第27話 とびきりの変化は、お持ち帰りで!

「畏まりました。お飲み物はどうされますか?」


手にしていたメモに注文を控えながら祥香が尋ねる。


芹沢が感心したように言った。


「接客慣れてるねー今井ちゃん」


「学生の時もバイトしてたんだって」


すかさず答えた俺に、芹沢と間宮が生温い視線を送って来る。


「久しぶりなんで、ずっと緊張してるんですけど」


「ええーそんな事ないよ、さっちゃん板についてるよ!」


「ありがとうございます」


微笑んだ祥香に、ほうじ茶二つと抹茶三つを追加で頼んだ。


ほうじ茶は俺と芹沢。


抹茶は四姉妹が揃って飲む写真を撮るための注文らしい。


一通り注文を聞き終えた祥香が、メモを下して、一同を見回した。


「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」


定番の確認だ。


俺は待ちかねていたように祥香に向かって手招きした。


間宮たちは、早速テーブルをひとつ離して、撮影の準備を始めている。


芹沢は俺の一眼レフを弄って、さっき撮った写真のデータを確かめていた。


もう誰も俺たちの事なんて気にしていない。


「平良さん、追加で何かあります?」


隣に立って、伺う視線を向けて来た祥香の指先を掴む。


「こちらのメイドさんをお持ち帰りで」


「・・・」


瞬きを数回繰り返した祥香が、ぱっと俺の手を振り払った。


「な、何言ってるんですかっ」


「ええーなんで、駄目なの?」


「駄目に決まってるじゃないですか!もう!私、お手伝いに来てるんですよ!」


「お店終わるまで待ってるよ?」


これじゃまるでキャバ嬢を口説くサラリーマンみたいだな。


でも、どうせ帰る家は同じだし、俺は少しでも長く祥香と一緒にいたい。


「だ、だからっ」


当然の事ながら、俺の家に祥香を預かっている事は誰にも言っていない。


だから、俺のこのセリフは、ただの口説き文句にしか聞こえない。


だから芹沢は一瞬顔を上げて、呆れたように視線を一眼レフに戻した。


またやってる、とか思ってんだろ。


困り顔の祥香の手をもう一度捕まえようとしたら、テントの方から同じく着物姿の女の子が歩いてきた。


「さっちゃん、大丈夫?」


振り向いた祥香が、鹿ノ子ちゃんの方へ駆けていく。


「鹿ノ子!うん、大丈夫、ごめんね、煩かったかな?


今の派遣先の会社の人たち・・・と、そのお友達なの」


「ううん、困ってるのかと思っただけ。そう、会社の・・


いらっしゃいませ。さっちゃんがいつもお世話になっております」


「やだ、やめてよ、恥ずかしいから」


丁寧に頭を下げた鹿ノ子ちゃんに、祥香が唇を尖らせる。


ああ、全然違う、完全に油断しきった顔だ。


鹿ノ子ちゃんと祥香の長い歴史と繋がりを感じる。


羨ましくて、ちょっと、いや、かなり悔しい。


多分、今の俺は逆立ちしたってこの顔は引き出せない。


「ええ、だって、会社の人ならご挨拶しないと」


そういう事なら俺も挨拶しないわけにはいかないよねぇ。


「初めまして、祥香の彼氏候補の平良です」


「平良さんっ!」


祥香が毛を逆立てたみたいな声で叫んだ。


猫だったらまさに、キシャー!!って威嚇してそう。


だって事実だし、祥香の友達なら尚更ちゃんと挨拶しておかないと。


好きな女の子の女友達は味方にしておくに限る。


「ただの同僚の芹沢でーす」


「同じく仲の良いただの同僚の間宮でーす、こっちは私のお仲間でーす」


続けざまの挨拶に、鹿ノ子ちゃんが口に手を当ててコロコロと笑った。


「面白い人ばっかりね、さっちゃん」


「面白くないから、もう戻ろう!風も出て来たし、身体冷やさない方がいいから!」


祥香が鹿ノ子ちゃんの肩をグイグイ押して、方向転換させる。


「それじゃあ、皆さんごゆっくり」


おっとりと微笑んだ鹿ノ子ちゃんの手を取って、祥香がゆっくりとテントに向かって歩き出す。


足元気を付けてね、と鹿ノ子ちゃんに言い含めるその口調がお姉さんみたいで、優しくて、祥香がどれだけ鹿ノ子ちゃんを好きか伝わって来る。


祥香の顔がリンゴみたいに真っ赤で、あんなリンゴなら何個でも食べられるのになとぼんやり思った。


焦っていたのもあるだろうけど、祥香は否定しなかった。


てっきり”違います”と反論してくると思ったのに。


言えなかったのか、言わなかったのか分からないけど。


あの子の中で、俺の立ち位置がちゃんと出来上がっている事にホッとした。


同僚じゃなくて、家主じゃなくて、自分に思いを寄せる相手という認識が、祥香の中にある事が嬉しい。


ああもう、早く俺の事好きになってよ。


鹿ノ子ちゃんを呼ぶ時みたいに、俺の事を呼んで、平良さんじゃなくて、名前で呼んでよ。


自分から俺の手を捕まえに来てよ。


一緒にいればいるだけ、溢れて来る願望にはきりがない。


「鹿ノ子ちゃん」


空になった食器を運びがてら、テントの隅に置かれた丸椅子に腰かけている祥香の友達に話しかける。


祥香は今、間宮たちコスプレ集団に捕まっている。


「って呼んでもいいかな?」


俺は鹿ノ子ちゃんの風除けになる場所を選んで立ち止まった。


「はい、どうぞ。祥香の彼氏候補の平良さん」


くすくす笑いながら鹿ノ子ちゃんが答えた。


客足も途絶えて落ち着いてきたから、鹿ノ子は動かなくていいと厳命された彼女は、ここから喫茶スペースを見守っている。


「ほんとにさっちゃんの彼氏候補なんですか?」


「うん、そうだよ。鋭意口説き中。俺かなり分かりやすくアプローチしてるのに、なかなか靡いてくれなくてねー・・・」


一緒に暮らし始めてからも、展示会のせいで数日しか一緒に過ごせていない。


俺の部屋での生活リズムを、祥香はようやく掴みかけたところだ。


二人分の食事も、洗濯も、休日の過ごし方も。


祥香が自分から俺に踏み込んでくることは殆どなくて、一緒に食事をしても、あの子から出て来る質問は、大抵が仕事場でのことだ。


展示会がどうだったとか、フロアメンバーの事だとか。


俺のパーソナルスペースに問いかける事はまずない。


料理の味付けや、苦手な食べ物の情報は、生活していく上での必要事項という事で尋ねて貰えたけれど、同居に不要なデータは、俺の中から引きだされる事は無かった。


祥香が訊いてくれれば何でも答えるし、教えるのに。


当たり前なのかもしれないけど、祥香が俺の部屋に尋ねて来た事は一度もない。


見られて困るものはないから、いつでも入っていいよ、と言ったのに、シーツを洗濯するから部屋に入っていいかと確認が入った。


遠慮もあるけど、たぶん、あれは・・・


「平良さんは、さっちゃんのどこが好きですか?」


鹿ノ子ちゃんが静かに尋ねた。


「どこ・・・えーっと・・・どこだろう」


俺自身への質問が飛んでくるかと思ったけれど違った。


こういう問いかけは新鮮だ。


「上げればきりがないっていうか、どこでもないっていうか・・・俺ね、女の子から笑顔向けて貰えなかったの祥香が初めてだったんだよ。全然俺に興味がありません、むしろ圏外ですって顔されてね。すっごいショックで、逆に興味が湧いちゃって・・・祥香はきっと、もっと堅実で、女の子から騒がれないような男と恋愛したいんだと思うんだけど・・・俺がもうね、あの子じゃないと駄目なの、何でもいいから笑って欲しくて、俺が言った事や、してあげた事で喜んで欲しくて、あの目が別のところに向かってると、それだけで落ち着かないんだよねぇ・・・逆に、こっち向いてくれたら、堪らなくなって、笑ってくれたらそれだけで、後の事どうでも良くなっちゃうんだけど・・これって、鹿ノ子ちゃんの望む答えになってるかな?」


「平良さん、中学生の男の子みたいな事言いますね」


鹿ノ子ちゃんが目を丸くした。


うわー中学生か・・・せめて高校生って言って欲しかったな・・


「えっとね、鹿ノ子ちゃん、言い訳するわけじゃないけど、俺そこそこモテて来たのよ。祥香にはあんまり聞かせたくないけど、女の子で不自由した事無いしね・・・自分で言うのもなんだけど、もうちょっとカッコイイ男の筈なんだよ」


「うちの主人が聞いたら、怒り狂いそうですよ。でも、そういう人なら、さっちゃんを好きで居てくれてもいいです」


「ほんとに?鹿ノ子ちゃん、俺の味方になってくれる?」


「平良さんの味方にはなりません。私は常に、さっちゃんの味方ですから。でも、さっちゃんが迷ってるなら、背中は押してあげます」


「・・・そう言ってくれると嬉しいよ。俺ね、自分から女の子追いかけたのって初恋以来だから、なんかもう、色々加減が分かんなくって・・・何が祥香に引っかかるのか手探りでさ・・・好きな子に好きになって貰うのって、すっげ難しいんだね・・」


本当にもう、全国の片思いの人間に全力でエールを送りたい気分だ。


俺が当たり前のように通って来た恋愛のセオリーはここでは全く通用しない。


無理やり祥香を捕まえて引きずり込むのは多分簡単だろうけど、そうした時点で、全部が終わる。


「さっちゃんは、すっごく慎重で、今はさらに臆病になってます。でも、貰った愛情は倍にして返してくれる子ですよ」


「うん・・・そうだね。真面目ないい子だよね」


ちょっと俺には勿体ない位、純粋できれいな子だ。


勿体なくても、欲しがるのはやめてあげられないけど。


「私も、平良さんみたいに優しい人を好きになってくれれば嬉しいです、寒くなくなりました。ありがとうございます」


鹿ノ子ちゃんが、ふんわりと微笑んだ。



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