#3-2 幽霊生成パターン

 くだんの地域に到着すると、線路の近くにあったコインパーキングに車を停め、線路沿いを徒歩で移動することにした。頭上を新幹線用の高架が覆い、高架下には在来線の線路が上下で一本ずつ通っている。錆びたフェンスと伸び放題の雑草で線路と隔てた歩道は狭く、すぐ横を車が通り抜けていくのでなかなかスリリングだ。


 時刻は〇時に迫る頃。

 線路周辺にはアパートやマンションが立ち並んでいる。


 ちなみに巽は金属バットを装備していない。今回は普通に人の往来のある場所を訪ねるのだから、バットなんて持っていたら周辺住民に不安を与えてしまうし、悪いと通報されてしまうだろう。さすがにそれはごめんだ。「まあ相手が子どもなら」と、グッと右拳を握りしめていた。本気で殴るつもりなのかな……。


 師匠はカランコロンと下駄を鳴らしながら線路脇をゆっくりと歩いている。

 俺はその後ろで、殿が巽だ。


「心霊スポットや都市伝説なんかの現代怪異で『幽霊』が目撃される際の傾向として、若い女性、少年少女などの子ども、老人、中年男性や女性、最後に若い男性という順で少なくなっていく。これは解るね」

「俺たちに視えているものは別として、っていうことですか」


「そう」師匠はうなずいた。

 慥かに『幽霊』と言われてパッと思い浮かぶのは、死んだ若い女の姿かもしれない。「うらめしや~」みたいなやつとか、怖いからちゃんと観たことはないけどテレビや井戸から出てくるのも女の人だったはず。


「順番といっても詳しい統計は取れないから一概には言えないが、女性が出てくる怪談や目撃例は兎角多い印象だ。一般的には『女性のほうが情念が強いから』女性の霊が多いのだとされているが、ぼくらからしてみたらそういうわけじゃないのは解るだろ」

「はぁ、そうですね。スーツ着たおっさんみたいなのとか普通にいますね」


 俺の後ろから巽がつぶやいた。そうか、巽にはそういうのが視えるんだ。

 俺の場合は人の形がはっきりと視えること自体が少ないのだが、それが女性的な性質を帯びているか否か程度であれば、なんとなく感じ取れることもある。


「まあ慥かに……女の人ばっかりっていう感じはないような気がします」


 いや以前には轢き逃げされて亡くなった若い女性をこともあろうに「オオサンショウウオ」と呼ばわったこともあるので、あまり偉そうなことは言えないけど。


「ということを踏まえてみるとね、なぜ世の中には『女性や子どもの霊』がやたら多いのかという話になる」


 そこで師匠は足を止めた。

 問題の踏切に到着したのである。

 至って普通の踏切だった。線路は上下一本ずつ。歩行者用で、車が通れるほどの幅はない。遮断機の近くに『藤沢台1踏切』と書いてあった。周囲に立ち並ぶ住宅の明かりや街灯のおかげでほの明るく、懐中電灯やスマホを取り出さなくても十分周りを見渡すことができる。


 時間計算はぴったりだった。あと二分で今日の終電が通り過ぎる。


「世の中には社会的弱者の霊が多い」

「…………」

「日本は古来より男尊女卑の色が強い国だ。その社会のなかで、不当に虐げられた弱い立場の女性や子どもが悲劇的な死を遂げると、恨み辛みを抱いて現世の人の前に現れる。これは一つの幽霊生成パターンなんだよ。そのシステムは遥か昔から受け継がれていて、社会の在り方が少しずつ変容して生成パターンが増えたとはいえ、現代にも根強い例であることは変えられない」


 俺は滔々と語る師匠の足元に花を見つけた。

 水を張ったビンに、小さな花が供えられている。ここで亡くなった母子のための供花だろうか。


「秋津くん、顔に出てたよ」

「……えっ?」

「母子家庭が生活苦を理由に無理心中、って聞いたとき。可哀想だなぁ、自分は恵まれているなぁ、って罪悪感。巽のほうはそうでもなかったけど」


 思わず両手で頬っぺたを隠してしまった。そんなに分かりやすかったのかな。

 巽は仏頂面のまま「はぁ」と生返事。


「俺はまあ、知らない親子のことなんで……。秋津は根が善人だからしゃぁないと思います」

「そうだね。その優しさは秋津くんの美点だね。──ただ世の中にはそういう優しさや繊細な感受性によって生まれる幽霊もいるということだよ。未来ある若者、特に身体的に弱い女性や幸せでいるべき子どもたちの生が理不尽に踏み躙られたことに対する社会的な罪悪感という巨大な信仰心が、見鬼を持たない人々の先入観や恐怖心に作用する」


 カン、と踏切の警報音が鳴りはじめた。


 年季の入った遮断機が、不安定に揺れながら下りてくる。線路の左右をきょろきょろと眺めてみると、下りの最終電車のライトが遠くに見えていた。


「今回この踏切で、離婚や養育費未払いにより苦しい生活を強いられて自殺せざるをえなかった母親よりも、男の子の霊が目撃されているのは──」


 車輪が線路と擦れる音がする。

 夜中の住宅街だからか、少しゆっくりめに通り過ぎていった電車には、終電だというのにかなりの人が乗っていた。こんな時間まで飲み会か仕事かスーツ姿のサラリーマン、大学生と思しき若い男女、吊革に掴まっているOL。六両編成の山吹色の車体が、風と音に余韻を残して去っていく。


「小さな男の子が父親と母親の都合に振り回された挙句、無理心中で命を奪われたことに対する、社会的な罪悪感の発露なんだろうね……」


 警報が止んだ。

 軋むような音を立てて遮断機が上がる。

 電車が通り抜けた残響が、まだ地鳴りのように続いていた。


「さてと」と師匠は終電が去っていったほうを眺める。線路の先に目を凝らし、耳を澄まし、ようやくその気配も残滓もなくなったところで踏切内へと立ち入った。

 見たところ、踏切や線路におかしな様子はない。現在のところ道連れ候補筆頭の巽は、右の拳を握りしめたまま警戒していたが、眉間に厳しい皺を寄せて師匠のあとを追っていく。


 遮断機の位置を越えて、線路のレールを踏んだときだった。

 ふっ、と不可視の壁をすり抜けた感覚がした。


 思わず足を止めて辺りを見渡す。

 頭上には新幹線の高架。上下線の通る歩行者用の踏切。周囲に並び立つアパートやマンション。外灯や、部屋の明かり。周囲の景色は全く変わっていないのに、何かが違う。


「音が」


 巽がつぶやいた。


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