第28話 とびきりの変化は、打ち上げ

「いやー今年も盛況だったなー」


「無事終わってよかった」


「展示会お疲れさん」


乾杯の音頭の後、居酒屋の座敷席では各テーブルごとに様々な話題が飛び交っている。


役員を交えた展示会の報告会も無事終了して、本当にひと段落ついた週末、フロアの打ち上げが行われた。


営業部門、販売部門も含めた全体の慰労会はすでに先週終わっている。


今日は、深夜シフトもなく、システム部の全員が一堂に会しての飲み会だ。


部長の挨拶は短めで、すぐに雑談が始まった。


次々運ばれてくるメニューを、端の席で受け取って小皿に分けてはテーブルのメンバーに回す、という作業を3度ほど繰り返している。


次に届いたのは揚げ野菜の和え物だった。


なすび、ピーマン、ニンジンが、鶏のから揚げと一緒に甘辛餡に絡めてある。


家でも出来そうなメニューだ。


平良と一緒に暮らすようになってから、料理のレバートリーをふやそうと思うようになった。


一人だと、簡単なメニューばかりを選びがちだったけれど、食べてくれる相手がいると、バリエーションも豊富になる。


栄養バランスは勿論の事、彩りにも気を遣うし、何より張り合いが出る。


平良は祥香が作ったものなら何でも喜んで食べるし、時には一緒に台所に立ったりもする。


食器洗いは率先して行うし、本当に家の中でもマメに動く。


祥香は未だにゴミステーションにゴミを出しに行ったことが無い。


早出出勤の際にいつも、持ってっとくよ、と言ってくれるので甘えている。


本当に良く出来た旦那さ・・・じゃなくて、家主様だ。


これは間違いなく食卓に並べたいメニューだけど、これは外さなきゃだめよね・・・


一緒に運ばれてきた小鉢に少量ずつ盛り付けながら、祥香は一皿だけニンジンを抜いた。


隣に腰掛けている間宮が、さくさく皿を運んでいく。


「あ、間宮さん!待ってください」


「んー?なにー?」


「左の分は、平良さんにお願いします」


「うん、わかった、けど、なんで?」


「ニンジン抜いてるんで」


「え?平良さんニンジン嫌いなの?」


「はい、いつも・・・あ、いえ、苦手だそうです」


一緒に暮らすようになってすぐに、祥香は平良に味付けの好みと、好き嫌いについて尋ねた。


食事を任されるうえで、絶対に訊いておかなくてはならない事だったからだ。


アレルギーとかがあっても困る、と思って尋ねたら、唯一苦手な食材がニンジンだと言われた。


カレーに入ってるのはぎりセーフ。


平良に纏わる情報で、最重要項目になっている。


だから、料理にニンジンを入れる時は、いつも避けて入れるようにしていた。


その癖がつい出てしまったのだ。


「えええええ、知らなかった!平良さん!?」


「煩いよ、間宮。なに、どしたの?」


「はい。さっちゃんからニンジン抜きの特別メニューですよ」


ニヤニヤ笑う間宮の視線を無視して、平良が対角線の角席に座った祥香の方を見る。


「は?・・ああ・・ごめんね、ありがとう。気を遣わせたねー」


「いえ、大丈夫ですっ」


むしろごめんなさい、思い切り余計な事をしました!


普通に入れていても、平良の事だからきっと避けて食べるか我慢したはずだ。


家での食事は残してほしくないし、嫌いなものを無理やり食べさせるのも、居候としてどうかと思って、敢えて入れないようにしていた。


やっちゃった!思いっきり失敗した!


同じテーブルのメンバーの視線が祥香に集中する。


平良の片思いは、いつの間にやらフロアメンバー全員が知っていた。


え、ふたり、そうなの?もしかして?


言葉数は少ない人たちだけれど、その分人の事を良く見ている。


きょろきょろと動く眼差しが、祥香と平良の間を行ったり来たりする。


居たたまれない・・・。


「もう今井ちゃん困ってるから、はいみんな、食べて、飲んで!」


仕事場では、面倒見のよい同僚の顔にあっさり切り替えてしまう平良が、パンと手を打って場の空気を変えた。


”今井ちゃん”ここではそう呼ばれるのが普通なのに、祥香と呼ばれる事に慣れてしまって、少しだけ寂しい。


一緒に過ごす時間が増えれば増える程、気持ちは傾く。


私、あの部屋を出て、平良さんに告白した後、ちゃんと一人で生活できるのかな・・・


不安になる・・・っていうか、告白・・出来るのかな・・・


再び雑談が始まった事にホッとして、残りの小鉢にも盛り付けを始める。


膝の横に置いていたスマホが震えた。


メッセージが届きましたのポップアップが表示される。


”大丈夫。これ位じゃ気付かれないよ”


平良がよく使うスタンプと一緒に送られて来た文字。


”ごめんなさい!”


自分で自分の首絞めてどうするの!


泣きそうになっていると数秒で返事が来た。


”大丈夫だよ”









・・・・・・・・・・・・・・・・









祥香の就寝時間は午後11時。


夜更かししようとしても、目がショボショボになって、欠伸を我慢できなくなる。


それが、一緒に暮らし始めて3週間で分かった事のひとつ。


電池が切れるのが大体その時間なので、一人で暮らしていた頃は、夕飯を終えたら早めに風呂に入って、その後はすぐにベッドに潜りこんでテレビを見るのが常だったらしい。


宵っ張りの俺は、いつも日付が変わる頃にベッドに入る。


深夜テレビを見始めたら眠れなくなって、2時3時まで起きている事も珍しくない。


この仕事は、障害対応が入ると深夜でも飛び起きて出ていかないといけないから、夜型の方が楽だ。


あまりテレビを見ないと言っていた祥香が、どうしても見たいドラマがあるから録画して欲しいと言って来た事があった。


何が見たいの?と尋ねれば、一話完結の刑事ドラマで、てっきり恋愛ドラマか何かだと思っていた俺は、意外性にびっくりした。


10時枠のドラマはいつも録画で週末に見るようにしていると聞いた俺が、全番組録画対応のレコーダーだから、好きなの見たらいいよと言った時の、祥香の驚きが凄かった。


キラッキラの目で俺の事見つめて、ほんとですか?全部?いつでも見れる?と何度も聞き返した。


店員に勧められるまま買ったレコーダーだったけど、祥香を喜ばせる為に買ったんだな。


これはもう、祥香専用にしてあげようね。


俺の部屋にも同じやつあるから、見たい番組が被っても問題なし。


というか、俺は祥香が好きな番組を見たいし、知りたい。


10時半には和室に引っ込む祥香だから、そろそろ家に帰らないとまずい。


祥香がオネムになる前に風呂入れてあげないとね。


ニンジン排除事件で、フロアメンバーの視線を集めてしまった祥香は、自分の発言が、同棲生活(誰がなんと言おうと同棲。祥香は同居もしくは居候と言い張るだろうけど)を疑われてしまうのではと焦っていたけど、気にしすぎだから。


せいぜいやっと付き合ったかのかな?位だよ、残念ながら。


真っ赤になって俯いてしまった祥香にフォローを入れて、その後は普通に飲み会を楽しんでいたけれど、もう時計は10時前を差している。


いつもの俺ならこれから二次会に行って、その後はカラオケか芹沢と一緒に紫苑に帰るところだけど、もうそんな事はしない。


真っすぐ帰宅、これで決定。


「じゃあ、そろそろ二次会行こうかー」


「店はどうするー?」


「いつもの角の店にするか?それともカラオケか?」


「おーい、宗方ぁ、平良ー、どこ行くー?」


飛んできた質問に、片手を上げて答える。


「あー悪い、今日は帰るねー」


「えーまじで?帰るんですか?」


「うん、帰るよー。今井ちゃん、おいでー帰るよー」


お誘いは有り難いけれど、ここは間違いなく祥香優先。


一人でタクシーに乗せるのもいいけど、やっぱり一緒に帰りたい。


帰ったって、祥香はすぐに風呂入って寝ちゃうわけだけど、それでもいい、同じ空間で過ごしたい。


皆で二次会で騒ぎながら、今頃うちの子がどうしてるのかって気に掛けるよりずっといい。


そのつもりで、この飲み会ではタバコも吸ってないし。


一緒に帰った時に、祥香が匂いを気にすると嫌だからね。


それに今日はいつもより飲んでたみたいだし、心配ってのもある。


手招きしたら、祥香が素直に荷物を持って立ち上がった。


一緒の家に帰るんだから、当然と言えば当然なんだけど。


「はい、帰ります」


そんな些細な返事が、物凄く嬉しい。


俺もちょっと酔ってるな。


目を合わせた祥香が、俺を見て一瞬笑った気がした。


気のせいじゃなきゃいいのに。


「今井ちゃん、帰るの?」


奥のテーブルで飲んでいた橘が、祥香に尋ねた。


俺と一緒に帰るの?という意味だと思う。


「はい、すみません、お先に失礼します」


うん、そこは迷わないよね、勿論。


橘がちょっと眉を上げて、隣の宗方を見た。


一緒に帰るって言ってるよ、という視線を宗方に送ってる。


わー宗方がもっそい怖い目で俺の事見てるよ。


お前どうなってんだ、大丈夫なんだろうな?って顔ね。


はいはい、分かるよ、お前の心配は物凄く。


ご心配なく、誠心誠意大事にしてるし、これからもっと大事にするから。


ってこれは宗方に言っても仕方ない。


祥香に言わないとね。


祥香がもうちょっと俺の方じっと見てくれたら何度でも言うんだけど。


今はまだちょっと言えない。


祥香は俺と視線が合うとすぐに照れて逸らしちゃうから。


その視線を追いかけても、やっぱり困ったように俯いてしまう。


彼女の中に入り混じってる感情全部吐き出して欲しいけど、無理やり聞き出すのも違う。


祥香の感情の機微を見誤ると、大変な事になる。


「タクシー拾って帰ろうかー」


店を出た所で祥香を振り返った。


ああ、やっぱりいつもより顔が赤い。


さっきの出来事で焦って酔いが回ったのと、量が増えたせいだろう。


「大丈夫です、電車で帰りましょう、歩けます、私」


「ええーほんとに?」


「はい、大丈夫です。タクシーは贅沢ですよ、歩けるのに勿体ないです」


わー出たよ、祥香の勿体ない。


これ言うとなかなか引き下がらないんだよね。


まあ、ここは駅近だし、地下鉄の駅も徒歩圏内だ。


電車でも帰れない事は無い。


そして祥香はそこそこ酔っている。


んー・・・どうするべきか・・・


迷った俺は、祥香に判断をゆだねる事にした。


「電車でもいいよ。その代わり歩いてる間は、はい」


右手を差し出す。


俺の手を見て祥香が瞬きをした。


肩に掛けている自分のカバンを見て、それから俺の顔を見て、次に自分の両手を見た。


うん、そっちじゃなくて、そっちね。


「階段もあるし、転んだら危ないから手を繋ごうね」


タクシーならそうもいかないだろうけど、電車と徒歩で帰るなら、これはアリだよね。


だって実際もう外は真っ暗だし、祥香は酔ってるし、これからふたりで帰るわけだから。


タクシーを取るか、俺の手を取るか、さあどっち?


瞬きを繰り返す祥香の顔をじっと見て待つこと10秒。


祥香が俺の手をそっと握った。


酔ってるせいで、指先まで温かい。


そして、柔らかくて頼りない。


やばいめちゃくちゃ嬉しい!


力加減を間違えると痛いかな・・・


俺はこれまで女の子と手を繋いだ時の事を思い出そうとして、やめた。


これまでの子を引き合いに出したって駄目だ。


祥香はとにかく俺の中でめちゃくちゃ特別な存在だから。


前はああしたから、今回はこうだろう、なんて勝手に予測変換した途端痛い目を見そうだ。


未だかつてない位慎重に5本の指に力を込める。


祥香が驚かない様に、けれど簡単にはほどけない様に。


うーわ、ちょっと待てよ、緊張半端ない。


どうにか握られた掌をぎゅっと握り返して、祥香の顔をもう一度見る。


「じゃあ、こっちでいい?」


「・・はい」


「ん、よし、帰ろう」


いつもより断然ぎこちない俺の言葉。


祥香は酔ってるから気付いてない事にしよう。


微妙に手汗かいてる事も、気にしない事にしよう。


今は無事に祥香と家に帰りつくことが大事だ。


徒歩と電車で帰るんだから、ちょっとくらい遠回りしたっていい筈なのに、そこまで頭が回らない。


大通りに見えている地下鉄の案内に沿って、大人しく改札に向かった。


ほんとにどうしちゃったの、俺。


鹿ノ子ちゃんから指摘された通り、これじゃあ中学生だ。


いや、今時の中学生の方がもうちょっとマシなんじゃないの?


祥香が自分から俺の手を握ってくれた。


その事実だけで、もう見事に頭の中がパニックだ。


こんな状態の俺なのに、祥香に好きって言って欲しいとか、その後どうすんの?


あれやこれやを祥香と出来るの?・・いや、死ぬかもしれない。


地下鉄の本数はこの時間帯まだまだ多くて、すぐにホームに電車がやって来た。


端の車両を選んで、並んで座席に腰を下ろす。


足元から暖かい温風が吹いて、途端眠気に襲われた。


祥香が何も言わないのをいい事に、繋いだ手はそのままにしておく。


ふわあと祥香が欠伸をひとつした。


時計は10時を回った所だ。


「いつもはお風呂入ってテレビ見てる時間だもんな。


無理して起きてなくていいよ、着いたら起こしたげるから寝てなさい」


重たげに瞼を持ち上げた祥香が、とろんと瞳を揺らせた。


「・・・いいですか?」


声がもう眠たいと訴えている。


「勿論、ちゃんと起こすよ」


見上げて来た祥香を安心させるように頷くと、祥香がゆっくりと瞼を閉じた。


起きてます!って言うかと思ったのに、よっぽど眠たかったのか、俺と一緒で安心したのか・・・


俺の側が心地よくて安心したって事にしてしまおう。


祥香の警戒心は半端ないから、不安がある場所では絶対に緊張を解いたりしない。


すうっと祥香の身体から力が抜けていくのが分かった。


見守る俺の視線の先で、祥香の身体が傾く。


すとん、と肩に重みが加わった。


肩貸すよ、と言う前に、肩に触れた祥香の頭に息が止まりそうになった。


鹿ノ子ちゃんポジションに3歩位は近づけた・・?


僅かに顔を近づけると、規則正しい寝息が聞こえた。


すっかりお休みモードになっている。


えええ、寝顔が見たい、けどこの姿勢を崩せない。


繋いだ手は相変わらず柔らかくて、しっかり俺の指先を握っている。


このまま電車が次の駅に着かなければいいのに。


そっと祥香の頭に顔を寄せて、おやすみ、と声には出さずに伝えた。


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