世界を導く者

「そう……、そんなことがあったんだ」

飛龍が天井を見つめながら呟く。

「それで、フィールさんはこの後どうするって?」

「これからも子供たちと一緒にいることを決めたわ。……でも、やっぱりこの街は出るって」

「そっか……」

「……驚かないのね」

飛龍は上げていた目をクリアスに向ける。

「僕もフィールさんと子供たちの絆は信じてる。……だけど、彼らがこの街で暮らし続けるのは難しいんじゃないかと思う」

その意見にクリアスは再びその瞳に憂いの色を浮かべた。

別にフィールは罪を犯したわけではない。魔物を殺したのは子供たちを助けるための正当な行為であり、元異端審問部の執行官であったフェルディナンドがフィールに戦い方を教えたのも、あくまでフィールが自衛できるようにと思ってのことだ。

――でも、誰もが理解してくれるわけじゃない。

誰が悪いわけでもない。しかし、彼らはこの白亜の街を、家だった場所を棄てなければならない。住み慣れた街を離れて、一人の女性と子供たちが暮らしていくのはそう簡単なことではない。この先、おそらく彼らを待つのは痛みを伴う荊の道。クリアスは見たくもない人の世の常というものを目の前に突き付けられた気がして、無性に何かを叩きつけたい気持ちになった。

「僕らにできるのは彼らの未来を信じることだけだ。……ひどく無責任な言い方だけど」

「……うん」

クリアスは小さく頷いた。

「きっと彼らは幸せになる」と言うだけならいくらでも言える。しかし、そこに実際的な保証は何もない。口に出すほど彼らの未来を軽々しく扱っているように感じる。ならば心の中で粛然と祈るしかない。

しかし、悲観ばかりしていてもしょうがない。沈んだ気持ちを奮い起こすため、クリアスは努めて明るく声を出した。

「そうそう、信じるといえば、アイン、あの時はありがとう」

先の飛龍に続き、クリアスが唐突に示した謝意に今後はアインがその顔に疑念を浮かべる。クリアスは慌てて言葉を付け足した。

「ほら、私が二回目の魔法の発動を躊躇っていた時、『飛龍を信じろ』って声を掛けてくれたじゃない? あの言葉から、飛龍には何か考えがある、きっと切る抜けるはずだって気持ちが伝わってきた。だから私、決心することができたんだから」

少し頬を上気させて言い募るクリアスに対し、アインは事も無げに言った。

「いや、そんなことは全く思ってなかったぞ」

「ええっ!?」

困惑するクリアスにアインが淡々と告げる。

「あの時は、お前が思い切れないようだったからああ言ったまでだ。別にこいつがどうにかすると信じてたわけじゃない」

すると飛龍も気まずそうに視線を逸らしながら口を開く。

「実際、僕は力を使い果たして、神威空間も発動できなかったし……。信じていたというよりも考えが一緒だったんだよ。君を騙したようで悪いけど、率直に言うなら、一人が死ぬか、全員が死ぬかだったら、僕もアインも前者を選んだってことだよ」

愕然とするクリアスにさらに飛龍が続ける。

「ただ、あの状況で僕が死んでいれば、君の心に深い傷を残すことになってた。それについては謝るよ」

その通りだった。時計塔が崩れた時、クリアスを襲ったのはまさにその恐怖だった。自分の魔法が他人の命を奪う結果になってしまったと……。

結果的に飛龍はフィールに助けられたが、そうならなかった時のことを想像し、クリアスは全身から血の気が引くのを感じた。同時に思い知らされる。この二人は自分の命がかかった場面でさえ、己の信念を基に徹底的に合理的な考え方をする人間なのだと。そして、その行きついた先が……。

「あ、あの……」

聞かなければならないことがある。しかし、何かがそれを押しとどめた。

その躊躇いで生じた間を突くかのようにノックの音が響いた。そして、開いた扉の隙間から聞き馴れた優しい声が届く。

「クリアス、いる?」

尋ねながら顔を覗かせたのは、レベッカだった。

「レベッカ。どうしたの、こんなところに?」

「どうしたのって、随分ね。友達が入院したのにお見舞いに来ない人間がいる?」

「あ、ごめん……、ありがとう」

出会ってほんの二週間程度。しかし、友達になるのに時間は関係ないなと改めてクリアスは思った。そして、レベッカが来てくれたことに救われたような気持ちで飛龍たちから眼を逸らした。

「看護婦さんに訊いたら部屋にいないし、ひょっとしたらこの二人のところかなって思って来たんだけど、ビンゴね。ちょっとだけお邪魔していいかしら?」

ふわりとメイド服を揺らめかせながらレベッカが部屋に入ってくる。そのままクリアスの横まで来ると、レベッカは飛龍とアインに向き直る。

「そういえば、あなたたちとはほとんど話したことはなかったわよね? まずはありがとう。警察隊の人に聞いたわ。あなたたちがいなければ、私はかけがえのない友人を失うところだった」

「いや、むしろ助けられたのは僕らの方なんだ。今も彼女にお礼を言っていたところだよ」

気持ちそのままの答えが返される。しかし、クリアスは何か妙な感じがした。それまでとは違い、飛龍の声からは何処か硬い気配が伝わってくる。

「そんな謙遜しなくてもいいわよ。私、最初はあなたたちのこと怪しいって疑ってたんだけど、クリアスの方が人を見る目があったみたいね。せっかくだからこれを機にお互いもう少しお知り合いにならない?」

明るく親睦を深めようとするレベッカ。しかし、その笑顔に飛龍とアインは無言で応える。

「どうしたの? 二人とも」

二人の様子にクリアスはたまらず尋ねる。すると体を起こしながらアインが口を開いた。

「あんた、ここへ何しに来たんだ?」

「えっ? さっき言った通りよ。クリアスを探してここに来たの。それにあなたたちの話も聞きたかったし。なにせクリアスの命の恩人だもの。ね、クリアス?」

「え、ええ……」

屈託のない笑顔を向けてくるレベッカにクリアスは戸惑いながらも頷く。すると、飛龍がいつもより少し低い声で尋ねた。

「僕らのことを聞きたいのかい?」

「ええ」

「それじゃ、僕も君に聞きたかったことがあるんだけどいいかな?」

「はあ、何かしら?」

「君は寝るときもその服を着ているのかい?」

「はい?」

斜め上からの質問に、レベッカはぽかんとし、それから自分のメイド服を見渡す。

クリアスも飛龍の質問の意図が分からず、首を傾げる。確かにレベッカはいつもこのメイド服を愛用しているが、まさか寝る時までこの格好をしているわけではないだろう。

「博物館の前で出会った時、君はこう言ってたよね? 『部屋で休んでいたら様子がおかしいことに気づいて飛び起きた。そうしたら周りが火に包まれていた』って。だから寝るときもその格好なのかと思ったんだ」

レベッカが笑う。

「それは言葉のアヤよ。休んでいたといっても、ちょっと微睡んでいただけだから」

「だが、あの館の燃え方は尋常じゃなかった。誰かが火を放ったということらしいが、あんた、あんな中からよく煤一つ付けず逃げてこられたな。そんなひらひらした服を着て」

アインに問われて、レベッカは頬に人差し指を当てて少し考えこむと、

「そういえばそうね。今思えばほんと運がよかったんだと思うわ」

その時のことを思い返し、安堵したかのようにレベッカは胸に手を当てる。そんなレベッカにクリアスも違和感を覚えつつあった。レベッカの答え自体ではなく、その態度に。

まるで詰問するような飛龍とアインの問いに顔色一つ変えず、淀みなく答えている。そういえば博物館から逃げ出してきたときはどうだったか。慌てて逃げ出してきたという割には、妙に落ち着いていた。その愛嬌のある顔には汗一つ流れていなかった。

飛龍は一度瞑目した後、小さく息をつき、それから貫くような視線でレベッカを見つめる。

「じゃあ、ラウルセン館長が船で逃げようとしているのをどうやって知ったんだい?」

「えっ、逃げるって……? それってどういうこと?」

意味が分からないといった風に首を傾げるレベッカ。その顔を飛龍はじっと見つめる。

「まあ、あの時の君は館長が逃げようとしているとは知らなかったはず。。でも、少なくとも君は館長が船でどこかに行こうとしていることは知っていた」

「ええ、でもそれは言ったじゃない? 館長さんから遠出をする予定があるって聞いてたって」

「でも、僕らは港でその館長本人から聞いたんだ。彼は船でこの街を出る準備を秘密裏に進めていたってね。それもそのはず。あの館長にはある疑惑があり、シュウさんが前々からその身辺を調査していた。そして、館長はそのことを知っていて警戒していた。だから、おかしいんだ。あの館長が、シュウさんすら突き止められないぐらい慎重に進めていた出港計画を、ただの雑用係である君に漏らすはずがない。となれば君は別の手段でそれを知ったことになる」

レベッカは、今度は顎に人差し指を付けて病室の天井を眺めて考え込む。しかし、やがて飛龍の方を向き、明るい笑顔を向けながら言った。

「そう、館長さん、そんなこと話してたの。そのことは報告にはなかったわ。案外おしゃべりな方だったのね」

「レベッカ、それって……」

言葉に詰まるクリアスに代わり、アインが鋭い口調で問う。

「お前、何者だ」

するとレベッカは部屋の隅の方へと歩き出し、置いてあった椅子を二脚持ってきて、一つをクリアスに勧める。勧められるがままにクリアスが座ると、レベッカはもう一つの椅子に行儀よく腰かけた。

「そうね。私から言う前に逆にあなたたちの口から聞いてみたいわ。私は何者だと思う?」

謎かけを楽しむかのようなレベッカに、飛龍が油断なくその動きを観察しながら言う。

「当てずっぽうでいいなら答えるよ」

レベッカが先を促すように右手を差し出す。

「僕は最初、君が博物館に火を放った人間じゃないかと疑っていた。つまり、あの館長の仲間だと。でも、もし君が館長の一味なら、逃亡手段を教えるようなことを言うはずがない」

「そうね」

「むしろ君の行為は館長の不利益になるものだった。となると君は館長およびその裏にいる組織とは相反する立場にあり、そうした組織に属する人間だと考えられる。僕が知っている限り、今回の事件に関係する中でその立ち位置にある組織、いや国は一つしかない」

当てずっぽうと言いながら飛龍の返答はあくまで論理に基づいていた。そんな飛龍をレベッカは真っすぐに見つめる。

「あくまで推測でしかないけれど、考えられる可能性を上げるなら――君はダーニオン帝国の関係者、それも軍に関わる人間、違うかな?」

飛龍の指摘にクリアスは声も出せず、口を開きかけたまま固まった。

レベッカが軍人? それもダーニオン帝国の? いろいろなことが頭を巡り、思考がまとまらない。一方で、軽く笑みを浮かべていたレベッカは、不意にその顔をクリアスに向け、ゆっくりと立ち上がった。

「クリアス、あなたが聡明なことは知っていたけれど、あなたが見込んだ人間だけあって、ここにいる彼も相当物事を見抜く目が鋭いようね」

「レベッカ、あなた……」

クリアスはただ茫然と見上げる。いつもと変わらぬその笑顔を。

「どうやって切り出そうか悩んでたんだけど、杞憂だったわね。おかげで話しやすくなったわ」

レベッカは飛龍たちに対し丁寧な礼をし、そして告げた。

「改めて自己紹介するわ。私はダーニオン帝国軍諜報部、特殊作戦部隊隊員、レベッカ・ローゼンベルクよ」

その返答にクリアスの思考はもはや完全に停止し、押し黙るしかなかった。一方、飛龍とアインは、一瞬、驚きをその顔に顕すが、あくまで平静を保っていた。

「そのダーニオン帝国の軍人とやらが俺たちに何の用だ?」

「そうね。それは順を追って話した方がいいと思うのだけれど……、あなたたちはラウルセン館長が、生物、果ては人間の魔物化の研究をしていたことを突き止めたのよね?」

飛龍とアインは答えない。しかし、レベッカはそのまま話を続ける。

「そして、何のためにそんなことをしていたかも知っている」

いわれてクリアスは一つの言葉に思い至る。

「軍事利用……」

そこでクリアスの中でようやく飛龍の推測が繋がってきた。

ラウルセンは自身の研究の後ろ盾に王立研究所、そしてアルフォワース王国軍がついていると言っていた。軍事利用するのは当然、アルフォワース王国軍。九年前、魔物殲滅のため、世界の国々は一部の小国を除いて、世界連合と呼ばれる同盟を結んでいる。となれば、現時点でアルフォワースの敵国となるのはただ一国、ダーニオン帝国のみとなる。

クリアスの呟きにレベッカの笑みに少し陰が差す。

「そうよね。魔物の脅威から人類を救うのが最終目的と言っておきながら、結局、ラウルセンはその研究を人が争う手段に使おうとしていた。まあ、あの人の本心がどこにあったのかはもうこの際、置いといて、アルフォワースがそんな研究をしているとの情報が入れば、対立する国としては、やっぱり放置はできないわよね」

「それじゃ、あなたは館長さんの研究を阻止するためにここに来たの?」

クリアスが声を掠れさせながら尋ねる。

「大きく言えばそうね。研究の内容を手に入れ、同時にその完成を阻止する。でも、一番の目的はラウルセンの背後にいる人間を突き止めることよ」

「背後にいる人間……?」

クリアスの疑問にレベッカが頷く。

「アルフォワースには表の顔と裏の顔がある。シュレリーヌさんのような純粋に国のことを信じている人と、影で手段を選ばずひたすら自利ばかりを求めている人間。今回の研究を主導していたのはまさにその後者よ」

「……その人間を突き止めてどうするの?」

尋ねながらクリアスは言いようのない不安に顔を曇らせる。しかし、レベッカはいたって明るい表情を崩さず、答えた。

「さあ、それは上の人が決めること。末端の人間である私には分からないわ」

それは本心なのか、はぐらかされているのかクリアスには分からなかった。

「とまあ、そういうわけで私はこの街に派遣されたの。ただ、裏の人間のことを突き止める前にラウルセンが死んじゃったのは、私たちの望む結果ではなかったわね。本来ならシュレリーヌさんにラウルセンを捕まえてほしかったんだけど……」

「……どういうこと?」

いきなりでてきたシュウの名前にクリアスが反応すると、レベッカは再び椅子に腰かけ、落ち着いた声で話す。

「以前からラウルセンの周辺を探っていたんだけど、なかなかその背後の人間との繋がりが掴めなくてね。それで泳がせることにしたの。そうしたら、シュレリーヌさんがこの街に来た。あの人はどの組織の息もかかっていなくて、独自の調査でラウルセンの陰謀に行き着いた。ただ、あくまでラウルセンが私たちダーニオン帝国と繋がっていると思っていたみたいだったけれど……。ともかく私たちは彼女に活躍してもらうことを望んでいた。もしラウルセンが捕まれば、裏にいる人間は当然それを隠蔽しなければならない。動かざるを得なくなる。そうなればその人物を突き止めることができる。私たちの狙いはそこだったの」

その話に思い当たることがあったのか、飛龍が口を開く。

「ひょっとして、館長が手配していた船の出航を妨害したのは君なのか?」

「ええ、彼が船で逃げだそうとしていることは直前でわかったの。だからそうできないようにいろいろと手を回したのよ」

ラウルセンはそれをシュウが行ったものだと思っていたが、実際はレベッカ、いやダーニオン帝国の手によるものだった。

「それと博物館に火を放つ計画も同時に知ったの。あそこにはラウルセンの交友関係を示す資料があったから、それを持ち出すために戻ったのよ。もちろん、博物館の人には気付かれないようにね。だから、クリアスには悪かったけど、火の手が上がるころには私はもうあそこにはいなかったわ」

そうだったのかとクリアスは心の中で呟く。結果的にあそこで火の中に飛び込もうとしたのは全く無意味な行動だったわけだ。いずれにせよ、レベッカに危険はなかったのだと分かって、どこかほっとした気持ちが湧き上がる。

「ただ、街中に魔物を放つ計画までは掴めなかったわ。このことはこちらの手落ちね。元々私たちが来る前から計画していたんでしょうけど、分かっていれば防げたかもしれなかったのに……」

そこでレベッカは悔いるように斜め下を向く。その様子を伺いながら飛龍が訊く。

「ところでさっきから『私たち』と言ってるけど、君の他にもこの街にはダーニオン帝国の人間がいるのかい?」

「ええ、こんな重大な案件に対応する人間がさすがに私一人ということはないわ。詳しくは言えないけど、この街には私の仲間が何人かいる。街中にも、港にも、警察隊の中にもね」

何気ない風に答えるレベッカ。しかし、口調の軽さに反して、その言葉は重い響きを伴ってクリアスの耳に届いた。警察隊の中にもいる。だとしたら警察隊庁舎での会話は全て聞かれていたのかもしれない。

「もちろん、この街にはラウルセン側の仲間もいたわよ。冒険者を攫ったり、街中に魔物を配置したりしたのはおそらく彼ら。でも、彼らもなかなかの手練れだったから、こっちも尻尾を掴めなかったわ」

爽やかな活気溢れるこの港街の裏側で起きていたことが徐々に明らかになってきた。しかし、ここにきて、クリアスは再び不安になった。なぜレベッカはこんなことを自分たちに話すのか? その疑問をアインが口にする。

「お前の素性も目的も分かった。だが、それを俺たちに話して何になる? いったい何を企んでいる?」

「企んでいるなんて。別にあなたたちに危害を加えるつもりはないわ。私が自分の素性を明かしたのはこれから話す本題のため……、ほんの少しでも信用してもらいたいからよ」

「本題?」

再び疑問を呈するクリアスにレベッカは長い瞬きとともに頷くと、三人を見渡していった。

「端的に言うわ。あなたたち、私たちの仲間にならない?」

あまりに唐突な提案に三人は沈黙する。そんな三人を見ながらレベッカはさらに言葉を続ける。

「知っているかもしれないけど、私たちの国は天帝と呼ばれる一人のお方が国を治めている。その方が国を作る上で最も重要視しているもの――それは人。私たち特殊作戦部隊は諜報部からの任務とは別にその方から勅命を受けている。それは国内外問わず、あらゆる方面から優れた人物を見つけ出し集めること。今回、ラウルセンの調査は諜報部からの指令だったけど、特戦部の最優先任務としてはそちらになる。そういうことでここには特戦部の任務としてここに来たの。もし、一緒に来てもらえるならそれ相応の待遇はさせてもらうわ」

「……つまり、君の国は人財を求めていて、僕らはそのお眼鏡に叶った、ってことかな?」

「ええ」

飛龍の問いに満面の笑みで答えるレベッカ。それに対し、クリアスは戸惑いながら尋ねる。

「どうして私たちなの? 私たちに何を求めているの?」

レベッカは不思議そうにクリアスを見返す。

「どうして? そんなの当然じゃない。あなたたちはアルフォワースの非道な研究を暴き、それを頓挫させた。もちろん偶然によるものもあったけれど、今回の結果に辿り着けたのはあなたたちの決断力、行動力、そして、何より正しきことを為そうとする強い意志があったからこそよ。それに……」

レベッカは飛龍、アイン、クリアスを順に見つめ、

「不可思議な結界を発生させる、おそらく古代の超遺物『創造の花』である双剣を持つ剣士。希少なオリハルコン製の武具を有し、身体強化の魔法を行使し、惨禍の徒にその肉体で立ち向かえる元義賊。まだ誰も発動させたことがないとされている幻の魔法『理の魔法』を実現させた魔導士。彼らはその力をもって『厄災の時候』から生き残っていた惨禍の徒を倒した。はっきり言って、これで注目しない方がおかしいんじゃない?」

賞賛と期待を湛えた視線を送る。それに対してクリアスは当惑の、アインと飛龍は思惑を感じさせない眼差しで見返す。

「……君は僕らがあのジグマという惨禍の徒と戦うところを見ていたのか?」

「いえ、あなたたちの戦いを見ていたのは私の仲間の一人。ラウルセンのことはその仲間がずっと監視していたの。私は話を聞いただけ。でも話だけでもあなたたちの凄さは十分伝わってきたわ。あ、そういえば……」

そこでレベッカは何かを思い出したとばかりに、ぽんっと手を合わせる。

「その人があなたたちに感謝していたわ。その人はあなたたちとジグマという惨禍の徒との戦いを見ていたのだけれど、その惨禍の徒は、どうも見られていることに気付いていたみたいなの。その惨禍の徒は目撃者を消すつもりみたいだったから、もし、あなたたちが負けていればその人もきっと殺されていた。だから、お礼を伝えるよう頼まれたの」

クリアスは小さく口を開けたまま、レベッカの話に聞いていた。ジグマとの戦いを陰で見ていた人間がいたことも驚きだったが、それにジグマの方も気付いていたことには、もっと衝撃を受けた。最後の最後までそんな素振りは全く感じられなかったからだ。ただ、思い返してみると、ジグマは過去に目撃されたことについて語った時、どこかあらぬ方向を見ていた。あれはその監視者を見ていたのだろうか。

「別に礼を言われる筋合いはない。お前の仲間を助ける気などなかったからな」

「でも、あなたたちのおかげであの人が助かったのは事実だから」

明確な拒絶の態度を示すアインに、レベッカは眉根を寄せて困ったような笑みを浮かべる。

「確かに僕らは惨禍の徒を倒した。でも、あれは色んな幸運が重なってのことだった。正直なところ、勝てたのは運がよかったに過ぎない」

「でもあなたたちが類稀な能力を持っていることは疑いようがないわ。そして、最大限の結果を出すべく、その力を合わせた。あなたたちが一目置かれた一番の理由はそこよ」

レベッカは膝の上で手を組み、力を込めて話す。

「あなたたちは惨禍の徒を前に恐怖を覚えつつも誰も逃げなかった。それぞれが他者のことを思い、全霊をかけてお互いを救おうとした。あなたたちの強さの本質はそこにある。あのお方は苦難にある人々を救い、世界を良き方向へ導くのはそうした意志を持つ人間だと思ってる。あなたたちはまさにそうした人間よ」

熱を帯びたその言葉にクリアスはふと既視感を覚えた。それがなぜなのか記憶を辿ったとき、あのジグマの姿が浮かんできた。

そうだ。ジグマも同じことを言っていた。魔物を倒し、人を救うのは他人を思い、確固たる意志を持ったものだと。目的は正反対だが、レベッカとジグマが探し求める人物は奇しくも同じだった。

「だからもう一度言うわ。私たちの仲間にならない?」

今度こそ、レベッカは真剣な眼差しで三人を見つめる。

向けられる静かな期待とは対照的に、クリアスは揺らぐ瞳でレベッカを見つめ返した。

クリアスは魔法王国エルザの一国民であり、同国名を冠する魔法学院の一学生。エルザに戻れば両親も学友もいる。ダーニオン帝国に行くということはそれらを捨てるということだ。そんな提案受け入れられるはずがない。クリアスにはレベッカがそんなことも分からない人間だとは思えなかった。だからこそレベッカの真意がどこにあるのか、それがどうしても掴めない。

その不可解さがクリアスの心を苛む中、アインが鼻で笑った。

「お前は俺たちを誘うのは世の中をよくするためだと言った。だが、その世の中っていうのはつまるところダーニオン帝国のことだろう? 世界に喧嘩を売った小国の一員となって、俺たちにもその片棒を担げと? 笑えない冗談だ」

レベッカの顔から初めて笑みが消え、少し悲しげに目を伏せる。

「あなたは、やっぱりあの戦争は私たちが悪いと思っているの?」

「国同士が諍う理屈など俺には分からん。ただ俺に言えることは、他人の土地に踏み込んで街を蹂躙し、火の海にしたのはダーニオン帝国だってことだ」

辛辣な批難。だが、その言い方にクリアスは少し引っかかるものを感じた。いつも感情を表にしないアインの声に微妙な熱がこもっている。そして、その怒気が滲み出る顔を見つめたところで、一つのことに思い当たる。

「アイン、ひょっとして、その顔の火傷って八年前の戦争の時に……」

言ってしまってクリアスは後悔した。あの時アインは家が火事になったとしか言わなかった。それは口に出したくなかったからではないか。子供時代に戦渦に巻き込まれた記憶。そんな過去なら思い出したくないのは当然のはずなのに……。

「……ごめんなさい」

「なぜおまえが謝るんだ?」

「あ……その、なんとなく……」

そして、もう一つ得心がいった。孤児院で決して得手ではないであろう子供たちに対し、アインが邪険に扱うことはなかったこと。それはあの子たちが同じ戦争の余波によって孤児なったと聞いたからではないか。

そんな二人をみて、レベッカが口を開く。

「そうね。謝らなければならないのは私たちの方だわ。あなたにそんなことがあったなら、恨んで当然ね。……でも、これだけは言わせて欲しいの。あの戦争は私たちが望んだことじゃなかったってことを……」

その言葉にアインは再び鼻を鳴らす。

「まるで自分たちは悪くないといった言い方だな」

更なる批難に対し、レベッカは何かを思いつめるように再び視線を落とした。しかし、それ以上何も言うことはなく、顔を上げて一つ頷くと、

「分かったわ。あなたの答えは『否』ということね」

今度は飛龍に視線を移す。

「あなたは?」

水を向けられた飛龍は硬い表情のまま、明瞭な声音で言い切る。

「僕も君の提案は受け入れられない」

その答えを予期していたかのようにレベッカは穏やかな表情で尋ねる。

「理由を聞かせてもらえない?」

「さすがに今の話だけで仲間になれ、というのは無理があるんじゃないかな……」

「う~ん、その『無理』の部分をもう少しだけ詳しく話してくれない?」

おねだりするような笑顔を浮かべるレベッカとは対照的に、飛龍は真剣な眼差しで一拍間を開け、答えた。

「まず君の言っていることが信じられない。一番不可解なのは、君が僕らの答えを聞く前に素性を明かしたこと。もしこの後、僕らが君のことを他の人に――例えばシュウさんとかに話したらどうする気なんだ? 君がダーニオン帝国の人間なら、敵国の人間に素性が知られることは絶対に避けたいはずだ」

すると、レベッカは「ああ、そのことね」こともなげに頷き、

「別にいいわ、話しても。シュレリーヌさんなら他の人に話すことはないから」

予想外の返答に飛龍は虚を衝かれる。

「なぜ……?」

「だって、私のことを話したら、必然的にアルフォワースの王立研究所が非道な研究を裏で支援していたことも話さざるを得なくなる。でも、王立研究所としてはそのことは絶対に公にできない。すべてを隠蔽しようとするはず。あとはわかるわよね?」

「そんなことって……」

いいかけてクリアスは思い出した。ラウルセンは、自分は捕まっても必ず庇護されると嘯いていた。それならばレベッカの言うことはあながち間違いとは思えなかった。

「それにね。シュレリーヌさんの組織の中での立場はちょっと微妙なのよ。どの組織にも派閥はあるものだけれど、あの人はそのどこにも与していない。だから、王立法務院にも守ってくれる後ろ盾がいないの。……あなたたち、シュレリーヌさんがラウルセンのことを調べにこの街に来たことは聞いてるわよね。でも、その時おかしいと思わなかった? シュレリーヌさんは私たちダーニオン帝国が暗躍していると訴えてここに来たのだけれど、そんな国家間の紛争に繋がるような事案を調べるのに派遣されたのが彼女一人なんて」

クリアスは不穏な気配を感じ取る。言われてみればそうだった。ラウルセンのことについてシュウは単独で調べていた。レベッカがそうであると言っていたように、こんな重大な事案に一人だけしか派遣されないというのは、普通は考えられない。

「つまり王立法務院の人間は彼女の言うことを本気にしてはいなかった。だから彼女をここに派遣したのは、彼女がどうでもいい人間で……、いいえ、違うわね。彼女を疎ましく思っていたからこそ、派遣調査を希望したのをこれ幸いにと体よく中央から遠ざけた。組織に属さない優秀な人間っていうのは、いつの時代も叩かれるものだから」

クリアスは正義を信じ、己の義務を果たそうとするシュウがそのような境遇に置かれていることにやりきれない思いを感じた。

「彼女は今回のことを有耶無耶にする気はないと思うわ。でも、それはすべての証拠を揃え、ラウルセンの裏にいる黒幕を完全に暴いてからでないとできない。私を突き出したところで、王立研究所は否定するだけ。しかも王立法務院にも陰謀に加担している者がいる。それなら完全な証拠がなければ手出しはできない」

そこまで言ったところで、レベッカの眼に不意に妖しい光が宿る。

「ところであの研究は王立研究所や王国軍の一部の人間の思惑によるものなのかしら?」

そこでレベッカは言葉を切るが、クリアスはその問いかけの先を容易に想像することができた。もしもっと上の人間の意志が介在していたとしたら……

上の人間、つまり国を統治する最高権力――アルフォワース王室。あの夜、ラウルセンはそのことを仄めかしていた。となるとシュウは国自体を敵に回すことになる。闘うにはあまりに強大な相手。何より国家に忠誠を誓うシュウにとって、それは自身の存在意義を揺るがすことに等しい。生半可な覚悟でできることではない。

「だから、シュレリーヌさんはすべてを知り、相応の覚悟ができるまで下手に動かない。私のことも話さない」

一様に押し黙る三人。その中でレべッカは疑問を投げかけた飛龍を見つめながら問う。

「それはそうと、あなたは私のことを誰かに話すつもりなの?」

しばしの黙考の後、その問いかけの裏に含まれるものを見抜き、飛龍は眼を眇める。

「……クリアスのことか」

「正解。やっぱりあなたは聡明ね。それに仲間思いだわ」

二人が自分の何について話しているかついていけず、クリアスは二人の間で視線を往復させる。そんなクリアスを落ち着かせるようにレベッカは優しくゆっくりとした声で言う。

「『理の魔法』は今のところ誰も発動に成功していないことになっているはずよね? でも、もしそれを実現した人間がいると知ったら、みんなどんな反応をするかしら」

「あっ…」

クリアスはそれで二人が何を考えていたかを察した。

「私のことを話すなら、必然的に今回の事件の概要を話さなければならない。でも、クリアスが『理の魔法』を使えることを秘密にしておきたいならそれはできない。……ううん、もし、そのことをうまく誤魔化したとしても、私がアルフォワースの人間に話してしまったら意味がない。そして、その時にクリアスがどんな目に遭うか……」

親友が『理の魔法』を秘密にするべきと考えた理由と全く同じことがレベッカの口から発せられた。やはり、皆、その考えに至るのかとクリアスは暗鬱な気持ちになった。

実はクリアスはこの街に来るまで、世界最高の研究機関である王立研究所なら純粋に真実のみを探求し、ともに『理の魔法』の解明を目指せるのではないかと希望を抱いていた。しかし、王立研究所にラウルセンの研究を裏で支援していた者がいると知った以上、もはやそれは幻想であったと思わざるを得ない。

「もちろん、私はどんな拷問をされても親友を危険に曝すことをいうつもりはないわ。でも、相手がどんな手段を使ってくるかわからない以上、絶対に秘密にできるとはいえない」

さらりと恐ろしいことをいうレベッカに、クリアスは自身とレベッカの生きている世界の差を感じずにはいられなかった。

「つまり、君は自分の素性がばれないと確信したからこそ僕らに話したってことか……」

「いいえ、確信なんてしていないわ。本当に秘密にしたかったら、最初から打ち明けるなんてしないもの。つまり私はそれ相応のリスクを背負ってあなたたちに打ち明けた。それだけあなたたちのことを見込んでいるってこと」

静かながら真摯な意思を宿す瞳が三人に向けられる。飛龍はその視線を受け止めながらゆっくりと口を開いた。

「正直に言うと、僕には君が悪い人には見えない。君がいった天帝が世界のために人を求めているというのも嘘じゃないように聞こえる。そして、ここに来た君からは、そう思わせるだけの覚悟のようなものを感じる」

そこで飛龍は一度言葉を切り、聞きようによっては冷たく思える声音で言い切る。

「だけど、それはそう感じただけであって、本当かどうかは分からない。君の言っていることが真実かどうかも確かめようがない。だから、僕は君の要求を受け入れることはできない」

レベッカは瞑目し、首肯した。

「あなたが拒否する理由は分かったわ。それじゃ最後は……って尋ねるまでもないわね」

といって視線を向けた先で、レベッカはその困惑が張り付いたような表情に苦笑する。

「クリアス、あなたってほんとに嘘つけない女の子ね。でも、そこがいいところなんだけど」

揶揄われているようにも聞こえたが、その声に邪気は感じられなかった。

「……レベッカ、あなたは最初から私たちが受け入れないって分かってたんでしょ? どうしてこんな話を私たちに?」

「それは最初話したようにあなたたちのことをもっと知りたかったから。特にこちらの二人のことはよく知らなかったから、実際に会って話してみたかったの」

といってレベッカは肩をすくめる。

「それだけ?」

「それだけよ」

にっこり笑うレベッカにクリアスはどう答えてよいか分からず、言葉を失う。

「別に今すぐ私たちのところに来てもらわなくても、将来的にそうなってくれればそれでもいいの。それに突き詰めていけば、私は仲間になってもらわなくてもいいと思ってる」

「どういうこと? それじゃあなたの話は意味がないじゃない……」

クリアスの指摘にレベッカは首を振り、それから遥か先の空を見るように顔を上げた。

「そう遠くないうちに世界は動く。その時に必要となるのはあなたたちのような人間よ。あのお方がそうと信じているように、私も人の力というものを信じている。正しい意志を持った人間がそれぞれの役目を務めることで、世界は動き、輝かしい未来が築かれる。そうした人たちが私たちの国とともに歩むというのなら、もちろんそれが最高よ。だけど、世界が正しい方向に進むために、その人たちがいるべき場所が他にあるというなら、私はそれでもいいと思ってる。国境なんてものは人が勝手に決めたもので、本来、世界は境界なんてない一続きのもの。そして、人の営みもその場限りのものじゃなく、繋がっていくもの。だから『どこで』ということは問題じゃない。そうした人が為したことは一つ一つの色となり、最後には世界という絵を彩る。私はそう信じている」

その瞳の先に見ているのは、遥か未来なのか、それとも別のものなのか、クリアスには判別がつかなかった。しかし、その眼差しにクリアスは彼女が属する組織からは想像しがたい純粋な願いを感じずにはいられなかった。

やがて、その柚子葉色の瞳に満たした潤いを消し、レベッカは一転して晴れやかな笑顔で指を一つ立てる。

「まあ、だから、あなたたちは世界の未来の担い手ってことで、私はその最終確認に来たってことかな? それで、もし気が向いたら私たちの国に来てみてねってこと」

まるで観光誘致でもするような気安さに呆気にとられるクリアス。そんなクリアスを見つめながら、レベッカは立ち上がる。

「それじゃ、私はそろそろお暇するわ。……あ、そうそう。さっきはああ言ったけど、シュレリーヌさんにはあなたたちから私のことを伝えておいてほしいの」

「えっ……話していいの? シュウさんに?」

驚くクリアスにレベッカは事も無げに頷く。

「ええ、だってあの人も私たちにとって貴重な人財候補なのよ。それと、あの孤児院のシスター、フィールさんも」

更なる驚きがクリアスを包む。ということは今回の件に関わった人間すべてがレベッカに……というよりダーニオン帝国に注目されているということになる。

「でも、フィールさんは子供たちが最優先だから、どう考えても私たちの申し出を受けそうにないわ。だから、彼女の名前は記録に留めるけど、声をかけることはやめたの。シュレリーヌさんはすごく優秀な人だし、彼女の境遇を考えるとうちに来てもらった方が、世のため、人のため、彼女のためだと思うんだけど……」

そこでレベッカは少し下を向き、はにかむ。

「でも彼女は国に忠誠を誓っているだけでなく、心から愛している。私と同じようにね。その想いがある限りは絶対に祖国を離れることはない。それが分かってて誘うなんて無粋でしょ?」

レベッカはふわりと身を翻すと、

「じゃあね。あなたたちとはまた会える日がくるといいな」

病室のドアを開け、最後に笑顔で手を振った。

その笑顔はクリアスの胸に針のような痛みを残した。しかし、声をかけようとクリアスが口を開きかけた時には、その姿はすでに扉の向こうへと消えていた。


静かな嵐というべく奇妙な時間だった。三人が各々の思いを内に秘め、奇妙に息苦しい沈黙が流れる。その鬱滞した空気を振り払うようにクリアスは意を決して立ち上がった。

「飛龍、アイン……、私、ちょっと行ってくる」

そういって、クリアスは部屋を飛び出した。

廊下を駆け抜け、階段を下りる。平坦な白い壁はどこまでも続き、行く手を惑わせているように感じた。しかし、角を曲がった向こう、人気のないロビーの先に求めていた姿があった。

「レベッカ!!」

驚いて振り向くレベッカの元にクリアスは息を切らしながら駆け寄った。

乱れる呼吸は突然走ったためだけではなかった。落ち着こうとするがなかなか息が整わない。そんなクリアスの口元にレベッカは人差し指を差し出す。

「クリアス、病院では大声で話しちゃだめよ」

言われてクリアスは、それが一般的な礼儀としてだけではなく、先ほどのことを他人に聞かれないように諭しているのだと察した。

人気のない廊下の端に場所を移す。クリアスはレベッカと向かい合い、できるだけ声を潜めて話そうとする。しかし、言葉が出て来ない。心の中は騒がしいのにそれが形となって表に出て来ない。今の気持ちを表現できない自分にクリアスがもどかしさを覚えていると、

「ごめんね」

その焦りを突き抜けて弱々しい声が届いた。そして――、

「私はあなたを裏切った」

明るさの消えた瞳がまっすぐに見据えてきた。その眼差しにクリアスは表情を曇らせる。

確かにレベッカは本当の自分を隠していた。しかし、それと裏切るという言葉がクリアスの中でうまく結びつかなかった。

「レベッカ、別にあなたは裏切っては……」

「いいえ、裏切ったのよ!」

最後に見せた笑顔。そのときに堪えていたものを吐き出すように悲愴な声で告げる。

「あなたに素性を隠していたのもある。だけど、一番はあの夜のこと……」

「あの夜?」

「私、あなたたちと惨禍の徒との戦いを仲間から聞いたと言ったわよね?」

話が読めないながらもクリアスは頷く。

「その報告を聞いて思ったの。私、その場にいなくて本当に良かったって……」

そこでレベッカは拳を握り、下を向く。そして、震える声で言う。

「もし、その場にいたら…………たぶん私はあなたを見殺しにしていた」

思わぬ告白にクリアスは絶句する。

「こういう仕事をしてるから私もそれなりに身を守る術は持っている。でも、報告を聞く限り、その惨禍の徒はとても私の手に負える相手じゃない。それなら下手に加勢して無駄に死ぬよりは、少しでも自分が生き残れる道を選ぶ。その場にいれば私はそう判断したはず……」

「レベッカ、それは……」

クリアスが言うより早くレベッカが言い募る。

「でも、あなたは助けようとしてくれた。自分の身の危険も顧みず、火の中に飛び込もうとした」

博物館での一連のやり取り。レベッカはそれを聞いていた。

「それにあの夜、ラウルセンのいる港に向かうように言ったのもそう。私たちは彼の動向を完全には掴めていなかった。だから彼が街に魔物を放った以外にもまだ何か隠していて、あなたが危険に曝される可能性があると分かっていた。それでも私はあなたを行かせた」

表情を隠すようにレベッカは壁の方を向く。そのとき、クリアスはレベッカが眼を逸らして話すのは初めてだなと気づいた。

「実はね。あなたたちを勧誘することを熱心に進めたのは私の上官なんだ。私自身は、正直に言えばここには来たくなかった。だから一度は拒否したの。でも少しでも面識のある私が行った方が話は通じやすいはず、だから行けって命令されちゃった。命令と言われれば私も組織の人間である以上、逆らえないしね……」

内なる苦しみを抑え込むようにレベッカは両手をその胸に当てた。なぜ来たくなかったのか、クリアスはその理由を問い質しはしなかった。ただ、静かに耳を傾ける。

「あなたたちはお互いを守るために自分の命を懸けた。そして、私は世界に必要なのはあなたたちのような人間だといって、共に来て欲しいと頼んだ。……でも、はっきり言って傲慢よね。私自身にはその覚悟がないんだから。それどころか、友人を危険に曝すような真似までした……」

しかし、それを聞いてもクリアスの胸にレベッカを批難する気持ちは湧き上がらなかった。レベッカの組織はシュウがラウルセンを捕らえることを望んでいた。おそらくラウルセンの居場所を知らせたのも、その上の人間からの指示だったのではないか、そう想像する。

「この街に来て、あなたに出会って、私は初めて友人と思える人ができたと思った。でも、それは単なる私の独りよがり。私には友人を作る資格なんてない」

「そんなことない!」

気づけばクリアスは叫んでいた。

「私が遺跡の別館に行きたいといった時、あなたはひどく反対した。それはあの遺跡で行われていることを知っていたから……。私を危険な目に遭わせたくなかったからじゃないの?」

レベッカは潤んだ瞳でクリアスを見つめる。

「あなたは本当のことを隠していた。でも、それはあなたにも事情があったから……。惨禍の徒なんてものを目の前にすれば普通の人なら逃げだすわ。それを責めるなんてできない。だから……」

しかし、その先を続けることができない。目の前の友人に対し、「信じてる」と示す一言がなぜか出てこない。クリアスはその一言を言えない自分を激しく嫌悪した。

「優しいのね……」

レベッカはそっとクリアスを抱きしめた。その手は優しくもあり、同時に何かを恐れているようでもあった。まるで繊細な花を散らすまいとばかりに……。

クリアスもそっとその背に手を回す。

「レベッカ、わたし、あなたのことを信じたい……、だけど……」

抱きしめる手にわずかに力がこもる。すると、すぐ横にある顔が微笑むのを感じた。

「ありがとう。その言葉だけでいいわ。私にはもったいないぐらいよ」

レベッカはゆっくりと体を離した。

「私は人を疑うことばかりをしてきたから、あなたのように信じようとする人が……たまらなく眩しい」

二人の距離が開いていく。

「だから、私たちはもう……」

「また、いつか!!」

発せられた叫びにレベッカの動きが止まる。その声量にクリアス自身も驚いた。しかし、続きを伝えるのに躊躇いはなかった。

「いつかまた話そう……。私はもっとあなたと話したい」

それは嘘偽りない答え。伝えたかった想い。

レベッカが微笑む。わずかに潤った瞳以外、いつも見せるのと同じ花の咲くような笑顔。

「ええ、だから、そのときまで……」

クリアスも頷く。

「さようなら」

「さよなら……」

明るい陽光の反射が眩しい白亜の街。潮風が漂うその街の光の中に溶け込むように、レベッカの姿は霞むように消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る