明かされる真実

「父は……神父様は最後に微笑んで旅立っていきました。あの人も最後は救われたのだと思います」

フィールが話し終えると、窓から差し込む斜陽が皆の顔に影を作っていた。

「フィールさん、あなたにそんなことが……」

今にも泣きだしそうに眼を潤ませたクリアスにフィールは儚げな微笑みを向ける。それを見ながらシュウはあくまで冷厳な顔でフィールに尋ねる。

「それで今の話に出てきた片眼鏡の男というのが……」

「ええ、フィリップ・ラウルセンです。たった一度、あの時に会っただけですが、間違いありません。あの顔とバーナムが言った名前は今でも忘れることができません」

机の上に置かれたフィールの拳にわずかに力が籠る。

「そして、あなたが取り戻したいものというのが……」

「ええ、あの家から私が盗み出し、ラウルセンが持ち去った箱のことです。神父様は私の罪に許しを与えてくれました。しかし、あの老婦人の死の元凶となった箱がまだ存在しているなら、それを取り戻すことによって私は本当の償いができる、そんな気がするのです」

静かながらその瞳には揺るぎない決意が宿っていた。その意志の光をしばし見つめた後、シュウが尋ねる。

「しかし、取り戻してどうする気だ?」

問われたフィールは少し迷った様子を見せながら答える。

「できれば元の持ち主に返したいところですが、私が昔いた街はここからあまりにも遠く、子供たちがいる今は返しに行くことはできません。ですから、いつか返すことのできるその日が来るまで私が持っておくつもりでした。……うまくは言えないのですが、あれはこの世に出してはならないものだったような気がするのです」

この世に出してはならないもの――。ようやく気持ちが落ち着いてきたクリアスは、それを聞いてフィールの話にあった老婦人の言葉を思い出した。

「魔を司るもの……」

その呟きに全員の視線が集まる。

「もしかすると、その箱の中身は今回の件と何か関係があるのかも……」

クリアスがそういうと、フィールは訝しげに疑問を口にする。

「それはどういうことですか……?」

フィールの問いにクリアスはここまでの経緯を説明した。遺跡のこと、そこにいた魔物。そして、人を魔物に変える研究をラウルセンが行っているかもしれないという可能性について。

聞き終えたフィールはその長い睫毛を物憂げに伏せた。

「……どうやら、私が犯した罪は思っていたより遥かに重いものだったようですね」

「そんな……フィールさんはこんなことになるとは知らなかったじゃないですか。それにまだそうと決まったわけじゃないですし……」

「そうですね。まずはあの男がまだあの箱を持っているのか、そして、本当にそのようなことをしているか確かめることが先決です…………ただ、その前に」

そこで言葉を切ると、フィールは一転して切なげな声でシュウに懇願した。

「できれば……、できれば、私の過去のことは内密にしてもらえないでしょうか?」

その瞳は熱を帯び、僅かに潤んでいた。

「特に子供たちには……。もし、私がしてきたことをあの子たちが知って、私に幻滅するようなことがあれば……、いえ、私が蔑まされるのはいいんです。それよりも、そのことによってあの子たちが未来への希望を失ってしまうことが恐ろしいのです。あの子たちもそれぞれ傷を背負ってこの街に来ました。そして、ようやく今の生活の中で明るさを取り戻したんです。あの明るさを……私のために失って欲しくないのです……」

それを聞いて、クリアスは、子供たちがその天真爛漫さの奥に深い悲しみを抱えていることを改めて認識した。その明るさについ忘れてしまっていたが、あの子供たちもそれぞれに孤独の中、辿り着いたのが今の孤児院なのだ。その悲しみを感じさせなくなるほど子供たちが元気になったのは、フィールがそれだけ愛情を注いできたからに他ならない。その優しい世界が壊れてしまうのは、クリアスも見たくなかった。

しかし、その心配は杞憂に終わる。シュウはその切れ長の目を優しく細めると、その声も柔らかにいった。

「シスター。私の責務は法に背く姦賊を捕え、人々の安寧を護ることだ。それにはもちろん一人の女性と子供たちの平穏な暮らしを守ることも含まれる。だから、あなたのことはここいる者だけの秘密だ。それは約束しよう」

シュウの優しい笑みに、フィールは泣き笑いのような表情で込み上げるものを堪え、

「ありがとうございます……」

最後は消え入りそうになりながら感謝の言葉を口にし、頭を下げた。

そのやり取りを目の前にして、共に喜びの笑みを浮かべていたクリアスは、あるものに目を奪われる。

「あ……」

思わず漏らしたその呟きにシュウが反応する。

「ん? どうした?」

「いえ、今日、大通りでも思ったんですが、シュウさんって笑うとすごく綺麗だなって……」

その嘘偽りない感想にシュウの顔が真っ赤に染まる。

「い、いきなり何を言っているんだ、お前は!」

「だってシュウさん、いつも険しい表情をしてるじゃないですか。だから、ちょっと近寄り難い感じがしてたんですけど、そんな表情かおができるなら、もっと笑った方がいいですよ」

するとそれまで下を向いていたフィールも一転して明るい笑顔でいった。

「そうですね。確かにシュウさんは笑顔の方が似合っていますよ。本当のお名前の様に可憐な感じがします」

「私の名前のことはいうな! ……というかなぜあなたが私の本名を知っている!?」

顔を赤めたまま問い質すシュウにフィールは不思議そうに小首を傾げる。

「この間、ルーテルから聞いたのですが……何かいけなかったのですか?」

「あいつ! 秘密にするといったのに……」

忌々しそうに唇を結ぶシュウ。しかし、ルーテルが秘密にすると言ったのは今日。「この間」ということはもう前に話してしまっていたのだろう。それなら約束は破ったことにはならないのではないか。などと思いつつ、クリアスが未だ赤いその端正な顔を眺めていると、

「とにかく!」

シュウは自身を落ち着かせるように一つ咳払いをしてから、話を切り変える。

「これでお前たちが遺跡で見た人物はシスターだと分かった。それによってお前たちの話には信憑性が出てきた。もはやラウルセンが魔物化の研究という陰謀に関わっているのは間違いない。今のところ物証はないが、それも崩れた瓦礫を取り除いて、遺跡の奥にある施設を見つければ言い逃れはできないだろう。ここまでくれば一刻も早く奴の身柄を押さえるべきだ」

その性急な判断にクリアスは戸惑った。シュウ自身が言った通り、まだ確たる証拠は一つもない。そんな状況で身柄の拘束などできるのだろうか。

クリアスの戸惑いをよそにシュウは話を進める。

「そのためにはお前たちにも引き続き協力を願いたい。……だが、その前に」

その声音から急に熱が失われ、瞳に氷の刃のごとき輝きが宿る。その変貌ぶりにクリアスはぞっとした。

「確かめておかなければならないことがある」

その視線は壁際にいたアインに向けられる。そして、突き刺すような口調でシュウは問いかけた。

「アイン、単刀直入に言う。お前は元『影蠍団』のアイン。そうだな?」

それまで腕を組み、黙って下を向いていたアインが顔を上げる。その表情には何の感情の揺らぎもない。対して、シュウの視線は一層鋭さを増していた。

「あの影蠍団というのは……?」

シュウが口にした聞き慣れぬ単語にクリアスは戸惑いがちに尋ねた。

「影蠍団というのはアルフォワースのヴィルラ地方を中心に活動していた義賊の名だ」

「義賊……ですか?」

こちらは何となく聞いたことのある言葉だったが、やはり明確な輪郭が浮かばない。そんな疑問を顔に顕すクリアスにシュウが説明を続ける。

「そうだ。義賊というのは一般的には横暴な領主や貴族たちから金品を奪い、民衆に分け与えるといったことをする集団のことだが、今、名を出した影蠍団という一味が行っていた行為はもっと過激だ。彼らがその活動の主として行っていた行為、それは暗殺だ」

その恐ろしい響きにクリアスは表情を凍り付かせ、弾かれたようにアインを振り返る。しかし、アインは依然として泰然とした態度を保っていた。

「影蠍団は依頼を受けて権力者や官吏を殺し、報酬を受け取る。そして、その上でそうした者たちの財産を奪い、貧しい民衆に分け与える。そういった組織だったそうだ」

シュウはクリアスに向けていた視線を再度アインに向け、強く言い放った。

「つまり、こいつは元殺し屋だ」

その言葉は鋭くクリアスの胸を刺した。

遺跡でのやり取りを思い出す。あの時、アインは冗談だと言った。しかし、罠を見抜く技術や音もなく歩く所作などは、思い返せばどれもが義賊、そして暗殺者のそれに思えてしまう。

ここでようやくアインが口を開いた。

「しかし、いきなりだな。どうして俺がその影蠍団の一員だと思うんだ?」

「お前の顔の火傷の痕。その特徴に聞き覚えがあってな。会ったその日から情報を問い合わせていたんだ。そして、先ほど回答が届いた。それによると、やはり影蠍団には右の顔に火傷の痕があるアインという男がいたとのことだ」

シュウの話にアインが静かに問い返す。

「その情報の出どころは?」

「影蠍団は半年前に解散している。それも団員内での仲間割れでな。団長は死に、団員は各地に散った。だが、その団員の中に密告者がいた。こいつは影蠍団の中でも少数派の考えを持つ者だったらしく、影蠍団解散の引き金になったとも聞いている。そして、この密告者は各団員の情報と引き換えに恩赦を勝ち取った。もっとも、こいつは恩赦を得るためというよりも影蠍団への恨みでそういった行動に出たらしいがな。ともかくそこでもたらされた情報にお前のことがあったんだ」

シュウの話が終わると、アインはふっと軽い笑みを浮かべた。

「ずいぶんと水漏れのひどい暗殺団があったものだな」

「それは認める発言ととっていいのか?」

その問いにアインは一息の間を置いてから答えた。

「別にそうだと言ってもいいが、それであんたはどうする気だ? 俺を捕まえる気はないんだろう?」

最後の問いにシュウの表情が一瞬動く。

「……なぜ、私にお前を捕らえる気がないと思うんだ?」

「もし俺を捕まえる気なら、この部屋に入ったときに問答無用で拘束しているか、俺の言質をとった上で捕縛できるよう手配しているはずだ。いずれにせよ暗殺者を捕らえるのにあんた一人で対処するとは思えない。だが部屋の外には隊員を待機させているといった気配はない。だからその気はないと考えた」

得心がいったとばかりにシュウは頷く。

「なるほどな。お前の言う通りだ。確かに私はお前を捕らえる気はない。いや、捕らえられないといった方が正しいだろう」

シュウが指先で机を叩きながら話す。

「まずお前が影蠍団として暗殺を行ってきたという証拠がない。先の密告者は、影蠍団に入団してまだ日が浅かったらしく、団員の呼名と特徴は告げていたが、その素性や本名は知らなかった。さらに影蠍団の過去の活動も知らないようで、一切が分からずじまいだ。そして、先ほどお前は自分で影蠍団の一員と認めるような発言をしたが、それもそれだけでは意味がない」

机を叩く指が止まる。

「証言や自白には必ず検証という作業が必要となる。だが、その検証に足る証拠を揃えることは不可能だろう。もっともお前が、第三者が納得できるぐらい、影蠍団で行ってきたことを事細かに明かすのなら話は別だが、流石にそんなことはしないだろう?」

それを聞いたアインが笑う。

「あんた、クソ真面目だな」

「なんだと……」

憤りを露にシュウが顔をしかめる。それに対し、アインが意外そうに笑みを消した。

「気に障ったのか? それなら謝る。誉め言葉のつもりで言ったんだがな」

――いや、今のは普通、誉め言葉じゃ使わないでしょ……。

クリアスは心の中でつっこむがあえて口は挟まなかった。

「俺は官憲などというものは、人を決めつけてかかり、証拠など後付けでいい。なんなら捏造でもいいと考えている連中だと思っていたが、あんたのような人間がいるとはな」

「……随分な偏見だな。我々は法に準じて任務を行っている。お前が言うような考えを持つ人間がいるのは否定しないが、それはあくまでほんの一部だ」

「俺はあんたの方が一部の側の人間だと思うがな。まあ、あんたが何を信じていようが構わない。それで? 俺を捕まえる気がないなら、どうしてこんなことを訊いたんだ?」

「影蠍団は半年前に内部分裂によって解散し、団長は死亡した。このことからその残党はおそらく影蠍団として再び活動することはないとされている。だが、個人としてはどうか?」

シュウは顔の前で手を組み、アインを見つめる。

「影蠍団は領主や貴族のみならず、悪事を働く人間全般を標的としていた。その点で言えば今回の件、ラウルセンが行っているであろう研究は非道の極みだ。もし影蠍団が奴を殺すことを依頼されれば、間違いなく快諾していただろう。アイン、私がお前に訊きたいのは、お前が誰かに依頼され、個人でラウルセンを暗殺に来たのではないかということだ。もしそうであれば私はそれを阻止しなければならない」

そこでシュウは一つ息を吐き、アインに再び鋭い視線を送る。

「どうなんだ?」

その問いかけにアインは苦笑を滲ませ、答える。

「あんた、クソ真面目の上にお人好しだったとはな。もしそうだったとして、暗殺者がそんなことを馬鹿正直に話すと思うのか?」

「さあな。だが一応、お前の口から聞いておきたいんだ」

シュウとアイン、お互いの探るような視線が交錯する。息の詰まるような沈黙を経てアインがいった。

「……俺がこの街に来たのはたまたまだ。ラウルセンというやつのこともこの街に来るまで知らなかった」

それを聞いてシュウは体から少し力を抜く。

「そうか……、分かった」

「信じるのか?」

アインが意外そうに言う。

「今のところはな。聞く限り、お前があの遺跡に行くまでの経緯は、あまりに偶然が重なりすぎている。それにお前たちは遺跡の地下施設を見つけ、それを私に相談しに来たが、暗殺を考えている人間がわざわざ警察隊と関わろうとはしないだろう。元々可能性は低いとは思っていた。だが、暗殺団の一員かもしれないと分かった以上、その動向を押えないわけにはいかない。今後、お前のことは監視するつもりだ」

その宣言にアインは表情を変えずに尋ねる。

「随分、甘いんだな。人殺しが街をうろつくことを許すのか?」

「……影蠍団の名は密告者が現れる前から世間でも知られていたな」

シュウはアインの質問には直接答えず、独り言のように話し出す。

「それは影蠍団が自分たちの姿を目撃されても、その人間に危害を加えるようなことをしなかったからだ。影蠍団には鉄の掟があった。それは悪とみなした標的以外は絶対に殺さないというものだ。例え相手が団員の命、そして影蠍団自体を危機に陥れる存在であったとしても、その掟は遵守しなければならない。もし対象でない人間を殺してしまった場合、その団員は自らの命を持って償う。それが影蠍団の掟であり、理念だった」

アインはひたと身じろぎもせずに耳を傾けている。

「しかし、影蠍団としては極力、組織の情報を秘匿したいと考えるのは当然だろう。それならもし無関係の人間にその姿を見られたり、組織に関する情報を知られたりした場合、彼らはどうしたと思う? クリアス」

「えっ!?」

いきなり話を振られ、クリアスはおろおろと左右を見回す。しかし、誰も助け舟を出す様子はない。見かねたシュウが笑いながら言う。

「彼らはな、お願いをするそうだ」

「お願い?」

「ああ、自分たちのことを誰にも話さないように頼み込むそうだ。アイン、お前はさっき私のことをお人好しといったが、私からするとこんな甘い暗殺団は聞いたことがない」

先ほどのお返しとばかりにシュウが笑う。しかし、すぐにその笑みを消し、真剣な眼差しで先を続けた。

「だが、それゆえ影蠍団は一般大衆からは大きな支持を得ていた。そのため目撃者がいても、彼らは影蠍団の存在は認めても、核心的なことについてはほとんどの人間が口を噤んだという。だから結果的に密告者が現れるまで影蠍団の秘密は守られた。そんな集団の一員なら無闇に人を傷つけたり殺めたりすることはないだろう。お前を拘束しないのはそういう理由だ」

アインは沈黙を保ったまま、その言葉を受け止めていた。アインから返答がないのを見て、シュウはこれで言うべきことは言ったとばかりにその視線を別の人間へと移す。

「さて、次は飛龍、お前に訊きたい。まず、お前はアインが影蠍団の人間だと知っていたのか?」

「ええ、まあ……」

あっさりと認める飛龍。その緩い反応に対し、シュウが鋭い声音で尋ねる。

「密告者からもたらされた情報にお前のことはなかった。では、お前は何者なのだ? それとも密告者が知り得なかっただけでお前も影蠍団の一員なのか?」

「いや、僕は違いますよ。何者かと言われても最初に話した通り、僕はただの旅人ですから……」

「ただの旅人が暗殺団の一人と旅をするのか?」

「いや、それはまあ、色々とあって……」

言葉を濁す飛龍。そこへアインが割って入る。

「こいつは影蠍団の団員じゃない。というかこいつが影蠍団を壊滅させた張本人だ」

「なっ……!!」

周りの人間よりも言われた当の本人が一番大きな驚きの声を上げる。

「何、言ってるんだよ、アイン! 影蠍団は自分たちで解散することを決めたんじゃないか!」

「確かにあの時、影蠍団が組織として崩壊するのは時間の問題だった。だが、最後の糸を切ったのはお前だろ?」

「最後の糸って……僕は団長と話しただけで、そこからは……」

そこで飛龍は、はたと口を閉じ、目を横に向ける。その先にはすべてを聞き逃すまいと見つめるシュウの視線があった。

「と、ともかく、色々あったんですが、僕は影蠍団の人間じゃないし、身元も前に話した通りです。なんなら僕の故郷に問い合わせてもらってもいいですよ。かなり遠いですけど……」

その「色々」がすごく気になるクリアスだったが、シュウがいる手前、沈黙を通す。

「……わかった。お前の素性についてはいったん保留としておこう。では次の質問だ。お前が持っている剣に刻まれているのは、クリアスが研究している古代魔法の文字なのだな? ならば、お前がこの街でクリアスと出会ったこと。遺跡の壁に描かれていた文字がその古代魔法の文字であったこと。これは本当にただの偶然なのか?」

飛龍は頭を掻きながら答える。

「不思議に思うのも当然ですが、これは本当に偶然です。僕自身、この剣の紋様がアルトリア文字だってことは、クリアスに出会うまで知らなかったんですから」

シュウは一度目を閉じ、しばし黙考した後、一つ頷く。

「そうか。まあ、お前についてもアインと同じで、この件に関わったのは偶然だとは思っていた。だが、アインと共にいる以上、これからはお前のことも必然的に監視させてもらうぞ」

「はあ……」

気の抜けた声で飛龍が返事をする。そんな飛龍を、隣に座るクリアスは不思議な思いで見つめていた。監視すると言われてもさして気にした様子がない。やはり常人とはどこか感覚がずれている。いったいこれまでどんな道を歩んできたのだろう。

と、そんなことを考えていると、ふと自分に向けられる視線に気付いた。その源を追うと、少し離れた場所に立つアインと目が合う。その眼はいつもとは異なる静けさに満ちていた。

「軽蔑したか?」

「えっ?」

「俺の過去を知ってだ」

問われてクリアスは固まる。意味は理解したが、すぐには言葉が出てこない。少しして、首を傾げながら切れ切れに答える。

「……驚いたけど、なんて言うか、まだ実感が湧かないというか……。出会ってからまだ短い間だけど、一緒にいてアインは悪い人には見えないし……」

それを聞いたアインは驚きと呆れを含んだ一言を漏らす。

「……やっぱりお前、変わってるな」

「そ、そうかな?」

というかそれはアインに言われたくないなあ、とクリアスはちょっとした不満を心の中で呟きながら、不思議と殺伐とした気配など感じられないアインの全身を眺めた。

そんな二人を眺めていたシュウが、会話が途切れるのを見計らってから切り出す。

「では、次に今後のことについて話したい。私は……」

「あ、ちょっと待ってください」

話しかけたシュウを飛龍が手を挙げて遮る。

「この際なので、僕も気になっていたことを聞いておきたいんです」

その声は軽く、路上で道を尋ねるかのような気安さだ。しかし――、

「何をだ?」

「あなたはアインが影蠍団であったことを訊き、僕の身元を確認しましたが……」

そこで飛龍の声音が急に低くなる。

「あなたはいったい何者なんですか?」

シュウは一瞬動きを止め、それからすっと目を細める。

「どういう意味だ?」

「あなたはこの街の警察隊の隊長です。でも、これまでの話から、あなたはそれだけの人間には思えない」

飛龍がその深淵を覗き込むようにシュウの瞳を見つめる。対してシュウは動じる様子もなくそれを受け止め、落ち着いた声で言った。

「ほう、では聞かせてくれ。私の何が気に掛かる?」

「そうですね。僕はこの国の司法制度などはよく知らないのですが……」

飛龍はそう前置きしてから話し出す。

「まずアインと影蠍団の関係を聞いたとき、あなたはアインの特徴について『問い合わせた』といいました。それはいったいどこへ? その答えは次の言葉に含まれているんじゃないでしょうか。『密告者は各団員の情報と引き換えに恩赦を勝ち取っている』。つまりこれは影蠍団について知るため、超法規的な措置をとったということですよね? でも、僕も行ったことがありますが、ヴィルラ地方はかなり辺鄙なところです。そんな街の一介の警察隊に法を超えて取引するという権限なんてあるんでしょうか? そんなことができるのはもっと上位の法的機関であるはず」

それにアインが同意を示す。

「俺もそこには引っかかっていた。特にあの地域の警察隊は、無能で独りよがりのやつが多かった。あいつが……その密告者がそんな提案をしても取り合わず、問答無用で捕まえて自分の手柄にするだけだろう」

つまり、二人は密告者が取引した相手とシュウがアインのことを問い合わせた先は同じだと言いたいのだ。警察隊の上位の法的機関。クリアスの頭に浮かぶのは一つの組織しかなかった。

「王立法務院……」

呟くようにその名を口にする。

王立法務院――王都セントフォンティーナにあるアルフォワース王国における司法の最高機関。王立法務院は警察隊のみならず、裁判所やその他の法的機関も統括しており、密告者が取引するならここしかないはず。

クリアスからその説明を聞き、飛龍が頷く。その後、アインが話し出す。

「しかし、ここから王都まではかなりの距離がある。そんなところから二日で知らせを受け取るには予告鳥アドバードを使うしかないだろう」

予告鳥とは伝書鳩と同じく文書などを送るための鳥で、伝書鳩よりもその飛行距離は長く、しかも帰還率もほぼ十割と高い。だが、希少な鳥ゆえ、予告鳥はそれなりに権限のある人間にしか使用できない。

「それにあなたはアインの特徴について、聞き覚えがあったから問い合わせたと言いました。でも王都から離れた港街の警察隊の隊長がどうやってそんなことを知り得たんですか? それはあなたが元々王都にいてそれを知り得る立場にあったから。さらに、あなたがこの街にやってきたのはここ最近のこと、おそらくこの三か月以内のはず。それを考えるとあなたが何者で、どうしてこの街にやってきたかも想像がつきます」

「ちょ、ちょっと待って!」

話についていけず、それまで固唾を呑んで聞き入っていたクリアスが思わず声を上げる。

「どうしてシュウさんが最近この街に来たって分かるの?」

「それは最初、博物館でシュウさんと話した時に分かったよ」

「博物館で話した時?」

クリアスは思い返すが、シュウがそれらしいことを言っていた記憶はない。たまらず目で訴えると飛龍は一つ頷いて答えた。

「シュウさんは遺跡に行こうとしていた僕らに警告したとき、こう言っていた。『この街には昔から魔物が出るという言い伝えがあるらしいから』って。この『らしい』って言い方は、誰かから聞いて、まだそれほどよく知らないことに対して使う言葉だ。もし、シュウさんがずっと前からこの街にいて、言い伝えのことを当然の如く知っていたなら、言い伝えが『ある』とかもっと断定的な言い方をしたはずだよ」

そういうと、飛龍は説明に唖然とするクリアスから視線を横に向ける。

「まあ、シュウさんがいつこの街に来たかは、ずっとこの街に住んでいる人に聞けばわかるはずだよ。そうですよね、フィールさん」

「えっ……」

話に聞き入っていたフィールはいきなり話を振られ、戸惑うが、

「そうですね……。シュウさんがこの街に来られたのは二月ほど前ぐらいだったと思います。新しい警察隊の隊長が女性だということで少し噂になっていましたから……」

と記憶を辿るように答える。

「そうだったんですか……」

クリアスが納得したのを見て、飛龍が続きを話す。

「ではシュウさんがこの街に来たのはただの異動だったのでしょうか? あなたは先ほど僕の剣と遺跡に書かれている文字、それをクリアスが理解できることについて、その偶然性を疑いました。その考え方は僕も同じです。ラウルセン館長がこの街に赴任してきたのが三か月前。僕がさっき、あなたがこの街に来たのは三か月以内といったのはこのためです。そして、あなたが来たのはそのすぐ後の二か月前。これは果たして偶然でしょうか? もちろんこれだけなら偶然と言えなくもないです。でも、もう一つのことを組み合わせると話は違ってきます」

飛龍はそこで考えを整理するように一息つき、それから再び話し始めた。

「最初にあなたについて変だと思ったのは、僕らが遺跡での出来事を話してからのあなたの行動です。あのとき、あなたは僕らの説明を聞いて、最初は否定しました。あなたの立場からすると、僕らの話は不自然に聞こえても仕方なかったので、それは無理ないなと思っていました。でも、その後、信じられないと言った割に、あなたは僕らの話を証明するものがないのかとしきりに尋ねてきました。それで僕は、影の人物――これは結局フィールさんだったのですが、この人物をラウルセン館長の周囲から調べることを提案しました。でも、これもあなたがいったように、仮定で成り立っている話で確実と言えるものではなかった。それなのにあなたは僕の話を受け入れ、さらに一緒に捜索すると言い出しました。それも隊長であるあなた自身が、他の隊員も伴わずにです。これはさすがに奇妙でした。でも、これはあの時からあなたが館長に何らかの疑いを持ち、秘密裏に調べていたと考えると合点がいく気がしました」

クリアスもシュウが一人で同行すると言い出した時は少し引っ掛かったが、深くは考えていなかった。人によっては、上に立つ立場であっても他人に任せず、自分でやるべきだと考える人もいる。単にシュウもその一人だと思っていた。

「つまり、あなたは上位の法的機関、つまりクリアスが言った王立法務院という機関の人間。そして、ラウルセン館長の研究については僕らが話す前から知っていて、その捜査のためこの街に来た、ということじゃないですか?」

そう言い終えると飛龍とシュウは沈黙のまま向かい合った。そして僅かな静寂の後、不意にシュウを包む空気が緩む。

「ここで白を切ることもできるが、そうする意味はないな。特にお前たちと一緒に行動すると言ったことは、私自身、無理があると思っていたからな。ここまで来たら本当のことを話したほうがいいだろう」

シュウは改めて背筋を伸ばし、毅然と言い放った。

「お前の言う通り、私は王立法務院特別捜査部の捜査官だ。そして、この街にはラウルセンの陰謀を暴くためにやってきた」

クリアスは驚きの表情でシュウを、そして飛龍をみた。シュウの本当の役職。そして、それを見抜いた飛龍の慧眼に驚嘆せずにはいられなかった。

「……それじゃ、シュウさんは最初から館長さんが魔物化の研究をしていたことを知っていたんですか?」

クリアスが尋ねると、しかしシュウは首を横に振る。

「いや、ラウルセンが何らかの陰謀に関わっているとは思っていたが、その内容までは掴めていなかった。私は別の方面から奴に疑いを持ったんでな」

「別の方面?」

シュウが「ああ」と相槌を打つ。

「もうお前たちは深く関わっているし、ラウルセンを捕えるには、お前たちに協力してもらうのが最も近道だと思っている。だから今から私の知っていることは話す。しかし念のために言っておくがこれは機密事項であり、絶対に他言は無用だ。わかったな?」

一同を見回してからシュウは話し始める。

「実はここペオエクスでは、以前から冒険者が失踪したという報告が相次いでいた。だが、知っての通り、この街は人の出入りが多い。流れの冒険者の姿が見えなくなったところで、大抵の人間は街を出たと思うだけで気にする者はいなかった。だが数か月前、冒険者ギルドから、この街に来てから行方不明になっている冒険者が多すぎるという訴えが入った。それでその調査に私が当たることになった」

冒険者ギルドの支部は各地にあり、冒険者は耳寄りな情報を仕入れるため、新たな街に来たときはギルドに立ち寄るのが通例だ。その際、仕事の斡旋を受けるため、自分の情報を残していくものもいる。ギルドはそこから冒険者たちの失踪の多さに気付いたのだろう。

「そして、その失踪した数人の冒険者を調べていくうちにあることが分かった。彼らがこの街を訪れた前後にラウルセンもこの街に来ていたということだ」

「館長さんが?」

クリアスは驚きの声を上げるとともに思い出す。ラウルセン館長は博物館に就任する前から、研究のためにこの街を行き来していたと言っていたことを。

「そこで私はラウルセンの周囲を洗った。すると奴について一つ興味深いことが分かった。それはこのペオエクスを経由した不自然なものの流れ、つまりは密輸だ」

「密輸……」

冒険者の失踪と密輸。その二つがうまく繋がらず、クリアスは確認するように反駁した。

「そうだ。ただし、密輸といっても物自体は違法なものではなかった。問題はその入手先だ」

シュウは一度唇を湿らせてから話を続ける。

「ラウルセンが手配していたのはアルボレセンスという、様々な薬の原料にもなる珍しい植物だ。ラウルセンはそれを魔物の出生の研究のためという名目で手配していた。奴の表向きの研究は王立研究所で正式に認められたものだったから、希少な植物を使用しようと気にするものはいなかった。しかし、私はその植物がある国以外にはほとんど自生しておらず、入手するのは難しいと知り、さらに調査を進めた。すると予想通り、その取引記録が偽装されている痕跡を見つけた。つまり、その植物の本当の入手先である国は公にはできないということだ。そのある国とは……」

シュウはそこで一度言葉を切り、そして、強い敵意を滲ませていった。

「八年前に世界に戦争を仕掛けた国、そう、ダーニオン帝国だ」

その名にクリアスは息を呑む。八年前の一年戦争以来、アルフォワース王国とダーニオン帝国は完全に断交している。そんな国からラウルセンは研究のための物資を密輸していた。そして、密輸するにはそれぞれの国に何らかのルートがなければならない。つまり――、

「私はこの事実から、ラウルセンとダーニオン帝国は繋がっており、冒険者の失踪もダーニオン帝国の何らかの陰謀の結果ではないかと考えた。よって奴が何を画策しているかを調べるためこの街に来た。だが、それもお前たちが遺跡の研究施設を見つけてくれたことで明らかになった。この街で行われているのは人間を魔物化する研究で、おそらく行方不明になった冒険者たちはその実験の犠牲になったのだろう。その目的は軍事使用。つまり、ダーニオン帝国はアルフォワースと再び戦争になったとき、魔物化した人間を戦場に送り込むつもりだ。八年前の戦争時も、ダーニオン帝国の軍隊は異常な強さで、兵士たちは非人道的な方法で強化されているとの噂もあった。あの国なら人間を魔物化するということを考えても不思議ではない」

次々と話が拡張していく中、クリアスは真っ先に浮かんだ疑問を素直にぶつけた。

「でも館長さんはずっと王立研究所に所属していたと聞きました。それにダーニオン帝国の人間なら、どうしてわざわざ敵国であるアルフォワースの領地内でこんな極秘の研究をしているんですか?」

その質問にシュウは大きく頷き、答える。

「まずラウルセンがアルフォワースの生まれであることは記録ではっきりしている。よって奴はダーニオン帝国の人間ではなく、何らかの理由で寝返ったと考えるのが妥当だ。王立研究所に所属し続けていたのは、高度な研究を進めるための情報を得るためだろう。王立研究所はあらゆる分野の知見が集まる世界で最も高等な研究機関だからな。それとこのペオエクスはアルフォワース領ではあるが、基本的な自治権はこの街にあり、王国の影響力はさほどない。加えて流通の坩堝であるこの街は、物資や人の流れを隠すのにも向いている。奴の研究には最適の場所といえる」

シュウの説は筋が通っているように聞こえた。しかし、話を聞いている最中、クリアスの頭を何かがよぎった。それは一瞬のことで、すぐに霞のように消えてしまい、思い出そうとしても再び浮かんでくることはなかった。重要なことが目の前にあるのに、そこだけ摺り硝子の様にぼやけてしまっている。そんなもどかしい感覚が頭から離れなかった。

シュウはその場の全員を見回し、話をまとめるように切り出す。

「さて、これで私の素性、そしてこの街に来た目的が分かっただろう。そして、ラウルセンひいてはダーニオン帝国が、この街で企てている陰謀も明らかになりつつある。そこで改めてお前たちに頼みたい。ラウルセンを捕らえるのにもう少しだけ協力してくれないか?」

その要請に最初に反応したのはアインだった。

「なぜ、俺たちに? ラウルセンってやつを捕らえるだけなら警察隊の人間でできるはずだ。俺たちが手を貸す必要などないだろう?」

するとシュウは一度瞑目し、何かを振り切るように答える。

「……正直に話そう。私はここの警察隊内の人間を信用していない」

もし、隊員に聞かれれば一気に不和が広がりそうな発言をシュウは決然と言い切る。

「先に話した密輸はかなりの頻度で行われていた。それをこの地の警察隊が全く気付かないというのは妙だ。つまり、警察隊内の何者かがその隠蔽に加担している可能性がある。私が一人でお前たちに同行すると言ったのもそのためだ。だから、私は別の協力者を必要としている」

「それで殺し屋かもしれない人間に協力を頼むのか?」

皮肉を含むアインの問いに、シュウは笑みを返す。

「お前はもう暗殺団は廃業したんだろう? それに影蠍団が標的としていたのは、人々を虐げながらその罪から逃れていた者たちだ。ラウルセンが獄に入り、正式に裁かれるのであれば、影蠍団なら手を出すことはない。違うか?」

アインは何も言わなかったが、その沈黙からは肯定の意が見て取れた。

「どうだ? 謝礼についてはできるだけ配慮するつもりだ。私個人から出すからそう多くは出せないが」

シュウは極秘でこの街に来ている。その任務は本来なら一般人には知られてはならないのだろう。当然、謝礼も王立法務院から公に出せるはずがない。

「そんなの要りませんよ」

そう言葉を発したのは飛龍だった。

「ここまで来て、あなたに丸投げするというのは後味が悪いですから。最後までやらせてもらいます」

軽い笑顔に強い眼差しを乗せて答える飛龍に対し、アインは面白くもなさそうにいう。

「別にいいが謝礼はもらう。俺は基本的にただ働きはしない主義だ」

これで二人の意思は決まった。

「助かる。これだけの計画をラウルセンが一人で実施しているとは思えない。いざというときに備えて、手荒なことのできる人間を雇っていることは大いにありうる。そうしたとき私一人では対応できないかもしれないからな」

続いて、シュウはクリアスを見た。

「クリアス、できればお前にも協力してほしい。もし、古代語で書かれた証拠品などが見つかったとき、お前がいればすぐに内容を把握することができる」

クリアスはすぐに返事を返せなかった。この件はもはや次なる戦争の引き金となりかねない国家間の問題の一つだ。これまでの生活からかけ離れたその問題の大きさに、正直なところ、クリアスは尻込みした。

しかし、改めて自問する。ここで背を向けていいのだろうか。もし自分にできることがあるなら……、それで人が不幸になるのを防げるならやるべきではないか。そんな想いが沸々と湧き上がり、クリアスはシュウに決意を秘めた瞳を向ける。

「わかりました。私で力になれるのなら……協力させてもらいます」

その返事に、シュウは一礼をして感謝の意を示した。最後にシュウはフィールに目をやる。

「最後にシスター、あなたについてだが……」

フィールはすでに覚悟を決めた目でシュウを見つめている。そんなフィールとしばし視線を交わした後、シュウは一転して冷淡とも思える声で言い放った。

「あなたはもう帰っていい」

フィールは驚き、一瞬何かを言おうとした。が、突き放すような物言いの中に拒絶とは別の感情を読み取り、目を伏せた。

「あなたとラウルセンには浅からぬ因縁があるようだ。しかし、これ以上は関わらないほうがいい。今のあなたにはもっと大事なものがあるだろう。あなたが探し求めているものは、私がきっと見つけて見せる」

「……はい」

フィールは感情を抑えるようにわずかに唇を引き締め、頭を下げた。

父ともいえるフェルディナンドと築いた子供たちとの穏やかな生活。もし、フィールの過去が周囲に知られることになれば、それらは途端に崩れ去るかもしれない。フィールには過去の罪を雪ぎたいという思いはあるだろうが、どちらを取るかと問われれば答えは明白だった。

シュウは安心させるように一つ笑みを向けた後、少し申し訳なさそうに言葉を言い添える。

「……ただ、もし例の箱とやらが見つかっても、それはラウルセンの陰謀を示す証拠品となるからあなたに渡すことはできないんだが……」

「いえ、構いません。あの男の手から離れるのであればそれが一番です。……でも、もし元の持ち主に返せるときが来るのなら……」

「ああ、わかった。その時は返すことを約束しよう」

その誠意の籠った眼差しに、フィールは今一度頭を下げた。

話に一つの区切りがつき、場に弛緩した空気が流れる。その機にクリアスは力なく椅子の背もたれに身を預け、溜息を吐いた。

「どうしたの?」

尋ねる飛龍にクリアスは胸を押さえながら答える。

「何か、色んなことが一気に分かって……もう頭がいっぱいで……」

その疲れた顔にシュウが小さく頷き返す。

「……そうだな。だが、分からないより、分かったほうがいいだろう。真実は常に幸福をもたらすとは限らないが、それでも前に進むためには必要だと私は思っている」

そうなのかもしれない、とクリアスは思った。失踪した親友についても、その真相を知ったとき、良かったと思えるかは分からない。ただ、前に踏み出さなければ、いつまでも袋小路から抜け出せないような思いに苛まれることになる。ならば覚悟を決めて前に進むしかない。

クリアスが改めてその決意を胸に刻んだ、その時――

廊下から荒々しい複数の足音が響き、扉が激しく叩かれる。

「隊長、大変です!!」

返事も待たずにその扉が開け放たれる。しかし、その様相から深刻な事態を読み取り、シュウは咎の声ではなく、状況の説明を求めた。

「何事だ」

「ま、魔物が現れました!!」

クリアスが息を呑む中、シュウが即座に状況を尋ねる。

「現れた位置はどこだ? まさか、もう街中に入られたのか?」

魔物が出たのなら遺跡のある丘陵地帯しかない。問題はそこから街区に侵入されたかどうか、そこが肝心だ。だが、その隊員は青ざめた顔で叫んだ。

「そ、それが街の西側区域を中心に、突如街中に現れたのです! 対処に向かった隊員もいますが、現場は混乱の極みにあるようです!」

耳を疑うような報告にシュウは顔を強張らせる。一方で飛龍がすばやく動き、窓の外を伺う。日は水平線に近づき、闇に呑まれつつある街並みが見える。街の北側にある警察隊庁舎は西側区域からは離れており、魔物の姿は見えない。しかし、異変を感じ取ったのか、街行く人々の様子が俄かに慌ただしくなりつつあった。

「馬鹿な!! 魔物が急に降って湧いたかのように現れたというのか!!」

しかし、シュウの動揺は一瞬で、即座に狼狽する隊員に指示を出す。

「すぐに戒厳令の鐘を鳴らせ! 隊員は各自武装し、事前に決めた通りの分隊を組み、魔物の鎮圧に向かえ! 決して単独行動はとるな!」

叱咤するかの如く声に隊員が応えようとしたとき、白い影がその隊員に迫った。

「なっ……」

反射的に身構えた隊員に足払いをかけ、転倒させると、白い影――フィールはその後ろに控えていた隊員の手も掻い潜り、階段を飛び降りた。そして、混乱する庁舎内の隊員がその姿を確認する暇も与えず、外へと飛び出していく。

「シスター、いったい何を……」

白い姿が消えた扉の向こうを見つめながらシュウが呟く。同じく茫然と事態を見つめていたクリアスだが、次の瞬間、ある事実が頭に浮かび、声を上げる。

「シュウさん、街の西側区域には孤児院が……!」

「ああ、そうだ!」

ほぼ同時にそのことに思い当たったのか、シュウが頷く。すると、いつの間にかクリアスの後ろに飛龍とアインが立っていた。

「シュウさん、僕らも行きます」

それだけ言うと、飛龍とアインも影だけを残すように飛び出していった。

扉の前で訳が分からず座り込む隊員にシュウが告げる。

「すぐに馬車を用意しろ! 私も出る!」

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