第45話 とびきりの変化は、布団のなかその1

「祥香ーほら、ちゃんと布団被って」


ベッドに入った途端、距離を取ろうとした事を一瞬で見抜かれてしまった。


伸びて来た腕と上掛けにでくるみこまれて、軽く引き寄せられたら、それだけで心臓は大騒ぎを始めた。


どうしてあんなに気遣いが出来るのに、こういう時は一切遠慮がないのだろう。


息を詰める祥香を宥めるように背中を撫でる手のひらはちゃんと優しいのに、ソワソワと落ち着かない気持ちになるのは、ここがベッドの上だからだ。


「なんで微妙にそっち行くの?傷つくんだけどー・・・ん」


平良の唇が祥香のそれに僅かに触れた。


キスというのもおこがましいくらいの触れ合い。


それなのに、ぎゅうっと全身に緊張が走った。


だってしょうが無いでしょ!?


和室にあった客用布団は、いつの間にか芳乃の手元に渡っていて、そうとは知らず祥香はハイツで長年使っていた布団を処分してしまったのだ。


狙っていたとしか思えない。


こういうのを嵌められたというんだろう。


「唇冷たくなってる・・・祥香がいつまでもごねるからだよー?」


至近距離からの囁きは甘くて、まるでふわふわの綿あめだ。


「ちょ、え?それ私のせいですか!?」


「そーだよー湯冷めしないうちにベッド行こうねって俺は言ったのに・・・んー、でも、ちょっと温もって来たかな?」


確かめるように背中を撫でた平良が、抱き込んだ祥香の難しい表情を見て目を細める。


愛情に溢れた眼差しを受け止めて、同じように微笑み返せる余裕は、まだない。


「緊張してる?」


なに解りきったこと訊いてんのこの人は!


「してます!」


全力で即答した。


こんな心拍数で穏やかな眠りにつけるとは到底思えない。


「だーいじょうぶ。これからずっとだからね、すぐ慣れるよー。てか早く慣れてねぇ」


甘えるように言った平良の唇が目尻をなぞる。


そのままするすると輪郭を辿られて、え、ちょっと待ってと慌てた。


「っ!た、平良さん」


「・・・」


沈黙という名の無言のアピールで言い間違いを訂正させられる。


「龍ちゃん」


「なーに?・・・んー」


「あ、っん」


そうだった、名前を呼び間違えるとキスされるんだった。


暗がりをもろともせず、軽やかに唇を啄まれて、淡い電流が走る。


キスが気持ちいいのは、好きな人とするから。


そして、平良がくれるキスはいつだって祥香を心地よくしてくれる。


「ん・・っ・・んっ」


話したいのに唇が邪魔して言葉を紡げない。


何度か唇を啄んでから、平良がもう一度柔らかく言った。


「ごめんね、なにー?」


「・・・寝るの、早いでしょ?」


祥香は毎日23時に電池が切れる。


だから22時過ぎには布団に入ってゴロゴロするのが日課だった。


けれど平良は違う。


宵っ張りの彼は、日付が変わってから就寝するのが日常だ。


現在の時刻は22時40分。


平良にとって夜はまだまだこれからのはずだ。


「でも祥香眠たくなるでしょ?」


「わ、私ひとりでも寝れますっ」


一緒に布団に入るのは恥ずかしいし、この状態で眠気が襲ってくるとは思えない。


「知ってるよー。でも、俺が一緒に居たいの。ほら、目ぇ閉じて。子守歌いるー?」


笑みを含んだ問いかけに、腕の中で首を振る。


耳元で子守唄とか、もうちょっと慣れたらご褒美なのかもしれないが、そんな夜はまだまだ先になりそうだ。


今だって騒ぐ鼓動をどうにか抑えようと必死になっているのに。


「余計寝れなくなりますっ」


答えた祥香の乱れた髪を手櫛で直してから、平良が少しだけ残念そうに、そーう?と答えた。


返事の語尾が丸っこくなるのは、祥香仕様だから。


平良がこの声を出すのは二人きりの時だけ。


もうだめだ、恥ずかしさが限界だ。


肩まで覆われた温かい掛け布団の中に逃げようとすると、平良が掛け布団の端を掴んだ。


「あー、待って、布団に潜んないで」


「・・・」


「ちゃんと全部電気消すから、眩しくないでしょ?こっち向いててよ。寝顔見てたいから」


あなた様に見せられる寝顔なんて、まだ持ってませんと声を大にして言いたい。


「っ、な、なんでそんな返答に困ることばっかし言うんですか!?」


「困らせるつもりなんてないよー?んー・・・祥香の体温ちょうどいい。気持ち良くて俺も眠たくなっちゃうな」


宥めるように頭を撫でた平良が、小さく欠伸を漏らした。


祥香の眠気を代わりに拾い上げたのだろうか。


サイドボードに置いてあったリモコンを操作して、部屋の明かりを完全に落とす。


残ったのはベッド脇の間接照明のみだ。


それでも頭上の蛍光灯の光が消えただけで、随分肩の力が抜けた。


息を吐いた祥香の様子に気付いた平良が、静かに笑った。


「くっついて寝たほうがあったかいから、もっとこっちおいで。祥香からもぎゅってしてよ」


とびきり甘い声がして、離れていた腰を引き寄せられる。


滑らかなシーツの上を滑った身体は、あっという間に平良の真横に到着してしまった。


どうして良いか分からずに迷う祥香の指先を捕まえて、平良が尋ねる。


「こっち向きで大丈夫?反対のほうがいい?祥香に合わせるよ?」


さっきベッドに入る前に、好きな寝方を訊かれた。


いつも左側を向いて眠ることが多いと伝えた祥香に合わせて、平良が先にベッドの左側に横になった。


ほんの少し顔を上げれば、柔らかい眼差しを見つけられる距離だ。


「だ、大丈夫・・です」


物凄く今更だけど、もっと抵抗したほうがよかったのでは?と思ってしまう。


もういっそのことソファで寝るとか・・・


祥香の申し出を、平良が許容したとは思えないけれど、そんなことばかり考えてしまう。


唯一縋れるのは、祥香がずっと愛用していた枕だけだ。


本当はこれを抱えて眠りたいくらいだ。


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