真の姿

港へと向かう中、飛龍が御者台のシュウに尋ねる。

「でも、もし館長が逃亡を考えていたとして、港のどこにいるのかどうやって探すんですか?」

ペオエクスは街としては大きい方ではないが、港街であるため行き来する船舶が多く、その分、港湾施設は大きい。停泊する船の中から一隻を特定するのに、闇雲に探していては時間がかかってしまい、その間に逃げられる可能性がある。しかし、シュウは厳しい顔で前を見据えたまま答えた。

「分からん。奴の周辺は調査していたが、船を所有している、または手配しているという情報はなかった。出港準備をしている船を片っ端から当たるしかないだろうな」

それならば多人数で人海戦術をとったほうがいいのだが、警察隊は魔物の対処にほとんどが出払っている。いや、警察隊を動かせたとしても、シュウは隊員の中に内通者がいるかもしれないと考えている。結局は自分たちだけで探すしかない。

大通りをひたすら北へ北へと向かう。やがて、港近くの広場まで来た時、不意に横手から大きな声が上がった。

「よう! お前ら!」

まるで立ち塞がるように馬車の正面に人影が現れる。シュウがとっさに手綱を引き、馬車を急停車させると、その反動でクリアスたちは前につんのめった。

「なんだ、お前は! そこをどけ!」

激高するシュウに、しかし、その人物は飄々と答える。

「ちょっとその後ろの奴らと面識があってな。お前らこんなところで何してるんだ?」

クリアスがシュウの肩越しに目をやると、

「あなたは……」

そこには遺跡で出会ったあの褐色の肌をした冒険者――ジグマがいた。

「どうしてこんなところに? 今街には魔物が出ているんですよ?」

「だからじゃねえか。結構面白いことになってるな」

魔物の出現で街の人々は恐怖に震え、犠牲者も出ている。それを面白いという感性が信じられない。クリアスはやはりこの冒険者にいい印象は持てなかった。しかし、次の言葉はそんな印象を別にして純粋に驚かずにはいられなかった。

「ただその魔物だが、はっきり言ってみんな出来損ないみたいなやつばかりだった。無謀にも俺に向かってきたんで何匹か潰してやったが、戦う価値のあるものじゃなかったな」

「魔物を倒したんですか?」

クリアスが尋ねると、ジグマはなぜか困ったような苦笑じみた笑みを浮かべる。

「そういえば、隊員が魔物駆除に協力してくれている冒険者がいるといっていたが、お前がそうなのか?」

シュウが尋ねるとジグマは肩をすくめて「まあ、成り行きでな」と答える。

「それならば警察隊隊長として礼をさせてもらう。ただ、今、我々は急いでいる。話なら後日、警察隊庁舎まで来てくれ」

「別に礼なんていいぜ。俺はやりたいからやっただけだからな。急いでいるとは知らず、邪魔をして悪かったな」

そういうとジグマは横に寄り、進路を開けた。シュウがすぐさま、馬車を走らせる中、クリアスは何となく後ろを振り向く。

ジグマが街灯の光が当たらぬ通りの中央に一人立ち、こちらを見ている。魔物をも恐れず不敵に佇むその姿に、クリアスはなぜか不安を感じずにはいられなかった……。


海の匂いが一層濃くなり、港の入り口にある街の象徴シンボルともいえる時計塔が見えてきた。

街灯が多めに設置され、普段は日が暮れてもそれなりに人通りのあるこの港は、今はひっそりと眠りについている。その静けさは見るものにある種の懐郷の念を抱かせる、そんな侘しさを漂わせていた。

停泊している船々を眺める。問題はここから……。この広い港でどうやって館長を探し出すか。そうクリアスが考えていた矢先、

「あれは……!」

それまでひたすら黙り込んでいたフィールが声を上げる。

時計塔の麓まで近づくと、その向こう側から見えてきたのは、外装が黒塗りされた上等な設えの馬車。シュウが手綱を絞って馬車を止め、御者台から飛び降りる。クリアスたちも続いて下車し、歩み寄ると、それを見計らったように黒塗りの馬車の扉が開いた。

「ようやく来たのかね。シュテーゲン君」

中から現れたのは、この一連の事件の首謀者と思われる、ラウルセンその人であった。

「……おや、後ろにいるのはベンジェアンス君か? それに君は……」

ラウルセンはシュウの後ろに控えるクリアスたち。そして、フィールを見て驚きを顕す。

そんなラウルセンを油断なく見据えながら、シュウが一歩前に出る。

「まるで私を待っていたかのようだな、ラウルセン館長。どういうことだ?」

「その通りだよ。なに、船が使えなくなり、街の外へ出る門も戒厳令で封鎖されている。となれば、私にはもう逃走経路は残されていないのでね。手っ取り早く話を進めるためにここで待っていたのだよ」

それを聞いてシュウを筆頭に皆の顔に疑念と戸惑いが浮かぶ。

ラウルセンの物言いは観念した犯人の自白に聞こえた。しかし、その態度には何か不遜な余裕が見える。いや、そもそも自白するということは前提として……

「君が私のことを探っていたのは知っていたよ。そして、君が王立法務院の特捜部の人間だということもね」

「なぜ、それを……」

「まあ、せっかくなので一つずつ話そうか」

困惑の色を濃くするシュウをラウルセンは面白そうに眺める。

「まず、君はあの遺跡の施設を見つけたのだろう? そして、そこで私が行っていた研究を知った。なぜ私が遺跡への侵入に気付いたのか不思議かね? あの扉には、開けた後、正規の手順を踏まないと、私に知らせが来る魔導陣が仕掛けてあったのだよ」

それを聞き、シュウがクリアスを振り返る。

「そういったものがあるというのは聞いたことがあります。ただ、あのとき、私は気づきませんでした……」

「なるほど……」

頷きながらラウルセンがクリアスを見る。

「特捜部の人間とはいえ、一介の捜査官があの古代文字の仕掛けを解読できたのを不思議に思っていたのだが、君がいたのか、ベンジェアンス君。しかし、なぜ君がシュテーゲン君に協力しているのかね? しかもあそこには侵入者を排除するための魔物も配置していたはず。よく無事に出られたものだ」

ラウルセンの異様な雰囲気に吞まれ、声を出せないクリアスに代わってシュウが答える。

「遺跡の研究施設を見つけたのは彼女らだ。彼女らが博物館の別館に行った際、遺跡の壁にある古代文字に気付き、偶然施設を発見したんだ。そして、そのことを私に知らせてくれた。おかげでお前の非道な研究を明るみにすることができた。遺跡の中にいた魔物は後ろにいる二人が撃退したそうだ」

「ふむ……」

ラウルセンは飛龍たちを眺め、呟く。

「そこの二人は冒険者か? ベンジェアンス君は別館の資料を調べに行ったのだな。全くあれほどあそこへは近づくなといったのに。研究熱心なのはいいが、人の忠告を聞かないといつか猫のように命を落とすことになるぞ」

子供の悪ふざけを叱るような軽い口調であったが、その底に潜む黒い感情にクリアスは得も言われぬ怖気を感じ、身震いした。醜悪ささえ感じるその顔貌かおは博物館で接していた柔和な館長とは別人だった。

「私はてっきりシュテーゲン君が探り当てたのだと思っていたよ。まあ、いずれにせよ、外部の人間に知られたからにはこの街は引き払うしかなかった。それで以前から考えていた計画を前倒しすることにしたのだ。元々あの研究施設は近いうちに閉鎖する予定だったのでね」

「その計画というのは魔物を街に放つことか? なぜそんなことをする必要があった? お前は逃亡を企てていたようだが、それなら何も起こさず、逃げた方がいいはずだ」

シュウが疑念に怒りを交えて問いただす。

「あれは一つの試験だよ」

「試験?」

「そう、この街に放った魔物は完成にはまだ程遠い。それでもどの程度の能力があるか示す必要があったのだ。この街には昔から魔物が出るという言い伝えがある。ゆえに魔物が現れたとしても、よもや人為的な仕業とは思われまい。よって私はその試験と私自身の逃亡計画を同時に行うことにしたのだ。魔物の出現により街が混乱しているうちに私は船でこの街を出る。そういう手はずにしていたのだが、まさか、君が秘密裡に手配していた私の船まで探り当てるとは思っていなかったよ」

「船を探り当てる? 何の話をしている?」

シュウが疑問を口にすると、今度はラウルセンが意表を衝かれたとばかりに眉根を寄せる。

「今日、私の船の水夫が酒場で乱闘騒ぎを引き起こし、警察隊に拘束された。そのせいで船は数日間の出港停止となった。これは君の策略だと思っていたのだが、違うのかね?」

「……そういえば港でそんな騒ぎがあったな。確かに私はその対処には当たったが、手を加えたわけではない。お前の雇ったものが勝手にやらかしたことだ」

するとラウルセンは一瞬呆気にとられた顔をし、次に嘲るような笑みを浮かべた。

「なんと、これも偶然か。遺跡の地下施設を見つけたのは冒険者と魔法学院の生徒。私の船を止めたのも水夫がたまたま愚かな行為を働いたため。どうやら私は君を買いかぶっていたようだな。……いや、こんな辺境に飛ばされるぐらいの捜査官なら当然というべきか」

ラウルセンの揶揄に、しかしシュウは動じず、厳格な声で言い放つ。

「私を貶すのはいいが、お前が破滅することに変わりはないぞ。こうなったらすべてを話してもらう。お前は先ほど魔物の能力を示すために街に放ったといったな。それは誰に対してだ? 当然だが、これだけのことをお前一人で実行できるはずがない。お前の裏にいる組織、いや国について洗いざらい聞かせてもらおうか」

それを聞いたラウルセンは、何かを堪えきれないとばかりに吹き出す。

「はははっ、私の後ろにいる組織についてか。構わんよ。だが、それを聞けば君は私を罪に問うことは不可能だと知ることになる」

「どういうことだ?」

この期に及んでラウルセンには全く動揺が感じられない。その態度にさすがにシュウは警戒心を抱き、周囲を見渡す。

「私が伏兵でも忍ばせていると思ったのかね? そんなものはいないよ。私はこの後、君とともに王都セントフォンティーナに行くつもりだからね」

その意図が全く掴めず困惑するシュウ。その顔を見つめ、ラウルセンは呆れたように言い放つ。

「聞いているよ。君は私がダーニオン帝国と結託していると疑っていたそうだな。だが、なぜダーニオン帝国がわざわざ敵国の領地でこんな危険リスクの高い研究をしなければならないのかね? 普通に考えれば誰が主導しているのか分かりそうなものだろう?」

その言葉を受けて、訝し気に細められていたシュウの眼が徐々に見開かれていく。頭に浮かんだその考えを必死に否定しようと首を振るが、その口から出たのは否定の言葉ではなかった。

「ま、まさか……」

愕然とした表情でシュウが一歩後ろに下がる。それを楽しむようにラウルセンが笑いながら告げる。

「そうだ。私を支援し、この研究を裏で主導している真の首謀者、それは王立研究所、ひいてはアルフォワース王国軍だ」


「ば、ばかなっ!! そんなはずは……!」

信じがたい事実にシュウは再度首を振りながら叫ぶ。しかし、そんなシュウをラウルセンは冷ややかな目で見つめる。

「そうでなければ、なぜ私が君の素性やこの街に来た目的を知っているのだ?」

あまりの衝撃にシュウは言葉を失う。

「無論、このことを知っているのは一部の人間だけだよ。王立研究所には表向きの研究をしているものと、極秘に裏の研究をしているものがおり、私は後者というわけだ。しかし、君の愚かな点はそこだよ。君は王立法務院でも様々な腐敗を目にしているだろう? 出世のために平気で二枚舌を使う者。己の保身しか考えない上官。自身の所属する機関がそうなのになぜ他の機関、そして国自体が潔癖であると言えるのかね。君は国に忠誠を誓っているそうだが、私に言わせればそれはただの妄信だ。その妄信によって君は自ら見えるものに目を塞いでしまっていたのだよ」

何も言い返せないシュウの後ろ姿を見ながら、クリアスは警察隊の庁舎で覚えた違和感の正体に気付いた。あの時、クリアスも今、ラウルセンが言ったことが頭を掠めたのだ。

この陰謀をもしアルフォワース王国側が仕組んでいたとしたら? そして、その可能性に気付きながら、シュウは何か無理にそれを抑え込もうとしている、そんな印象を受けたのだ。

「お前はダーニオン帝国から物資を密輸していた……」

「それは密かにダーニオン帝国に送り込んだアルフォワースの人間が手配したに過ぎない。敵国に間者を送り込むのは至極当然だ。無論、間者を動かすのはそれなりにリスクがあるが、それを冒してまでこの研究を支援する意義があるとアルフォワース王国軍は認めているのだよ。……ああ、そういえば、君はこの街の警察隊の人間を疑っていたようが、ここの隊員は何も知りはしないよ。それどころか君の前任の隊長は、私が手配した物資について不審な点があると何度か王立法務院に打診をしていたのだが、それらはすべて上層部が揉み消したのだ」

唯一残された反論もあえなく打ち消され、今度こそシュウは黙り込む。

「ちなみに私の研究はアルフォワースの中でも極秘で、王立法務院にも知っている人間はほとんどいない。君がここへ派遣されたのも君の直属の上司が私のことを知らなかったからだ。だがもっと上の人間は当然把握している。よって君が私を逮捕し、訴えたとしても真相が表に出ることはない。私はすぐに自由の身となるだろう。ただ、さすがに表の世界からは姿を消さざるを得なくなる。それではいささか不便なのでね。できれば穏便にことを済ませたくてここで君を待っていたのだよ」

ラウルセンは両腕を広げて声高に告げる。

「さあ、もう分かっただろう。現実というものを。最後の抵抗として、私を表舞台から消すために逮捕するというのならそれでもいい。それで君の気が済むならね」

シュウは動かない。いや、動けなかった。これまで信じていたものが崩れ去り、己の無力さに苛まれ、ただ拳を震わせることしかできない。ラウルセンはそんなシュウを鼻で笑う。

「さて、それでは私を家まで送ってもらおうか。もちろん君が御者としてね。その予定だったのでこの馬車の御者はもう帰してしまったのだよ」

悪趣味な仕打ちだった。罪人と分かっている人間を法の番人と呼ばれる王立法務院の捜査官に送らせる。シュウにとっては屈辱以外の何物でもない。

未だ立ち尽くすシュウを一瞥し、ラウルセンが馬車の客車に足を掛けた時、

「待ちなさい」

凛とした声が夜空に響いた。ラウルセンが振り向く先で、フィールがゆっくりと歩み出る。

「……君は教会のシスター? 気になっていたがなぜ君がここに? それにそのなりは……」

修道女に似つかわしくない姿、そしてその存在に戸惑うラウルセン。

「あなたは私のことなど覚えていないでしょう。でも私はあなたを忘れたことはない。そして、あなたには聞かなければならないことがある」

フィールは一度、過去の想いを整理するように一息つくと、一段低い声で尋ねた。

「十二年前、あなたはテスクという街で貧民街の浮浪児たちに盗みをさせた。盗ませたのはある貴族の家にあった小瓶と小さな手帳が入った箱。あなたはそれをまだ持っているの?」

ラウルセンの眼が見開かれる。なぜ、それを知っているのか――そんな疑問がありありと見て取れた。しかし、やがてその驚きは別の色を帯び始める。

「そうか、やはり君はあの時の少女か! いやいや、覚えているとも。最初この街で出会った時は単なる他人の空似かと思ったが……。君のその強い意志が感じられる瞳は、あの短い時間でも私の記憶に残るには十分だった。しかし、貧民街の少女が孤児院のシスターになり、しかもこれほど美しくなっていたとは……。それにその装いは一体……?」

「あれから私には様々なことがあった。でもそんなことはどうでもいいわ」

フィールはその海色マリンブルーの瞳に夜の海のような暗い光を宿し、問いかける。

「あなたはあの箱をまだ持っているの? そして、あれはあなたの研究に必要なものだったの?」

その問いにラウルセンはしばし考えた後、少し面白がるように答える。

「なぜそんなことを知りたいのか分からんが、あれはもう私の手元にはないよ。王立研究所の裏の機関が保管している。君の推察通り、あの箱の中身は私の研究に必要なものだった。君には感謝しなければならない。あれがなければ私の研究は一向に進まなかっただろう」

「……あれは一体何だったの?」

「ふむ……そうだな。あの箱を手に入れてくれた感謝の意として君には教えてあげよう。生物を魔物化するには様々なものが必要だが、あの当時、その一つとしてどうしても手に入らないものがあった。それは魔物の血だ」

「魔物の血!?」

その言葉に思わず声を上げたのはクリアスだった。

「ベンジェアンス君は知っていると思うが、魔物の起源を探る研究が進まない原因の一つとして、魔物の体が手に入らないという理由がある。魔物は死ぬとその体は数日も経たずに腐敗し、消滅する。特に血は魔物の体から流れ出ると、あっという間に蒸発してしまう」

それゆえ、たとえ生きた魔物を捕らえても、限られた範囲での調査・研究しかできなかったはず……これまでは。

「しかし、私はその魔物の血をほぼ永久的に保存する方法があることを知った。実は古代の民にも私と同じく生物を魔物化するという考えを持った者がおり、その人間が記した記録が現代にも残されていたのだよ。それが、君が手に入れてくれたあの古文書だ。そして、魔物の血を保存するのに必要な薬の原料が、ダーニオン帝国から密輸していたアルボレセンスという植物だ」

少し興奮を覗かせながらラウルセンは続ける。

「さらに魔物は環境の変化に適応するため、自らの生体活動をほぼ停止させる休眠という状態をとることがある。あの古文書にはこの興味深い現象を人為的に行わせる方法も記されていたのだ。魔物を作り出しても凶暴な力を持った彼らをそのまま生かし続けるのは難しい。よって、その力を管理するため、魔物を休眠させるという方法は非常に有用だった。しかもあの古文書には魔物を休眠から覚醒させるのに、様々な条件付けが行えることも記されていた」

「条件付け?」

クリアスの疑問の声に、ラウルセンは教え子に諭すように頷き返す。

「今日、街に一斉に魔物が現れたのは不思議だっただろう? あれは密かに空き家に運び込んだ魔物に一定時間後に目覚める薬品を注入していたのだ。それと君たちは遺跡の地下施設に侵入したとき魔物に襲われただろう。あそこの魔物は先に言った魔導陣の魔力波動を感知すると目覚めるようにしていたのだ」

クリアスはそれで合点がいった。地下に閉じ込められたまま、あの魔物たちはどうやって生き延びていたのだろうかと思っていたが、ラウルセンがいう休眠状態で過ごしていたのだ。

ラウルセンの話を聞き終え、フィールは過去に手に取った箱を見るかの如く、自分の手に視線を落とす。

「……そう、この街の人の命を奪ったのは……私の大切な存在を危険な目に遭わせた責任は……やはり私にあるのね」

「そうともいえる。ただし君が気に病む必要はない。勘違いしないでもらいたいが、これは世界を救うために必要なことなのだ」

「世界を……救う?」

フィールが眉を顰める。

「そうだ。私の目的はあくまで魔物発生の原因を突き止めることだ。なぜ魔物が生まれるのかを解明し、人々がその脅威に怯えることのない世界を作る。その過程として、魔物を作り出しているに過ぎない。これは人類を救う希望の研究なのだ!」

「嘘です!!」

ラウルセンの熱弁をクリアスは悲壮な叫びで否定した。

「あの地下施設の資料には、魔物化した人間を軍事利用すると書かれていました。それにこの街であなたに無理矢理魔物に変えられた冒険者たちは? そんな彼らに命を奪われた人々は? 彼らが犠牲になったのは何のためですか!? この研究は何も生み出さず、人を不幸にするだけです!」

しかし、ラウルセンは顔色一つ変えず、淡々と語る。

「世界の未来を左右する研究には膨大な費用がかかる。私には支援してくれる後ろ盾が必要だったのだ。よって私は研究を援助してもらい、その代わり、彼らは強力な軍隊を手に入れる。いわば相互利益のために過ぎない。その関係を保つため、私は成果を見せなければならなかった。それだけだ。それに……」

何の感情も宿さない瞳がクリアスを見つめる。

「これはいつの時代も変わらぬ至言だが――理想の追求に犠牲はつきものだ」

違う。これはすべて詭弁だ。明確に示せる根拠はない。しかし、クリアスはそう確信した。

この男を動かしているのは、そんな理想のためではない。虚栄心のためでもない。クリアスもまた、魔法を研究する上で同じ気持ちを抱いたことがある。だから分かった。

ラウルセンをこんな非道な研究に駆り立てたのは、研究者なら誰でも抱く単純な動機。

――面白そうだから――

ただ、それだけだ。誰もやったことのないことをやってみたい。他の一切を考慮せず、その気持ちをただ究極に突き詰めた狂人。魔物を作り出すということに憑りつかれた人間。それが目の前にいる男の正体だ。

この男はここで止めなければならない。だが、アルフォワースという大国が彼を庇護している。誰が彼を裁くというのか。クリアスは怒りが込み上げてくるのを感じた。目の前の男ではなく、何もできない無力な自分に。

しかし、そんな葛藤を抱くクリアスの眼前で一歩前に踏み出す者がいた。

「よくわかりました」

フィールがラウルセンの正面に立つ。

「おお、私の理想を理解してくれたかね?」

「ええ、あなたの理想も。あなたが断罪されるべき人間だということも」

フィールが腰に下げた剣を抜く。そこで初めてラウルセンの顔色が変わった。

「な、何を……」

「さっき話したように私にはあれから色々なことがあった。その中で私はイムル国の『執行者エンフォーサー』に師事し、そのすべてを受け継いだ。罪人を裁くための技量も、悪を葬るというその精神も。神の名のもとに今ここでお前に裁きを下す!」

「なっ……!?」

尋常ならざるものを感じとり、後ずさりするラウルセン。それに応じてフィールも前に出る。

「待つんだ、シスター!」

制止の声を上げたのはシュウだった。フィールが振り返る。

「あなたは『執行者』ではないし、ましてここはイムル国でもない。アルフォワース王国では私刑による裁きなど許されていない!」

「分かっています。でも、これは私にとってやらねばならないことなのです」

再び前を向き、フィールはラウルセンを見据える。ラウルセンはその眼光に怯みながら、シュウに向かって言い放つ。

「いいのか!? こんなことをさせて!? 君は法の番人だろう? これは明らかな犯罪だぞ! それを見過ごそうというのか!」

自分のことを棚に置いた勝手な言い分だったが、ラウルセンの言う通り、シュウの立場であれば止めないわけにはいかなかった。

「やめるんだ、シスター! もし、あなたがその剣を振るうというのなら……」

「私を捕らえるというなら、それでもかまいません。すべてが終わった後なら」

「いや、そんなことはさせられない。その前に私は……」

シュウは苦渋の表情で腰のサーベルに手をかける。だが、フィールはシュウに向き直ろうともせず、肩越しに眼だけをそのサーベルに置かれた手に向け、

「無理ですよ」

「何っ…?」

「これまでのあなたの仕草や体の動きを見ていて分かりました。あなたの実力では私は止められません」

冷徹な声でそう言い切った。二の句を継げないシュウをフィールはさらに突き放す。

「私はあなたのことを傷つけたくはありません。でも、もし邪魔しようというのなら少々の手傷を負うことは覚悟してください」

衝撃に立ち尽くすシュウを捨て置くように、フィールはラウルセンに向け、剣を構える。

そのとき――影が走った。

フィールの眼差しが僅かに見開かれる。が、すぐにそれは冷たい輝きを取り戻す。

「そこをどいてください。飛龍さん」

飛龍が両手を広げてフィールとラウルセンの間に立っていた。

「それはできません。あなたにそんなことをさせるわけにはいかない」

一歩も辞さない構えの飛龍にフィールも動かない。一度手を合わせ、その実力を知るが故に警戒心を顕わにしている。やがて、嘆く様にフィールが問いかける。

「なぜ、その男を庇うのですか?」

「彼のためではありません。あなたのためです」

「私の?」

訝るフィールに飛龍は決然といった。

「もし、あなたがここでその手を血に染めてしまったら、子供たちはどうするんですか? この先、あの子たちに悲しみを背負って生きて行けというのですか!?」

フィールの表情に迷いがよぎる。しかし、それを振り切るようにフィールは唇を結んで答える。

「もう、あの子たちの心は私の元から去りました。……いえ、私たちは離れなければならないのです」

「そんなことはありません!」

飛龍が力強く言い切ると、フィールの体が怯えたように震える。

「さっきは突然のことで子供たちは混乱していただけです。あなたと子供たちの絆はそんなに簡単に切れるものじゃないはず。それに子供たちのことだけじゃない。あなたが父と思うフェルディナンドさんの遺志を思い出して下さい」

「父の遺志……?」

飛龍が頷く。

「フェルディナンドさんが孤児院を開いたのは、悲惨な子供時代を送ったあなたなら、子供たちが何を必要としているかを分かってあげられる……子供たちを幸せにできると思ったから。そして、何よりあなた自身が幸せになれると思ったから。そう考え、あなたに全てを託し、旅立っていったのでしょう? ならばあなたはその想いに応えて、子供たちと自分が幸せになれる道を生きるべきです」

剣を持つフィールの手が震える。亡き父と自身の過去。そして、これまでの素朴でありながら光に満ちていた子供らとの生活が脳裏を巡り、心を苛む。

するとそれまで恐怖で言葉を失っていたラウルセンがこれを機と見たのか、フィールに話しかける。

「その青年の言うとおりだ。私を殺せば君も破滅する。私はこの街から出て行くつもりだ。もうこの街に魔物が出ることもない。ならば君は自分と孤児院の子供たちの未来を考えるべきではないかね?」

額面とは裏腹に保身が透けて見えるその言い分にフィールの眼光が再び鋭くなる。

「あなたはその男の罪を見過ごせというの? その男のために多くの人が不幸な運命へと突き落とされ、理不尽な死を迎えた。そしてこれからも……。そんなことが許されていいの!?」

「そうは言ってません! あなたがこの男を許せない気持ちは分かります。でもあなたが手を下すのは間違っていると言っているんです!」

フィールは落胆したとばかりに力ない笑みを浮かべる。

「同じことじゃないですか……。その男は言いました。自分は法で裁かれることはないと。例えシュウさんが捕えてもいずれは自由の身になる。私がやらなければ……いったい誰がその男を裁くというのですか!」

「心配いりません。それは僕がやりますから」

――その言葉に対して、場のほとんど人間の理解が追いつく前に――

「があああっ!!」

ラウルセンの体が吹き飛び、石畳の上を転がる。元の場所には、双剣の一つを振り抜いた体勢のまま留まる飛龍がいた。

腕が折れたのか、激痛にラウルセンが喚き散らす。その悲鳴に金縛りから解けたようにシュウが声を発する。

「ひ、飛龍、お前いったい何を……?」

「言った通りです。この男には僕が裁きを下します」

いつもと変わらぬ平然とした口調。しかし、眼だけは異様な光を放っていた。そして、突然のことに茫然と見つめるフィールに、飛龍は一つ頷きを送る。

「フィールさん、僕はあなたに言いました。あなたがこの男を許せない気持ちはわかると。僕も同じです。こんな人間は生かしておくべきではないです。そして、あなたは剣を振るうべきではないともいいました。あなたと子供たちのためには、やはりそれはやってはならないことです。だから、この男は僕が始末します」

言って飛龍はラウルセンに向かって歩き出す。たまらずシュウが叫ぶ。

「ま、待て、飛龍!」

飛龍が足を止め、ゆっくりとシュウを振り返る。

「お前、自分が何をやっているのか分かっているのか!? さっきシスターに言ったことと同じだ! そんなことをすれば、お前が……」

「それはあんたが黙っていてくれれば、それで済む話だろう?」

ぞくりと身を震わせる。すぐ背後で発せられた声にシュウは振り向くことができなかった。何もないはずなのに何かを背中に突き付けられているような感覚。滲み出る汗が一層体を冷やす中、シュウは何とか声だけを背後に向けた。

「……それは私に犯罪を見過ごせということか? アイン……」

「有り体に言えばそういうことだ。だが、あんたも本心ではあんな人間が世にのさばることは赦せないはずだ。違うか?」

その問いかけにシュウの切れ長の瞳が僅かに見開かれる。それに気づいているのか、いないのか、アインはそのまま静かな声で続ける。

「この場であの男を殺すことにはっきりと反対しているのはあんただけだ。あとはクリアスだが、たった一人の学生がこのことを他人に言ったとしても、この街の警察隊隊長であり、王立法務院の一員であるあんたならどうにでもできるだろう?」

そう言うとアインはクリアスに眼を向ける。

「クリアス。お前のことだから、おそらく俺たちのやっていることには賛同できないだろう。だが、できるならこのことは他所よそには漏らさないでくれ。それと、これから目の前で起きることは見ない方がお前のためだ」

「え……あ……」

クリアスはアインを見た。目を合わせてしまった。その途端、言葉にならない声が漏れる。

出会って最初の頃、アインからは容易に人を同じ世界に踏み入れさせない壁のようなものを感じた。しかし、行動を共にし、彼自身を理解していくうちに、その隔たりは少しずつ取り払われてきた。少なくともクリアスはそう思っていた。

だが目の前のアインはそんな想いを否定するかのようだった。その全身から伝ってくる気配は本能的な恐怖を引き起こさせるほど昏く、研ぎ澄まされていた。

クリアスは実感した。これが真の暗殺者が醸成する死の気配だということに。

「……影蠍団は解散したはずじゃなかったのか?」

シュウが絞り出すように声を出す。

「そうだ。だからこれは俺自身の意志によるものだ」

「……やはり、飛龍も影蠍団の一人だったのか?」

「いや、あいつとは本当に成り行きで旅をするようになっただけだ。だが俺と一緒にいるぐらいだ。見ての通り、あいつもまともな人間とは言い難いがな」

「……もし、私がお前の要求に従わなかったらどうする気だ」

「別にどうもしない。はっきり言って俺は官憲としてあんたを気に入っている。俺が見てきた連中は、ただ権力を振りかざし、他人を見下すだけのどうしようもない奴らばかりだったからな。あんたのような人間がいるとは思わなかった。だから、俺の要求を聞かなかったからと言って何かをするつもりはない」

そこでアインはさらにシュウに近づき、囁くようにいった。

「それにあんたも知っているだろう? 影蠍団は無関係の人間に危害を加えることはない。影蠍団はもうないが、ここはその流儀を借りて言わせてもらう。俺はあんたに『』してるんだ」

その瞬間、クリアスの全身に冷たい震えが走った。

影蠍団という組織に対し、クリアスはお願いをする暗殺団という冗談ともとれる事実から、一種の温和な印象すら抱いていた。しかし、現実は想像とはかけ離れたものだった。その声、その挙動一つに針で刺されるような威圧感がある。これが、これまで影蠍団が人々にしてきたお願いなのだろうか……。

シュウの眼が心の揺れを顕すかのように震える。シュウとしても悪行がまかり通り、罪のない人々が犠牲になるのをただ見ているだけというのは本意ではないはず。だが――

「そうか、ならば……」

その瞳に宿る揺らぎを鬼気迫る眼光で消し飛ばし、シュウは振り返る。

「その要求は聞けん! 私の責務は法の下で人の秩序を守ることだ! お前たちがそれを犯そうとしているのを見過ごすわけにはいかん!」

決然と言い放ち、アインを正面から見据える。その意志の強さにクリアスは奮えた。あの刃物のような気配を放つアインと真っ向から目を合わせるなど生半可な覚悟ではできないだろう。

そんなシュウに対し、アインは全く表情を変えず、呟くように言った。

「そうか、残念だ……」

そして、ゆっくりと距離を置く。

張り詰めた空気の中、シュウは再度前を向き、声高に告げる。

「飛龍、もう一度言う。その剣を引け。もし、それを振るうというのなら私はお前を捕らえねばならん」

腰に下げたサーベルに手をかける。しかし、シュウも分かっている。自身の技量では飛龍を止めることはできないと。それでも己の信念に順じ、義務を果たす。それがシュウの答えだった。

「シュウさん。僕を止めればこの男は自由になり、さらに多くの人が犠牲になる。あなたにもそれが分かっているはず」

しかし、そう言った飛龍の顔からわずかに鋭さが消える。

「でも、僕はあなたの行動が間違っているとは思いません」

そして、先ほどとは異なる輝きを伴った瞳でシュウを見つめる。

「あなたにはあなたの信念がある。ただ僕は、この世に多くの間違ったことがあるように、正しいこともまた多く存在すると思っています。だから、僕は自分の行動が間違っているとは思わない。よって、この男はここで終わらせます。あなたが阻止しようというなら、僕はあなたを傷つけずにそれを成し遂げて見せます」

シュウが歯を剥くように唸る。

「嘗められたものだな。私など簡単にあしらうことができる、そういうことか」

「いえ、違います。出来る出来ないかではないんです。あなたに信じる道があるように、これが僕の信じる道だということです」

黒い輝きを再び瞳に宿し、飛龍がもう片方の剣を抜く。同時にシュウもサーベルを抜く。両者の殺気に包まれながら、ラウルセンは恐怖に顔を引きつらせ、尻を擦りながら叫ぶ。

「私を殺せば研究の詳細はわからなくなるぞ! 魔物の起源を探るという試みも潰えることになる。それでもいいのか!」

その叫びに飛龍は何かを考えるように一度視線を上に向けると、両手の双剣を僅かに下げた。

「……ああ、そういえばそれについて聞きたいことがあったんだ」

それを聞いた途端、ラウルセンの瞳に妖しい光が灯る。

「お前が魔物にした人間、その人たちを元に戻すことはできるのか?」

その質問にラウルセンの口元が吊り上がる。

「さあな、元に戻すことができるかもしれないし、できないかもしれない。いずれにせよ、私を殺せば永遠にそのことは分からないだろう」

その人を食った思わせぶりな回答にクリアスは歯噛みした。

ラウルセンの発言はほぼ間違いなく虚言ブラフだ。万物の法則において、物質の変化には可逆的なものと不可逆的なものがある。だが、圧倒的に多いのは後者だ。特に生命という複雑な存在を根本から捻じ曲げる、魔物化なる現象を元に戻せるなどとは到底思えない。

ただし、真偽について、答えは『分からない』だ。例え〇・一パーセントでも可能性があるなら飛龍は手出しできなくなる。クリアスはそう思った。だが――

「そうか、分かった。じゃあ次に、この街で失踪した冒険者たちは、お前が魔物に変えるための実験台として攫われた。それは間違いないな?」

予想外に飛龍には惑う様子が一切なかった。その異様な気配に呑まれながらも、何とか頷きを返すラウルセンに飛龍はさらに尋ねる。

「魔物を生み出すだけなら動物でよかったはず。なぜ人間を魔物にする必要があった?」

するとラウルセンはまるでよくぞ聞いてくれたといわんばかりに喜色を浮かべた。

「それについては答えよう。魔物化した個体の能力は、その元となった生物の資質に左右される。つまり、強い魔物を生み出すにはより強い肉体が必要なのだ。そして、それは知能にも反映される。ただ本能のままに暴れるだけの魔物に意味はない。私の目的は肉体と知能、双方に優れた魔物を生み出すことだ。そういう意味では、流れの冒険者というのはまさに最適の人材だった。肉体的に頑強で、しかも姿が消えてもそれほど騒ぎになることはない」

全く罪悪感のない悪行の吐露にクリアスは吐き気を覚えた。なぜここまで人の心を失うことができるのか理解できない。だが、ラウルセンはさらに得意げに続ける。

「おかげで私の研究は飛躍的に進展した。今日、街に放った実験体も人の言葉を理解するだけの知能は備えていたのだよ。だが、この研究はまだ始まりに過ぎない。私はさらにこの研究を発展させる必要がある。なぜなら私の最終目標はより強く秀でた生命体――『惨禍の徒』を創生することだからだ!」

「惨禍の徒だと!!」

シュウの叫びにラウルセンは鷹揚に頷く。

「そうだ。その超常的な能力を宿した存在をこの手で生み出す。人類を脅かす根源である『惨禍の徒』の出生を解明し、その力を手に入れれば、終の台地の魔物など恐れるに足りない! その力によって我々はあらゆるものを凌駕し、人類は真に種の頂点に立つことができる!」

そのあらゆるものの中には、力を手にした者に抗う人間も含まれるのだなとクリアスは悟った。やはり、この狂人は先のことなど一切考えていない。世界の脅威であり、恐怖の象徴である惨禍の徒を生み出す――それしか考えられなくなった人間だと再認識した。

己の理想に酔いしれるラウルセンに対し、フィール、シュウ、そしてクリアス、三人の女性が怒りと厭悪を入り混ぜた視線を向ける。一人の男の狂気とそれを否定する激情が渦巻く中、対照的に機械的ともいえる平坦な声が響いた。

「わかった。もうお前に聞きたいことはない」

飛龍が無造作に歩き出す。ラウルセンに向かって。

無感情ともいえるその表情から、ラウルセンは飛龍の意図するところを瞬時に悟った。

「よ、よせ! 何を考えている! 私を殺したら魔物になった人間を元に戻す方法が分からなくなるといっただろう! それに私の背後に誰がついているのかも分からないままだ!」

あくまで自分が持つ情報を盾に逃れようとするラウルセン。だが、飛龍はそれを冷徹な目で見下ろす。

「そんなことはない。お前の背後に誰がいるのかは知らないが、これだけ危険な研究に関する情報を一人の人間に占有させるはずがない」

飛龍がラウルセンの正面で足を止める。

「つまり、そんな方法があるなら……必ず他の人間も知ってる」

「ば、ばかな。そんなこと分からんだろう? そんな不確かなことで……」

「確かに分からないことが多い。だけど一つだけ、間違いなく言えることがある」

そう言って飛龍が剣を振り上げる。

「お前はこの世界に必要ない」

漆黒の剣が揺れる。ラウルセンの表情が恐怖に染まり、シュウが駆けだそうと一歩踏み出す。フィールは瞠目し、クリアスが目の前の光景から目を逸らしたその時――

「はははははっ!!」

夜の闇を貫いてすさまじい哄笑が響き渡った。

皆が一斉に顔を向けると、いつの間にか時計塔にもたれるようにして一人の男が立っていた。

「あなたは……」

「飛龍。お前、やっぱり面白いやつだな。俺の見込んだとおりだ」

全員が戸惑う中、その男――ジグマはゆっくりと飛龍の方に向かって歩いてくる。

「最後まで見ているつもりだったが、つい声に出ちまった。悪かったな。邪魔をして。だが、お前は正しいよ。そいつのやってるくだらないことや裏で何やら画策している人間よりも、お前のその行為の方が世界にとっては重要だ」

急にこの場に現れたジグマの意図が掴めず、飛龍は剣を下ろし、動きを止める。その代わりに口を開いたのはラウルセンだった。

「く、くだらないことだと? なんだお前は? いきなり出てきて、私の研究を愚弄しおって……。貴様のような低俗な輩に何が分かる?」

「わかるさ」

よろよろと立ち上がるラウルセンにジグマは蔑みの笑みを向ける。

「魔物を作り出した? 笑わせる。街にいた奴らは低級どころじゃない。あんなのは魔物のような物であって魔物じゃない。あんなまがい物を作って喜んでいるとはな。さらにその体たらくで惨禍の徒を作り出すとまできた。おめでたいにもほどがあるぜ」

「ま、まがい物だと……」

「そうさ。俺たちは無から有を成して生まれる。何かを元に生み出されたものなど所詮魔物ではない」

――え………?

クリアスは聞き間違いかと思った。今、何か妙なことを言わなかっただろうか? ……いや、ジグマは確かに「俺たち」といった。

ジグマはまずシュウとフィールに目を向け、それからクリアスたち三人を眺める。

「さっきは落ち着いて話す暇がなかったからな。初めて会ったやつには自己紹介もできなかった。お前たちには一度名を告げたが、改めて名乗らせてもらうぜ」

そのとき、クリアスは、ジグマを包む気配が不快を遥かに超えて明確な負の気配に変わるのを感じた。

「俺の名はジグマ。鑌鉄ひんてつの幽鬼とも呼ばれている。お前たちがいう惨禍の徒の一人だ」

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