第34話 とびきりの変化は、泥酔

昼間は俺が隣に座るだけで、迷うような視線を向けてくるのに。


あれかな?眠気が増して、そういう鎧も剥がれちゃうのかな?


脱衣所からドライヤーの音が聞こえて来ると、俺はリビングに向かって、冷やしておいた地酒を取り出して、冷蔵庫に残っていたサラミとチーズを適当にテーブルに並べた。


食べかけのナッツ類を摘まみ始めた頃に、祥香が戻って来て、用意された品を見て微笑んだ。


こんな風にふたりで家で飲むのは初めてで、グラスを合わせて視線を交わすだけで、祥香は照れたように目を伏せた。


今日は難しい話はしないって決めたのに、また踏み込みたい気持ちが溢れてきた。


いつも祥香が飲むような、ジュースみたいなお酒とは違うから、ちょっとずつ飲もうねと言ったのに。


「祥香、俺がいなくて淋しかった?」


我慢出来なくて訊いてしまった。


グラスを手にしたまま固まった祥香が、俺の顔とグラスを交互に見て、次の瞬間、グラスの地酒を一気に煽った。


「ちょ、祥香!?」


止める暇もなかった。


こくんと細い喉で飲み干して、祥香がグラスをそっとテーブルに戻した。


「あ、あっつい」


胸元を押さえて呟いた祥香の頬が一気に赤く染まった。


俺は慌ててペットボトルの水をグラスに注いだ。


こんな風に酔わせるつもりはなかったのに。


「なんで一気に飲むの、もーこの子は!ほら、水飲んで」


祥香が大人しくグラスの水を口に運ぶ。


それから俺を上目遣いに見上げた。


ああ、もう酔ってる、絶対酔ってる。


普段の祥香はこんな目で俺のこと見ない。


「平良さんが悪いんですよ」


舌っ足らずの甘えた口調で言われても可愛いだけだよ。


「ごめんね」


素直に謝ったのに祥香は眉をつり上げた。


「もう!何で謝るの?」


もう完璧に駄々っ子モードだ、そうか、酔うと甘えるタイプなんだ。


「だって俺が悪いんでしょー?ほら、水飲んで」


軽くグラスの底を持ち上げると、祥香がゆっくり水を含んだ。


なんか餌付けしてるような気分になる。


二口ほど飲んだ祥香が、グラスをテーブルに戻して、俺のほうを見た。


見た目重視で選んだ地酒。


度数まで見てなかったな。


そういや祥香日本酒飲んだことあるのかな?いつも飲み会だと、ジュースみたいなカクテルやワインを飲んでるイメージだ。


16度。うーん、一般的だけど、この子にとっては全然一般的じゃない、多分。


キャラメルみたいに甘ったるいトロトロの視線で俺を見つめながら、祥香が愚痴をこぼした。


「わ、私だってちゃんと、考えてて、色々いっぱい・・悩んでるのに」 


それはきっと俺が言った、話をしようね、が原因だ。


眉根を寄せて不機嫌そうにしてるのに、それを見てる俺は物凄く上機嫌だ。


祥香の頭が俺でいっぱいなんて、考えただけで頬が緩む。


「うん」


悩んでる原因は俺だけど、それは、祥香が俺に打ち明けてくれさえすれば、みんな綺麗に解決するんだよ?


祥香の不安も、心配も、みんな俺が取り除いてあげる。


鷹揚に頷いたけど、祥香はまだ不機嫌顔だ。


「うんじゃなくて!・・違うの、聞かないで・・ごめんなさい」


自分でも自分の言っていることに脈絡がないと分かっているらしい。


祥香がこんな風に本音を漏らすのは初めてだった。


両頬を押さえて、私酔っぱらってるんです、と小さく言った。


そりゃあね、日本酒はビールみたいに飲むものじゃないからね。


「大丈夫、ちゃんと聞かせて。祥香がなに考えてるのかすっげ気になる。俺はね、名古屋でもずーっと祥香のことばっか考えてたよ」


「何で・・そんな事言うんですか・・」


唇を引き結んだ祥香のクレームに俺的満点の答えを述べた。


「祥香に好きになって欲しいからだよ」


俺の心の一番真ん中にある願いがそれだ。


祥香から“好き“の言葉が欲しい。


「っ!もうやだ・・平良さんの馬鹿」


全然気持ちのこもってない馬鹿、だった。


「ごめんね、困らせちゃったね」


「私も、ちゃんと・・話・・したいです。このままじゃ、なくて」


テーブルに腕をついた祥香が、顔を伏せる直前に俺のことをもう一度見た。


あー、そっか、この子はいま俺に甘えてるのか。


答えを出せない自分でも、嫌いにならないでって。


「うん、ちゃんと酔ってないときに話しようね」


「ん・・」


小さく返事した祥香の頭を撫でると、すぐに寝息が聞こえてきた。


しばらくはそのままでいたけれど、寝苦しい姿勢は可哀想だから、と横にした。


本当はすぐに布団に運んでやるのが一番いいんだろうけど。


なんかね、あの和室はもう祥香の部屋みたいな気がして、寝顔を眺めてるのがすんごい罪に思えてきそうだから。


もうちょっとだけ、そばにいさせてね、と心の中で謝罪して、風邪をひかせないように毛布でくるんで、俺は静かに隣に移動したというわけだ。


ずっと使ってきたと話していた毛布の感触に安心したのか、その眠りはただただ穏やか。


これ被せてあげただけでそんな顔してくれるなら、俺はもう毛布になりたいよ。


いや、毛布は困るか。


うん、でも、祥香が一番安心出来る居場所になりたい。


仕向けたの俺だけど、こんな風に眠られると、嬉しいけど困る。


俺はめちゃくちゃ安全だよ、ほんとに。


でも、ある意味一番危険な男でもあるんだけど。


赤ずきんちゃんを狙う狼ポジションだよ。


きみが油断したらあっという間にペロリと戴いちゃうことだって出来るんだよ。


怖くて絶対出来ないけど。


横向きに寝るのが好きみたいで、祥香の開いた掌は、いま俺の真横にある。


その距離僅か3センチ。


俺がついてる手をほんのちょっと動かせばすぐに触れる。


「はーぁ」


無意識に溜め息が漏れた。


祥香が少し身動ぎした。


頬にかかる髪のせいでその表情がよく見えない。


俺はそろりと祥香の顔を覗き込む。


これくらいなら許されるかな?よな?


内心ビクビクしながら、細心の注意をはらって黒髪に触れる。


起きてるときの倍は心臓が煩い。


祥香の意識があるときなら気にならないのに、罪悪感が押し寄せてくるのはなんでだ?


ゆっくり掬った髪を首の後ろに流した。


酒のせいで染まった赤い頬が俺の前に現れた。


美味しそうなリンゴだ。


髪から離した手を祥香の向こう側について、俺はゆっくりと屈みこむ。


流し損ねた数本の黒髪が残る上から、その頬にキスをした。


唇に触れる柔らかい感触。


間近でする祥香の匂いにそのまま別のとこまで吸い付きたくなる。


「・・!」


やばい!


俺も酔ってる!この子に!


慌てて身体を起こして、祥香の様子を伺うけれど、一向に目を覚ます気配がない。


よ、よかった・・


熟睡したら起きないタイプなんだ。


ほっと胸を撫で下ろして、俺は前髪をかき上げた。


寝顔はいつまでも見ていたいけど、そろそろ部屋に連れて行こう。


このままじゃ、ほんとに狼さんになりそうで笑えない。


決意した俺は、ひとまず祥香の布団を敷きに和室へと向かった。

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