第35話 とびきりの変化は、反省その1

「・・・あの・・・週末は本当にごめんなさい」


祥香は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、全力で頭を下げた。


早出の平良の出勤時間に合わせて、いつもより早く起きて作ったバゲットサンドをテーブルに載せる。


会社に着いてから朝食を食べることが多い平良は、いつもコンビニに寄ってから出勤する。


イチゴのイラストのペーパーナプキンで丁寧に包んであるそれは、今日の彼の朝ごはんになる予定だ。


祥香の出勤時間はいつも決まっているし、朝は忙しいので、この家で暮らし始めたときからずっと朝食はお互い自分で調達するようにしていた。


それをわざわざ早起きして用意したのはほかでもない。


これはせめてものお詫びの気持ち、なのだ。


しょげかえった祥香に向かって、平良はあっけらかんと笑って見せた。


思えば、この家で一緒に暮らし始めてからずっと、彼の暗い表情や怒っている表情を一度も見た事が無い。


平良はいつだって穏やかに優しく祥香に接してくれていた。


疲れ切った祥香の心に悪いさざ波を立てないように。


「飲ませたの俺だし、気にしないでいーよー。それより、頭痛いの治った?」


穏やかに言ってあまつさえ体調の心配までされてしまってますます申し訳なさが募る。


告白する前から彼には駄目なところばかり見られている気がする。


「はい、もう痛くないです」


口当たりのよい日本酒を一気に煽って、ウダウダと平良に絡んだのが最期の記憶だ。


高揚感と酒精のふわふわした気持ちで、なんだか途轍もなく身勝手なことを沢山言ってしまった気がする。


そのあたりのことについて、確認を取りたいような、取ったら最後、もう平良に何も言えなくてなりそうな気もする。


あー酔ってるな、気持ちいいな、と思って目を閉じて、次に目覚めた時には、祥香はいつも通り和室の布団の中にいた。


酷い頭痛で、布団を出られたのがお昼過ぎで、結局家事は全部翌週に回すことになってしまった。


先に起きていた平良が、洗濯だけしとこうか?と提案してくれたけど、自分の下着が混ざっている洗濯カゴを預けるのが恥ずかしくて、月曜日にすると言い切った。


もしお願いしたら洗濯ネットにいれて丁寧に干されそうな気がする。


同居を始めた時からずっとそうなのだが、平良は祥香への細やかな気遣いや配慮を怠った事が無い。


それはたぶん、彼の恋愛経験の豊富さがそうさせているのだろう。


そしてそれに気づいて嫌な気持ちになるところまでセットで、恋煩いというやつだ。


本当は、平良さんの好きなものを沢山作ってあげたかったのに・・・・・


結局夕方までふたりでリビングでゴロゴロして、夕飯は宅配の店屋物で済ませてしまった。


情けない事を言った記憶が少しだけだが残っているので、本当は、顔を合わせるのも恥ずかしかったけれど、部屋に籠り切りになると尚更彼が心配することは目に見えていたので、どうにか堪えた。


そのあたりの祥香の機微も彼はよく分かっていたのだろう。


平良は終始優しく祥香を気遣って甘やかしてくれた。


「よかったねー。これから日本酒はやめとこうね。もしかすると合わない体質かもしれないし」


俺もちゃんと覚えとくね、とこの次があることをほのめかされて、また胸がきゅうっとなる。


祥香はこくこく頷いた。


「そうします」


もう二度と、口にしません、日本酒は。


「うん。で、それでわざわざ朝起きてこれ作ってくれたの?気を遣わせちゃったなぁ・・・でも嬉しいよー。何サンド?」


嬉しそうにサンドイッチを確かめて平良が目を細める。


彼は祥香が何を作っても全力で喜んでくれるのだ。


「ベーコンとレタスとトマトのサンドと、ツナと卵のサンドです」


平良が不在の為、遠方のスーパーでまとめ買いが出来なかったうえに、昨日も買い物に行けてないので、冷蔵庫の残り物を詰め込む事になったけれど、平良は嬉しそうに目を細める。


「わー美味そう-。ありがとう。早起きしてくれて、ありがとねー」


「私こそ、昨日何も出来なくてごめんなさい」


「わーやめよう!謝られると、俺も色々懺悔しなきゃだから!」


「平良さんは悪くないです!お土産も私の為に選んでくれたのに」


最初に地雷を踏んだのは平良だけれど、自爆したのは祥香だ。


これが始まるとたぶんお互いごめんなさい合戦が始まってしまう。


けれど、平良は微妙な顔でこちらを見てくるのだ。


「えー・・・あーうん」


どうしてそんな後ろめたそうな顔になるのかわからない。


怪訝に思いながらも、コーヒーのお代わりを注いだ。


平良は出かける前に必ず、ブラックコーヒーを飲む。


紅茶派の祥香も、最近はカフェオレを飲む機会が増えた。


平良が入れてくれるカフェオレは、いつも甘くて美味しい。


この家に来てから色んな変化が起こったけれど、それはどれも祥香を新しい世界へ導いてくれるものばかりだった。


きっとあのまま一人で居続けたら、知らないままだったことが沢山ある。


これからずっと、カフェオレを飲むたび、祥香は平良を思うだろう。


ほっこりする朝の時間は癒されるけれど、先に言うべき事がある。


これ以上先延ばしにするわけにはいかない。


ひとつ息を吸って、視線を合わせてから口を開いた。


「あの・・・・・・それで、平良さん。私も今日の夜、お話したい事があって」


キッチンのカウンターに置いていた、賃貸情報誌を取って平良の隣に立つ。


いくつか目星をつけていたページに、付箋を貼ってあるのだ。


実際に物件を見て、この中のどれかに決められたらと思っていた。


どの部屋も、平良のマンションと同じ沿線沿いで探した。


この先も、彼の部屋に通う事を大前提にしてしまっている自分が気恥ずかしい。


それも、夜に話そうと心に決める。


「うん、なにー?」


開いたページを上にして、テーブルに置いた。


視線を向ける彼に合わせて、祥香も顔を近づける。


「お部屋の事なんですけど、いいなと思う所がいくつかあって、出来れば週末にでも一緒に見に・・・」


間取り図から、平良のほうに顔を向けるのと、平良がこちらを見るのが同時だった。


ごく自然に平良が顔を傾ける。


近付いてくる彼の吐息を感じて、祥香はゆっくり目を閉じた。


そうするのが当たり前みたいに思った。


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