第32話 とびきりの変化は、遠距離その2

紺色のシーツを剥がして、クローゼットから取り出した新しいライトグレーのシーツを被せる。


掛け布団をくるみこんでいると、テレビ台の下に置かれた香水の瓶が目に止まった。


色や形も様々なそれは、統一性が全くない。


純粋に香りだけで選ばれたのだと伺いしることが出来た。


抱き寄せられた時に彼からしたのは、どの香水なんだろう?


踏み込まないって自分で決めたくせに、乱雑に置かれた香水の瓶に思わず手が伸びそうになる。


思い出は増えれば増えるほどに幸せで、その分失くした時の喪失感は計り知れない。


掛け布団をベッドに戻して、そのままペタンと床に座り込む。


祥香の好きな柔軟剤の香りがする。


整えたばかりの布団に顔を埋めて、祥香は目を閉じた。


会いたいけど、怖い。










・・・・・・・・・・・・・・・・









「え!?平良帰るの!?飲みに行こうと思ってたのに!」


以前出向していた時からあれこれ世話を焼いてくれていた、名古屋支社の営業課長が俺の言葉に目を剥いた。


そりゃあねぇ、びっくりするよね。


でも、実は最初から今日のホテルは押さえてないんだ。


こっちでの仕事の目処がついた時点で、土曜日の昼には帰る予定だった。


ちょっとずれ込んで、ただいま午後7時過ぎ。


それでも十分新幹線には間に合う。


俺がこっちにいる間、ほぼ毎日のように飲みに誘ってくれていた課長には申し訳ないけど、気持ちは変わらない。


とゆーか、俺の心は今日の午後からすでに向こうにある。


「すいませんー。飲み会はまた今度で!」


支社に戻って販売部門の担当に作業報告をして、今回のイレギュラー対応で、休日返上で対応に当たってくれた各部署のメンバーに挨拶回りをしていたら、彼の元へ来るのは最後になってしまった。


ちなみに課長は、今回の火災対応とは関係なく、残務処理の為に出勤しているらしい。


「ええー、今日は遅くなるってかみさんに話して来たのにー」


残念そうに言い募る課長に、笑顔を向ける。


ここはどうしても譲れない。


「申し訳ないです。今日は早く帰って家族サービスしたげてくださいよー」


「なに、予定でもあるのか?」


これまでは大抵誘われれば、二つ返事で付き合うようにしていた俺が、頑として帰宅の意思を示した事に違和感を覚えたようだ。


「待たせてる子がいるんで」


「はー?いつも上手いこと彼女の機嫌取ってただろ?」


確かにそれは否定出来ない。


これまでの彼女は、みんな俺が仕事の飲み会といえば、納得してくれた。


会うのが面倒なときは、何度か言い訳に使わせて貰ったこともある。


勿論、祥香だって俺が仕事の飲み会だといえば、了承するに決まってる。


とゆーか、あの子には、日曜帰る予定と言ってあるし。


万一障害で帰れなくなったら困るから、黙ってたけど。


祥香がどうか、とか、そんな事はどうでもよくて。


俺が、とにかく早く会いたいだけなんだ。


「上手い言い訳使いたくない相手なんですねよねー」


「なんだそれ、珍しいな。お前が追っかけてんのか!」


俺の発言に興味を示した課長が、面白そうにこちらを見てくる。


まあ、これまでの俺を知る人なら、そういう顔になるよねぇ。


「そうなんですよねー。油断すると逃げられそうなんで、今日は帰ります」


うわ、自分で言っときながら胸が痛いよ・・


俺はあの子が俺の部屋に居てくれるのか、俺のことを待っててくれるのか、不安でしょーがない。


だから、ひとときも気を抜けないし、本当は、そばを離れたくない。


初めて祥香が淋しいって訴えてくれた。


あの気持ちが、今も彼女の中に宿り続けているのか、確かめたくて仕方ない。


でも、問いただせば、身勝手な告白ばかりしてしまいそうで、怖い。


あのね、祥香。


俺はもうずっとずーっと祥香のことばっか考えてるよ。


俺のこと見て欲しくて、俺のそばに居て欲しくて。


きみのことが、誰より好きだよ。


祥香にも、俺のことを好きになって欲しい。


きみの中の感情は、いま、どこまで育ってるの?


誤解じゃなく、俺のほうを見て咲いてると思ってもいい?


腕に閉じこめた祥香の身体は、小さくて、震えていた。


でもそれは、あの夜ハイツで抱きしめた時のような震えじゃなくて。


本当は、手を離すべきだったのに、出来なかった。


祥香が俺のそばから離れるのが我慢ならなくて、驚かせことも、困惑させることも承知で、腕に力を込めた。


唇で耳たぶに触れる度、息を飲んで目を閉じる祥香が可愛くて、やめられなくなった。


あの後、俺がどれっくらいの勇気で腕を解いたのか、きみは知らないでしょ?


もうほんとに半分くらいは仕事投げ出してやろうかと思ったけど。


俺も大人だし、社会人だしね。


「なんだーそうか!とうとう落ち着くつもりなんだな!もうとっかえひっかえするのやめろよー」


「俺が落ち着けるかどうかは相手次第ですよー。てゆーか、課長、俺そんなとっかえひっかえしてませんよ」


「何言ってる!こっちいる間に俺が掴んでる限り三人に告白されただろ」


「あー、そうでしたっけ?ま、過去ですよー過去。俺が欲しいのは未来なんで」


もっといえば祥香との未来だけが欲しい。


あの子が俺から離れていかない確証が欲しい。


「捕まえたら、連れて来いよ、お前が追っかける女がどんなのか見たいしな」


祥香は見世物にされるのを嫌がるだろうなぁ。


注目されるのも、俺のことを彼女って目で見られるのも。


「恥ずかしがり屋なんでー、その時は彼女と相談しますね。じゃあ、失礼しまーす」


何はともあれ、全部あの子を捕まえられたらの話だけど。





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