失われぬもの

――三日後。

綺麗な白い長方形の形をした、この街唯一の病院。そこにクリアスたちは入院していた。

ジグマが自爆した時、とっさに伏せたことやある程度距離があったことから、全員爆発による怪我はさほどでもなかった。が、それでもクリアス以外、それぞれ重傷ではあった。

ただ、ここペオエスクは辺境であるにもかかわらず、その医療水準は高く、みな適切な治療を受けることができていた。これも十数年前に発見された古代文明の遺物の賜であった。

古代の記録から再現された、感染症を防ぐ薬の処方や全身麻酔による外科手術が普及した今日は、世界の医療技術は飛躍的な進歩を遂げていた。そのため、ひと昔前では見限られた命も、現在ではごく当たり前に助けられるようになったことは僥倖というべきだった。

「二人とも元気?」

飛龍とアインが寝ている病室。そこへクリアスは顔を覗かせた。

「そう見えるか?」

何気ない声掛けにベッドの上でアインがぶっきらぼうに返事をする。

飛龍とアインは、ジグマと文字通り命を懸けた打ち合いをしたこと、そして双剣の能力の使い過ぎと身体強化の魔法の反動で、互いに全身打撲と極度の消耗。二人ともまだ体を起こすのがやっとの状態だった。一方で、クリアスも魔力を酷使したことによる精神疲労によって、念のため入院となっていたのだが、十分な休養を経て、晴れて今日退院となったのだ。

ちょうど二人部屋が空いていたのでこの部屋には飛龍とアインしかいない。部屋の隅には宿から届けてもらったのか、二人の荷物がこじんまりとまとめられており、その傍に飛龍の二振りの剣が立てかけられている。

クリアスはまずシュウの容態を伝えた。シュウはやはり肋骨が肺に刺さり、一時は危ない状態だったが、無事に手術が終わり、今は峠を越えたという。そして、手術痕もそれほど残らないとの医者の話だった。アインが「最後のは重要なことか」と聞くと、クリアスは「女性の体に傷が残るかどうかは重要なことよ」と答える。

その会話をきっかけにクリアスはあの夜のことを振り返る。

「でも、びっくりした。アインが魔法を使えるなんて。道理で魔法に詳しいと思ったわ。だけど、どうして黙ってたの?」

顔を輝かせながらもそう疑問を呈するクリアス。それに対し、アインは感情の起伏の見えない瞳で見つめ返し、

「俺が使えるのはあの魔法だけだ。正直なところ、なぜ使えるのか俺にもわからん」

自分の掌に目を落とした。

「昔、俺も魔法を習得しようとした時があった。だが、お前と違って俺はすぐに諦めた。と思ってな。ただ、その後もあの呪文は強くなるための一種の自己暗示のつもりでずっと口ずさんでいた。そうしたらある日突然使えるようになった」

アインが拳を握る。

「だが、この魔法を使えるようになって、他の魔法も色々試してみたが、結局、俺は『導きの灯火ティム・ライト』すら発動させることはできなかった。やはり俺には魔法の才能はないらしい。だから俺の場合、使えるといえるほどのものじゃない」

その話にクリアスは「ああ、そうか」と納得した。

教会で魔導士への道を諦めないと話した時から、その向けられる眼差しが和らいだ感じがした。その感覚は気のせいではなかった。

昔、才能がないと言われ、それを自覚した時の無念さを思い出すと今でも胸が痛くなる。それと同じ苦さを経験した人が目の前にいる。そして、その人はその苦さを共有すると共に、昔の自分には持ち得なかったものを見て、賞賛を送ってくれていたのだろう。

「そんなことないよ。アイン」

クリアスは優しく笑う。しかし、その眼はいたって真剣だった。

「一つでも魔法を使えたってことはあなたには才能がある。魔法の具現化は意志の強さだとも言われてる。アインが魔法を使えたのはそれだけ強い意志があったから。それにアインは正式な指導なんて受けてないんでしょ? それで魔法を使えるようになったのは凄いことよ。ちゃんとした修練を積めば、きっとさらに魔法を使えるようになると思う。普通の魔法がほとんど使えない私が言うのも何だけど、よければそのやり方は教えてあげるよ」

クリアスの熱の籠った視線をアインはしばし無言で受け止めていたが、

「……気が向いたらな」

そう受け流し、両手を頭の後ろに組み、寝台に背を預ける。それがなんだか照れ隠しのように見えて、クリアスは思わず笑ってしまった。

その様子に同じく笑いながら飛龍が口を開いた。

「でも、本当にありがとう」

唐突にかけられた謝意にクリアスは笑みを浮かべながらも小首を傾げる。

「君がいなかったらみんな助からなかった。こうやって話せているのも君のおかげだよ」

「それをいうのは私の方よ。私こそ一人なら何もできなかった。飛龍たちが、みんながいたからこそ私はここにいる」

互いを称え合う気持ちを確かめるようにクリアスと飛龍は笑みを交わす。そんなクリアスをアインがじっと見つめる。

「ところでお前はどうして逃げなかったんだ?」

「え?」

クリアスは再び小首を傾げる。

「俺たちが戦っている間、お前だけは逃げることができたはずだ。むしろ戦闘の心得などないお前にとっては、そうするのが当然じゃないか?」

尋ねられ、クリアスはしばし考え込む。

「そう言われれば……でも、あの時は私もどうにかしなくちゃならないって気持ちでいっぱいだったから……」

アインは何か不思議な生き物にでも出会ったかのように少し目を見開き、呟いた。

「……お前、長生きできない人間だな」

「ちょっと。命の恩人に対して、もう少し言い方があるんじゃない?」

腰に手を当て冗談めかして言うクリアスに、アインは軽くだが、珍しく表情を綻ばせる。

「そうだな。惨禍の徒を相手に逃げないその肝っ玉は大したものだ」

「もう、それも女の子に対して使う言葉としてはどうかと思うわ」

少しむくれて見せるクリアスに飛龍が笑い、アインも苦笑じみた笑いを返す。

「でもほんとに生きてるのが不思議なぐらい。まさか、惨禍の徒が人間に紛れて生きているなんて……」

「うん、そうだね……」

あの夜のことを思い返すように呟く飛龍。しかし、その顔に浮かんでいるのは、助かったことに対する安堵や戦いの恐怖といったものではなかった。飛龍が顔を上げ、クリアスを見る。

「君の言葉がずっと頭に残っているんだ」

「私の?」

「『理性でもって戦うことを決めたなら、理性で戦いをやめることもできる』。君の言う通り、人と魔物は戦わずに済むんじゃないかって、そう思わずにはいられないんだ」

クリアスは無言で飛龍を見つめ返す。

あの時、思うがままに口をついて出た言葉。もしかすると飛龍はジグマと戦っている間もずっとそのことを考えていたのかもしれない。もちろんそれが叶うことは、広大な海の底に沈んだ一枚の金貨を探し当てるのに等しいことだとは分かっている。理性を持っていると自負している人でさえ、争うことを止められない。ましてや人と魔物。成り立ちの違う二つの種がともに不利益なく共存するなど夢物語だと誰もが思うだろう。それに……

「彼が言ってた魔物が生み出された理由についてどう思う?」

その質問を飛龍とアインは硬い眼差しで受け止める。

魔物は太古に創造主と呼ばれる者が人間を進化させるために生み出した。そのために人は幾度となく恐怖と悲劇に見舞われたが、それ以上に魔物は命を奪われ続けてきた。俄かには信じられない話であったが、あの時のジグマは虚言を並べているようには見えなかった。

「もし、あの話が本当なら、魔物が人間を恨むのも無理ないよね。もちろん人を滅ぼそうとすることは肯定できないけど……。あのジグマという人……魔物には間違いなく理性があった。彼は無理だって言ってたけど、言葉を交わせるならやっぱり分かりあえるんじゃないかって思いはずっと私の中に残ってる。だから私も飛龍と同じ気持ちかな」

その晴れない表情の中に微かな希望を交えるクリアス。飛龍も少しだけ唇を緩めた。しかし、そこへアインの鋭い声が飛ぶ。

「だが、そうも言ってられないだろう。あいつの最後の言葉が本当なら、すでにこの世界には暗躍している魔物がいるってことだ。そんな相手に話し合いが通用する可能性はまずないと思った方がいい」

「それはわかってるけど……」

現実的な意見を突き付けられ、不満げに言葉を切るクリアスに飛龍が柔らかく声を掛ける。

「違うよ。アインはそれが難しいと分かった上で、向き合う必要があるといってるだけだよ。君の想いを否定しているわけじゃない」

「いや、俺は……」

「そういえばフィールさんは?」

相棒の抗議には取り合わず、話を変える飛龍。以前と同じく、アインは何かを言いかけるが、諦めたように仰向けになり、目を閉じた。

――なんか飛龍って時々アインに対して遠慮ないよね。それだけ二人は親しいのかもしれないけど……

未だその関係を掴みかね、不思議そうに二人を見つめていたクリアスだが、問われていたことを思い出し、瞳を曇らせた。

「そうだ、フィールさんのことね……」

言い淀むその様子に飛龍の表情が険しくなる。

「……そんなに傷は重いのかい?」

「ううん、違うの。実は……」

その顔に憂いの色を浮かべ、クリアスは入院して翌日のことを語る……。


クリアスと同じ病室にフィールはいた。フィールは左肩を骨折していたが、幸い命に関わる傷ではなかった。しかし、病室の窓から外を見つめる眼差しは、体の傷とは反対に重かった。

その眼差しの向こうに見ているのは孤児院の子供たちのことに違いなかった。クリアスは事が起きたその時には居合わせなかったが、あの場の惨状、そして子供たちとフィールの表情を見れば何が起きたかは想像できた。ここは触れない方がいいのかとも考えたが、迷った末、声をかけることにした。

「あの……フィールさん。ウィルくんたちのことなら心配ないですよ。警察隊の人たちがちゃんと見てくれているはずです」

その呼びかけにフィールは外を眺めたまま言った。

「私、あの子たちに話そうと思います。私の過去にあったすべてを……」

「……そうですか」

その心情を想像し、クリアスは下を向く。そこへフィールが平坦な声で続けた。

「そして、この街を出ようと思います」

クリアスは言葉を失った。この街を出る。唐突な言葉のその内に「子供たちも一緒に」という意思が見えなかったからだ。

「どうして……あの子たちはどうするんですか……」

「亡くなったエノラさんの他にもこれまでお世話になっていた方たちがいます。その人たちに今後のことを頼みます。勝手な申し出ですが、おそらく皆さん、当面は面倒を見てくれると思います。市長さんも孤児院の運営にはよくしてくださっています。それに父が残してくれた財産と少しずつ貯めてきた蓄えもあるので、あの子たちが独り立ちするぐらいまでの間は生活に困ることはないでしょう」

「いえ、そんなことじゃなくて……」

「私があの子たちを助けに行くところは、多くの街の人が見ています。この怪我の原因も誰もが疑問に思うところです。そして、警察隊の方は教会でのことを知っています。いずれ私のことは街中の人が知ることになるでしょう」

感情の抜けた声が淡々と発せられる。

「養っている人間が人を殺す技術を持っている。そのことを知ったら、街の人たちは子供たちをどう見るでしょうか」

クリアスは言葉を返すことができなかった。きっと分かってくれる人はいる。しかし、一方で疑念を捨てきれぬ人や真偽定かでない噂を囁く者も出るだろう。そんな中で、孤児院の子供たちがどんな経験をするか、クリアスは嫌な想像に頭を振った。

「何よりもあの子たちの気持ちです。魔物を殺した時にあの子たちが私に向けた目。あの目がすべてを物語っていました」

そこでフィールは初めてクリアスと目を合わせた。そこには余地のない諦念が滲んでいる。

「もう、戻ることはできないのです」

再びフィールは窓に視線を戻す。夏も近い暖かい季節だというのに、窓から見える景色はなぜか落莫として色が感じられない。クリアスはどうしようもない寂寥感にその翡翠の瞳を苦し気に閉じた。

そのとき、硬い音が響き、病室の扉が開いた。看護婦が扉を押さえ、案内するように手を差し出す。扉の向こうから現れたのは、一様に沈んだ顔をした孤児院の子供たちだった。

「あなたたち……」

よもや来るとは思っていなかったのか、フィールは表情を固まらせたまま、入ってくる子供たちを見つめる。全員がフィールの周りに集まると、ウィルが意を決したように叫んだ。

「あの……、ありがとう、シスター!!」

突然、発せられた大きな声にフィールは体を震わせる。

「シスターは僕らを助けてくれたんだよね! シスターって怒ったら怖い時があったけど、あんなに……その、すごいなんて知らなかったよ! だから、僕らびっくりして、だから……」

そこで、ウィルは大きく息を吸い込み、顔を紅潮させて懸命に話す。

「……びっくりしただけなんだ! 僕らはシスターを嫌いになったわけじゃないんだ! だから……お願いだからどこにも行かないで!!」

「えっ……?」

フィールは驚いて子供たちを見回す。街を離れる決意を表に出したのは、先ほどクリアスに話したのが初めてだった。知る由もないことのはずなのに子供たちは必死に目で訴えている。

「どうしてそのことを……?」

「だって、あの時、もうシスターが戻ってこないような気がしたの。もうお別れって……。シスターの顔が……そんな風に見えたの」

普段の気の強さとは正反対に、ルーテルが眼から涙を溢れさせながらフィールの袖を掴む。そして、反対の腕にはメリッサ。

「いっちゃやだ! わたし、ずっとシスターといたい!!」

その叫びを皮切りに他の子も堰を切ったようにシスターに抱き着き、顔を真っ赤にして泣きじゃくる。ウィルだけが気丈にもその場に立ったまま、泣くことを堪えようとしていたが、充血した目からはすでに涙が零れ落ちている。

フィールは傷の痛みも忘れて力強く子供たちを抱きしめ返した。その眼からは子供たちと同じ思いが溢れていた。

「ごめんなさい。私、あなたたちのこと全然わかってなかった……。本当に、全然……」

クリアスはうっすらと涙を浮かべながら思った。それは違うと。子供たちが言ったように突然のことにお互い少し驚いただけ。本当に深いところではフィールと子供たちは確かに繋がっていた。部外者であるクリアスにもそれははっきりと分かった。

ひとしきりその温かみを感じ、子供たちが泣き止むのを待ってフィールは切り出した。

「あのね。みんなに聞いてほしいことがあるの……」

真剣な眼差しで子供たちと向かい合うフィールを横に見ながら、クリアスは寝台ベッドから降りる。

「看護婦さん、ちょっと外を歩きたいんですが、ついてきてもらえますか?」

目の前の光景に戸惑っていた看護婦も雰囲気を察したのか、黙ってクリアスとともに部屋を出る。穏やかながら決意を秘めた声で話すフィール。それを真剣に聞く子供たち。話の後もきっと子供たちは病室を離れないだろう。その光景を思い描きながらクリアスは扉を閉じた。

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