死闘

「惨禍の徒!? ……お前が?」

シュウが信じられないといった目でジグマを見つめる。クリアスも同じ思いだった。しかし、なぜか否定できない。得体のしれない何かがジグマの発言を否定することを妨げている。

「惨禍の徒って『厄災の時候』の時に全滅させられたはず……」

「それはお前たち人間が勝手に思っていることだ。第一、何をもって俺たちを殲滅したとわかるんだ? 俺たちがどのくらいいるか知っているわけでもないし、誰が惨禍の徒か判別する術もお前たちにはない。その証拠に今の今まで俺の正体も分からなかっただろう?」

確かに人型の魔物というのも存在し、惨禍の徒は特に人に近い姿をしている者が多いといわれている。だが、似ているとはいっても、やはりその姿は人とは異なるというのがこれまでの定説だった。しかし、ジグマの見た目は人間にしか見えない。しかもそれが人に紛れて生きているとは……

「お前が本当に惨禍の徒だとしたら……こんなところで何をしている?」

シュウが尋ねるとジグマは気安く答えた。

「俺はある種の人間を探している。そのために各地の街を渡り歩いているんだが、この街は方々から色々な人間が集まるだろう? だから、俺の求める人間と出会える可能性が高いと思ってな。これまでも何度か来たことがあるんだ。お前たちも知ってるんじゃないか? ひと昔前、この街で俺の姿を見た奴がいたらしくてな。その時の話が伝わっているようなんだが……」

「まさか……あの言い伝えって……」

クリアスの呟きにジグマは自嘲するかのように唇の端を上げる。

「俺は気に入った人間以外には正体を明かさないんだが、あのときは他の人間に見られているとは気づかなかった。俺ももっと慎重に行動しないとな」

遠き日を思い出すかのようにジグマはあらぬ方向を見つめている。いや、実際、言い伝えはかなり前からあったと聞く。それに前回の『厄災の時候』は約三十年前。そうすると、ジグマは見た目通りの年齢ではないということだ。

「ただ今回は街に妙な魔物の臭いが漂っていたんで、気になって長居することにしたんだ。それがまさか人間が作り出したものだったとはな」

「はっ、馬鹿げている」

失笑の声を上げたのはラウルセンだった。

「貴様のようなやつが惨禍の徒だと? そんなわけはない。もし、そうだというならここで証明して見せろ。できるはずはないだろうがな」

その挑発にジグマの表情から一瞬笑みが消える。しかし、すぐに翳のある笑みを浮かべ、ラウルセンに歩み寄る。

「証明か。それなら人間に……お前が作った魔物にこんなことができるか?」

ジグマは左腕を上げ、聞き馴れない言葉を呟き始めた。全く聞いたことのない、人には発音できるとは思えぬ声。だが、その語感、そして抑揚から、クリアスにはそれが何らかの呪文のように聞こえた。

「『励起魔錬鐵ゼス・ラ・クエル』!」

ジグマが最後の言葉を言い終えると、指先を伸ばしたその左手が、手先から暗い鈍色に染まりだした。その変化が手首のあたりで止まったとき、不意にその左手が消えた。いや、消えたようにクリアスには見えた。

「は……?」

ラウルセンが疑問の声を発する。それが彼の最後の言葉となった。

直後、その首から凄まじい勢いで鮮血が噴き出し、ラウルセンは崩れ落ちた。クリアスが細い叫び声をあげ、思わず近くにいたシュウにしがみつく。

「できないだろう。さて……」

目の前の惨状も全く気にした様子もなく、ジグマは飛龍に向き直る。

「話の続きをしようか。俺はある人間を探しているといったな。その人間とは『真の強さ』を持った人間だ」

「真の強さ?」

身構えながら飛龍が問う。

「そうだ。そして、俺は初めて見た時から、お前たちがその人間であると見込んでいた。だから、都度、お前たちの様子を伺っていたんだが、今ここでそれを確信するに至った」

「……僕らの後をけていたのか? じゃあ、やっぱりあの遺跡で会ったのは……」

「ほう、気付いてたのか。まあ、ずっとじゃないがな。俺の嗅覚は人間より遥かに優れている。この街ぐらいの大きさなら、お前たちがどこに行こうがすぐに分かる。あの遺跡へはお前たちが何をしに行くのか見に行ったのさ。そうしたらあの妙な紋様のある遺跡からも、街に漂っているのと同じ魔物の臭いがしたんでな。お前たちなら何かを起こすんじゃないかと思って教えたのさ。あの時、俺は一度、街に戻る振りをしたが、実は引き返してその後も遠くから様子を見ていたんだ。そこの女とお前たちが戦うところもな。ああ、そういえば……」

ジグマが今度はアインを見る。

「アインだったな。お前、最初の騒ぎの後、広場で俺が見ていたことに勘付いただろう? 俺もあの時はまさか気取られるとは思わなかった。だからあれからは慎重に気配を消すことにしたんだ」

アインは何も答えず、ジグマを睨み続けている。そのアインをクリアスも見つめた。あの広場を去る間際、確かにアインは誰かに見られている気がすると言っていた。とするとジグマは本当に最初から自分たちに目をつけていたということになる。しかし――、

「……僕らがあなたの言う『真の強さ』を持った人間だとして、あなたはそういう人間を見つけてどうするつもりなんですか?」

クリアスの頭に浮かんだ疑問を飛龍が口にする。するとジグマは平然と告げた。

「単純な話だよ。そういう人間を殺すためだ」

その場の空気が一気に冷え、緊張と恐怖が走る。唐突な死の宣言に誰もが言葉を失う中、かろうじて飛龍が口を開いた。

「なぜ……」

「お前たち人間を滅ぼす――そのために必要だからだ」

クリアスは混乱の極致にいた。なぜ自分たちを殺すことが人間を滅ぼすことに繋がるのか。そもそもどうして自分たちなのか。だが、ひっそりと忍び寄る死の気配にまともに思考することができない。

「といっても分からないよな。だから説明してやるよ。本来なら話すべきことではないんだが、俺はこれまでも死にゆく人間にはせめてもの餞としてそうしてきたんだ」

これまでも――その言葉に再びクリアスは恐怖に縛られる。話しぶりから想像できてはいたが、この男が――この魔物が生み出してきた死は一つや二つではないのだろう。

ジグマはそこでフィールに視線を移す。

「そこの姉さんは神ってやつを信じてるんだろ? 実は俺たちにも創造主というやつがいてな。大昔の魔物はそいつを神と信じて教えのままに生きていたらしい。そして、その神が言ったのさ。人間を殲滅しろと。そのお告げの通り、それから魔物は人間を滅ぼそうと侵攻を繰り返してきた。だが、俺たちもただ言われたことを演じるだけの人形じゃない。なぜ、神がそんなことを言うのか疑問を持つ奴が現れた」

クリアスは新鮮な驚きをもってジグマの話を聞いていた。話の内容もそうだが、魔物がこれほど理性的に話せるとは思っていなかったのだ。『惨禍の徒』には高度な知性があるとされているが、こうして話している限り、その話しぶりは人と全く区別することができない。

「そいつは俺たちのいる『終の台地』を調べ、お前たち人間の世界にも潜り込んで、徹底的に神のことを調べたらしい。そして、長い年月をかけて分かった。その神ってやつがとんでもないペテン師だったってことがな」

軽い調子に聞こえるが、その声には怒りが滲んでいた。

「その創造主の考えではな。俺たちは秩序と均衡を保つための存在なんだとさ」

「秩序と均衡?」

飛龍が鸚鵡返しに尋ねる。

「ああ……。突然だが、どうしようもなく、いがみ合っている二つの国があって、そいつらの戦争を止めたいとき、どうするべきだと思う? お嬢ちゃん」

「えっ!? わたし!?」

突然、質問を投げかけられ、クリアスは寄り添っていたシュウの腕を思い切り握りしめる。シュウが不快そうに顔を顰めるとクリアスは慌てて力を緩めるが、離れず腕は掴んだまま答える。

「えっ……と、争いを止めるため? それなら、それぞれが折り合えるような条件を出して納得してもらうとか……」

クリアスの回答にジグマは不満そうに腰に手をやる。

「おいおい。そんなことで解決するなら、最初から戦争なんてしないだろうが」

「そ、そうね……」

言われてみればそうなのだが、こんなまともでない状況で冷静に思考しろという方が無理だった。

「ま、方法はいくつかあるんだがな。その一つとしては『外に敵を作る』だ」

クリアスはいまいち理解しかねて困惑をその顔に表す。つまり、共通する敵がいれば、二つの国はお互い争いなどしている場合ではなくなるということだろうか? だが、ジグマの話の先がまだ見えてこない。その時、横にいたシュウが声を上げた。

「まさか……お前……」

「気付いたか? そう、そのまさかだよ」

驚愕の表情でシュウが見つめる先でジグマが面白そうに笑う。

「人間ってやつは愚かで放っておけば必ず争いが起きる。だから、人間同士が争わないための抑止力として作られた存在。それが俺たち魔物なんだとよ。それがまず一つ目の『秩序』だ。そして、もう一つの『均衡』だが……」

ジグマはそこで静まり返った港をしばし見渡し、それから話し出した。

「どの生物も種を繁栄させることが生きる上での第一義だ。だが、ある一つの種が突出して繫栄しすぎると均衡が崩れて、いずれすべてが滅びてしまう。だから繫栄しすぎた種族はそうなる前にある程度の間引きが必要になる」

続くジグマの言葉を察し、クリアスの眼が大きく見開かれる。

「そう、増えすぎた種族、それはお前たち人間さ。『厄災の時候』が起きるたびに人間もかなりの人数が死ぬだろ。それが『均衡』を保つってことだ。だが、創造主とやらは人間の数は減らしても滅ぼす気はなかった。それはそいつの目的が人間を進化させることだったからだ」

「人間を進化させる……?」

クリアスが聞き返す。

「ああ、そいつはそうした秩序と均衡の中で人間を生存させ続け、いつか人間が争いを繰り返すというさがを超えて、より高次の精神的存在に進化することを期待したんだとさ。そして、そのための存在が俺たち魔物だそうだ。よって、どういう仕組みかは俺たちもまだ分かっていないが、『厄災の時候』ごとに生み出される魔物は、必ず人間が生き残る程度の強さと数に限定されている」

ジグマが語る魔物が存在する理由。クリアスはそれを信じられない思いで聞いていた。これまで人類は勇気と叡智を揮い、尊い犠牲を払って魔物の脅威を打ち払ってきたと信じられてきた。それが、すべて訳の分からぬ存在の意図した結果だというのか……。

「お前たち人間にとっても面白くない話だろうな。だが、俺たち魔物にとってはもっとだ」

ジグマはまさしく牙を剥き、凄絶な笑いを浮かべる。

「俺たち魔物は人間を繁栄させるための噛ませ犬かよ。そのために生まれて死んでいけというのか? 冗談じゃない。そもそもお前たちはそんなに期待されるような存在なのか?」

ジグマのその問いには誰も答えない。いや、答えることができない。

「人間は本当にどうしようもない生き物だ。魔物に滅ぼされるかもしれないとか言いつつ、その魔物を自ら生み出して、人間同士殺し合おうとしている。前の戦争では、頭の悪い権力者どもが互いの保身だの、戦後の利権とやらを気にして碌な戦い方をしなかった。人間が種として力を統率し、ただ俺たちを打ち倒すことを考えていれば、もっと楽に戦いを収めることができただろうに」

ジグマは過去の回想とともに嫌悪の視線を虚空に向ける。

「俺たちに対してだけじゃない。災害や疫病が起こったときも同じだ。誰もがこうすればいいと思う方法があるのに、一部の人間が私利私欲でことを動かすがために、結局、それは実現しない。そんな人間のおつむがよくなるのを期待して、俺たちが殺され続けるのはごめんだ。だから俺たちは決めた。魔物には人間に対する敵意が本能として植え付けられているそうだが、それとは別に理性でもって人間を殲滅するということをな」

徐々に感情が昂り、その口調が声高になる。しかし、ジグマはすぐに声の音調トーンを落とした。

「だが、ここで問題がある。さっき言ったように俺たち魔物の数と力はお前たちに勝てないように制御されている。だから、ただ闇雲に戦っても魔物は人間には絶対勝てない。それはこれまでの歴史の中で検証した」

あっさりとジグマは話したが、クリアスはその意味するところに戦慄した。

検証した――それは事実を確認するために多くの同胞を死に追いやったということだ。この魔物にとっては同胞の命など些末なものにすぎないのだろうか? いや、違う。個々の命より人を滅ぼすという至上命題の実現を追求する。魔物という種の統一意識としてのそれが徹底されているのだ。

「そうした試行錯誤の果てに、俺たちは一つずつ重要な事実を発見してきた。まず俺たちを生み出す仕組みを作った創造主とやらは、もうとっくの昔にくたばっているってことだ。だから、今の仕組みは惰性で動いていて修正がきかない。そして、その仕組みの中で新たな『厄災の時候』で生み出される魔物の勢力の中に、前の『厄災の時候』で生み出された魔物は数に入らないことが分かった。つまり、それは戦力を温存していけば人間を凌ぐ勢力になることが可能だってことだ。そこで俺たちは当然とるべき方策をとった。ここ数回の『厄災の時候』で生み出された魔物の一部、そして惨禍の徒に至っては、そのほとんどが戦いに参加していない」

全員が息を呑む。それが本当なら恐るべき事実だった。つまり、いつかその温存された魔物、そして、惨禍の徒が一斉に襲ってくる『厄災の時候』が起きるということになる。

「そして、もう一つ」

皆が衝撃から醒めやらぬ中、ジグマは続ける。

「俺は人間を愚かだといった。だが戦力を限定されているとはいえ、そんな人間に俺たち魔物がこれまで勝てなかったのはなぜか? 簡単だ。人間の中に俺たちを凌ぐ、真の強さを持った奴らがいたからだ」

記憶の中の相手を思い返しているのか、ジグマはこの場の誰でもない相手を見据え、拳を握る。

「王や権力者といったやつらが自分のことだけを考え、高みの見物を決め込んでいる一方で、実際に戦場にいた奴らは、理不尽な状況にありながらも本当に守るべきもののために命を懸けて戦っていた。そして、そんな奴らの中にいるんだ。その時代の人間が持つ壁を乗り越え、不可能を可能とする『世界の変革者アバンガード』と呼ばれる真の強さを持った人間が」

虚空を見つめていた視線が、飛龍たち五人それぞれに向けられる。

「俺たちは人間と戦ううちにどういう人間が真の強さを持つのかを悟った。それは揺るがぬ信念を持つ者、他者の命を尊ぶ者、そして、大切なもののために命を懸けられる者。そういったやつらは単純な強さ以上の何かを持っている。そいつらこそ俺たちが倒すべき真の敵だ。ゆえに人間という種を滅ぼすには、来るべき戦いまでにそうした人間をできるだけ消しておく必要がある。俺は人間に紛れ、その可能性を持った人間を密かに葬ってきた。そして――」

ゆっくりとジグマが全員を指さす。

「俺はお前たちがその強さを持ちうる人間だと確信した! ゆえにお前たちを殺す!」

死の宣告とともに負の気配がより一層濃くジグマから放たれる。もはや隠す必要のなくなった魔物が持つ明瞭な悪意がクリアスたちを包む。

その悪意が生み出す見えざる手に掴まれているかのような感覚に震えながらも、クリアスは必死に勇気を振り絞って叫んだ。

「馬鹿げているわ! そんなことで傷つけあうなんて……、今の話が本当なら、すべてを明かせば魔物と人間は争わなくて済むんじゃないの!?」

その叫びにジグマは嗤う。

「いや、無理だな。言っただろう? 俺たち魔物は人間と戦うように本能づけられていると。もともと魔物と人間は戦う運命さだめにあるのさ」

「でも、あなたは理性でもって戦うことを決めたともいったわ。それなら、同じ理性で戦いをやめることもできるはずよ!」

クリアスはそう信じたかった。立場を変えれば魔物たちの考えも絶対的な悪だとは批判できなかったからだ。何より、クリアスの言葉に対してジグマが嗤った時、その顔に何かに対する嘆きの翳が見えた気がしたからだ。

だが、ジグマは今度こそ、微塵の躊躇も見せず首を振る。

「お嬢ちゃんの名はクリアスだったな。クリアス、人間が種の総意としてお前さんのような考えを持てるならそれも可能だったかもしれない。だが、そんなことはんだよ。さて、これで俺がお前たちの命を狙う理由が分かっただろう。言葉を交わすのはこれぐらいにして、今度は力で語り合おうぜ!」

そう言い放つとジグマの体に見慣れぬ紋様が浮かび、両手が硬質な色を帯びる。それとほぼ同時に飛龍がクリアスたちに向かって叫ぶ。

「逃げろ!!」

駆けだす飛龍とともにアインも地を蹴り、一斉にジグマに迫る。

飛龍が上段から、アインが下から脇腹を狙って、それぞれ剣と拳を振るう。飛龍の剣とアインの手甲、ジグマはそれを両の腕で受け止める。

ギィィン……!

耳障りな金属音が響き渡る。剣と手甲に伝わる予想外の衝撃に、飛龍とアインは思わず飛び退る。驚愕と警戒を示す二人に対し、ジグマがその変色した腕を掲げる。

「惨禍の徒が特殊な力を使えることは知っているだろう? まあ俺の能力はなんてことはない、単純なものだ」

話すうちにジグマの腕が元の色に戻っていく。

「俺の能力はただ体を金属に変えられるだけだ」

肉体の金属化メタモルフォシス――ジグマがどうやってラウルセンの首を切り裂いたのか、クリアスはようやく理解した。あのときジグマは手の先を金属化し、刃物のように振るったのだ。それは全身が凶器となり得ることを示している。さらにジグマは最初と違ってあの不可思議な文言を唱えなかった。おそらく一度と発動すればあとは自由に体を変えられるに違いない。

「それと俺は金属なら触れるとそれが何なのか判別できる。触れてみて分かったが、お前たちは面白い武器を持っているな。飛龍、お前の剣は何でできているかは分からない。俺にとって未知のものだ。そして、アイン。お前が身に着けているものはオリハルコン製か。なかなかいいものを持っているな」

オリハルコン――オリハルコンは魔力を高める特性があるといわれる金属だが、最も特筆すべきはその硬度で、あらゆる金属の中で最高と言われている。

クリアスは交互にアインとジグマを見た。アインがそんな希少な武具を所有していることにも驚いたが、それ以上にそんな武具での攻撃を受けたジグマの腕に傷一つ付いていないことが脅威だった。そんな相手をどうやって倒せばいいのか。

同様の思いに至ったのか、飛龍が焦燥に彩られた表情で再び叫ぶ。

「何をしているんですか! シュウさん! フィールさん! それにクリアス! 今すぐ逃げるんだ! こいつはただの魔物じゃない!」

「ほう、女を逃がすために盾になろうというのか。殊勝な心掛けだが、俺の話を聞いていたのか? 俺の嗅覚ならこの街のどこにいようと分かる。逃げ切ることなどできはしない」

しかし、飛龍はジグマの話を意に介さず、クリアスに指示を出す。

「警察隊に逃げ込むんだ。あそこならこいつは手を出せない」

その言葉にジグマは鼻で笑う。

「たかが数十人の警察隊に俺が怯むとでも? もし、そんなところへ逃げたとしても、他の奴も含めて皆殺しにしてやるさ」

「いや、お前はそんなことはしない」

その迷いのない断言にジグマはすっと真顔になる。

「……ほう、『できない』ではなく『しない』か。そう思う理由を聞かせてもらえないか?」

飛龍とジグマの視線が交錯する。いつの間にか、ジグマに対する飛龍の口調が険しいそれへと変わっていた。

「これまでお前が人間の振りをして陰で人を襲ってきたのはなぜだ? それは時が至るまでお前たちの計画が人間に知られるのを避けたかったからだ。それはさっきの話の端々でも分かった。言い伝えの元になった、姿を目撃されたときの話ではこう言った『もっと慎重に行動しないとな』。僕らを殺す理由を話したときは『本来は話すべきことではないんだが』と前置きした」

沈黙するジグマに対し、飛龍は続ける。

「お前なら警察隊の人間を皆殺しにすることもできるかもしれない。でもそんな大きな事件が起きれば人間も黙ってはいない。必ず真相の究明に乗り出す。そうなるといずれ魔物が――惨禍の徒が戦力を温存し、大規模な攻撃を画策していることを知られる恐れがある。お前たちの計画は不意を突いて、人間が予想しない規模の戦力で攻め込むことのはず。人間に対抗するための準備をされればすべてが無駄になる。だから、お前はそれまでは自分たちの計画が発覚するような危険を冒さない」

飛龍の話を聞き終えたジグマはしばし沈黙していたが、やがて喉の奥から響くような嗤い声を上げる。

「なるほどな。確かにその通りだ。だが、それはこの中の誰かが逃げて、他の奴に話をされてしまっても同じことじゃないか? では俺はなぜお前たちにこの話をしたと思う?」

これに対しては、飛龍は迷いを滲ませながら答える。

「それは……さっきアインがシュウさんに言ったことと同じじゃないか? 今聞いた話を二、三人の人間が話したところで誰も信じない。もう一つの理由としては……お前はこれまで狙った人間を殺し損ねたことはない。僕らを絶対に逃がさない自信がある。だから話した……」

その返答を聞いたジグマの両目が強烈な殺意の輝きを宿し、見開かれる。

「飛龍、お前は大した奴だ。……だが、最後の最後で読み違えたな!」

「来るぞ!」

アインが警告すると同時にジグマが地を蹴る。はやい!

唸るような拳を飛龍は逆手に構えた剣で受け止める。だが――

「ぐうっ!」

予想外の重さに体ごと飛ばされる。飛龍は体勢が崩れる勢いを生かし、大きく後ろに飛び退り、距離をとる。そこへさらにジグマが迫るが、アインが横合いから攻撃を仕掛けると、飛龍も一転して攻勢に出る。双剣と手甲が織りなす凄まじい連続攻撃が繰り出される。しかし、ジグマはそれらすべてを躱し、あるいは金属と化した手足で受け止める。

「くっ……!」

二人の焦燥を見透かしたようにジグマの顔に余裕の笑みが浮かぶ。その時――

ジグマの左腕と体に漆黒の鎖が巻き付いた。その絡みついた鎖が引かれると、ジグマの動きが明らかに制限される。

即座に状況を理解し、飛龍とアインがジグマに迫る。完全にがら空きになったその首と脇腹を剣と拳が捉えた――かに見えた。だが、

ギィンッ!!

またも激しい金属音が響く。ジグマの左顔面から首にかけて、そして右脇腹のあたりが一瞬にして鈍色に染まっていた。完全に捉えたと思っていた一撃が防がれ、二人の動きが止まったところで、ジグマが全身を捻り、宙で回転するように蹴りを放つ。飛龍とアインは剣と手甲で何とか防ぐが、その威力にたまらず後退する。その間にジグマは別の方向に走り出していた。その先にいるのは決意を秘めた瞳のフィール。

ジグマに対し、フィールは右手で剣を抜き、正面から突っ込む。が、接触する直前、両腕を振るうと撓んでいた鎖がその手に巻き付き、張力を取り戻した鎖がジグマの均衡バランスを崩す。そこへ剣による横なぎの一撃が金属化していない左脇腹を狙う。しかし、振るった剣をジグマは左手で掴んだ。その左手が瞬時に鈍色に染まり、溶けた金属が固まったかのようにその手と剣が一体化する。ジグマは掴んだ剣を引き付け、右手を振りかぶる。フィールはとっさに剣を放して横に飛びながら、鎖を巻き付けた左腕でその拳を受け止める。

「くうっ!!」

衝撃に顔を顰めながらフィールは距離をとる。そして、両の手を振るい、鎖を二つとも手元に戻すと飛龍たちと合流する。

「フィールさん、大丈夫ですか!」

「ええ、なんとか……」

フィールが手の痺れを取り除くように指を開き、そして閉じる。

目の前で繰り広げられる展開にクリアスは立ち竦むしかなかった。これまで生きてきた世界とは全く異なるものが目の前にあった。その横でシュウが呟く。

「私もただ見ているわけにはいかんな。クリアス、お前は魔導士候補生なのだろう。何か魔法は使えるのか?」

問われた意味をすぐに理解できず、クリアスは萎縮したまま、シュウを見つめ返す。

「どうなんだ?」

再度問われ、クリアスは力なく首を横に振る。博物館で飛龍に話したように現代の魔法は戦闘用として作り出されたものがほとんどだ。だがクリアスはそれら一般的な魔法をまともに使うことができない。そして、人々の生活を豊かにするという理念を基に作られた理の魔法には、攻撃魔法と呼べるものがなかった。何よりクリアスは、これまで非日常であった死が身近に迫るこの場において、自分というものを見失いかけていた。

「分かった。では下がっていろ」

シュウがサーベルを抜き放つ。退く様子のないシュウとフィールに飛龍は焦燥をあらわに叫ぶ。

「フィールさん、シュウさん、何をやってるんですか! 早くクリアスを連れて逃げてください!」

「あなたたちがラウルセンの陰謀を暴いたことで、結果的に彼は報いを受けた。それに、もう子供たちには知られてしまったけれど、あなたたちは私の秘密を守ろうともしてくれた。あなたたちには恩がある。それに……」

フィールは少し悲し気な微笑を飛龍に向け、言った。

「あなたたちが死んだらあの子たちが悲しむわ」

言葉を失う飛龍に今度はシュウが言う。

「その化け物はこれまでも多くの人間を殺めている。それをこれからも続けるつもりだ。そんなことを赦すわけにはいかない。それに今逃げ切ることができても、いずれ私たちを殺しに来るかもしれない。ならばここでやるしかない」

シュウとフィール、二人の女性が示す決意を見て立ち尽くす飛龍に、ジグマは喉の奥で押し殺すように笑った。

「飛龍、言っただろう? お前は読み違えたと。俺はどんな人間を消すことにしていると言った? その二人はそれぞれの理由を言ったが、もっと根本的なものとして、仲間を犠牲にして自分だけ生き残る、そんな考えを是とする人間じゃないってことさ。俺が逃がさないんじゃない。お前たちが逃げないんだ。俺はそう確信したからあの話をしたのさ」

ジグマは飛龍たちを見渡し、

「四対一か。はっきり言って俺は惨禍の徒の中でも弱い方だ。だからお前たちにも勝機はあるかもな」

いいながら左手に掴んでいた剣をフィールに投げ返す。

「返すぜ。せっかくだから全力のお前たちを倒したいからな」

フィールは警戒しながらも足元に転がった剣を拾う。いつの間にかジグマは、その左手だけでなく全身が元の体に戻っていた。

飛龍はもはや二人の説得は無理と判断し、フィールの前に立ちながら、アインに目で合図を送る。

「……分かった」

頷くと同時に駆け出し、アインはシュウの元へと行く。

「下がっていろ。あんたじゃあいつの攻撃は凌ぎきれない」

「お前の言う通り、私はあの化け物とまともには打ち合えないだろう。だから、お前たちの補助サポートに徹する」

言いながら刺突の構えをとる。シュウは三人との実力の差を理解し、その上でできる役割を果たすつもりだった。そこに己の弱さを否定するくだらない自尊心プライドはない。

「だが、どうやってあいつを倒す? あいつは全身を鎧のように変えられる。生半可な攻撃では傷一つ付けられんぞ」

「分からん。だが、あいつの能力については分かったことがある」

アインは意図的に大きな声で話し出した。それは先の戦いで掴んだことを皆に伝えるためだとその場の全員が理解した。

「今、あいつは生身に戻っている。もし、永続的に体を変化させられるなら、体の一部だけを変えたり、いちいち解除したりしなくていいはずだ。つまり、あの能力には限界がある」

「ではあいつが疲弊するまで攻撃を続けるということか?」

しかし、ここでアインは沈黙する。その沈黙を見てジグマが笑う。

「なるほどそういう考えもあるな。それで? 俺が疲れるまで粘ってみるか? どっちが先に力尽きるか、試してみるのも面白いな」

アインは軽く舌打ちした。ジグマは余裕の表情を浮かべている。予想通り、その様子から単なる持久戦は不可能に思えた。

「まだ分かったことはある」

今度は飛龍が声を上げた。

「どんな生物も複雑な動きをするには柔軟性が必要だ。だけど金属化するとその部分の柔軟性が失われる。さっき、首と脇腹を金属化した時、そいつの動きはわずかに鈍くなっていた。もし、そうでなければフィールさんの腕はもっと傷んでいたはずだ」

フィールもそれをわかっていたかのように腕に手を添える。

「それをすぐに戻さなかったということは、金属化するのは一瞬だけど、解除にはある程度時間がかかるということになる」

「つまり、逆に彼の体を金属化せざるを得ない状況に追い込めば、最後には動きを封じられるということですね? それに金属化する部分が多くなるほど力の消耗も多くなるはず」

しかし、フィールの提案に飛龍は無言でジグマを見つめるばかりだった。自身の能力の一端を暴かれたというのにジグマに動揺する気配は微塵もない。ジグマはまだ何かを隠しているように思えてならなかった。

「そろそろ作戦会議は終わりにしてもらえないか? 俺の能力が分かったところでお前たちがどんな戦いをみせてくれるのか……楽しみだぜ!」

喜悦を浮かべ、ジグマがアインとシュウの方へ駆け出す。

「フィールさん。援護するなら距離をとってください! 決して近づかないように」

飛龍がアインの加勢に向かい、フィールもすぐその後を追う。

ジグマは両手両足の一部のみを金属化し、アインに蹴りと拳の連撃を放つ。手甲と脛当てでアインがジグマの打撃を何とか受け止めると、飛龍が背後からジグマを狙う。しかし、ジグマは先の荒々しさからは想像できない滑らかな動きで飛龍の剣を受け止め、今度は飛龍にも攻撃を仕掛ける。そこへフィールが再び動きを封じようと鎖を放つが、ジグマは飛龍とアインに攻撃を仕掛けながらも放たれた鎖は巧みに躱す。

その様子をただ、呆然と見つめるクリアス。しかし、戦いには縁のなかったクリアスにも状況は判別できた。

三対一にもかかわらず、ジグマには傷一つ付けることができていない。ジグマはまるで軽くあしらうかのように攻撃を防いでいる。いや、状況を楽しんでいるようにすら見えた。

飛龍とアインが同時に攻撃する。その瞬間を見極め、離れたところで控えていたシュウが一気に駆け、刺突を繰り出した。

躱しようないタイミング。ジグマは体を変化させるしかない。しかしまともに当ててはサーベルの方が折れる可能性がある。シュウは僅かに切っ先をずらし、金属化したジグマの脇腹の上を滑らせ、そのまま反対側に駆け抜ける。

サーベルと金属化した肌が擦れ合う音が響く。ジグマに負傷ダメージはない。しかし、これで動きは多少鈍くなるはず。

この機を狙い、アインと飛龍が同時に仕掛ける。だが――

「甘いな」

ジグマが全く淀みない動きで二人の攻撃を防ぎ、縮めていた手足を一気に広げ、二人を弾き飛ばす。ジグマの動きは全く変わっていなかった。

「なぜだ! 確かに体の一部を金属化させたはず……」

シュウが唸る。だが、よく見ると新たに金属化した部分は手や足とは違う赤銅色をしていた。

「金属にはな。柔軟に曲がるものだってあるんだぜ。だが強度はかなり落ちるからな。ほらあんたの攻撃でも傷が入っちまった」

ジグマの脇腹に一条ひとすじの線が走っている。しかし、血は流れていない。

「そうか。だが、お前も完全無欠ではない。傷つけられることは分かった。それなら倒せるはずだ」

「そうかい。……ならやってみろよ!」

いうと同時にジグマの体に再び見慣れぬ紋様が浮かび、全身が黒と赤銅色の斑模様に変色した。しなやかな動きが必要な部分は軟性がある金属に、拳や頭は強度の高い金属へと変化させたのだろう。

ジグマが飛龍に突進する。飛龍が構え、その背後からフィールが左手の鎖を放つ。ジグマは半身にして直撃を避けると、その鎖を意図的に右手に巻き付かせ、そのまま両手で鎖を掴み、引き寄せる。想定外の力で引き寄せられ、フィールがたたらを踏むと、ジグマは飛龍に迫る。しかし、直前で急遽転身、背後を狙っていたアインに向かって強烈な蹴りを放つ。

アインはそれを両手の手甲で防ぐが、その体は大きく横に飛ばされる。

続いてジグマは金属化した左手の爪で右手の鎖を断ち切ると、それを右手で鎖を掴み、そのまま横に跳ぶ。するとジグマとフィールを結ぶ線上にいた飛龍の体を鎖が払う。

「くっ!?」

体勢を崩し、膝をついた飛龍に向かってジグマが、何かを投げつける。それは断ち切ったフィールの鎖の先端だった。

飛龍は身をよじってそれを避けるが、鎖はさらにその先にいたフィールを襲った。足もとに飛んできた鎖をフィールは跳躍して躱す。ジグマの狙いはそこだった。

「おおおおおっ!」

雄叫びとともにジグマは掴んだ鎖を引き絞り、体ごと回転する。フィールの体が浮き、宙を舞う。なおもジグマは回転し、遠心力を乗せてフィールを振り回す。そして――

「っぁぁ!!」

背中から街灯の支柱に叩きつけられ、フィールは声にならない悲鳴を上げ、昏倒する。

「フィールさん!!」

飛龍が叫ぶ。だがその時にはすでにジグマは走り出していた。その先にいるのはシュウ。

驚愕の表情を浮かべ、シュウは背を向けて走り出す。シュウの細いサーベルではジグマの打撃は到底受けきれない。ジグマの後をアインが追う。だが、間に合わない!

「終わりだぜ」

不吉な輝きを放つ爪が、シュウの背を引き裂くべく振り上げられる。だが、一転、シュウがジグマを振り返り、言い放つ。

「お前がな」

ジグマが目を見開く。シュウが左手で腰の後ろから抜き放ったのは、黄金に光る筒形の武器。

魔導銃――太古に存在した火薬式の代わりに、火の魔法の力で弾丸を放つ魔導具。

耳を劈く音が周囲の空気を震わせ、放たれた弾丸が至近距離でジグマの眉間に炸裂した。その威力にジグマは体ごと吹き飛び、地を転がる。

銃声の余韻が消えゆくと、辺りには恐ろしいぐらいの静けさが訪れる。

「倒したの?」

動かなくなったジグマを目にして、クリアスが呟く。シュウは険しい顔のまま、しばし様子を伺うがジグマは動かない。安堵の気配が全員を包もうとしたその時――

「はっ!」

ジグマが全身の筋力を使って、跳ね起きた。額の中心から少し右にずれた位置、そこから頭部にかけて、放射状の亀裂が走っている。だが、その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

「効いたぜ」

その笑みのまま、ジグマは瞬時にシュウとの間合いを詰める。

「馬鹿な!!」

ジグマの左手が唸る。魔導銃は単発式。弾丸を入れ替えている余裕はない。シュウは迫りくる脅威に表情を凍らせたまま、サーベルを使ってそれを防ごうとする。だが、

ギィン!!

鈍く光る爪がサーベルを叩き折り、破片が飛び散る。寸刻の間も置かず、鉄塊のごときジグマの右拳がシュウの左脇腹に突き刺さった。

不快な破砕音を伴い、シュウの体が大きく吹き飛ぶ。そのまま、シュウはクリアスが身を寄せていた時計塔の傍まで転がる。

「シュウさん!!」

クリアスが駆け寄る。苦悶の表情で身を縮めていたシュウが咳き込むと、クリアスの手に喀血がかかった。おそらく折れた肋骨が肺に突き刺さっている。

どうしたらいいか分からず、狼狽えるクリアスにふと影がかかる。顔を上げると、そこには飛龍の後ろ姿があった。

「神威空間!!」

金字塔ピラミッド状の赤い空間が形成される。同時に音と光が弾けた。

クリアスは恐怖とともに理解した。飛龍の体の向こうで結界に拳を叩きつけるジグマの姿が見えた。もし、飛龍が来てくれなかったら、自分はシュウとともに殺されていただろうと。

一方、ジグマも突如現れた不可思議な結界に驚き、大きく距離をとる。

「なんだ、それは……。まさか、その剣、『創造の花リグレッタ』か? 道理で俺にも材質が判別できなかったわけだ」

飛龍は結界を解き、ジグマを見据えたままクリアスに言う。

「クリアス、シュウさんは!?」

「分からない。でも、かなりひどそう……」

クリアスは首を振る。シュウの呼吸は荒く、その眼の輝きは虚ろになっている。一刻も早い手当てが必要に見えた。

「その女も俺の予想以上だな。まさか、あんな武器を隠し持っているとはな。硬度の高い金属に変化させていた頭ではなく、心臓を狙われていたら、俺もどうなっていたかわからんな」

ジグマが赤銅色とかした胸を指さす。

「しかも俺の打撃を受ける直前、咄嗟に銃を離して、剣の鞘を盾にするとはな。そうしてなければすでに命はなかっただろう」

見れば砕けた鞘が傍に転がっている。その機転によりシュウは何とか命を繋いだのだが、同時にそれはジグマの膂力の恐ろしさをも物語っていた。

「さて…」

一言呟いた後、ジグマは予備動作もなく飛龍を急襲した。飛龍は再び、赤い障壁を生じさせる。ジグマは連続で拳を繰り出すが、光と音とともにそれらはすべて弾き返される。

ジグマはそこで不意に攻撃を止め、後ろに飛び退ると、その顔に不敵な笑みを浮かべる。

「やはりな。さっきお前は俺の能力について語ったが、今度は俺がお前の剣の能力についてお返ししよう」

ジグマが飛龍の剣を指さす。

「その障壁は俺の攻撃を完全に防いだ。だが、なぜ今それを使ったのか? 『創造の花』はその使用に何らかの代償を支払うものが多い。おそらくその力を使うと、俺の能力以上に体力を消耗するんじゃないか? お前の焦った表情がそれを証明している」

クリアスは飛龍の背を見る。先ほど戦っていた時以上にその肩が上下している。そう言えば、飛龍はこの力は長時間使えるものではないといっていた。

「そして、その剣には俺を攻撃する能力はない。あるならとっくに使っているはずだ。つまり、現状は変わらずお前たちは追い詰められているということだ」

すべて看破されている。笑みを浮かべながらも、その双眸に鋭い光を宿すジグマをクリアスは見た。ジグマはただ力が強く、特殊な能力を持っているというだけの魔物ではない。常に相手を観察し、その上で勝つための確実な方策を模索している。そこに惨禍の徒と呼ばれる魔物の真の恐ろしさがあるような気がした。

すると、それまで強烈に放たれていた殺気が急に緩み、ジグマが不思議そうに首を傾げた。

「ところで飛龍。おまえ、いったいどうしたんだ?」

何を訊かれているのか分からず飛龍が眉を寄せる。

「その眼だよ。お前、あの出来損ないの魔物を作っていた人間を殺そうとしたときは、その存在を全否定するかのような暗い眼をしていたじゃないか。それなのに俺に対しては仕方がないから戦っているという眼をしているぞ」

飛龍は胸の奥を突かれたかのように押し黙る。

「俺たちがこれまで戦ってきた人間は、魔物と見ればこの世の汚物でも見るような眼を向けてきたものだ。それなのにお前ときたら向ける相手が全く逆なんだからな。つまり、俺たち魔物よりもあの人間の方が生きている価値がないと思ったのか? だとしたら愉快だな。人間の中にも俺たちと同じ考えの人間がいたってことだ」

心底楽しそうにジグマが笑う。クリアスからは飛龍の表情は見えない。しかし、その背中から隠しきれない感情の揺らぎが伝わってきた。

「おい、化物。そんなことを話して何になる」

横合いから声がかかる。アインがゆっくりと歩み寄ってきて、飛龍と肩を並べた。

「そうだな。俺たちがするのは話し合いじゃなかったな」

「飛龍、おまえも分かっているな? あいつを倒さなければ、そこの女隊長もあのシスターも、そして俺たちも全員が死ぬ」

「ああ……」

飛龍は大きく肩で息をつき、一度目を閉じる。そして、再び開いたときには、その目には明確な闘志、いや殺意が宿っていた。

アインがジグマを見据えたまま飛龍に訊く。

「あいつを倒す方法はあるか?」

「ない。でもやるしかない」

飛龍とアインが構えると、ジグマの全身に再び斑模様が浮き上がる。ジグマは鈍色に変質した手を持ち上げ、飛龍に向かって手招きをする。

「来い。そこの女たちを狙ってお前の体力の消耗を狙うことなどしない。俺はお前と正面からやり合いたい」

飛龍は振り返らずクリアスに言った。

「クリアス、シュウさんを頼む。君らのことは必ず助ける」

静かながら芯の通った声。クリアスはそこにジグマがいう『真の強さ』というものを感じ、全身を駆け抜ける熱さに震えた。

絶望的な状況にありながら決して諦めず、恐怖に屈しない。自分のためではなく他者のために命を懸ける、その意志の強さ。

傍らで苦しむシュウを見ながら、クリアスはその強さの何分の一でも自分にあれば……そう願わずにはいられなかった。

――私にも何かできないの! このままだとみんな殺されてしまう。この人たちを失うなんて、そんな悲しいこと、絶対に……

クリアスの胸の内に言いようのない苦しさが凝集した時、それを突き抜けるように一つの光が見えた。

――そうだわ。もし理論通りなら……そして。あれを使えば……。

しかし、この闇の中に見えた光を現実とするには、自分の力だけでは足りない。

「飛龍、アイン、お願い。あいつの動きを少しの間でいいから止めてほしいの」

クリアスがその背に小声で、しかし、確かな意思を込めて囁く。

「……何か考えが?」

飛龍はジグマを警戒しながら、肩越しにクリアスを振り返り、最小限の声で返答した。

頷くクリアス。その眼の輝きを見て、

「分かった。君にかける」

飛龍はそう言い、そして、笑った。この場に似つかわしくない穏やかな笑みだった。

「どのみち手はないしな」

アインもクリアスを見る。目の前の敵を倒すべく殺気立っているはずのその眼は不思議と恐ろしくはなかった。

「あいつの動きを止めるんだな。そう長い時間は無理だぞ」

クリアスはもう一度力強く頷いた。

「飛龍、いくぞ」

「ああ」

一言応え、飛龍が改めて双剣を構える。同時にアインが何かを呟きだした。

『星空に舞う気高き煌めき。我祈りて、その誇り高き魂とともに約束の地への道を歩む……』

クリアスは瞠目した。アインが口ずさんでいる文言。それは……

――これは身体強化の魔法!?

この魔法は術者の身体能力を一時的に限界以上に引き上げる。一般的に魔導士は魔法にて目的を達成しようとするため、このような魔法は使わない。しかもこの魔法は効果が切れると術者の肉体に大きな反動がくる。そういった理由から今では書物の中だけの存在となっていたはずだった。だが、その魔法を使う人間がいた。しかもそれが目の前のアインなのだ。

「『折れぬ不屈の牙ソウル・オブ・シング』!!」

アインの体が淡い青色の光に包まれ、さらに手足のオリハルコンの武具が魔力に反応して一層の輝きを放つ。その姿に初めてジグマの余裕の表情が崩れた。

「…………いくぞ!!」

アインの体がわずかに沈む。そして、翔んだ!

一瞬にしてジグマに肉薄し、その腕のガードが上がるよりも速く、光る拳が鋼鉄と化した顔面を捉えた。

金属と金属がぶつかる衝撃音とともに火花が散る。驚愕の表情のまま、ジグマは後ろへと吹き飛ぶ。しかし、ジグマは瞬時に後転し、体勢を整えると、兇猛な笑みを浮かべながら叫んだ。

「そうだ! やはりそうだ! お前たちは間違いなく俺が倒すべき相手だ!」

そこから壮絶な攻防が始まった。いかに肉体を強化しようと、ジグマの打撃を受ければただでは済まない。しかし、アインは攻撃を主体とし、ジグマとの打ち合いに応じた。金属化した体とオリハルコン製の武具のぶつかり、そこへ飛龍の斬撃も加わり、それぞれの衝撃がもたらす火花が三者の周りに咲き乱れる。

クリアスはその恐ろしくも美しい光景に一時、目を奪われていたがすぐに我に返る。自分には為すべきことがある。

移動しながらクリアスは呪文を唱え始めた。魔法の発動には精神集中が必要であり、一流の魔導士であっても、異常な状況にあってはそれが乱れ、本来の力が出せないことがある。しかし、クリアスはこれまでに経験したことがないほど、思考が澄みきっているのを感じた。極限の状態にあって一点に集中する。時の流れと一つになっているような不思議な感覚だった。

戦いの光景が見える。アインの攻撃はジグマの軟質な金属部分を捉え、損傷ダメージを与えているように見える。だがアインの体にも無数の傷が刻まれ、もはや満身創痍。さらに早くも魔法の効果が切れ始めたのか動きが鈍くなりつつある。飛龍も肩で息をしている。それでも二人は攻撃をやめない。飛龍とアインが繰り出す斬撃と打撃は、ジグマを一定の範囲に釘付けにしていた。

二人の奮闘に応えるべく、クリアスはさらに精神を集中させる。そして、呪文の詠唱が終わりを迎え、クリアスは最後の文言を高らかに叫ぶ。

何の打ち合わせもしていなかった。しかし、その声に二人は瞬時に反応した。飛龍が斬撃と見せかけ、意表を突く足払いでジグマの体勢を崩す。そのがら空きとなった胴体に、アインが渾身の一撃を叩き込んだ。ジグマの体が飛び、壁に叩き付けられる。同時に二人はその場から飛ぶように身を引く。

「『在りし日の追憶アビオ・レゾリューション!』」

クリアスが発動の鍵となるその言葉を唱え、その両手から眩い光の奔流が放たれる。その光は、驚愕の色に染まる表情のジグマを一瞬にして呑みこんだ。

この魔法は鉱物や岩石、そして金属を分解する。ならばジグマに対しても効果があるのではないか。クリアスはそう考えた。ただし、この魔法は生物には効果がない。果たして結果がどちらに出るのか、それは賭けに等しかった。

日の光のような輝きが辺り一面を照らし、夜と昼が逆転したかのような明るさが視界に広がる。やがて光は徐々に終息し、再び闇が支配する世界が戻ってきた。

クリアスは消えゆく光の先に目を凝らし、そして、見た。

両手を正面で交差させ、全身の表皮が剥がれたような姿のジグマ。その体がふらりと揺らぎ……

ダンッ!

「やるじゃないか。お嬢ちゃん……」

足を踏み鳴らし、仁王立ちする。そして、金獅子のような両眼がクリアスを捉える。

……!!

効果はあった。だがジグマの体をすべて消し去るには至らなかった。クリアスのその思念を読んだかのようにジグマが言う。

「金属を分解する魔法か。確かにこれなら俺を消し去ることができたかもしれないが……」

ジグマが骨の見えた拳を掲げながら、数歩前に出る。人間であれば相当の重傷であるはずなのに、その顔には笑みが浮かんでいる。

「クリアス。お前、この魔法をあの遺跡で使っただろう? あまりに不思議な魔法だったからな。俺はお前たちが去った後、崩れた遺跡を調べたんだ。すると近くの植物は何の変化もないのに遺跡の石だけが砂状になっていた。それで俺は、これは鉱物などを分解する魔法ではないかと推測していた。そして、お前が何かを仕掛けようとしているのが見えた時、このことを思い出したんだ。だから、戦いの途中から体の深部の金属化は解除していた。おかげでそこの二人には苦戦させられたが、そうでなければやられていたな」

ジグマはフィールと飛龍たちが戦うところを見たと言っていた。ならばあの後にクリアスが『在りし日の追憶アビオ・レゾリューション』を使ったところを見ていたとしてもおかしくはなかった。

クリアスは悔やんだ。そこまで考えが回らなかったことではなく、自分の目算の甘さ、そして魔力の未熟さに対して。例えこの魔法が効かなくともジグマを倒す算段をつけたはずだったからだ。

そのとき、小さな欠片が転がるような音がした。

その音の方向をクリアス、ジグマ、飛龍が見る。その中で最も速く反応したのは飛龍だった。

「クリアス!! もう一度だ!!」

叫ぶと同時に飛龍がジグマに向かって疾走する。そして、双剣を振り下ろすと同時に叫んだ。

「神威空間!!」

これまでよりも大きな緋色の三角錐が出現する。だが、その結界内には飛龍だけでなくジグマもいた。つまり、飛龍はこの結界内にジグマを囲い込み、閉じ込めたのだ。

飛龍の呼びかけにクリアスも即座に反応し、再び呪文を唱え始める。

月明かりを背景に佇む時計塔。その基部が大きく抉られている。クリアスの狙いはこの時計塔をジグマに上に倒すことだった。いかに体を金属化し硬化させても、これだけの重量物の直撃を受ければ無事にはすまない。そう考え、『在りし日の追憶アビオ・レゾリューション』でジグマを攻撃するとともに、時計塔を倒せる位置まで移動していた。だが威力が足りず、時計塔は倒れなかった。しかし、もう一度行えば崩れかけた時計塔は間違いなく倒れる!

アインは身体強化の魔法による反動とジグマと打ち合った捨て身の攻撃によって、もはや立つことすらままならない。ゆえにクリアスが魔法を発動するまでの間、ジグマをその場に繋ぎ止められるのはもう飛龍一人しかいない。

結界の中で漆黒の剣と鈍色の拳が交錯する。先ほどまでなら飛龍一人でジグマを足止めするなどできなかっただろう。しかし、今、ジグマと飛龍の間に力の優劣はなかった。ジグマが体の金属化を最小限に留め、手足の一部のみしか変化させていなかったからだ。もし全身を金属化し、もう一度『在りし日の追憶アビオ・レゾリューション』を受ければ今度は命に関わる。それだけの損傷をジグマは受けていた。さらに、その傷により金属化の能力も弱まり、動きも明らかに鈍くなっていた。

紅い空間でジグマと飛龍が互いに雄叫びを上げながら、自らの命を燃やすかのように斬撃と打撃の花を咲かせる。

両者の技量は今や互角。だが飛龍は結界を維持しながら闘っている。このままだとどちらが先に力尽きるかは明白だった。

クリアスが全身全霊をかけて呪文を唱え上げる。そして、再び呪文は完成した。

在りしアビオ……」

しかし、発動の言葉を唱えようとして、クリアスは逡巡した。このままでは飛龍も時計塔の下敷きになる。その迷いを察したかのように飛龍が叫ぶ。

「やれ!! クリアス!!」

「でも……!!」

なおも躊躇うクリアスに、アインから静かな、しかし確固たる意思が込もった声が飛ぶ。

「信じろ……飛龍を!」

離れていたのにその声はしっかりとクリアスの耳に届いた。揺らぎが消え、心が定まる。

「『在りし日の追憶アビオ・レゾリューション』!!」

眩い光の奔流がジグマと飛龍の横を通り、再び時計塔の基部を照らす。石造りのそれが砂粒へと変わっていき、

ゴォン……

低い響きとともに時計塔がゆっくりと崩れようとしていた。ジグマと飛龍に向かって。

ジグマが吠えた。

同時に右腕が完全に金属化し、全体重を乗せた拳を繰り出す。飛龍はそれを両の剣で防ぐが、衝撃に押され、結界の壁に背を付ける形になる。

「死ねぇぇぇ!!」

ジグマはさらに左手までも完全に金属化し、鋭いやいばとなった手を飛龍に突き出す。

飛龍に逃げ場はない。だが、まさにその手が飛龍を貫こうとしたそのとき、二人を囲んでいた結界が不意に消える。

「なにっ!?」

結界を解除した飛龍はそのまま背後に倒れこむようにジグマの左手を躱し、

「挟撃破斬!!」

あらん限りの力を込めた双剣がジグマの左手を挟み込むように打ち据える。本来の強度を失っていた左手が砕け散り、無数の破片となって飛び散る。

飛龍はそのまま覆いかぶさるように倒れてきたジグマを時計塔の方へと蹴り飛ばす。

ジグマの体が宙に浮く。だが、倒れるかに見えたジグマはその場に踏みとどまった。飛龍の結界はもうない。このままでは逃げられる!

その時、炸裂音とともにジグマの右足が砕け散った。

音の源を辿ると、そこには這いつくばりながら苦悶の表情でジグマを見据えるシュウがいた。その右手に握られた魔導銃から紫煙が棚引いている。

時計塔の影がジグマと飛龍、二人の上に覆い被さり、迫って来る。それを見上げながら飛龍は叫んだ。

「神威空間!」

崩れ落ちてくる時計塔を果たして結界で凌ぎ切れるのか。しかし、それが飛龍に残された最後の手段だった。

頭上から迫る塔の正面に飛龍は逆手に持った双剣を翳す――だが、結界は現れなかった。結界を発動させられるほど飛龍に力が残っていなかったのだ。そして……

地響きを響かせながら、時計塔が二人を呑み込んだ。辺り一帯に砂埃が巻き上がり、視界を覆う。その湧き出た砂埃が徐々に薄れ、地響きの余韻が消えゆく中――クリアスはその場にへたり込んだ。

「うそ……」

魔力を使い果たした疲労よりも、目の前の信じられない光景が全身から力を奪う。

砂煙が消え、時計塔を形作っていた石群が現れる。そこにはただ無秩序に瓦礫が積みあがるのみ。ジグマも、そして飛龍の姿もない。時が止まったかのような静寂が訪れる。

と、その静寂の中、幽かに物音が聞こえた。その方向にクリアスが目を向けると、

「あり……がとうございます……。命拾いしました」

崩れ落ちた石群の向こうから力ないながらもどこか飄然とした声が聞こえた。声に続き、黒い影がゆっくりと身を起こす。

「飛龍!!」

クリアスはよろめきながらも力を振り絞って駆け寄る。

すぐ側まで近づいたところで、飛龍の足から一本の鎖が伸びているのに気づいた。鎖の先を辿ると、苦痛の中に安堵の表情を浮かべるフィールがいた。時計塔が崩落する寸前、フィールがその鎖を使って飛龍を引き寄せ、窮地から救っていたのだ。

「よかった……本当に」

その無事な姿を認め、クリアスの潤んだ瞳から涙が零れ落ちようとした、そのとき―― 

ガラン……

時計塔の残骸から不吉な音が響いた。全員が息を呑んで崩れた時計塔の中心を見つめる。その一部がゆっくりと盛り上がり、

「そんな……」

絶望が姿を現した。闇の中、ジグマの金色の眼が爛々と光っている。

おそらく直撃する直前、全身を最も硬度のある金属に変化させたのだろうが、あの巨大な質量の直撃を受けて生きているとはクリアスには信じられなかった。

ジグマが全員を見渡す。

しかし、よく見ると金属化を解除しているはずのその身体には無数の亀裂が走っていた。もはやいつ崩れ落ちてもおかしくないように見える。それでもジグマは笑っていた。

「……やはり、俺たちを倒すのはお前たちのような人間だ。そして、俺たちが倒すべき相手もお前たちのような人間だ。俺は間違っていなかったな」

そういってジグマはさらに喉の奥で笑う。するとその全身が左足の方から銀色へと染まり、一体の金属像のように変わっていく。夜の闇の中、月明かりに照らされ、輝くその姿は不思議と美しく見えた。

「最後にお前たちに教えてやろう。『終の台地』で息を顰めている惨禍の徒は、お前たち人間を滅ぼすため、いずれこの世界を蹂躙する。だがな……」

ジグマの眼がこの世のすべてを貫くかのような眼光を放った。

「俺がそうであったように魔物による侵攻はもうすでに始まっている。お前たちの気付かないところでひっそりとな。そう遠くない未来でお前たちはそれを知ることになるだろう。そのとき、お前たち人間がどういう足掻きをするか見ものだな。ははははははっ!!」

クリアスたちが慄然とする中、ジグマは夜空を引き裂くかのような哄笑を上げ、ひとしきり笑い終えると、不意に何かを呟き始めた。かすかに聞こえるその呟きにクリアスは聞き覚えがあった。

青天の飛瀑セレスティアル・スプラッシュ』――水の魔法の中で上位に位置するこの魔法は、術者の力量によっては相手を押し流すほどの大量の水を発生させることができる。しかし、本来は攻撃用の魔法ではない。それをなぜここで使うのか……。

不敵に笑うジグマに不吉な予感が駆け抜ける。そして、銀色に染まったその体を見て、クリアスは一つの可能性に至り、凍り付く。

金属の中には水と反応して激しく爆発するものがある。もし、ジグマの体すべてがその金属に変質していたとしたら――

「『青天の飛瀑セレスティアル・スプラッシュ』!!」

ジグマの魔法が完成した。魔法を唱え終えると同時にその顔や首も銀色に染まり、ジグマは完全に一体の金属像となる。その頭上に青い光が収束し、次の瞬間には滝のような水がジグマの全身を覆いつくす。そして――

「みんな、伏せて!!」

叫びながらクリアスはすぐ近くにいた飛龍の体を押し倒す。同時に耳を劈く、凄まじい爆音と衝撃波が吹き荒れる。そこでクリアスの意識は途切れた。

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