第31話 とびきりの変化は、遠距離その1

〔さーちかー〕


           〔はい。お疲れ様です〕


〔今から新幹線乗るよー〕






平良から届いたメッセージに、祥香は部屋の壁掛け時計を見上げだ。


ただいま土曜日の20時半。


スタイリッシュな縁のない黒い時計をこんなに凝視したのは初めてかもしれない。


名古屋の復旧作業は明日の午前中で完了する予定だと報告を受けていた。


日曜日の夕方の新幹線で帰れると思うと聞いていたので、シーツを交換しておくと昼間に連絡したところだった。






                       〔え!?仕事大丈夫なんですか?〕


〔大丈夫、今終わった。どうせなら日曜はゆっくりしたいし、祥香が淋しがってるかと思って〕


火災は一部で済んだが、消火剤の除去と清掃に時間を要して、結局平良は丸4日を名古屋で過ごした。


予定より早く帰って来てくれるのは嬉しい。


この間までうだうだ悩んでいたのが信じられないくらい、勝手に心の温度は加速している。


ここで素直に嬉しいです、と書けないのは、最後の一文のせいだ。


分かって欲しいなんていって、見透かされたらそれはそれで複雑。


どんな顔で彼を迎えればよいのか分からない。


                       〔気をつけて帰って来て下さいね〕


〔ありがと-。一番早い新幹線で帰るけど、時間読めないからしんどかったら先に寝ちゃっていいからね〕


                  〔大丈夫です、明日もお休みですし、待ってます〕







起きてます、という意味じゃなくて。


あなたの帰りを待ってます、の意味。


言葉を打ち込んで、溜め息を吐く。


この文面見た平良が、どんな表情をしているんだろう、と考えただけで心拍数が上がる。


瞼の裏に誰かの姿を思い描いてドキドキするなんていったいいつぶりのことか。


自分がまたちゃんと誰かを好きになれたことが嬉しい。


嬉しいけれど、こうも近い距離に居る誰かと関係性が変わるのは初めての事だ。


期待と不安がごちゃ混ぜになって押し寄せてくる。


帰ってきたら、どうなっちゃうんだろう。


平良さんは私に何を言うつもりなんだろう。


まもなくやって来る同居生活の期限のことがふと頭を過った。


この同居はあくまで一時避難の延長で、自立準備が整ったら出ていく、そういう約束だった。


いつ部屋を出るのか、という話をされるのだろうか?


仕事帰りに駅前で取ってきた賃貸情報で、いくつか新しい部屋の目星を付けてあった。


今度は駅徒歩10分以内の場所に候補を絞った。


その分間取りは小さくなるから、今の部屋の荷物はかなり処分することになる。


何カ所か回って、来月のアタマには新しい部屋に移りたい。


平良に頼んで、内覧に同行して貰うつもりだった。


彼と一緒に過ごす時間で、側に居てくれる誰かに助けを求めることを覚えたから、もう無謀なことはしない。


新生活を初めて、自分の生活リズムをきちんと整えて、それで、彼に自分の気持ちを伝えよう。


平良さんさえ良ければ、またこの部屋に・・・・時々遊びに来ても良いですか?


彼に伝えるべき内容を整理しながら、明るいリビングを見回す。


平良は、祥香が気を遣わないように細心の注意を払って、この部屋の居心地を良くしてくれた。


やっと使い勝手が良くなってきた広いキッチンのシンクに並べてある調味料も、鍋も、フライパンも、ウチご飯炊けないよ?と言われて持ち込んだ炊飯器もなにもかもが、いまや祥香の生活の一部だ。


不思議とすべてのものが平良の部屋に馴染んで見える。


じんわり胸に広がる淋しさは、平良が不在故の不安からだと、祥香は首を振って立ち上がった。


この部屋の居心地が良いのは、平良さんが私をお客様扱いしてくれてるから。


このまま一緒に過ごせば、お互い嫌でも粗だって見えてくる。


ここに置いてください、なんて、身勝手な事は言っちゃいけない。


私の生活スペースはここじゃない、あのハイツだ。


ここは偶然見つけたおとぎ話のお菓子のお家。


ここでずっと暮らしてはいけない。


好きな人に告白する前に、こんなにそばにいたのは初めてだから、自分の気持ちの置き場所が分からない。


恋愛は、ちょっと淋しいくらいがちょうどいいって誰かが言っていた。


その寂しさが愛しさを増幅させるスパイスになるのだと。


うん、きっと大丈夫、自分の足で立って、ちゃんと平良さんと向き合おう。


何があっても平気なように。






「そうだ、シーツ!交換しないと!」


明日の朝、彼の部屋に掃除機をかけてシーツ交換しようと思っていたけれど、予定変更だ。


やるべき事が浮かぶと、身体はちゃんと動く。


考え込んで動けなくなってうずくまってしまうよりずっといい。


気持ちがどんなにバラバラでも、自分が彼に出来ることは今のうちに何でもしてあげたいと思った。


いちいち訊かなくてもいいのにー、と平良には言われるが、やっぱり私室に無断で入るのは抵抗がある。


セミダブルのベッドと、壁際に置かれたテレビ、その隣に並ぶ本棚と、仕事机。


掃除機はかけても、机の上や本棚には触らないと伝えてある。


彼の気持ちに返事を返せていない自分が踏み込んでよい場所では無いとも思ったし、これから平良に告白して、付き合うようになっても、了承なしには触らないと思う。


どんなに好きでも、自分だけのスペースや時間は、やっぱり必要だと思うから。


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