白霧を望む変革者たち(アバンガード)
@souhisa
昼下がりの出会い
時計塔の鐘の響きが潮風に乗って耳に届く。
アルフォワース王国の飛び地領である港街ペオエスク。その南西に位置する高台に瀟洒な造りの博物館が建っている。その二階にある一室で一人の少女が整然と並べられた資料に取り囲まれていた。
「もうお昼かあ」
少女は大きく伸びをすると、窓の方へと歩き、眼下に見える街並みに目をやった。窓から差し込む日の光に、肩のところで綺麗に切りそろえられた金の髪が輝く。
少女の名前はクリアス・ベンジェアンス。魔法学院エルザの生徒であり、特別研修制度を利用して、二週間ほど前からこの街に滞在している。彼女が閲覧していたのは、一般には立ち入れない保管庫に収納されている古代文明が残したとされる文書、その複製である。しかし、目当てのものを眺めていた割には、その表情は芳しくなかった。
クリアスは部屋を出て、一階へと降りる。博物館といっても、ここはほぼ学術的な研究を行う施設としての意味合いが強く、展示品も簡素で一般人にはまず縁がない。よって、今日も館内は閑散としていた。その一角から声がかかる。
「どう、成果はあった?」
「う~ん。それなりに面白い記述はあったけど、目新しいものはあんまり……。レベッカの方は資料の整理?」
「うん。館長さんに頼まれてね。シエル期の資料を全部片づける必要があるらしいの。私には内容はさっぱりわからないけどね」
ふわりとした淡い琥珀色の髪を可愛らしいリボンで頭の両側でまとめた少女、レベッカは花の咲くような笑顔で答える。
彼女が着ているのは博物館だというのに、なぜかどこかの屋敷の女中さんが着ているかのようなメイド服。初めてその姿を見たとき、クリアスはこれがこの博物館の館長の趣味だとしたらちょっとやだなと思ったが、聞けばレベッカの自前だという。なぜかと訊くと「好きだから」と単純明快な答えが返ってきた。
レベッカはクリアスがこの街に来る少し前からこの博物館に雇われ、受付から館内の清掃、資料の整理の手伝いと博物館の仕事のほぼすべてを行っている。
少し変わったところもあるが、十九歳という自分よりも二つ上のこの少女とクリアスはすぐに意気投合した。レベッカ自身が年齢など気にしないという性格から、お互い気さくに話し合うことができ、今や昼はともに食事をしながら他愛もない会話を交わすことが日課となっている。
「おや、休憩かね。レベッカ君も一緒に行くのかな?」
声をかけてきたのは、金縁の片眼鏡をかけ、品のいい服を着こなした初老の男性。この博物館の館長、フィリップ・ラウルセンだ。もともとアルフォワース王国の王立研究所にいたが、三か月前にここの館長に就任したという。
その館長にレベッカが答える。
「そうしたいところですが、資料の整理がまだ終わっていないので……、クリアス、今日はお昼ごめんね」
「ううん。いいの」
「すまないね。私が急ぎと言ってしまったものだから……。ベンジェアンス君も根を詰めすぎないようにね。しかし、君には感心するよ。よくあそこまで熱を入れられるものだ。『
「学院に費用を出してもらっているので、ちゃんとした
「そうか。期待しているよ」
「はい」
微笑みながら手を振るレベッカと目を細めて見送る館長を後にクリアスは街へと繰り出した。
石灰が塗られた白亜の建物が続く街並みは、太陽の光を反射して眩しいぐらいに輝いていた。
港街であるペオエスクには多くの人間が集い、特に物流を担う商人や流れの冒険者たちなどは、日ごと同じ顔ぶれを見るのが難しいぐらいだ。
多様な人々が行き交う雑踏の中を歩きながら、クリアスはこれからのことを考えていた。
――もう、大体博物館の資料は調べ終わったし、あとはあの別館なんだけど……
小さな溜め息を漏らす。街の外には
その問題にクリアスが思い悩みながら歩いていると、通りの先から何やら不穏な気配が漂ってきた。
「だから、お前らがぶつかってきたせいで汚れちまったんだろうが!? どうしてくれるんだ!」
「ぶ、ぶつかってきたのはそっちじゃないか」
荒々しい声に目を向けると、三人の男が二人の子供を取り囲み、何やら喚いている。
見れば男たちは旅装束に剣を佩いており、装いから冒険者だと分かる。が、控えめに言っても礼節を弁えているようには見えず、率直に言うとその印象は粗暴の一言に尽きた。
一方、子供たちは、前に立つ男の子がおよび腰ながらも男たちを見返しているが、もう一人の男の子は今にも泣きだしそうな顔で身を縮こませている。
行き交う人々は目を向けるものの、男たちを諫めようとするものは誰もいなかった。立ち止まっていた一人の女性も「警察隊はまだ来ないのかしら」と言って、少し気にする素振りは見せるものの足早に立ち去っていく。少し離れた場所には、これまた冒険者と思われる褐色の肌をした男がいた。背はそれほど高くはないものの、異国風の上着からはみ出る腕や肩は筋骨逞しく、それなりに強そうに見える。が、やはり横目で見るだけで何もする気はなさそうだった。
怯える子供たちにクリアスはいてもたってもいられなくなり、声を上げる。
「ちょっと、何やってるんですか!」
「ああっ!? なんだお前は!?」
子供らと向き合っていた、妙に目立つ銀の腕輪を左腕につけた男が振り返った。いかにも荒くれ者といった歪んだ顔。その濁った眼光とともに放たれた暴力的な響きにクリアスは怯みそうになるが、ぐっと歯を食いしばって睨み返す。
「大の大人が三人で子供を脅して! 恥ずかしくないんですか!」
「事情も知らずに口挟むんじゃねえよ。それともお前、こいつらの知り合いか?」
「そうじゃないですけど……、事情って何があったの?」
クリアスは最後の質問を子供たちに向けた。その方が正確なことが分かると思ったからだ。子供たちは恐怖を滲ませながらも懸命に説明する。
聞けば子供たちはお使いを済ませ、家路を急いでいたところ、男の一人にぶつかってしまった。その時に買った果物が潰れ、男の服に染みが付き、子供たちは謝ったが男たちはそれだけで済まさず、今に至るということらしい。
クリアスは子供たちと前に立つ男を見る。確かに子供たちが持つ籠からは潰れた果物が覗いており、男の服には子供の背丈辺りに汚れがついている。
クリアスは呆れた。たったそれだけのことで小さい子に因縁をつけるとは、なんという度量の狭さだろう。
「そんなの洗えばいいだけじゃないですか」
「こういう染みは簡単には落ちねえんだぞ。それとも、お前がこの服の替えの代金でも払ってくれるっていうのか?」
クリアスは一瞬、それで済まそうかとも思った。しかし、この粗野な男たちは付け上がらせるとさらに無茶な要求をしてくるかもしれない。
それに気になったのは問題の汚れの位置。男のそれが体の正面にあるのに対し、男の子は籠を持っていたと思われる体の右側に着いている。断言はできないが、「ぶつかってきた」という男の子の言い分の方が正しいように思える。そして何よりも、小さな子を恫喝するその横柄な態度が我慢ならなかった。
「結局そういうことなの? こんな子供たちから金品を巻き上げようなんて貧乏盗賊でもしないわよ!」
その時、誰かが小さく吹き出すのが聞こえた。クリアスと男が同時に目をやると先ほどの褐色の肌をした冒険者が下を向いて笑っている。
いったい何がおかしかったのだろうか。クリアスは一瞬、怒りも忘れてその様子を伺う。
「おい、お前……」
クリアスと対峙していた男は一歩踏み出しかけるが、それより先にその冒険者はにやけたまま一瞥をくれると、そのまま立ち去っていく。
その後ろ姿を銀の腕輪の男は忌々しそうに見つめていたが、そこで初めて直接的ではないが、周囲からも嘲るような冷ややかな視線が注がれているのに気づく。男はすぐに辺りを睨み返すが、当然まともに目を合わせようというもの好きはいない。
怒りのやり場を失った男は顔を紅潮させると、クリアスに向き直り、いきなりその手を掴む。
「お前、ちょっとこっちにこい」
「えっ!? ちょっと、やめ……」
男は強引にクリアスを引っ張り、路地裏に連れていこうとする。
男たちは粗暴に見えた。しかし、まさかこんな公衆の面前で荒事を起こすとは思っていなかった。
全身を恐怖が突き抜ける。身の危険を感じ、クリアスが叫ぼうとした、そのとき、
「すみません、ちょっといいですか?」
背後から場にそぐわない穏やかな声が掛かった。
「ああんっ!?」
銀の腕輪の男が不快さをぶつけるように肩越しに視線を向け――そこで動きを止めた。クリアスも男の異変に気付き、背後を振りかえる。そして、同じように体を硬直させた。
目の前に二人の青年が立っていた。
声をかけてきた青年は黒髪で中肉中背。中性的で少し童顔にも見える顔立ちに柔和な雰囲気を漂わせている。しかし、その装いは異様だった。
この陽気の中、漆黒のコートを身に纏い、しかもそのコートは縁取りの所々が禍々しさを感じる暗い赤で、まるで血の跡が走っているように見える。さらにその背には二本の長剣。クリアスから見えたのは柄と鞘だけだが、いずれも同じ漆黒だった。
もう一人は黒衣の青年より頭一つ高い。くすんだ金の髪は獅子の鬣を連想させ、武闘着にもどこかの民族衣装にも見える不思議な意匠の服を着ている。だが、何より目を惹いたのはその顔だった。額の中央から右頬にかけてひどい火傷の痕があり、そのためか右の瞳は白く濁っている。火傷のない左眼は鳶色だが、色は違えど、その双眼から放たれる視線はともに凍てつくように冷たかった。
それぞれに独特な異質さを持つ二人が放つ気配にクリアスも男たちも呑まれている中、火傷の青年が声を発した。
「おい、お前らはもう行っていいぞ」
話しかけられたのは
「あっ! お前ら!!」
そこでようやく銀の腕輪の男が我に返るが、時すでに遅し。二つの小さな背中はすでに雑踏の向こうへと消えていた。男は二人の青年を睨み、まだ与しやすいと思ったのか、黒衣の青年に向かってあからさまな威嚇の響きをのせて言う。
「なんだ、お前ら!! この女の仲間か!?」
「ええ、まあ」
当然のように答える黒衣の青年にクリアスは驚きのあまり声も出なかった。もちろんこの二人とは全く面識はない。困惑するクリアスをよそに黒衣の青年は話を続ける。
「だから話なら僕らも聞きます。ただ、その前にその手を放してもらえませんか? 僕らは逃げも隠れもしませんから」
といって掴まれたクリアスの手首を指す。しかし、銀の腕輪の男はクリアスの手を掴んだまま、顎を上げて笑う。
「そうかい。なら聞かせてもらおうか。俺たちにどう落とし前を……」
「放してもらえませんか?」
言い終わる間もなく被せられた要求。口調は丁寧だが、そこには微妙な圧が含まれていた。その態度が癇に障ったのか、銀の腕輪の男は瞬時に怒りを沸き立たせ、その目に暴力的な鋭さを宿す。無言のまま、突き飛ばすようにクリアスを横に押しやると、黒衣の青年に歩み寄る。だが、火傷の痕のある青年が一歩前に出て、男の前に立ち塞がった。
「上等だ。やろうってのか」
するとそれまで後ろに控えていた二人の冒険者も剣に手を掛けながら歩み寄ってきた。その剣呑な空気にクリアスは身を竦ませる。
――まさかここまでのことになるなんて……
思いもかけぬ展開にどうしていいか分からず、双方の間で視線を行き来させる。と、その時、視界の端に引っ掛かった光景にクリアスは眉を顰めた。
男たちと対峙する火傷の青年。その陰で黒衣の青年が懐に手を入れていた。そして、それまでの温和な雰囲気から一転、その眼に妖しい輝きが宿る。
いったい何を……とクリアスが訝った直後、
――ボゥン!!
突如視界が白に染まった。
「うおっ!?」
「なんだ!?」
白い煙が辺り一面を覆いつくし、男たちのみならず、周囲にいた通行人からも悲鳴や驚愕の声が上がる。混乱が渦巻く中、クリアスは再び手首を掴まれ、引っ張られる。
「やだっ……!」
クリアスは連れて行かれまいと必死に抵抗する。しかし、煙の向こう、掴まれた腕の先を見ると、手を引いていたのはあの黒衣の青年だった。
「早く!!」
「ど……どういうこと?」
「逃げるんだよ!!」
黒衣の青年は慌てた様子でクリアスを引っ張り、白煙の中から連れ出す。クリアスは言われるがまま手を引かれるが、状況に理解が追い付かない。焦る黒衣の青年に対し、その足取りは鈍かった。すると煙の中から怒号が響く。
「おい、待て!!」
「ふざけたことしやがって!!」
煙を振り払って、冒険者たちが飛び出してくる。
「ほら! 走って!」
手を引かれながらクリアスは走る。この界隈は大通りから少し外れれば道は狭く、入り組んでいる。それを利用し、黒衣の青年は男たちを巻くつもりなのかもしれない。しかし――
「おい、追いつかれるぞ」
いつの間にか並走していた火傷の青年が背後を振り返ることもなく告げる。
その足音が感じられないことにクリアスは驚いたが、今は背後の方が気になった。振り返れば、ちょうど今来た曲がり角から例の冒険者たちが姿を現す。
「急いで!」
急かされて足を動かすが、クリアスの息はすでに上がり始めていた。全力で走っているものの、相手は危険な仕事も請け負う冒険者。その体力には絶対的な差があった。
「……しかたない」
黒衣の青年は急に立ち止まると、クリアスの背中に手を回し、反対の手を膝の裏に入れ、その体を持ち上げた。
「きゃっ! ちょっと……」
いわゆるお姫様抱っこの状態にクリアスは顔を赤くする。しかし、そんな感情はすぐに軽い目眩とともに掻き消された。
「なっ!?」
追いかけてきた冒険者たちも驚きの声を上げる。
辺りの景色が急速に流れ出す。黒衣の青年がクリアスを抱えたまま走り出したのだ。それも風のような速さで。
「ま、待ち……!」
男たちが投げかけようとした声すら置き去りにして――二人の青年と一人の少女は、あっという間に街路を縫って、遥か彼方へと走り去っていった……。
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