな」

「面白い?」

アインらしい答えの後に付け加えられた意外な感想にクリアスは目を丸くする。

「ああ、軍属という組織に身を置きながら、あんな理想家のような考えを持っているとはな。まあ、あれがあの女の本心ならの話だ。単に俺たちを引き入れるために、気を惹こうとあんな話をしたのかもしれない」

その意見にクリアスは僅かな反感を覚えた。クリアスもレベッカの話のどこまでが本当かは判別がつかないでいた。ただ、あの時だけは、レベッカはありのままの彼女を見せてくれていた、そんな気がしたのだ。

一方で飛龍は不思議そうに首を傾ける。

「そうなんだ? 僕は軍隊とかよく分からないから、特に不思議に思わなかったけど」

「お前は世間知らずだからな」

「……まあ、それについては否定しないけど……」

自覚の中に少し不満が滲んでいたが、飛龍はそれ以上何も言わず、先のアインの意見に答えを返す。

「ただ、僕も彼女のすべて信じることはできないけど、彼女が最後に語った想いについては本当だと思う」

「なぜだ?」

疑問の視線を向けるアインに、飛龍はあの時のことを思い出すように中空を見つめる。

「だって、もし本気で僕らのことを引き入れたいなら、もっとそれらしい嘘を吐くと思うんだ。それこそ僕らが向こう側に着かざるを得ないと思わせるような嘘をね。それに彼女が自身の理想について語ったのは僕らが彼女の誘いを断ってからだった。だったらなおさらあそこで嘘をつく理由がない。だから、あれは彼女の本心だと思う」

クリアスは直感的に信じていた想いに飛龍が論理的な理由を付け足してくれたようで嬉しくなった。もちろん飛龍の言っていることも推測の域を出ない。しかし、クリアスは少しでもレベッカに信じられる部分を見出したかったのだ。

と、そこまで考えて、クリアスはふとあることに気づいた。

「ねえ、そういえば、アインはレベッカの理想自体については否定的じゃないの?」

「どういうことだ?」

アインが何を聞きたいのか分からないといった表情をする。

「わたし、アインは……それに飛龍もだけど、二人は現実的な考え方をする人だから、理想論的な話なんて鼻で笑い飛ばすんだと思ってたから……」

それを聞いた飛龍はあからさまにショックを受けた様子で項垂れる。

「クリアスって、そんな風に僕らを見てたんだ……」

「あ、ごめん! 今のはちょっと、なんていうか……言葉の選択を間違えただけで……」

そのしょげた姿にクリアスは慌てて釈明に追われる。そこへアインが言う。

「別に理想を持って何が悪い? さっき俺は生きたいように生きるといった。それは言わば自分の理想のためだ。第一、理想を持たない人間なんてくだらないだろう?」

さも当然とばかりにアインが発した台詞セリフにクリアスはぽかーんと口を開ける。

「なんだ、その顔は?」

「まさかアインからそんな言葉が聞けるなんて……」

「どういう意味だ……」

その冷たい視線にクリアスは慌てて言い返す。

「だ、だって、私のこと、すぐに人を信じる人間だとか、長生きできないとか、現実的を見ろ、みたいなことばかり言ってくるじゃない!?」

「あれは単にお前の警戒心の薄さや考えの足りなさを指摘しただけだ。それと理想を持つことの良否は関係ない」

「えー、そうかなあ……?」

アインの言うことが正しいようでもあるし、そうでない気もする。だんだんと頭の中が混乱してきて、クリアスは反論に窮する。そこへ今度はシュウがいう。

「現実を見るというのは一種の妥協だ。だから、前提としてその前に理想がある。もちろん、生きている限り妥協しなければならないことは多い。だが、お前にも譲れぬ理想というものがあるだろう? 当然私にもある。人とはそこを目指して生きているのではないか?」

クリアスは再びぽかーんとなる。

「なんだ、その顔は?」

先のアインと全く同じ言葉が投げ掛けられる。だが、先と違い、その胸の内に広がっていたのは言いようのない温かみだった。

「いえ、ちょっと嬉しくて驚いただけです。この事件はなんだか誰も救われていないような気がしてたんです。結局、魔物化の研究について真相は闇の中……、シュウさんはこれから王都に戻っても大変そうだし、フィールさんと子供たちはこの街を離れなくちゃいけない……。私は新しくできたと思っていた友人が……」

いったん言葉が途切れる。しかし、クリアスは澱んだ気持ちを奮い立たせるように顔を上げる。

「現実を、それもすごく重いものを見せつけられて……、理想なんか求めるよりも、現実の範囲内でどうにかするしかないのかなと思ってたんです。でも今の話を聞いて、やっぱり追い求めていいんだと分かりました!」

その晴れやかな笑顔に今度は飛龍が呆気にとられた顔をし、その飛龍にアインが囁く。

「こいつは理想家というより夢想家だな。成績優秀というのは本当なのか?」

「い、いいんじゃない? 前向きに考えられるというのは……」

「前ばっかり見て穴に落ちそうだがな」

扱いの分からぬ幼子を目の前にしたような二人をよそに、シュウはあくまで冷静な答えを返す。

「例え、他人が理解できなくとも、お前が一つの答えを見出せたのならそれでいいのだろう。ああ、そういえば、話に出たシスターの話だが……」

シュウは言いながら体の前で手を組む。

「私は彼女らを王都セントフォンティーナへ誘おうと思う」

「えっ!?」

降って湧いた提案にクリアスは驚く。

「こことは勝手が違うだろうが、王都なら福祉も充実しているし、生活に困ることもないだろう。私もできるだけの便宜は図る。無論、彼女らが承諾すればの話だが……」

「それじゃ……」

「ああ、王都までの船や馬車の手配も王立法務院経由で用意する。それぐらいの権限なら私にもあるからな」

自身の立場を自嘲するように薄く微笑えむシュウ。しかし、その根底に見える確かな優しさにクリアスは潤んだ眼でシュウに近づく。

「シュウさんっ……! ありがとう!!」

「よせっ! あああああっ!!」

歓喜のあまり飛び込むように抱き着いたクリアスに悶絶するシュウ。

「ご、ごめんなさい」

「お前……、これで入院が長引いたら、傷害罪で逮捕してやる……」

慌てて離れたクリアスに、シュウは体をくの時にしながら恨みがまし気な視線を送る。

そうこうしている間に外から呼びかけの声が響き、医師と看護婦が入室してきた。どうやら検査の時間らしく、外に出るように促される。これ幸いにとクリアスはシュウに睨まれながら、そそくさと飛龍たちと部屋を出た。そのまま三人は飛龍たちの病室の前まで来る。

「それじゃ。僕らももうすぐ退院だから」

「うん。明日もまた来るね……」

飛龍とアインが部屋へ入ろうとする。が、クリアスはそのまま扉の前で立ち止まっていた。

「どうかした?」

「あのね……私のこの街での滞在期間はあと三日なの。だから、もうすぐ次の街に向かわなくちゃならないから……」

「そっか……、ありがとう。君には本当に助けられた。この恩は忘れないよ」

「まだ別れの挨拶には早いわよ。あと三日あるって言ったじゃない」

「そうだね。それじゃまた明日」

少し和やかな空気の中、クリアスは別れの挨拶を交わし、部屋を借りている宿舎へと向かった。


――その道中。

病室での話を思い返し、クリアスは小さく安堵の溜め息をついた。

ひとまずフィールと子供たちの行く末はシュウの援助があるということで希望が持てた。恐ろしいことや悲しいことばかりが続いたこの数日で、唯一の救いともいえる出来事だった。

しかし、喜ぶべきその顔には濃い苦悩の影がかかっていた。

クリアスは物事を先送りにしない性格だった。しかし、心を縛る一つの問題については、向き合う一歩をどうしても踏み出せないでいた。

あの夜のことを思い出しながら、クリアスは力なく道を歩く。ジグマと戦う直前、飛龍がラウルセン館長に向けて振り上げた剣。もしあのときジグマが現れなければ、飛龍は――。

魔物に対してもその命に敬意を払い、惨禍の徒にさえ理性による和解を願う飛龍。その飛龍があの時見せた眼。

クリアスは恐ろしかった。もし、あの夜のことを尋ね、飛龍から予想通りの答えが返ってきたとしたら……。いや、返ってくると思ったからこそ、尋ねられなかったのだ。

飛龍だけではない。ラウルセンに先に刃を向けたのはフィールだった。その過去を――フィールの悔恨と贖罪の念を想えば、あのような行動に至ったのは無理のないことなのかもしれない。しかし、あの慈愛に溢れたフィールがその手を罪の色に染めるところなどクリアスは見たくなかった。

アインは影蠍団という義賊の元一員。影蠍団は悪辣な権力者や商人から金品を盗み、貧しい人々に分け与える一方で、それらの人間の命を奪う暗殺団でもあった。それは話には聞いていたが、クリアスはいまいち実態のあるものとして捉えられていなかった。だが、あの夜、それをはっきりと認識させられた。アインは非道な人間とはいえ、これまで何人もの人間をその手に掛けてきたのだということを。そして、それを間違いだとは思っていないことを。

そんな飛龍たちに対し、惨禍の徒であるジグマはある種の賞賛を送っていた。これまで惨禍の徒を倒し、世界を救ってきたのは彼らのような強き意志を持つ人間だと。人間と敵対する存在であるはずの魔物ですら、その行為を正しいと認めていた。

あの場で明確に反対の意思を示していたのはシュウだけだった。だが、クリアスはそのシュウにすら葛藤の片鱗を見てとった。最終的に職責を全うすべく、飛龍たちを止めようとはしたが、もし彼女が王立法務院の捜査官という立場でなければ、同じ判断を下しただろうか?

そして、レベッカ。彼女はあの夜のことを、ラウルセンを監視していた仲間から聞いたといった。それなら当然、あの場面のことも聞いているはず。しかし、それでもレベッカは飛龍たちを仲間に引き入れようとした。世界を動かす人間の一人だと讃えていた。そして、あのことには触れることさえなかった。

――対して自分はどうか。クリアスは自問する。

ラウルセンの人の道を外れた残忍な所業、それが何の裁きも受けることもない。そのことに対して憤りを覚えなかったか? こんな不条理は許せないとは思わなかったか? 

だから、飛龍から想定した答えが返ってきたとき、あるいは逆に聞き返されたとしたら、真っ向から否定できない自分を認識せざるを得なかった。

その非道さを考えれば、もし正当な裁判で裁かれればラウルセンは間違いなく死罪だろう。

しかし――

そんなに簡単に切り捨てられるものだろうか? 切り捨てていいものだろうか? 人の命というものを。

飛龍たちは決して安易な考えであのような行動をとったのではないだろう。今の彼らに行き着くまでには、思いもよらない経緯があったのだろうと想像する。それを聞くことは簡単だ。しかし、その先へ一歩踏み込めば、誰も彼もが同じ答えを持ち、自分だけが異なる世界に立っていたと気付かされるかもしれない。これまで当然と思ってきた世界が崩れ去り、同時に自分の心の奥底に秘められていた澱が目に見える形で巻き上がってくる、そんな気がした。そして、その一線を越える勇気は今のクリアスにはなかった。

――アインは、私のことを惨禍の徒を前にしても逃げない人間だといった……

だが、このことに対する答えを得ることからは――自身の心の奥底を曝け出すことからは――クリアスは逃げた。


旅立ちの日――。

クリアスは力いっぱい手を振る子供たちを船上から見下ろしていた。その後ろでは、フィールが子供たちとは対照的に嫋やかに手を振っている。その顔にはもう悲嘆さはなく、あの女神像を思わせる微笑みがあった。

その横にはシュウもいた。もうしばらくすると、シュウは王都への移住の提案を受け入れたフィールたちとともにセントフォンティーナに戻ることになっている。医者からは、それまで入院していた方がいいと言われたのだが、最後まで警察隊隊長としての責務を全うするといい、制止の声も聞かず、すでに職務に復帰している。

そのように職務に厳粛なシュウだが、今日ばかりは特別な日だと非番をとって見送りにきてくれた。

普段硬い表情ばかりしているシュウだが、今はその端正な顔に華やかな笑顔を浮かべていた。クリアスはやっぱり笑うと綺麗だなと思いながら、ふとあることを思い出す。

――そういえば、シュウさんが本当の名前で呼ばれたくない理由は聞きそびれちゃった。シュレリーヌなんてまるで貴族の女性みたいな名前だし、笑ったシュウさんにはぴったりだと思うんだけど……

いずれにしろ、クリアスはもっとシュウが気軽に笑える日が来ることを心から願った。

それから周囲へと眼をやる。だが、そこに飛龍とアインの姿はなかった。


病室の前で別れた次の日の早朝――。

虫の知らせというべきか、いや、前日に会ったときの様子がふと夢の中で蘇り、クリアスは目を醒ました。寝台ベッドから飛び起き、最低限の身支度を済ませ、宿舎を出る。

まだ空が濃い群青色の暗幕カーテンに覆われる中、息を切らせながら走る。向かうのは昨日訪れた病院。その入り口に着いたとき、クリアスは病院の前を横切る道の先に、遠ざかりつつある二つの影を見て取った。

「待って!」

影が足を止め、振り返る。クリアスは駆け寄り、荒い息を吐きながら膝に手を当てる。二つの影――飛龍とアインはその様子を驚きに満ちた目で見つめていた。

「どうしてここに……?」

飛龍が尋ねると、クリアスは息を整えながら答える。

「なんとなく……としか言えないんだけど……」

病院から示された二人の退院日はまだ先だった。しかし、完全に旅支度を終えたその姿から、二人がこのまま、この街を出る気だったということが分かる。

「二人の荷物が病室にあったから、宿を引き上げたことはわかったわ。最初は単に入院してて宿をとったままだと、宿代が嵩むとかそういう理由なのかなと思ってたんだけど……。でも置いてた荷物が妙にまとめられていたのが気になって……ひょっとしたら、動けるようになったらすぐにでもこの街を出る気なんじゃないかって……」

それだけではなく、部屋の前で交わした何気ない会話。あれが本当の別れの挨拶のように聞こえてならなかった。それが一番の理由だった。

「そっか……」

それきり飛龍は黙り込み、アインも沈黙を保つ。そして、クリアスも何も言わず二人を見つめた。

今朝は季節にそぐわず、うっすらと寒さを覚えるほど気温が低い。辺りは朝靄に包まれ、冷たい空気が肺に沁み入ってくる。

「君は僕らと会ったことを後悔していないかい?」

唐突に飛龍が尋ねた。全く脈絡のない問いにも関わらず、ごく自然に内なる気持ちが口を吐いて出る。

「ううん、そんなことない。むしろ私は飛龍たちに出会えたことに感謝してる。あなたたちとの出会いは、大切なかけらとなって私の中にずっと残ると思う。私はこのかけらをずっと大事に持っておきたい。いつか答えを見つけ出すために……」

飛龍にとっては意味不明な返事であったはず。しかし、飛龍はどこか納得したような安堵したような微笑みを浮かべた。

「そう……よかった。少し気が楽になったよ」

クリアスもその返事の真意は掴めなかった。だが、なぜか胸の一番奥、心の芯にその言葉は響き渡った。

改めて飛龍を見る。その顔だけみると、その辺りにいる普通の青年にしか見えない。それが少年のように見える時もあるし、大人びた雰囲気を感じる時もある。そして、時折垣間見える物事の本質を見据えようとする鋭さ。最後まで不思議さを纏った青年だった。

今度はアインに目を向ける。相変わらず人を寄せ付けないような鋭い気配を漂わせている。しかし、その胸の内には冷淡さとは正反対のものが秘められていることをクリアスは知っている。その片方が白く、片方が鳶色の眼がまっすぐにこちらを見つめていた。

「そうだ、クリアス。お前に一つ伝え忘れていたことがあった」

「伝え忘れていたこと……?」

「ああ…………」

そこでアインは珍しく迷うように言い淀み、一度視線を彼方にやる。しかし、それから確かな意志をその瞳に込めると改めて向き直り、告げた。

「俺の名前はアインハード・ベストレベンだ」

クリアスは最初驚き、それから込み上げる嬉しさをその顔に表す。名を告げる――その行為に含まれる想いを汲み取って。

「ありがとう。教えてくれて」

頬を上気させながら、照れ隠しの様に後ろで手を組み、少し体をよじらせる。と、同時に精いっぱいの感謝をその笑顔に込めた。

その真っすぐな笑みを見て、まるで明るく輝くものから眼を背けるように飛龍とアインは踵を返した。

「それじゃ、僕らは行くよ」

「うん、もし、またいつか会う日があったなら……」

しかし、それには答えず、飛龍とアインは手を上げて南へ向けて歩き出す。あの遺跡を越え、さらに陸路を進み、次なる旅に出るのだろう。

クリアスが見送る中、晴れつつある白い靄の向こうへと二人の姿は静かに消えていった――


潮風を孕み、大きく膨らんだ帆は純白の輝きを放っていた。その輝きを瞳に映し、それからクリアスは離れ行く街に目を向けた。

もう少し時間があったなら――もっと二人をよく知ることができれば――あるいは自分の心がもっと強ければ、答えを出せたかもしれない。

だが、時は止まることはなく別れの時はやってきた。

もし、再び出会うことがあるのなら――その時までには必ず答えを出そう。

クリアスはその決意を深く心に刻み込んだ。

そう遠くないうちに世界が動く。レベッカが言っていたことは本当なのか、そして、本当ならその時、自分にいったい何ができるのだろうか。

それは分かりようもない。ならば今は自分が信じるものを胸に一歩ずつ進むしかない。

レベッカは世界というものは繋がっていて、一時、一場面の営みの積み重なりによって形作られると言っていた。それならば自分という世界においては、この瞬間も未来に繋がる大切な時の一つなのだろう。

潮風が髪を撫で、そのまま空に昇っていく。

まだ見ぬ未来に想いを馳せ、クリアスは空と海の青を隔てる水平線の遥か向こうを、いつまでも眺めていた。

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