第5話 勝負は続く

「はっはっはー! 長らく待たせたなあ、ルイリー・アドフォード! 今回こそ貴様に引導を渡してやる! 覚悟しやがれ!」


 仮面舞踏会から数日。

 ルイリーとジェニーによる二十番勝負の第二戦目を見届けるため、ナシャは王都から馬車で三時間ほど行ったところにあるハリントン伯爵家領・プリシュムの森に来ていた。


 ここは主に狩りをしたり、紅葉シーズンに紅葉狩りやピクニックをしたりと、様々なイベントでも使われている、よく見知った場所だ。

 もっとも、残念ながらまだ紅葉には少し早いが、自然豊かな森の空気を感じてお茶を飲んでいると、突然、ナシャの耳に兄の自信満々の声が聞こえてきた。

 どうやら、初戦であれだけ惨敗したくせに、自分優位の状況をまだ疑ってすらいないようだ。

「第二戦目はシューティングだ! 先に獲物を見つけ、仕留めた方が勝ち! いいな!」

「……シューティング」

 そう言ってルイリーに指を突きつけるジェニーは、相変わらず怒りの形相をしていた。

 前回負けた悔しさと、それ以降もなんだかんだルイリーと妹が仲良さげにしている事実が相まって、顔を合わせて数分ですでに爆発せんばかりの勢いだ。

 一方、そんなジェニーの憤怒を心の中で爆笑しながら、ルイリーは首をかしげると、確認するように尋ねた。


「じゃあ、動物を狙うの?」

「当たり前だろ! お前だってたしなみとして狩りくらいしたことあるだろうが。それとも、剣と違って銃はからきしか? ん~?」

 ルイリーの問いかけをどうとったのか、ジェニーは普段の大人しい好青年ぶりなんて微塵も感じられないような極悪人面で楽しそうに挑発した。

 その姿にナシャは心底呆れる思いだったが、面倒なので口をはさんだりはしない。もちろん、妹のためとなると人格が変わる兄に対する評価は、どんどん下がる一方だったが。

「はぁ……」

「いや、そうじゃないよ。でも、動物を狙うのはかわいそうだ。的にしようよ」

 両手で頬杖をつきながら馬鹿兄貴とルイリーの様子を見守るナシャの一方、ルイリーは完全に挑発を無視すると、真面目な顔で言った。

 屋敷で五匹のねこをはじめ、ウサギ、リス、フェレット、フクロウ、ハト…など様々な小動物をペットとするルイリーにとって、動物は傷つけたくない大事な存在のようだ。

 しかし、そんなことを知る由もないジェニーは顔を歪めると、

「はあ? 動かない的なんて狙ってもつまらないだろ」

「今回は銃の腕前を競うんでしょう? なら、別に動物を的にする理由はない。それとも、俺が来る前に仕留めた動物を開始直後に見せつけて、自分の勝ちを宣言する算段だったとか?」


 ルイリーの提案に対して否定的なジェニーに、彼は淡々と事実を告げると、ジェニーがやりそうなズルまで完璧に指摘した。

 彼の鋭い発言に、ジェニーは一瞬押し黙って微妙な顔をしたが、すぐに頭を振ると、ルイリーを睨みつけて言った。

「う…いや、違うぞ! 僕は銃に自信がある。地の利もある。負けるわけない!」

「自信があるならなおのこと的でいいじゃん。動物を狙うのは嫌だ」

「……狩りなんてただの嗜みだろ……。的なんて……」

「より的の中央にあてた方が勝ち、で勝負にしよう。あ、それとも、そういう正確性を競うのは苦手かな? なら今のうちに負けたときの言い訳聞いておくけど?」

「はああ? 得意だ馬鹿! いいぞ的当てで! そんな提案をしたことを後悔させてやる!」

 互いの主張を、駄々をこねる子供のように続けていた二人の攻防はルイリーの勝利に終わり、悪人の捨て台詞みたいな言葉と共に背を向けたジェニーは、待機していた自分の従者に的の用意を指示すべく、荒い足取りで歩き出した。

 その姿は確実に怒り心頭で、本当に、ちょっと触っただけで爆発しそうだ。


(……兄様ったら…なんだかんだルイリーに乗せられてるわ……。今のところ完全にルイリーのペースね)

「フフ…最高。何度見ても馬鹿らしくて面白いね。そう思わない、ナシャ?」

 ジェニーがいなくなって暇になったのか、ルイリーは様子を見守っていたナシャを見つめると、傍に歩み寄りながら楽しそうに笑って言った。

 今日の彼は、ジェニーとの勝負を楽しみに来ているせいか、仮面舞踏会のときのようなやけに婚約者っぽい振る舞いはなく、いつもの見慣れた感じだ。

 そんな彼の様子になぜか安心しながら、ナシャは笑顔で馬鹿面を楽しむルイリーに、肩をすくめて言った。

「はぁ…まったく。あなたったらほんとに兄様をからかうのが好きね。おかげで、ルイリーと会うたびに兄様の悪人面が酷くなってるわ。あんまり怒らせると爆発しちゃうんだから」

「フフ、いいね。ぜひ見たいよ、爆発ジェニー」

 父譲りの温和さが特徴と言っても過言ではない兄だが、その顔つきが、ルイリーのせいで変わってしまうのではないかと、ほんのちょびっとだけ心配になりながら呟く。

 すると、ルイリーはさらに楽しそうに笑って答えた。

 分かっていたけれど、彼の目的が兄の馬鹿面である以上、ジェニーが変な顔をすればするほど満足するのだろうし、もう勝手にやればいいと思う。


「そういえば、今回も嫌に自信満々だったけど、あいつ、銃得意なの?」

 と、爆発するジェニーを想像してしばらく笑っていたルイリーは、少し気になったように尋ねた。

 前回、真剣での勝負を言い出したときは、自信満々だったくせにあっさり負けたせいか、もう少し骨のある勝負をしたいと望んでいるのかもしれない。

 そんなルイリーに首をかしげたナシャは、少し悩んだ後で一先ず分かっていることを教えた。

「そうねぇ、何かの大会で優勝したとか言ったし、兄様は自信のあるものでしか勝負しないと思うから…たぶん得意なんじゃないかしら?」

「ふーん」

「そういうルイリーは大丈夫なの? 銃で勝負だなんて……」

 兄の性格を踏まえつつ答えたナシャは、ここでルイリーを見上げると心配そうに問いかけた。

 真剣で勝負をしたときも思ったが、彼が剣や銃を使う姿は見たことがないし、そもそもちゃんと扱えるのだろうか、とすら思ってしまう。

 すると、そんな彼女の心情を見透かしたように笑みを見せたルイリーは、彼女を見つめると、不意に真面目な口調で答えた。

「大丈夫。基本的なことくらいは習っているからね。それに、たとえどんな内容であれ、この関係を続けるためにも、負けるわけにはいかない。全力を尽くすよ」

「そ、そう……」


 まるで、本気でナシャとの婚約を勝ち得るため、とでも言うような彼の口調に、ナシャは思わず顔を赤らめると、目を見開いた。

 たぶん、彼がそんなことを言い出した背景には、兄の馬鹿面を長く見たいと言う思惑があるのだろうが、変に真剣な顔をされると、つい戸惑ってしまう。

 もしかして、また近くに兄様がいて自分をからかっているのではと勘繰りつつ、それ以上何と続けるべきか迷っていると、不意に遠くから本当に兄の声が聞こえてきた。


「あーっ! コラ、てめ、ルイリー!」

「……!」

 傍にいる二人の何とも言えない表情に何を思ったのか、的の用意に出ていたジェニーは、勝負のために持参した銃をブン投げると、速攻で二人の間に割り込んできた。

 そして、ナシャを隠すように立ち塞がってルイリーを睨み上げ、獣みたいな唸り声をあげながら、怒りのまま叫ぶ。

「ナシャの三メートル圏内に入るな! 僕はまだこの婚約を認めてないんだからな! 簡単に妹に近付くんじゃない!」

 前回の勝負で妹とルイリーの口づけを見せられたり、先日の仮面舞踏会で仲良く踊っている姿を見せられたりしてきたせいか、ジェニーは傍にいることさえ許せないと言うように、怒りまくった。

 だが、威嚇するジェニーに構うことなく目を瞬いたルイリーは、至極真面目に、

「断る。遠い」

「はあああっ?」

「そんなことより、的は準備できたの? 早く勝負を始めよう、ジェニー」

「うるせぇ、ちょっと待て! ナシャ、今度こそ兄ちゃんがこんなやつとの婚約、なかったことにしてあげるからな! 全力で、兄ちゃんを応援してくれ!」


 何を言っても言い返されるルイリーとの会話に流石にくじけそうになったのか、ぐりんとナシャに向き直ったジェニーは、懇願するように言った。

 正直、爵位しゃくいが上の嫡男に対してこの態度もどうかと思うのだが、そんなことを気にするルイリーではないし、まぁいいか。そんなことを思いつつ、兄を見上げたナシャは、苛立ちを含んだ声音で告げた。

「ねぇ、兄様。今まで散々私のお見合いを邪魔しておいて、応援なんてすると思う?」

「ガーン……」

 期待していたものとは全く違う妹の冷たい返答に、ジェニーはハンマーで殴られたような顔になった。シスコンにとって妹の拒絶は何よりも辛いらしく、さっきまでルイリーに対して見せていた爆発せんばかりの怒りはどこにも見当たらない。

 むしろ、冷たくあしらっておいてなんだが、放っておいたら灰になりそうだ。

「そ、そんなにこいつと結婚したいのか、ナシャ……」

「え」


 下手したら地面に埋まりそうなほど激しく落ち込んだジェニーは、今にも泣きそうな声で呟いた。

 彼の中では勝手に、兄を応援しない=ルイリーは応援する、になっているようだ。

「え、そうなの、ナシャ? 全くかわいいな~」

 すると、兄妹きょうだいのやり取りを面白そうに見ていたルイリーは、ジェニーに追い討ちをかける絶好の機会だと思ったのか、わざと照れたような笑みを浮かべると、からかい口調でナシャの頭をポンと撫でた。

 意外過ぎる兄の言葉とルイリーの不意打ちに、再度顔を赤らめたナシャは、

「そ……!」

 立ち上がりざまに何かを言おうとして、ぎゅっと口をつぐむ。

「そう」とも「そうじゃない」ともとれる言葉に、ルイリーもジェニーも不思議そうな顔をしていたが、そんな彼らを見遣ったナシャは、今の失言を取り繕うようにひとつ咳払いして言った。


「……いいからほら、二人とも勝負してらっしゃい。向こうで的の準備終わったみたいよ」

「ほんとだね。じゃあさっそく始めようか、ジェニー」

「ナシャ、今の発言は……」

「行ってらっしゃい、兄様」

「はい……」

 真意を知ろうと試みるジェニーを無理やりあしらったナシャは、二人を送り出すと、もう一度椅子に腰を下ろした。

 そして、落ち着こうと紅茶を一口含みつつ、冷や汗とともに心の中で呟く。


(あ、危なかった……。もう少しで「そんなわけないじゃない」って叫ぶところだったわ)

 ルイリーは分かっていただろうけれど、正直に言えば自分たちは、結婚したいかと問われて頷くような関係ではない。自分たちは利害一致で婚約しただけのただの友達。変に振り回されて、彼のやけに真剣な眼差しにどきどきさせられることもあるけれど、今のナシャに彼と本気で結婚するつもりなんて、微塵もなかった。

(そんなこと言ったら兄様が喜んでしまうわね……。だけど……)

 ルイリーが本気でナシャを想い始めていることなど知る由もないナシャは、兄と何かを言い合っている様子のルイリーを遠くに見つめながらしみじみと考え込んだ。

(人に興味のない人を夫にするのは、辛いと思うのよね……。こちらがどんなに心を砕こうと試みても、彼は自分に興味を持ってくれない、愛してくれない。そんな思いを一生抱えるのは、嫌、かな……)



「お前、何が目的なんだ?」

「ん~?」

 同じころ。

 ナシャのいる位置から少し離れたところに用意された的の元へ向かうジェニーは、横目でルイリーを睨みつけると、苛立ちを含んだ声音で問いかけた。

 そこには、さっきまで見せていた爆発せんばかりの怒りはなかったが、やはり、気に食わなさそうな空気が滲んでいる。

「お前みたいなやつがナシャと結婚したいだなんて、そもそもその時点から嘘くさいんだよな。家同士の付き合いのせいで子供のころから知ってるけど、お前にそういう感情があるとは思えない。何が目的だ」

 明らかな敵意を醸し出しながらも案外鋭い探りに、ルイリーは一瞬、意外そうに目を瞬いた。

 だが、すぐに笑みを見せた彼は、本気とも冗談ともとれる曖昧な口調で言った。

「フフ…妙な勘繰りはしなくていいよ。俺は本当にナシャが欲しいだけだから」

「嘘つけ。僕をからかって遊んでるお前の方がよっぽど本音に見える。まさかそれが目的で婚約なんて流石にしないだろうけど……とにかく、僕は認めないぞ、断じて!」

「……何とでも言ってなよ。自分で言い出したんだから、勝負に俺が勝てば、ナシャを嫁にくれるんでしょう? きみをからかうのも面白いけれど、負けないよ」


 うっかり当初の目的を見抜かれそうで見抜けなかったジェニーの断固たる反対の意思に、ルイリーは小さく笑うと、あくまで目的がナシャとの婚約承諾であるかのように告げた。

 すると、案の定そちらに食いついたジェニーは、大きく頭を振った後で、

「いいや! 絶対お前なんかに妹はやらん! お前のような悪意的な好奇心しか人に向けられないやつがナシャを幸せにできるとは到底思えない。絶っっ対破談させてやる」

「ふーん。じゃあ逆に、どんな相手だったら認めるのさ」

 妹のお見合いを全部破談させておいて、ナシャを幸せに、なんて言い出したジェニーに、もしかしたら彼なりの基準があるのかもしれないと思いつつ尋ねる。

 と、ジェニーは意外なほど真面目な顔をして、当たり前のように言った。

「そりゃあもちろん、僕よりナシャのことを想ってて、僕よりナシャを分かってくれるやつ。そして何より、ナシャが好きになったやつであること、だ」

「……!」

「僕はナシャに好きな人と幸せになってもらいたい。だが、今のところ見合いした連中に、ナシャが心を傾けることはなかった。だから全部破談させたんだ。ナシャが好きでもないやつと結婚するなんて、絶対に認めない」


 一気に語ったジェニーの本心に、ルイリーは顔に出すまいと気を付けつつ、内心結構驚いていた。

 ナシャは、自分が誰かの嫁になるのを阻止するために、ジェニーがお見合いを破談させ続けていると言っていたが、実際は、彼には彼なりの理由があって、基準さえ満たせばシスコンと言えど、絶対的な拒否はしなかったのかもしれない。

 だが……。

(……結婚は家同士のもの、恋人っぽいやり取りは苦手、なんて言ってるナシャが初対面(もしくは顔見知り)相手に、いきなり好意を示すのはないんじゃないかな。それに「僕より」って言っているあたり、全体的に認める気がないのも事実……)

「それと、先に言っておくが、ナシャがお前に構うのは一人でいるお前を可哀想に思ってだ! あの子はそういうの放っておけない性質たちなだけで、断じてお前に好意的なわけじゃない!」

 兄妹の見解の違いを心の中で整理しつつ、曖昧な表情を続けるルイリーに鋭い視線を向けたジェニーは、釘をさすように言った。

 遠回しに「お前じゃ絶対に基準は満たせないぞ」とでも言うような発言に、ルイリーは笑うと、

「あーそう? でも、過去三十五人のお見合い相手よりはナシャに好かれてる自信あるけど?」

「気のせいだ、馬鹿! あぁ~、こんなことなら、子供のころ、お前とナシャが友達になるのを全力で阻止しておけばよかった……。なんでこんなやつと友達になったんだナシャ……」


「お、これが的か。より中心に当てた方が勝ちでいいんでしょう?」

 自分のからかいに全力で食いついてくるジェニーを面白がりつつ、即席で準備された的のもとに到着したルイリーは、彼の後悔は完全無視で問いかけた。

 すると、彼の態度に苛立ちを募らせたジェニーは、的を見遣りながらやっつけ口調で言った。

「あーあー、そうだよ。お前の言うとおりにしてやった! ところで銃は持ってんだろうな?」

「それはもちろん。護身用に持ち歩いてるからね」

「フン。距離は直線で五十メートル。撃てる回数は一発だけだ。絶対にありえないが、もし万が一お前の方が円の中央に近かったら……」

「じゃあ始めようか、用意スタート」

 説明とともにきちんと距離を取りながら、うだうだ言うジェニーの説明を遮り、左手に銃を構えたルイリーは、勝手に宣言すると狙いを定めた。

 そして、ジェニーが反論する間もなく、速攻で的を撃ち抜く。


「お、ちょっと、待てコラ!」

「早くしてよ、自信あるんでしょう?」

「分かったから黙ってろ」

 いきなり撃ったと思えば、今度は銃を手に急かすルイリーに苛立ちつつ、ジェニーは少し間を置いた後で、的の中心に狙いを定めた。そして、意識を集中させ、的に向かって弾丸を放つ。

「……」

 彼が放った弾は、狙い通りにあたったようだ。

 それを遠くに確認したジェニーは、ほっと息を吐くと、思わず心の中でほくそ笑んだ。

 ジェニーには王都での射撃大会優勝の経験があり、狩りにおいても右に出る者がいないほどの腕前を持つことから、今回の勝負に自信があった。

 それに加え、めちゃくちゃに飛び跳ねた髪のせいで前方がきちんと見えているかどうかも疑わしいルイリーに、的を正確に撃ち抜くなんてできるわけがないという自信も。


「これで終わり?」

 すると、今回こそは絶対に勝っただろうという思いを胸に的を見つめるジェニーと、あっさり終わった勝負につまらなさそうな顔するルイリーのもとに、銃声を聞きつけたナシャがやってきた。

 彼女は、銃を片手に無言を貫く二人を交互に見つめ、確認するように問いかける。

「うん。一発勝負だって、ジェニーが」

「そう。じゃあ公平に三人で結果を見に行きましょう」

 ジェニーの従者や使用人の判断では不公平がある可能性を分かっているのか、ナシャは勝負の終了を確認すると、的に向かって歩き始めた。

 そして、あとに続く二人とともに、設置された的を見つめる。


「な……っ!」

「あ、俺の方が近いじゃん」

 的を見比べた三人は、勝敗を確認するとそれぞれの反応を見せた。

 ジェニーは一戦目のときと同じように悔し気に表情を歪め、追い打ちをかけるようにルイリーが言葉にして自分の勝ちを宣言する。

 そんな二人を順番に見遣ったナシャは、兄が下手なことを言い出す前に告げた。

「そうみたいね。じゃあ今回の勝負もルイリーの勝ち…で認めるわね、兄様?」

「…………」

「兄様?」

「あれ? 燃え尽きた? じゃあナシャ、まだ時間あるし二人でお茶しようよ」

「……だーー! ちょっと待て!」


 自信があったにもかかわらず、またしても勝ちを譲ったジェニーは、しばらく沈黙した後でルイリーの提案に強引に割って入った。そして、またしてもナシャを隠すようにして立ち塞がり、彼を睨みつける。

「なに? 俺の勝ちを否定するの?」

「……う…ぐぐぅ…否定、したいが、そうじゃなくてだな……! うぐぐ…奥の手だったが仕方ない! 次の勝負で決着をつけてやる! 次は利き紅茶対決だ!」

 心底悔しそうにしばらく唸り声をあげていたジェニーは、実に渋々と言った様子で次の対戦を提案した。

 一応二十番勝負と銘打っている以上、二十種類の勝負内容は考えてあるようだ。

 すると、ジェニーの提案に笑みを見せたルイリーは、嬉しそうに言った。

「あ、お茶の種類当て? いいよ、お茶会、お茶会♪」

「よし、準備するからちょっと待ってろ! 言っておくがナシャの三メートル圏内に入るんじゃないぞ!」

「だから嫌だって。すでに圏内だし」

「ぐぐぐ……」


 またしても何か目論見があるのか、絶対に準備を手伝わせようとしないジェニーは、もう一度顔を歪めると、悔しげに去って行った。

 荒々しく立ち去る様子はそれだけでどこかおかしく、後ろ姿を見つめていたルイリーは、不意に声をあげて笑った。

 勝負に勝った余韻よいんもあるのだろうが、それにしても楽しそうだ。

「あははは…っ、ジェニーのやつ、またとんでもない顔してたね……フフ」

「そうね。このまま二十回も勝負を続けたら、あの悪人面が定着しちゃうんじゃないかしら」

 そんな彼を見上げたナシャは、彼とともに最初にお茶を飲んでいたテーブルの方に向かいながら肩をすくめた。もうすっかりこのやり取りにも慣れてしまったが、この人は一体、何度兄の馬鹿面を見れば満足するのだろう。

「いいね。常に面白いよ?」

「うーん、仕事に支障をきたさなきゃいいけど……」



「待たせたな! 次の勝負を始める!」

 そんなやり取りから十数分後。

 準備のため、少し離れたところにある屋敷に戻っていたジェニーは、メイドたちと共に戻って来るやいなやそう宣言した。

 ついさっきまでの悔しさは何とか払拭してきたのか、彼の表情にはまた妙な自信が宿っている。

 それを確認したルイリーとナシャは、ジェニーが後ろに引き連れてきたメイドたちが持つ複数のティーポットに目をやった。

 すでにお茶は用意して来たらしく、ポットからはかすかに湯気があがっている。

「今回の勝負の内容は簡単だ。今から注ぐ四種類のお茶すべてを先に当てた方が勝ち。じゃあお前たち、カップに注いで……」

「ちょっと待って」

「……!」

 ポットに目をやる二人の視線に気付いたジェニーの説明は、嫌に早口だった。

 単に紅茶が冷めるのを防ぎたいのかとも思ったが、この兄に限ってそれを重要視するとは思えない。それに、今までの傾向を見るに、勝負の前にはやたらと挑発や暴言を繰り返す兄が、あっさり勝負を始めようとしているのも解せないと思ったナシャは、動き出そうとするメイドたちを制止すると、じーっと兄を見つめた。

 そして、妹の怪しむような視線に悲しい顔をするジェニーに、まさかと言わんばかりの声音で問いかける。


「兄様…もしかして、どのポットにどの紅茶が入っているか、実は知っているんじゃない?」

「……ぅえ? いや、そんな……」

「可能性あるわね……。ポットの外見は一緒だから、順番を入れ替えてあげる。どっちが兄様の飲む紅茶?」

 兄のたじろぎ具合を確認したナシャは、ため息を吐くと二人のメイドを見遣りながら言った。

 あえて準備を手伝わせない背景に、イカサマ上等の心情があるなら、そのくらいが妥当だろうと見当をつけたのだ。

「はい。ジェニー様のお紅茶はこちらになります、お嬢様」

 すると、ナシャの問いかけに頷いたのは、右側にいたメイドだ。

 盆に四つのティーポットを乗せたままほんの少しかしずいた彼女は、ナシャが作業しやすいようにテーブルに盆を置いて後退する。

 そこまで確認したナシャは、メイドに礼を言うと、今度はルイリーに向き直った。

「ありがとう。ルイリー、ポットの順番を入れ替えるから、その間、兄様がこっちを見ないようにガードしててくれる?」

「ん? いいよ。よーし、じゃあジェニー、あっち向こうか」

「うぅ…ナシャ……。そんなに僕を勝たせたくないのか……」


 もう完全に、彼女の中では兄が答えを知っていると確信しているような口ぶりに落ち込みながら、ジェニーは大人しく後ろを向くと、かすかに陶器が当たるカチャカチャという甲高い音に耳を澄ませていた。

 本当のことを言えば、どのお茶がどの順番で入っているか知っていたが、そんなことを白状したら本当に妹に嫌われてしまいそうだ。


「……よし、これでいいかしら。兄様、ルイリー、あといいわよ」

「うん、じゃあ始めようか」

「さ、あなたたち。お茶を注いでちょうだい」

「かしこまりました。お嬢様」

 ナシャの言葉に合わせて動き出したメイドたちは、テーブルに四つのティーカップを並べると、そこにそれぞれのお茶を注いでいった。

 その途端、ふわりとお茶のいい香りがして、仮にも勝負だと言うのに、お茶好きのルイリーはなんだか嬉しそうだ。

「どんなお茶か楽しみだな。もう飲んでいいかい?」

「まだ全部注ぎ終わってないだろ。もう少し待……」

「いただきます」

「おい!」

 ジェニーの制止をこのルイリーが聞くわけもなく、彼は、一番左に置かれたティーカップを持ち上げると、勝手に一杯目を飲み始めた。

 だが、一口含んだ途端、微妙な顔になる。


「うえ、ナニコレ? ダージリンにジャスミンティーが混ざってるじゃん。せっかくのキリっとした渋さと香りが、なんか……」

 と、言いながら、カップをソーサーに戻し、気を取り直したようにすぐさま二杯目に口を付ける。しかし、これにもすぐに微妙な表情を見せると、

「うわ、こっちはアールグレイに、ジンジャーにローズヒップ? ベルガモットの香りにローズヒップの酸っぱさとジンジャーのスパイシーさが合わさって微妙……」

「……」

「うぅ~、三杯目のこれはカモミールティーにペパーミントとローズマリーにレモン……。爽やかさと甘さと酸っぱさがすごい…うん……」

「……」

「うひゃ、最後はセイロンティーにはちみつとマーマレードジャムとミルク……。甘……。さっきのカモミールティーベースと差がありすぎて、うぅ…普通の紅茶欲しい……」

 それぞれのお茶を、一口含んでは微妙な表情とともに感想を告げるルイリーの推測は、あっという間に終わってしまった。


 だが、彼の答えは四種類ともあまりにも奇天烈きてれつな組み合わせばかりで、話を聞いていたナシャは、眉をひそめると半信半疑と言った様子で問いかけた。

「流石、毎日温室で変な薬草かじってるだけあって、舌が鋭敏ね、ルイリー。だけど、何その変な組み合わせ……本気で言ってる?」

「うん、おいひくないよ……」

 思わず舌を出して不評をアピールするルイリーに、ナシャは怪しむような顔を見せると、確認のため、ルイリーが飲んでいたお茶を一口ずつ舐めてみた。

 すると、彼と同じように顔をしかめたナシャは、

「……確かに…どれも絶妙に微妙だわ……。この味を気に入る人もいるかもしれないけれど、私も、あんまり好きじゃないかも……」

「あの、ちょっとナシャ…やつが飲んだもの飲まないでほしいな……」

「うぅ、判定は?」


 仮にも勝負だと言うのに、結局一口もお茶を飲むことなく落ち込むジェニーを無視したルイリーは、渋い顔のまま、お茶を注いでくれたメイドに問いかけた。

 注いだ本人なら、どれが何のお茶か分かっているだろうと思ったのだが、彼の問いかけにそのメイドは微妙な顔をすると、なぜか言葉を詰まらせ、困ったようにジェニーを盗み見ている。

「えっと……」

「……ねぇ、キャシー。もしかして、ルイリーの推測が正解でも、あえて不正解だって言うように兄様に言われてる?」

 そんなメイドの意味深な視線に気付いたナシャは、再度疑いの目をジェニーに向けると、兄ならそういう不正もやりかねないと思いつつ、尋ねた。

 すると、ナシャの問いかけにメイドはさら口ごもり、困った顔になる。その表情からある種確信を得たナシャは、彼女見つめたままきっぱりと宣言した。

「キャシー。もしそうなら、本当のことを言って? 仮に兄様がそんな不正をしようとしているなら、私、兄様とは一生口利かないから」

「ガーン……」


 メイドへの思わぬ言葉に、ジェニーはさらなる打撃を受けると、激しく落ち込んだ。

 ジェニーとしては、妹のために良かれと思ってやっているせいか、全然応援してくれそうもないナシャの態度に、かなりのショックを受けているようだ。

 だが、妹が本気で言っていることだけは分かったのか、ジェニーはいじけるように俯いた後で、小さく呟いた。

「そ、そんな……。ナシャが口を利いてくれなくなったら僕は生きていけない……。キャシー…正直に言っていいよ……」

「は、はい!」

 今にも掻き消えそうなジェニーの許可に、メイドは勢いよく頭を下げた。そして、準備の際彼に言われていたすべてを正直に白状する。

「申し訳ございません! ルイリー様のお茶には、人体に害がない程度に余計なものを複数入れるよう、ジェニー様から指示がありました!」

「……そこまで全部言わなくても……」

「すぐに代わりのお茶をご用意致します。何かご希望はございますか?」

 また妹に非難されかねない指示を全部白状したメイドに、ジェニーは泣きそうな顔になった。だが、不幸にも彼の呟きは届かなかったらしく、反応する者は誰もいない。

 その状況に、カビが生えそうなほどジメジメするジェニーをよそに、ルイリーは一瞬宙を仰いだ後で言った。


「あー、じゃあダージリンれてくれる? で、結局この四種類のお茶に関しては、俺が言った内容で合ってるかな?」

「はい、正解でございます。こんなに正確に当てられるなんて、大変驚きました」

「フフ、やっぱり。だと思ったんだ。じゃあ俺の勝ちだね、ジェニー」

 感服した眼差しで答えたメイドが、お茶の再準備のために去って行く姿を見ていたルイリーは、嬉しそうに笑った後でジェニーの方に振り返った。

 だが、勝負を始めてからたった一・二時間のうちにいろいろあったせいか、ついにジェニーのショックは限界値を超えたらしい。

 その証拠にカビを生やしたままジメジメしていたジェニーは、いつの間にか灰になっている。


「……」

「ダメね。兄様今日はもう限界みたい。しばらく放っておけば立ち直ると思うから、屋敷に戻ってお茶にしましょう」

「そうだね。早く口直ししたい。口の中がまだ変な感じ……」

「あのお茶、絶妙に微妙だったものね……」


 ――こうして二人の勝負は終わり、婚約承認を賭けた戦いは残り十七戦……。


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