第2話 死にたがりの天使
毎日真面目に通っていた大学を、僕は初めて休んだ。
細かい時間の約束などはしていなかったから、犬甘さんがいつやってくるかは分からない。
スマホや携帯がない時代も、こうやってソワソワしながら待ったのかな…なんて考える。
犬甘さんは、一体何歳なんだろうか。
僕よりは、年下だろうなぁ…。
高校生くらいだろうか…。
いいのかなぁ、僕みたいな大学生が…。
モヤモヤと考えを巡らせていると、すぐに犬甘さんが来た。
今日はリンカさんがいない。
「猫さん、おはよ!」
「お、おはようございます…。」
犬甘さんのキラキラとした笑顔が眩しい。
犬甘さんは着席すると、メニューを見た。
僕は緊張して、不自然なくらい水を飲んでいた。
「じゃあ、わたしは…いちごミルクで…。」
「僕は、コーヒーで…。」
注文するものまで犬甘さんは可愛かった。
店員が僕達の注文を受けて去っていった。
注文の品が届いて、僕達はしばらくの間話していた。
「犬甘さんは…」
「もうももでいいよ!」
「わたしと、猫さん、充分仲良しになったんだからっ!」
下の名前を呼び捨てにするなんて、なんて大それたことを…!
解けてきたはずの緊張がまた僕の体に走り、全身心臓になってしまったかのようにうるさく鼓動が鳴った。
「も、もみょ…!」
意を決して放った「もも」は「もみょ」になった。
僕は顔を真っ赤にして、自分の手を見た。
「ふふっ!猫さんって、ほんと面白いね~!」
怪訝そうな顔をされるかと思ったら、僕の思惑とは外れて、ももは笑ってくれた。
長い間話して、もうすっかりお昼も過ぎたので僕達は解散することになった。
ここまで話したら、連絡先の一つや二つ交換するものだと思ったが、しなかった。
僕から言い出すことが出来なかったのはもちろん、ももから言われることもなかった。
この後どうするのかは訊いていなかったが、僕はどうしても気になって、訊かなかった事を後悔した。
気持ちを抑えられずに、僕は気が付いたらももの後を追っていた。
小さな体が、るんるんと歩みを進める。
嬉しそうな後ろ姿に、僕はまたしても期待に胸を膨らませた。
ももも、僕のこと好きなんじゃないかって…。
女の人からあんなに積極的に来られたのは初めてだった。
凄く嬉しかった。
しかし、僕の中には不安もあった。
さっき、年齢の話になった時、ももは15歳だと言った。
僕は21歳で、年齢差は6歳。
未成年だし…いいのか…?
学校のことはあえて訊かなかった。
平日のあの時間に僕と会うことができるのは、何か特別な事情があるのだと思ったからだ。
そういうのは、もう少し仲良くなってから訊くべきだと、僕は思う…。
ももが右折したので、僕も同じように右折した。
バレないように、慎重に。
しばらく歩いていると、見覚えのある女の人の影が見えた。
リンカさんだ。
僕はそっと、物陰から2人を見つめた。
僕が2人を見つめ続けて1分ほどが経った時、リンカさんの切れ長の目がこちらを見た。
「この間の猫じゃん!!!何?ストーカー?」
「猫さん!?こっちおいで~!」
ももに言われて、僕は立ち上がった。
近付いていくと、リンカさんが物凄く怖い顔で立っていた。
「気持ち悪いよ。やめなよ。」
「す、すみません。」
僕はただただ謝るしか出来なかった。
「あんたねぇ、すみませんって言葉の意味、ちゃんと分かってんの!?」
あぁ、またしても僕は、好きな人に嫌われてしまうのだろうか。
この、運命の出会いを、無駄にしてしまうのだろうか。
「まぁまぁ、いいじゃない、リンカちゃん。」
「わたし、別に猫さんがついてきても嫌じゃないよ。」
ももは、どこまでいっても天使だった。
「ちょっともも…。」
「そんなんだから…」
リンカさんは、しまったといった顔をして話すのをやめた。
「す、すみません。今日は、この辺で…。」
僕は気まずくなって、この場から逃げたくなった。
だから立ち去ろうとしたのだが、ももに腕を掴まれて動けなくなった。
ももの力は決して強くなかった。
しかし、僕の腕を掴むももの手には、不思議な力があって、僕を動けなくさせてしまった。
「猫さん、わたし、どうしても聞いて欲しいことがあったんだけど、さっき話すの忘れちゃった。」
そう言うと、ももはリンカさんから少し離れた路地に、僕を連れ込んだ。
「わたし、死にたいの。」
「今、すぐにでも…。」
想像を遥かに超えたことを言われて、僕は何も言えなかった。
「変でしょ?別に、笑ったっていいよ。」
「生きていたって、なんにもいいことがないの。わたし、気が付いたの。このままずっと生きていても、嫌なことしかない。」
「わたし、学校に行ってないの。中学2年生の時から。だから、高校にも行けなくて、このままどうなっちゃうんだろうって感じ。大人になっても、きっと、いいことなんかない。働き過ぎないと、わたしはお金がもらえないから、楽しいことなんにも出来なくなって、猫さんにも会えなくなって、そして死ぬの。だったらもう、今は楽しいから、その内に、死んじゃいたい。」
いつもの笑顔を崩すこともなく、ももはただ淡々と僕に言った。
それが、怖かった。
「変なこと言ってごめんね。またいつか、あのカフェで会おうね!」
そう言って、元気に手を振って、リンカさんの元に戻っていった。
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