奇妙な二人

 街の喧騒から離れ、閑静な石造りの家が近接する居住区。街の南東に位置する『二つの青が見える丘』という広場に三人はいた。

「あの……大丈夫?」

 倒れこんでいる黒衣の青年をクリアスが覗き込む。

 結局、黒衣の青年はクリアスを抱えたまま、街の中央からここまで逃げ切ってきたのだ。しかし、さすがに力尽き、広場に着くと同時に背もたれのないベンチの上で大の字になっていた。

「その、よくわからないけど、助けて……くれたのよね?」

 最後の言葉が疑問符になるが、まずそうに違いない。黒衣の青年を気遣いながらクリアスはそれとなく二人を観察する。

 二人とも外見だけ見れば、さっきの男たちとは違う意味でまともな人間とは思えなかった。しかし、助けてくれた事実に変わりはない。クリアスは正式に礼を言うことにする。

「ありがとう。わたしはクリアス・ベンジェアンス。それであなたたちは……?」

 ようやく息の整ったところで黒衣の青年が半身を起こしながら答える。

「そういえばまだ名乗ってなかったね。僕は天道あまのみち飛龍ひりゅう

「ア、アマノ……?」

 聞き馴れない語感にクリアスは戸惑いがちに首を傾げる。

「飛龍の方が名前だよ。僕は南の果てのヤハンっていう島の出身で、名前は祖父がつけたんだ。だけど、この辺りの人には馴染みがないよね」

 よほど辺境にあるのか、クリアスはその島の名に聞き覚えはなかった。現在、世界の公的言語は一つに統一されているが、国や地域によっては、その文化・民族に根差した独特の言語を使い続けているところも少なくない。この飛龍という青年が生まれたところもそうなのだろうと、クリアスはある意味、異文化に触れたような新鮮な心持ちになった。

 そんな気持ちを抱きながら、クリアスは次に少し離れたところで腕を組み、佇んでいるもう一人の青年に視線を向けた。その視線の意を汲んだのか、青年はゆっくりと歩み寄ってくる。

「アインだ」

 簡潔な名乗りにクリアスは面食らう。

「えっと、それはファミリーネームじゃなく、名前でいいの? じゃあ、飛龍くんに、アインくんでいいのかな?」

「アインでいい」

 アインと名乗った青年は短く呼び名を訂正した後、なぜか不機嫌そうな顔で見つめてくる。酷い火傷のある顔に冷たい視線が近寄りがたい雰囲気を醸成する。その視線に居たたまれなくなったクリアスは、たまらず飛龍に話題を振る。

「それにしてもさっきはびっくりしたわ。あなたたちが出てきて、あの冒険者たちが剣に手をかけたときは、その、なんていうか……」

「刃傷沙汰になるかと思った?」

 あまり聞かない独特な言い回しに戸惑いながらもクリアスは頷く。そんなクリアスに飛龍は苦笑する。

「相手の実力も分からないのに無闇に剣を抜くなんてことはしないよ。ねえ、アイン」

 問われた相棒は面白くもなさそうな表情のまま口を開く。

「あいつらはそんな手練れには見えなかったが、実際どの程度の腕なのかはやってみないと分からないからな。強い奴ほど己を隠すことに長けている。まあ、一目で分かる奴も居るにはいるが……」

 二人の言っていることは、暴力沙汰に縁のないクリアスでも一理あると頷けるものだった。ただ、なんとなく言い訳臭く聞こえるのは気のせいだろうか……。

 と、それまで淡々としたものだったアインの声が急に嶮を帯びる。

「それよりも、さっきはなぜあんな馬鹿なことをした」

 いったい何のことかとクリアスは小首を傾げるが、しばし考えて、あの冒険者たちと子供らの間に入ったことを言っているのだと気づく。

「連中はただ弱いものを威圧して自分を大きく見せたいだけで、一通り文句を言ったらそれで済んでいたはずだ。それに知らせを受けた警察隊もじきに着いただろうから、放っておいてもすぐにことは収まっただろう。あんな連中に警察隊と事を構える気概などないからな」

 アインの言っていることは正しい。だからクリアスは黙って耳を傾けた。

「それが分かっているから周りの人間も何もしなかった。だが、ああいう手前はくだらんプライドだけは高い。愚弄されれば後には引かない。ずっと見ていたが、あいつらが金をよこせと言ったのは本気じゃない。単に相手を萎縮させるための常套句だ。それに対してあんな態度をとれば、どういうことになるか分からなかったのか?」

「確かに言い方は少しまずかったと思う……。でも、わたしは止めに入ったことは間違いだとは思わない」

 それを聞いてアインが呆れたように溜め息を吐く。だが、クリアスは真剣な眼差しで続ける。

「あなたの言う通り、たぶん放っておいても大事になる可能性は低かったと思う。でも……」

 そこで一度視線を落とし、それから決然と顔を上げ、アインを正面から見つめる。

「もしあの冒険者たちが、私たちが思っているよりも悪辣な人間だったら?」

 その指摘にアインは眼を眇める。

「幼い子供でも傷つけるような人間なら? あなたの言ったことは『おそらく』であって絶対じゃない。例え少しでもその可能性があるのなら、わたしは見て見ぬ振りなんかできない。……それに」

 クリアスはそこで少し表情を和らげ、二人を見る。

「あなたたちだってそう思ったから、あの場にいたんでしょ?」

 一瞬だが、アインの鋭い眼がわずかに見開かれる。

「そして、あの子たちに危害がおよびそうだったら助けに入るつもりだった。私を助けてくれたように」

「……なぜ、そう思う?」

「だって、あなた、さっき『ずっと見てた』って言ったじゃない。それに誰かが警察隊を呼んだことも知っていた。ということは私が来る前からあそこにいたんでしょ? もし、どうでもいいと思っていたら、すぐに立ち去っていたはず」

 その推論にそれまで黙って聞いていた飛龍がくすりと笑う。

「アイン、どうやら彼女は考えなしであんなことをしたわけではなさそうだよ」

 アインは一度飛龍に目を向けた後、再度クリアスを見つめる。

「……じゃあ、お前はどうやって身を守るつもりだった?」

「身を守る?」

 クリアスは再び首を傾げる。

「お前の言う通り、あいつらがもっとどうしようもない人間だったら、お前自身が危険な目に遭っていたかもしれない。実際そうなりかけただろう。そうなっていたらどうするつもりだったんだ?」

「え?……えっと、それは………」

「……」

「……」

「……おい、やっぱりこいつ何も考えてないぞ」

「いや……た、たぶんうまく説明しにくいだけだよ」

 若干笑みを引きつらせながら飛龍は立ち上がり、クリアスに向けて小さく頭を下げた。

「ごめん。アインはちょっと言い方がきついところがあるから。でも、今、言ったことは君を心配してのことなんだ。それは分かってほしい」

「おい、勝手に人の意見を捻じ曲げるな。俺は単に無用な……」

「何にしろ、変なことにならなくてよかった。ただ、またあの冒険者たちと出くわして面倒なことになるといけないから警察隊には言っておいた方がいいと思うよ」

 相棒の言うことを無視して飛龍は話を進める。それに対し、アインは押し黙った後、小さく首を振るのみで、仕方なさそうに話を合わせた。

「だが、この街の警察隊がどこにいるのかは知らんが、今はあの大通りには戻らない方がいいだろう。もし、あいつらがしつこい性格なら待ち伏せしているかもしれないからな」

 クリアスは警察隊の庁舎が街の中心部から少し北側の区域にあったことを思い出す。ここからはかなり距離もあり、そこへ行くには先の大通りも通らなければならない。アインの危惧することは無視できないように思えた。

「だったら、ある程度時間を置いた方がいいね。それまでどうするかだけど……」

 思案する飛龍を見ながら、クリアスはふと聞きたかったことを口にする。

「そういえば、あなたたちって冒険者なの?」

 警察隊の場所を知らないことから、二人はこの街に来てまだ間もないことが分かる。それに珍妙な服装だが、着ているものはそれなりに旅装束に見えなくもなかった。加えて飛龍がその背に背負う剣。剣を所持して旅すると言えば、冒険者という人種が浮かぶのだが――、

「僕らは冒険者じゃないよ」

 飛龍が否定する。

「何かといわれれば……そうだね。しがない旅人ってところかな」

「旅人……」

 その答えからはいまいち実態が掴めない。

「それじゃ何のために旅をしているの?」

「う~ん、それは……」

 クリアスの疑問に飛龍はしばし何かを迷っていたが、やがて背負っていた剣の片方を鞘から引き抜き、

「僕はこの剣の由来が知りたくて旅をしているんだ。この街は色んな人が集まるって聞いたからね。何か知っている人がいるんじゃないかと思って来たんだ」

 そう言いながら、クリアスの前に差し出す。

 その漆黒の剣を前にして、クリアスは目を丸くした。見ている前で飛龍は確かに剣を鞘から抜いた。しかし、差し出された剣は再び鞘に納まっていた。

「え? これってどういう……?」

「ああ、この剣、抜けないんだ。だから別に鞘に入れて持ち運んでる」

 改めてみると目の前の剣は金属製の鞘に収まっており、飛龍の背にはさらにそれを収めるための黒革の鞘があった。

 ということは実用的なものではなく、儀礼用の剣なのだろうか? それでも鞘から引き抜けない剣など何に使われるのか。不思議な漆黒の刀身を眺め――クリアスは二度驚く。

 剣の刀身には円を基本とした幾何学的な模様が刻まれていた。よく見れば形が紋章のように崩れているものの、それは紋章ではなく文字だった。――古代アルトリア文明の言語。『理の魔法』を記す古文書や遺物などに使われているクリアスにとっては馴染みのある文字……。

「呼びかけしものには永遠の……付き添い……同行かな? ちょっとはっきりしないところがあって正確じゃないかもしれないけど……」

 その呟きを聞いた飛龍が目を見開く。

「君、これが読めるの!? というかこれ、文字だったんだ……」

「うん。私、この文字で書かれた古代魔法――『理の魔法』を研究しているから」

「古代魔法? 君って魔導士なの?」

 飛龍は上から下へとクリアスを眺める。クリアスが着ているのは魔法学院エルザの制服。研究に向き合う上でなんとなく気が引き締まるため、クリアスはこの服を愛用しているが、何も知らない人間から見ればただの学生としか見えないだろう。

「正確には魔導士候補生かな。まだ卒業してないから」

「そうなんだ……それでその『理の魔法』っていったい……」

 予期しえなかった発見に興奮を覗かせながら飛龍が質問しようとした矢先――

 傍で成り行きを見守っていたアインが急に背後を振り返った。何事かとクリアスも顔を上げる。すると、その眼が恐ろしいまでに研ぎ澄まされていた。その眼光に周囲の空気が冷たくなったように感じ、クリアスは体を強張らせる。

「アイン、どうした?」

 見れば飛龍の表情も一変している。先ほどまでの温和な雰囲気は消え去り、どんな些末なことすら見逃すまいと鋭い目で辺りを見据えている。

 尋常でない二人の様子にクリアスは言いようのない不安を掻き立てられる。クリアスは一瞬あの冒険者たちが来たのかと思った。しかし、すぐにそうではないと直感する。二人ともあの冒険者たちと対峙していた時、こんな突き刺すような表情はしなかった。

 クリアスも周囲を見回す。広場にはまばらに人がいた。飛龍とアインの容姿のためか、奇異の目を向けてくる人間もいたが、特にこちらに注意を払っている様子はない。

 やがてアインが全身を弛緩させる。

「誰かに見られているような気がしたんだが………気のせいだったようだ」

「そっか……」

 口ではそうはいっているものの、二人とも気を緩めているようには見えなかった。考えてみれば、こんな開けた場所に居続ければ、いつあの冒険者たちに見つかるか分からない。よぎった不安からクリアスは二人に提案を持ちかける。

「その……ちょっと場所を変えない? わたし、研修で博物館に出入りしているんだけど、そこなら顔がきくし、あの冒険者ひとたちも来そうにないから」

 博物館はここから街を貫く大通りを挟んで向こう側、少し歩けばすぐに着く距離。クリアスの提案に飛龍とアインが目を合わせる。

「そうしよっか」

「ああ、その方が落ち着いて話せそうだしな」

 二人が同意してくれたことに安堵し、クリアスは案内するように二人に先立って博物館へと歩き出す。その足は不安から逃れたいという逸る気持ちと同時に、不思議な出会いによる何かによって普段よりも速い調子テンポを刻みつつあった――。

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