理の魔法

 博物館は相変わらず閑散とし、穏やかな午後を迎えていた。受付には片付けはもう終わったのか、レベッカが置物のようにちょこんと座っていた。クリアスは軽く手を振って話しかける。

「レベッカ、ちょっと応接室の一つを貸してもらえない? 今日は特に使用予定はなかったわよね?」

「…………いいけど、その人たちは?」

「ちょっと訳あってね。街で助けてもらったの。じゃあ、奥の部屋を借りるね」

 受付のロビーから右手に進み、角を曲がった最奥に応接室がある。飛龍たちを案内し、その曲がり角に差し掛かったとき、レベッカが笑顔でちょいちょいと手招きしているのに気づいた。

 なんだろう? とクリアスは飛龍たちを先に促し、踵を返す。そして、用件を聞こうとレベッカに駆け寄ったその瞬間、

「きゃっ!?」

 いきなり腕を掴まれ、体を引き寄せられる。か弱そうな外見にそぐわないその意外な力強さにクリアスはびっくりする。

「ちょっと、何なのあの二人! どう見ても怪しいじゃない!」

 応接室の方を胡乱げに睨みながら小声で囁くレベッカ。クリアスはレベッカの怒ったような顔を見るのは初めてだなと、場違いな新鮮さを覚えながら答える。

「えっと、確かに見た目はアレだけど、あの二人は悪い人じゃないと思うわ」

 クリアスは手短に街でのこと、ここに来た理由を説明した。それでもレベッカは何やら思うところがあるようで難しい顔をしたまま呟く。

「……クリアス。あなたもう少し人を疑うということを覚えた方がいいわよ」

「大丈夫だって。私だってそんな簡単に人を信じるお人好しじゃないのよ」

「……そうかしら」

 依然として疑いの目を向け続けるレベッカを宥めてクリアスは応接室へと向かう。律儀に立って待っていた二人に座るように促すと、クリアス自身も二人の斜め向かい側のソファに腰かける。一息落ち着いたところで飛龍の方から話を切り出してきた。

「それで、そのクリアスが調べている『理の魔法』って何なんだい?」

 ここに来るまでの道すがら、クリアスは改めて自分がこの街を訪れている目的について簡単に説明していた。それと呼び名についてはお互い名前で呼び合うことになった。飛龍とアインが名前で呼ぶ方が慣れていると言ったのもあるが、クリアスからすると飛龍の家名は呼びにくく、アインに至っては教えてもくれなかったからだ。

「『理の魔法』は、古代に存在したとされる魔法で、これまで多くの人が研究してきたんだけど、まだこの魔法の再現に成功した人はいないの。私は何とかこの魔法を現代に蘇らせたくて研究をしているのよ」

「誰も成功していない……そんな難しいことに君は挑戦しているんだね。でも、どうしてその魔法を復活させたいんだい? そんなに凄い魔法だとか?」

 飛龍の疑問は誰もが抱くもので、魔法学院の同期生からも同じ質問をされた。そして、そのときと同じ答えが自然とクリアスの口からこぼれる。

「今使われている魔法ってね。言ってしまえば戦争の産物なの」

 一般的に有名な炎の風を巻き起こす『炎の旋風フレイムブラスト』や氷の矢を放つ『氷柱のアイシクルアロー』。これらに限らず、現在、使われている魔法の大半は、敵を倒すため、あるいは間接的に軍事に利用するために創られた。歴史を紐解けば魔法の発展はほぼ戦争とともにあり、これには異論の挟みようがない。

「でもね。この『理の魔法』は人の生活を豊かにするために創られた魔法なの。『理の魔法』が記された古文書には、その一つ一つに魔法の用途が書かれているんだけど、その中に争いを目的としたものは一つも見つかってないの。どんな魔法かというと工業用に物質を分解したり、周囲の温度を変えて生活環境を快適にしたりするものとかかな。でも、魔法って本来そうあるべきじゃないかと思う。魔法という力がなぜ使えるのか、その仕組みはまだよくわかっていないけど、せっかくこんな不思議な力が使えるなら、人が幸せになるために使うべきだと私は思う。この魔法の存在を初めて発見したルイ・オットーという人も同じ考えで『そうあるべき』魔法という意味で『理の魔法』って名付けたらしいの」

 無論、現在確立されている魔法も人々の生活を大いに豊かにしている。翻って『理の魔法』も目的が記述通りだったとしても、使い方次第ではいくらでも悪用できる。だが、クリアスは『理の魔法』が作られたその理念に魅入られたのだ。

 その説明を飛龍は感心したように聞いていたが、ふと何かに気付き声を上げる。

「ん? ちょっと待って。そんなに詳細に記録が残っているならどうして誰も再現できないんだい?」

「それは…………いろいろ考えられるかな。魔法を使うための呪文は、魔法自体のことを記述している言葉とは違って古語みたいな難解な言い回しのものもあるから、古代語の翻訳が間違っている場合もあるわ。あと大事なのは古代語の発音を再現できているかどうかね」

「ふ~ん……でも昔の文字の発音ってどうやってわかるの?」

「もちろん古代文字だけじゃ分からないけど、今の私たちが使っている言語に繋がる文明と同時期に存在していた文明の言語から類推することができるのよ」

「そうなんだ。なんだか難しそうってことはわかるけど僕にはさっぱりだよ。クリアスってすごく頭がいいんだね」

 真っすぐに向けられる眼差しにクリアスはちょっと気恥ずかしくなって下を向く。

「そんな大したことじゃないわ。テーマや分野は違うけど、魔法学院エルザの生徒はみんなそれぞれやっていることだし……」

「でも君のおかげでこの剣について手掛かりがつかめたよ。それでここに刻まれているのは君が研究している古代魔法の文字と同じアルトリア文字っていうものなんだよね?」

 飛龍は座るときに背から降ろしていた剣を手に取り、眺める。

「ええ、そうよ。あなたはその剣について調べているのよね。そもそも、その剣っていったい何なの?」

 尋ねられた飛龍はしばし中空を見つめていたが、ぽつりと呟くように口を開く。

「実は僕は捨て子だったんだけど……」

 唐突な切り出しにクリアスは固まるが、飛龍は気にした様子もなくそのまま話を続ける。

「その僕を義理の祖父が拾ってくれたんだけど、この剣は、その時、僕と一緒に置かれていたそうなんだ。それで祖父は僕に、自分の出自について調べるなら、まずその剣のことを調べたらどうかって言ったんだ。それで僕は旅をしてる」

「……まるで何かのお伽話のようね」

 不思議な生い立ちに驚きはしたが、そういう事情ならできることなら進んで協力したい。そう思い、クリアスは側に置かれてある、もう一本の剣に目を向けた。

「ねえ、もう片方の剣も見せてくれない? そっちには何が書かれているのか見てみたいの」

 飛龍は頷いて剣を差し出す。それを受け取り、クリアスは剣先の方からゆっくりと視線を添わせる。思った通り、こちらにはまた別の言葉が刻まれていた。

「『望みし者には、緋色の帳を』……とだけ書かれているわね。ごめんなさい。さすがこれだけだと何を意味してるのか……何かこの言葉に繋がるような手掛かりがないと……」

 そこまで言ってクリアスはふと飛龍を見た。それまである意味淡々とやり取りをしていたその表情が、わずかに硬くなったような気がしたからだ。

「ひょっとして、何か心当たりがある?」

「え? ……いや、残念だけどないよ。でもこの剣はアルトリア文明のものなのかな?」

「んー、どうかしら……。アルトリア文明はその歴史が閉じてもう三百年以上経ってるわ。それにしてはこの剣、造りが新しくない? まあ、現代のこの世界にいる誰かがアルトリア文字を刻んだのだとしたら、それはそれで理由は分からないけど……。これが『創造の花リグレッタ』だっていうならアルトリア文明期のものでもおかしくはないけどね」

「『創造の花リグレッタ』?」

「現代の人の英知では解明できない超常的な能力を宿した古代遺物のことよ。『創造の花』はその不思議な力のためか、何百年も経っても全然劣化しないらしいの。でも、『創造の花』は世界でも僅かしか発見されていないし、もし、これがそうだとしたらそれこそ大発見ね」

「ふ~ん……」

 飛龍の気のない返事にクリアスは少し違和感を覚えた。例え可能性は低いとしても、自分の剣が神秘の力を宿す古代遺物の一つかもしれないと言われたらもっと気持ちが昂るものではないだろうか。実際、クリアス自身がこの剣の謎に魅かれ始めていた。

「とにかくこの剣はアルトリア文明に関係している。それが分かっただけでも大きな収穫だよ。そして、この博物館にはそのアルトリア文明に関する資料があるんだよね?」

「……あるにはあるけど、その剣に書かれている言葉に関係するようなものはなかったわ」

「なかった?」

「うん、ここにあるアルトリア文明に関する資料は一応全部見たから……」

「え? この博物館にある資料を……全部?」

 飛龍が驚く。だが、元々アルトリア文明に関する資料はそれほど多くない。クリアスがこの街に来てから二週間ほどだが、この博物館に保管されている資料すべてに目を通すのには十分な時間だった。

「じゃあ、ひとまず現時点で分かることはここまでってことなんだね。それなら、また地道に情報を集めていくしかないかな」

 手掛かりが潰えたと聞いても飛龍に気落ちした様子はない。先を見据えるように前を向く姿に、けっこう前向きな性格なのかもしれないなと、そんな印象を抱きながら、クリアスは躊躇いがちに声をかける。

「あの……この街の外れにミッテル遺跡っていう場所があって、そこにこの博物館の別館があるの。その別館は遺跡の調査のために作られたんだけど、今は資料の保管庫になっていて、そっちにもアルトリア文明に関する資料はあるらしいの。わたし、そこに調べに行きたいと思っているんだけど……」

「そうなんだ。つまりそこに行けば、僕の剣についても何か分かるかも知れないってこと?」

 しかし、興味を示した飛龍に対してクリアスの声は重かった。

「うん。ただ、ちょっと問題があって……」

 クリアスはそこで一度言葉を切り、一拍の間を開けてから続きを話す。

「実は最近、その別館の近くで魔物が目撃されたって話なの……」

 その不穏な響きに飛龍の表情が険しくなる。

「魔物って、あの魔物だよね……」

 クリアスは頷き、以前に呼んだ書物の内容を思い出す。

 魔物――遥か古より人類の存在を脅かせてきた異形の生物。魔物は数十年から百年近い周期で異常発生し、その度に世界を恐怖に陥れた。人は魔物が現れるその時代を『厄災の時候』と呼んでいる。

 魔物がどのように生まれるかはわかっていない。なぜなら魔物には生殖能力がないからだ。一応、生殖器官らしきものはあるが、機能していないとされている。また幼体や幼獣といったものも発見されていない。

 魔物が発生する源は世界を縦に割るロックダム山脈の中央、『ついの台地』と呼ばれる場所で、ここで魔物は生まれ、世界中へと散っていく。かねてより人類はこの発生源を断とうとしてきたが、急峻な山脈に囲まれたこの台地には『死の帳』と呼ばれる有毒な白い霧が立ち込めており、人の侵入を阻んでいる。この『死の帳』は人を死に追いやる一方で、何故か魔物には害を及ぼさない。

 魔物の姿形は様々だが、大半はその大きさ、運動能力ともに野生動物とそれほど変わらない。

 では、魔物の何が恐ろしいのか。それはほとんどの動物が自衛や飢餓などの理由以外に人を襲わないのに対し、魔物は理由もなく明確な殺意を持って人を襲ってくることだ。人は基本的に弱い生き物である。特別な訓練を積んだ人間ならまだしも、一般人が熊や狼などに敵意を持って襲われれば、ほとんど対抗できないことを考えるとその恐ろしさが分かるだろう。

 そして、最も脅威となるもの。それは魔物の中でも、通常の魔物とは一線を画した力を持つ『惨禍の徒』と呼ばれる存在だ。

『惨禍の徒』は、その時々によって様々な姿形を示したが、総じて人に似た姿をしているものが多く、高い知性を持っている。そして、彼らは(あえて彼らというならば)人智の想像を超えた特殊な能力を有し、人類の存続を脅かしてきた。有名なものでは、未知の魔法と強大な魔力によりたった一人で一つの国を滅ぼしたと言われる『虹の妖女レミナリ』。人を殺すだけでなく、血を吸うことで不浄な魔力を注ぎこみ、人を蠢く死者――屍食鬼グールに変え、人々を恐怖に陥れた『塵灰の紅姫』。基本的に個々の種ごとに行動する魔物を、軍勢のように統率することで戦術的な侵攻を行った『魔王レヴァシアス』

『厄災の時候』のたび、人類はその存亡をかけて魔物と激しい戦いを繰り広げたが、それはほぼ『惨禍の徒』との戦いであるといえた。よって『惨禍の徒』を倒せば『厄災の時候』は終息が謳われる。残った魔物は、数は多くともその脅威はさほどでもなく、あとは各地で徐々に駆除するのみ。

 だが、世界中に散った魔物のすべてを駆逐できているわけではない。魔物も生物である以上、その生存を図り、人の立ち入れない辺境へと逃れたりもする。またその寿命は長く、自然の中で偶然命を落とすものもいるが、基本的に人が倒さなければ生き続けると言われている。そして、その数は『厄災の時候』が起きるごとに再び増すのだ。

 そうした魔物の生き残りに対しては討伐隊が結成されたり、懸賞金と名誉を目当てとした冒険者が駆除に向かったりするが、その目撃報告は後を絶たず、魔物は各地で生き続けているとされている。

「その遺跡というか、別館ってところの近くには本当に魔物がいるのかい?」

 クリアスがちょうど知識の整理を終えたところで飛龍が尋ねる。

「正直なところよく分からないの。今のところ被害は出てないし、目撃者の証言も曖昧で信憑性は疑わしいらしくて……。この街には昔から魔物が出るっていう言い伝えがあって、それを聞いてた目撃者が、怖がるあまり、動物か何かを見間違えたんじゃないかって言ってる人もいるわ」

 ただ、万が一を考慮して、警察隊は魔物に対して警戒態勢をとっており、有事の際は警察隊庁舎に備え付けられた警告の鐘が鳴らされ、住民に危険を知らせることになっている。

「それで迷ってたんだ」

「うん。実はこの博物館の館長にも行かないようにって止められているの。でも、せっかくここまで来たんだからできるだけのことはしたい。後悔はしたくないから……」

 クリアスは思案顔のまま、テーブルに映る二人の姿を見つめる。しかし、それ以上言葉を続けることができなかった。少し淀んだ無言の時が流れる。

 と、それまで黙って話を聞くだけだったアインが口を開く。

「つまり、俺たちに一緒に行って欲しいということか?」

「そ、それは……」

 その気持ちがなかったと言えば嘘になる。一人で行くよりも複数人の方が当然心強い。だが、出会ったばかりの二人にそれを頼んでもいいものか。その後ろめたさがクリアスに沈黙を強いていた。

 そこへ飛龍が助け船を出す。

「僕らのことなら気にすることはないよ。そこへ行くことは僕自身の目的のためでもある。むしろ、こっちから頼みたいぐらいだよ」

 明らかに自分のことを慮っての申し出に、クリアスは気恥ずかしさを感じながらも意を決して尋ねる。

「……じゃあ、お願いできる?」

「うん、わかった。アインもそれでいいよね?」

 アインは少し考えたのち、答える。

「……もし凶悪な魔物なら今頃被害が出てるだろうし、とっくに討伐隊が派遣されているはずだ。それに魔物が主に行動するのは夜。日中ならおそらく危険は少ないだろう」

 その肯定的な返答を嬉しく思いながらクリアスはあることに気づいた。

 ここまでのやり取りから、どうも二人の中で行動決定の主導権を握っているのは飛龍のようだった。なんとなく難物な感じのするアインが、温和な物腰の飛龍に従っているという関係性がクリアスには不思議だった。

 そうして話が纏まったところでノックの音が響く。

「ちょっと、いいかしら?」

 扉を開けて遠慮がちに顔を覗かせたのはレベッカだった。

「どうしたの?」

 クリアスが扉の所まで駆け寄るとレベッカは少し声を潜めて告げる。

「今、受付に警察隊の隊長さんが来て、あなたたちがここにいないかって……。いるなら街での煙幕騒ぎについて話を聞きたいって言われたんだけど……」

「えっ!?」

 なぜ、警察隊の隊長が? というかどうしてここにいることが分かったのか。様々な疑問がクリアスの頭の中を駆け巡る。

「最初、誤魔化そうとしたんだけど、三人の特徴もはっきり分かってて、ここにも当たりをつけてきたみたいだから、ちょっと言い逃れはできなくて……」

 レベッカは警察隊がいると思しきロビーの方を見ながら申し訳なさそうに言う。

「……ともかく、ここに通すわね」

 そういってレベッカはロビーの方に歩いていく。その後ろ姿を見送りながら、クリアスは首をひねった。レベッカの言葉の真意が掴めなかったからだ。なぜ「言い逃れ」をする必要があったのだろう?

 しかし、少し遅れてクリアスは、はっとその理由に気づき、顔を青くする。

 あの騒動は相手が悪かったにしろ、市中の人々を混乱させたことに違いはない。もし、警察隊がこのことを重く見て大きな問題とみなせば、魔法学院にもそのことが伝わるかもしれない。そうなれば学院での評価にも影響しするし、最悪、研修資格の取り消しもあり得る。時間を置いて警察隊に話をしに行くつもりだったが、もっとよく考えるべきだった。レベッカが「最初、誤魔化そうとした」のは、その考えに至り、気を遣おうとしてくれたのだろう。

 しかし、その目論見は通らなかった。クリアスは観念し、判決を待つ罪人のようにソファの上で小さくなる。一方、警察隊が来たという話をすると、飛龍たちは怪訝そうな表情をしたものの、その後は平然としていた。街から街に流れる彼らにしてみれば、一つの街で警察隊の世話になるなど、ちょっとお小言を言われるだけという感覚なのかもしれない。

 やがて足音が近づいてきて、扉を叩く乾いた音の後にクリアスにとっての裁判官が入室してきた。

 入ってきたのは全部で三人。いかにも規律正しそうな男の警察隊員が左右に二人。そして、中央にいるのが隊長なのだろうが……

「お前たちか、街で騒ぎを起こしたのは」

 アインに動じた様子はなかったが、飛龍の方は僅かに驚きを表し、声の主を凝視する。そして、クリアスは雑草が茂る荒れ地に毅然と咲く薔薇を見たかのような気分だった。

「私はこの街の警察隊隊長のフォン・シュテーゲンだ。呼び名はシュウで通っているので、そう呼んでもらってもいい」

 よく通る凛とした声で名乗ったのは、艶のある見事な銀髪を腰まで伸ばした女性だった。それも若く、二十代半ばぐらいに見える。磁器のように白い肌に印象的な切れ長の目。総じて美人ではあったが、きっちりと制服を着こなし、腰にサーベルを携行するその風貌からは美しさよりも威厳が前面に押し出されていた。警察隊の隊長というと、厳めしい顔をした無骨な中年男性というイメージしか持っていなかったクリアスは、その予想外の風格に呑まれ、挨拶をしようと腰を浮かせたまま、ただ茫然と立ち尽くしていた。

「あなたが隊長なんですか?」

 飛龍がそう尋ねると、呼び名をシュウと名乗ったその女性隊長は眼光鋭いその眼を細める。

「そうだ。女の隊長は珍しいか?」

「はい、まあ……」

「ふん、そうだろうな」

 シュウは短くそう答えると「失礼する」と一言断り、クリアスの正面にあるソファに座り、早速本題を切り出してきた。

「ここへ来たのは、お前たちが街で起こした騒動について話を聞きたいからだ。まずはお前たちの素性について聞かせてもらいたい」

 なんとなく威圧的な感じのするシュウの態度に、クリアスは事が穏便に済むようにとひたすら願う。しかし――

「それでは……」

「すみません。その前にちょっと聞きたいんですけど、どうして僕らがここにいるって分かったんですか?」

 いきなり話の腰を折る飛龍にクリアスは冷や汗をかく。しかし、シュウは気を悪くした様子もなく淡々と答える。

「簡単だ。双剣を背負った黒衣の青年に、顔に大きな火傷のある青年。そして、学生のような身なりをした少女の三人組がいないか、と聞き込みをしたらすぐにここが分かったぞ」

「あ、なるほど。いわれてみれば僕らって周りから見れば相当変ですよね」

 言って自嘲気味に笑う飛龍。そこに自分が入れられていることに多少の不満を覚えたクリアスだったが、周りの目を惹いていたという事実がある以上、何も言えない。

「もう聞きたいことはないか? それなら今度はお前たちのことを聞かせてもらおうか」

 再度の要求に三人は、まず自分たちの名と素性を簡単に告げ、そこからは飛龍が博物館に来るまでのことの顛末を話した。

 飛龍の話は簡潔で要点を押さえていたので、補足する点もなく、クリアスは飛龍が語るに任せた。ただ、飛龍は剣について調べていることは話したが、その鞘に刻まれているのがアルトリア文字であることやクリアスがその字を読めるということについては言わなかった。博物館に来たのも、クリアスがここに出入りしていると知り、剣の手掛かりを探すために連れてきてもらったと説明した。クリアスにはその理由が分からなかったが、余計なことをいって、話をこじらせてしまってはまずいと思い、沈黙を通すことにした。

 対して、シュウも飛龍の剣について深くは聞かず、またアインが姓を名乗らないことにも何も言及してこなかった。その静けさが返って不気味だった。

「……大体のことはわかった」

 話を聞き終えたシュウがゆっくりと口を開く。

「今聞いたことは概ね周囲にいた目撃者の証言とも一致している。今回の件はあの冒険者たちに非があるのは間違いない。お前たちは街を騒がせたといえど、実質的な被害は出ていない。よって、この件に関しては不問にするつもりだ」

 大事にならずに済みそうと分かり、クリアスはほっと安堵の溜め息をつく。しかし、そこでふとシュウの言葉に引っ掛かりを覚え、鋭利な輝きを放つその双眸を見つめる。

「あの、なんだか私たちと揉めた冒険者たちを知っているみたいな言い方でしたけど……」

「彼らにはここに来る前にすでに話を聞いてきた。あと、間違ってもお前たちに意趣返しなど考えないようにと釘は刺しておいた。だから、また街で出くわしても絡まれるようなことにはならないはずだから安心しろ」

 それを聞いてクリアスは驚く。騒動の後、この博物館に来るまでそれほど時間は経っていない。それなのに自分たちのみならず、もう冒険者たちの所在まで突き止めていたという。それに心配していた冒険者たちの逆恨みが飛んでこないよう配慮もしてくれている。

 その才腕に畏敬の念を覚え、クリアスはシュウが隊長であったことに素直に感謝した。

「ありがとうございます。便宜まで図っていただいたみたいで……」

「別に礼を言う必要はない。これが仕事だからな。……そうだ、礼と言えば、お前たちはこれからどうするつもりだ?」

 話の繋がりが分からずクリアスは戸惑ったが、変に隠し立てして余計な誤解を招いてはまずいと思い、飛龍たちと博物館の別館に行くことを簡単に説明した。

「ミッテル遺跡の別館にか? あそこで魔物を見たという噂を知らないわけでもないだろう? もし遭遇したらどうする気だ?」

「それは……」

 クリアスは口ごもる。元々魔物に遭わないことを前提にしていたし、出会ったら逃げるぐらいしか考えていなかった。助けを求めるように視線を送った先で、飛龍はさも当然とばかりに答える。

「まあ、その時は逃げますよ」

 楽観的な答えにシュウは眉根を寄せる。

「ではいきなり襲われたらどうする? それとも相当腕に自信があるのか?」

 シュウが飛龍の剣に目を向けながら訊いてくる。

「腕に自信なんてないですよ。でも逃げ足はそこそこ速いとは思ってます。煙幕弾はさっきので使い切っちゃいましたが、何とかなると思います」

 軽く笑顔で答える飛龍。冒険者たちから逃げ切ったときの脚力を考えれば、その自信も慢心とは言えない。ただ、その発言は、横で聞いていたクリアスに不安を募らせるには十分だった。

 ――まさか、私を置いて逃げたりしないわよね……?

 そんな疑念が頭をよぎるが、ここは二人を信じようとクリアスはすぐにその考えを否定する。

「お前たちがどうしても行くというのなら、私は止めはしない。ただ、この街には昔から魔物が出るという言い伝えがあるらしいから、先の目撃情報をただの噂と決めつけるのは危険だぞ。何が起こっても自己責任だということは覚えておくのだな」

 さらに二の足を踏ませるような忠告をしてくるシュウ。

 ――だ、大丈夫。きっと魔物なんかいないはず……だいじょうぶ……

 もはや希望的観測でしかない呟きをクリアスは心の中で繰り返した。

 その時、扉がノックされ、レベッカがお茶の用意を手に入ってきた。慣れた手つきでそれぞれの前にティーカップを並べていく。

「相変わらずお忙しそうですね」

「どうかな。やるべき責務を果たしていれば私はそう感じることもない」

 そのやり取りにクリアスは意外そうに二人を見つめる。

「あれ? 二人は知り合いなんですか?」

「ええ、この街に来たばかりの時にね。道に迷って、落とし物をして、変な酔っ払いに絡まれていたところを助けてもらったのよ」

 ――どんな状況よ、それは……

 妙な三拍子にクリアスは半ば呆れながら目の前の友人を眺めた。しっかりしているようでレベッカは時折こうした一面を見せる。やっぱり不思議なところがある子だなとクリアスがしげしげとその横顔を眺めていると、レベッカがその笑顔をシュウに向け、朗らかに言った。

「ほんとに頼りになるし、すごく親切なのよ。シュレリーヌさんは」

「わ……私をその名で呼ぶな!!」

 突如、上がった怒号にクリアスのみならず、後ろで控えていた隊員二人も身を竦ませる。

 何が起こったのか理解が追い付かない中、怒声に全く動じた様子のないレベッカが何か残念そうに尋ねる。

「どうしてですか? とっても素敵なお名前なのに」

「前にも言っただろう! 嫌だと言ったら嫌なのだ! とにかく私のことはシュウと呼べ!」

 顔を真っ赤にして抗議するその様子は怒っているというよりも恥ずかしがっているといった方が正しく、先ほどの威厳もどこへやらといった感じだ。

 レベッカの言からすると、どうやらこの女性隊長の名前は『シュレリーヌ・フォン・シュテーゲン』ということになる。なんとなくどこかの貴族みたいな名前だなとクリアスは思う。と同時に、自分の名前を恥ずかしがる理由は分からないが、不意に垣間見えた素の表情に少なからずこの女性隊長に親しみを覚えた。

 シュウことシュレリーヌは自身を落ち着かせるように大きく息をつき、先ほどまでの平静な態度を取り戻す。

「そうだ。言おうとしていたことを忘れるところだった。教会のシスターがお前たちに礼を言いたいらしい。だから、その別館に行く前に少し立ち寄ってやってくれないか?」

「?」

 おそらく先ほどの「礼と言えば」の続きなのだろうが、その教会のシスターという人に心当たりがない。見知らぬ人物からの唐突な申し出に返答に困るクリアス。

「こ、言葉が足らず済まなかった。この街の西の区域に孤児院を兼ねた教会がある。今日、お前たちが助けたのはそこの子供たちだ。だから、その教会のシスターがお前たちに一言、礼を言いたいということだ」

 ようやく合点がいく。どうやらまだ平静さは取り戻せていなかったようだ。シュウはそのまま若干の動揺を引き摺りながら立ち上がり、

「では確かに伝えたぞ。それと我々も何かと忙しい。今後はあまり無用な騒ぎは起こさないようにな」

 それだけ言い残すと、あっさりと部屋を辞し、去っていった。嵐が過ぎ去った後のように一瞬の静けさが訪れる。その静寂を破ったのは少し茶目っ気を含んだ一言だった。

「ふふっ、うまくいったわね」

「レベッカ?」

 疑問符を浮かべるクリアスに、レベッカはその大きな柚子葉色の瞳をくるっと回し、

「クリアスだってあまり長い時間、尋問みたいなことをされるの嫌でしょ。だから、ちょっと試してみたの」

 にこりと笑う。クリアスは一瞬、ぽかんとし――それから同じように笑った。さっきシュウの名前を言ったのはわざとだったのだ。クリアスはいたずら心を含んだ友人の機転に感心するとともにその友情に感謝する。おかげで心身ともに縛っていた緊張はすっかり解けてなくなっていた。

「それにしても、どうして本名で呼ばれるのが嫌なのかな?」

「さあ、私も聞いたけど理由は教えてくれなかったの。警察隊の人たちも知らないそうよ。何か事情があるんでしょうけど、あんまり詮索しちゃ悪いしね」

「でも、照れたシュウさんはちょっとかわいかったわよね」

 笑いあう二人。そんな女子だけで盛り上がる会話から置いてけぼりをくらい、漫然と座ったままの飛龍とアインに気づき、クリアスが二人に向き直る。

「あ、ごめん。それでどうする? シュウさんの言う通り、別館に行く前に孤児院? 教会だっけ? そこに行ってみる?」

 そう問うクリアスに、飛龍は若干困ったような顔で答える。

「うん、まあそれはいいんだけど……その教会ってどこにあるの?」

「…………あ」

 シュウは、教会は街の西側にあるとしか言っていなかった。この街はさほど大きくはないが、それでも西側というだけではその範囲は広い。

「やっぱり、シュウさん、まだ動揺してたんだ……」

 おそらく伝え忘れたのだろうが、あいにくここに街の地図はない。道行く人に訊けばそのうち辿り着けるかもしれないが、ある程度場所も絞り込まずに探すのはさすがに骨が折れる。

 すると何かを思いついたのか、レベッカが手を叩く。

「そうだ。それなら館長さんに訊いてみる? この街のことならよく知っているし、いろんな方面に顔が広いみたいだから……。さっき外から帰ってきたみたいだし」

「そうね。確かに館長さんなら分かるかも」

「じゃあ、せっかくお茶を入れんだから、クリアスはここで休憩してて。私が訊いてくるわ」

 レベッカは手早くシュウたちの分のカップを片付け、部屋を出ていく。クリアスはその背に軽く手を振る。その様子を見守っていた飛龍が柔らかな表情で言った。

「仲いいんだね」

「うん。この博物館に来て知り合ったんだけど、話しやすいというか、すごく気が合うの。この街ではただ資料に向き合う日々になるって覚悟していたんだけど、おかげですごく楽しい研修生活を送れているわ」

 クリアスはその後ろ姿が消えた扉の向こう側を見つめる。ともに同じ方向を見つめながら飛龍が尋ねる。

「そういえばさっきの彼女、レベッカさん? がいってた館長さんって人も『理の魔法』を研究しているの?」

「え? どうして?」

「だって、クリアスは『理の魔法』を調べるためにここに来たんだよね? それならこの博物館とその館長もそういったことを扱っているのかと思ったんだけど……」

 クリアスはなるほどと思った。確かに小さい博物館では一つの分野に特化したところもある。だが、ここはそれなりに大きな博物館で、取り扱っている分野も古代文明に限らず多岐にわたる。

「ううん。ここは他にもいろんな資料が保管されていて、たまたまアルトリア文明の資料があっただけよ。館長さんも私とは全く別のことを研究しているわ」

 クリアスはいったんレベッカが残していったお茶に口をつけ、喉を潤す。少し冷めてはいたが芳醇な香りが鼻腔を通り抜け、クリアスはその上品な心地よさを味わいながら先を続けた。

「館長さんが研究しているのは魔物の出生についてよ」

「魔物の出生?」

「ええ、魔物ってどうやって生まれてくるのか未だに分かってないのは知ってる? 館長さんはその謎を解明しようとしているの。もしそれを解き明かせれば、魔物を根絶できるかもしれないし、みんな安心して暮らせるようになる。でも、これは『理の魔法』以上に人類が求めてやまない難題だけどね」

「……そうなんだ。もしそうなれば僕らも資料を探しに行くだけで怖がらなくて済むのにね」

 冗談めかしていう飛龍。それに対し、クリアスは軽く笑顔を返すにとどめた。

 漠然とだが、どこか飛龍から納得していないような、微妙な雰囲気を感じたからだ。飛龍が何を感じ、どんな感情を抱いたのか、クリアスはいまいち把握できなかった。

 そこへレベッカが一枚のメモとともに戻ってきた。

「館長さん、教会の場所、知ってたわ。簡単だけど地図も書いてもらったから」

「ありがとう、レベッカ。でも、今から行くのはちょっと遅いかな」

 外はすでに茜色に染まりつつある。夕食時に子供らがいる孤児院を訪れるのはさすがに迷惑だろう。

「今日はいったんお開きにして、明日出直しましょう。二人とも宿はとってるの?」

「うん、大丈夫だよ。それじゃあ、明日またここで待ち合わせようか」

 クリアスはここからすぐ近くにある学芸員用の宿舎を割り当てられていた。ちなみにレベッカはこの博物館の三階にある管理人用の一室に寝泊まりしている。

 飛龍とアインは、大通りまで出れば宿までの道は分かるというので、クリアスは博物館の入り口で二人と別れ、宿舎に戻ることにした。



 沈みゆく日により朱く染まる街並みは、一部夜の色へと塗り替えられていた。家々には明かりが灯り、これから宴を楽しもうというのか、和気藹々と通りを歩いていく若者たちもいる。

 その中を飛龍とアインは肩を並べ黙々と歩いていた。そこだけ賑やかさとは無縁の世界だった。前を向いたまま、アインが尋ねる。

「本当にあいつと一緒に行動するのか?」

「彼女はいい子だね。なんというか、真っすぐだ。僕はああいう人間にはあまり出会ったことがなかったから、ちょっと新鮮だったよ」

 街行く人を見ながら少し楽しげ飛龍が話す。しかし、その瞳は夕日に照らされているにもかかわらず、一切の光を反射していなかった。

「……だから迷ってる」

 その顔から笑みが消える。暗い影が二人から伸び、当然だが、それは離れることなくついてくる。

「いいやつか……。確かにあいつはそうかもしれんな」

 それきり二人は何も語らず歩いた。気づけばその姿は溶けるように夜の闇へと消えていた。



 少し時間を遡り――街の大通りを一台の馬車が警察隊庁舎へ向かっていた。乗っているのは博物館を訪れたシュウと二人の隊員。その隊員の一人がシュウに疑問を投げかける。

「隊長、言われた通りあなたにお任せしていましたが、本当にあれでよかったんですか? クリアスという少女はともかく、あの二人はどう見ても怪しい。飛龍という男が言ったことは突飛すぎるし、アインという奴にいたっては名前すらはっきりと言わなかったじゃないですか。何かを隠しているのは明らかです」

「そんなことは分かっている」

 短く一蹴され、その隊員は続けて抗議の声を上げることができなかった。

 沈黙した隊員をシュウは一瞥する。精悍な顔立ちに引き締まった体躯。警察隊の隊員たるもの、荒事に対処するため、日々の訓練は欠かせないものだ。しかし――、

「バット。お前は小柄とはいえ、少女を一人抱きかかえたまま、それなりに鍛えてある冒険者から逃げ切ることができるか?」

 バットという隊員は再び沈黙した。それは問いに対する答えが否であることを示していた。

「あの二人は見た目が如何にも怪しいからとか、そういう問題ではなかった。あのクリアスという少女がそうだったように、普通、警察隊が突然来たとなれば、やましいことがなくても多少は緊張するものだ。それに私は最初、故意に威圧的な態度も取ったしな。だが、あの二人には動じる様子は全くなかった。というよりも警察隊など歯牙にもかけないといった、ある種の達観のようなものが見えた。並の生活を送っている人間はああはならない。かといって何の根拠もないまま、拘束や尋問などできるはずがない。ならば確たる事実が分かるまで様子をみるしかないだろう。一応、彼らの目的と行先は聞いたからな」

 もし、話したことが嘘ならば、何か知られたくない秘密があるということが分かり、問いただす理由もできる。この街の規模ならあの目立つ姿を探し出すのは難しくない。潜伏や変装をされる可能性もあるが、どのみち確証が掴めるまでこちらから手は出せない。それに――

 ――私にはもっと重要な任務があるからな

 シュウは心の中で呟く。その眼は夕日の紅い光を反射してなお、冷たく光っていた。その光を過ぎ行く街並みに向けながら、今度は小さく声に出して呟いた。

「しかし、あの顔に火傷のある男、どこかで……」

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