第25話 とびきりの変化は、おでかけ

「さっちゃーん、次、東の丸テーブルのカップルのお客様のオーダーね」


テントの中から呼ばれて、祥香はいつもよりゆっくりと振り返った。


砂利に足を取られないように、慎重且つ上品に。


「はーい!」


返事はキビキビと。


続けてテントの前に設置された長机に小さな盆が並べられる。  


奥から出てきた白い作務衣姿の壮年の職人が抹茶の入った茶碗を盆の上に載せた。


「鹿ノ子、ベンチのお客様のセット上がるよ」


「はーい、ただいま」


「駄目、鹿ノ子はそこで指示してくれればいいから!私が運びます」


テントを出て歩き出そうとした鹿ノ子の前に立ち塞がった祥香が、手を前に突き出す。


着物であまり目立たないが、僅かに膨らんだ親友のお腹には、新しい命が宿っているのだ。


天気とはいえ、吹きさらしの場所で立たたせているだけでも心配になる。


「すぐそこだし、大丈夫よ、さっちゃん」


「何のために私が呼ばれたの?鹿ノ子は監督役でいいの、久しぶりだけど、感覚も覚えてるから!」


「そーう?着物で苦しそうにしてたけど?」


「それは言わないで!着物バイト辞めてから着てないのよ。でも大丈夫!頑張るから」


「悪いねぇ、さっちゃん。久しぶりに遊びに来てくれたのに、こんなとこまで連れ出して、店、手伝わせちまって」


鹿ノ子の父親が、盆を手渡しながら申し訳なさそうに言った。


予想外の出来事ではあったけれど、頼りにされるのは嬉しいし、大学時代アルバイトでお世話になった店だ。


「いいえ、おじさん。お役に立てるなら喜んで。お運びしまーす」


笑顔を返して、祥香は足元に気を付けながら、腹筋に力を入れて背筋を伸ばして盆を受け取る。


着物を着ると、気持ちがシャンとする。


大学の同級生である、和菓子屋のひとり娘鹿ノ子とは、入学式で仲良くなった。


すぐにバイトを始めようと考えていた祥香に、両親が営む老舗の和菓子屋を紹介してくれて以来、大学卒業後も変わらず仲良くしている。


鹿ノ子は大学卒業後暫くしてから、店の職人と結婚した。


そのまま実家で生活を続けながら、店の手伝いをしている。


生活が変わっても、鹿ノ子との友情はなにも変わらなかった。


祥香の失恋を知っている唯一の人物でもある。


おっとりとした鹿ノ子と一緒にいると、気持ちが軽くなる。


育ち故か、自分を卑下する事が無い鹿ノ子の穏やかながら常に自信に溢れた姿勢は、見習いたいところだ。


妊娠が分かってから、引きこもりがちになっている鹿ノ子から、久しぶりに家においでよと誘われたのは、週半ばの事だった。


土曜日の朝からお邪魔する約束をして、家を尋ねた途端、お願いだから店を手伝って!と説明もないまま車に乗せられて、城前公園に連れてこられた。


公園で開催される菊花展に併せて、出張喫茶を開くことになったのだが、当日の朝になって、鹿ノ子の母親がぎっくり腰で動けなくなり、頼みのバイトも発熱で休みになってしまったらしい。


卒業ギリギリまで働かせて貰った懐かしい店なので、勝手は大体覚えている。


出張喫茶は、品数も限られているので、難しくはない。


殆どのお客様が、抹茶と和菓子のセットを注文するので、綺麗に立てられた抹茶と、見た目も華やかな和菓子を丁寧に運ぶのがメインの仕事だ。


久しぶりの着物で緊張するけれど、鹿ノ子の為にも頑張りたい。


「お待たせ致しました」


ゆっくりと歩いて客席まで行き、膝を曲げてテーブルの上に盆を載せる。


「ごゆっくりお召し上がり下さい」


昔の記憶を引き戻して、精一杯の笑顔を浮かべる。


軽く会釈してテーブルを離れた。


うん、こんな感じだった。


振り返ると、鹿ノ子が慣れた様子でオーダーを承っていた。


お運びじゃないから大丈夫かな?


でも、寒くなったら無理やりでも奥に引っ込めないと。


鹿ノ子の倍は働かなくてはと気合いを入れる。


視線を青空に向けたら、ふいに平良の顔が浮かんだ。


平良も今日は出掛けているはずだ。


間宮のコスプレ写真を撮るカメラマンを頼まれたと言っていた。


祥香も家にいるなら誘うつもりだったのに、と残念がっていた平良は、祥香の代わりに木村を引っ張り込んだらしい。


コスプレをしている人は見たことがあるけど、知り合いにコスプレイヤーはいない。


間宮の格好も気になるが、それよりも、平良の趣味がカメラだったことに驚いた。


最近は使ってないんだけど、と、一眼レフを持ち上げる横顔は楽しそうで、コスプレ云々は別にして、少しだけ惜しい事をしたな、と思った。


今度は祥香も撮ってあげるね、と言った平良には、丁重にお断りを入れたけれど。


写真なんて恥ずかしすぎる。


ファインダー越しでも、平良から見つめられると、間違いなく緊張して固まってしまう。













・・・・・・・・・・・・・・・・










「えーっと、キリカちゃんもうちょっと左で、カサネちゃんは間宮の方に寄ってー」


歴史を感じさせる古い城壁の前で、仲良く並んだ四人の女剣士を前に、久しぶりの一眼レフを構えて俺は指示を出す。


青空と城壁と人間の絶妙なバランスを探していると、芹沢が口を挟んだ。


「カサネちゃん、刀手に持ったほうが良くないか?」


「んーあーそうだな、右手に持ってみる?」


レプリカの刀を掴んだカサネちゃんを見て、本日は黒髪ウィッグを着用中の間宮が手を上げた。


平日も結構楽しそうだけど、今日は一段と楽しそうだ。


「え、じゃあ私も持つ!平良さん、芹沢さん、ちょいお待ちを!ねえ、ねえ交差させるのは!?」


「きゃー!戦う女剣士って感じで素敵ぃい!」


「姉妹の絆を胸に、京の町を駆ける伝説の女剣士ですからぁ」


「キリカ姉様かっこいいー」


間宮の趣味に付き合わされるのは初めてじゃない。


システム関係の仕事に就いてる人間は、結構二次元好きが多い。


俺は本日の合わせコンテンツである、花の四姉妹京桜とかいうアニメは知らないけど、子供の頃からロボットアニメが好きだったし、間宮が全力で誰かになりたい気持ちも分かる。


マイスターになりたい!ていうのの、女の子バージョンだよねぇ、女剣士は。


古今東西、戦隊ものは男女問わず人気だし、バリエーションも多い。


間宮のオタク仲間(全員本名年齢不詳)ともカメラマン役をしているうちに顔馴染みになった。


趣味の世界に全力の愛を注ぐ女の子たちの情熱にはいつも圧倒させられる。


安く仕入れた色違いの袴にアレンジを加えたという衣装はかなり様になっていた。


はしゃぎたくなる気持ちも分かる。


「はーい、お嬢さん方ーポージング崩れてるよー」


どうせ撮るなら、ちゃんとしたいいものを残したいから、あれこれ注文も付けるけど、皆文句ひとつ言わずに、にこにこと対応する。


「すみませーん」


「ひのとちゃん、袴の袖ー」


全体を見ていた芹沢が、すかさず袴の袖の捻れを指摘した。


はっきり言って、芹沢は俺の数倍煩いし、だいぶ二次元にも精通している。


どうやらこのアニメも知っていて、それなりに思い入れがあるらしい。


因みに宗方はこの撮影会に一度も参加した事がない。


間宮いわく、強面のお兄さんは内気な乙女がビビっちゃうんですよ!とゆーことらしい。


俺と芹沢は大抵セットで呼ばれる。


芹沢の出す注文は、細かくて面倒くさい。


エンディングのあのコマのポーズで!とか、何話のシーンを意識して!とか。


写真に関係あるのかと思うような事まで言うが、それがまたお嬢さん方にウケる。


俺が気にするのはカメラ写りのとこだけだから、そこら辺は皆芹沢と間宮に任せている。


「あ!ごめんなさいです!」


「はい、じゃあもっかい行きましょう!平良さんお願いしまーす!」


仕切り直した間宮が手を叩いた。


こういう場面でうまく皆を纏めるのはいつも間宮だ。


「はいよー撮るよー」


もう一度ファインダーを覗いて、シャッターを切る。


祥香がここにいたら、どんな顔するだろ。


袴なら着せてみたかったな、絶対似合うのに。


刀なんて物騒なもん、レプリカでも絶対持たせないけど。


写真撮られることには物凄い拒否反応を示してたけど、そのうち絶対撮ろう。


学生時代の友達の家に遊びに行くんです、と嬉しそうに話していたから、今頃、女子会で盛り上がってるんだろう。


会社でも、俺の前でもない、友達の前にいる時の祥香は、どんな顔かなぁ?


祥香の友達だから、きっと同じような雰囲気の大人しい女の子なんだろう。


彼女は、俺の知らない祥香を沢山知ってるんだろうなぁ。


まるでデートにでも行くような浮かれっぷりで、俺がこっそり祥香の部屋から持ってきた、可愛い花柄のスカート履いて行ったし、よっぽど友達と会えるのが嬉しいんだろう。


祥香の部屋に荷物を取り戻った時、クローゼットから祥香が取り出した洋服は、どれも仕事用だった。


クローゼットの片隅に追いやられていた可愛い洋服を見捨てておけずに、祥香が冷蔵庫の中身を詰めている間に、勝手に車に運んでしまった。


俺の部屋について、荷物の中に紛れていたあのワンピースやら、可愛いスカートやらを見つけたときの祥香の慌てぶりは凄かったけど、着たくないわけじゃないんでしょ?と尋ねれば、無言が返ってきた。


祥香が買った可愛い洋服を着なくなった原因に、何となく察しが付いた俺は、勿体ないから着なさいとやんわり勧めた。


押し付けるんじゃなく、あくまでふんわりと、おかげであの膝丈スカートは日の目を見たわけだ。


勿体ないってのは祥香を動かす魔法のワードだ。


これから幾度も使うであろう最重要単語をしかと胸に留めた。

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