第24話 とびきりの変化は、展示会イベント

イベントホールのエントランスに掲げられた宝飾品展の大きな看板。


受付前にはパンフレットを手に、様々な人種の人たちが談笑している。


有名ブランドは勿論の事、石の原産国のメーカーや、バイヤーがこぞって集まるとは聞いていたけれど、これほどまでに盛況だとは思ってもみなかった。


出展企業のストラップを首から下げて、頼まれたコードとCDRの入った紙袋を手に、会場へと足を踏み入れる。


下見で来たときには、がらんとだだっ広いスペースが広がるだけだったが、今は行き止まりが見えない位に人と展示ブースがひしめきあっている。


一番近いドアから中に入ったけれど、ここから自社ブースまでどうやって行けばよいかわからない。


お使いを頼まれた時に、迷いそうなら連絡するように平良から言われたけれど、まさかと思ったが、そのまさかだった。


パンフレットを見てみるけれど、通路は人で溢れていて、この中を上手く泳いで歩く自信がない。


低価格の貴石の原石から、有名女優が映画賞で使用したという数億円のジュエリーまで、幅広く取り扱う宝飾品展は、当然警備員の数も多い。


ガラスケースに入れられたダイヤと真珠が輝くティアラは、ゼロの数を数えるのが嫌になりそうな金額が提示されていた。


まともなジュエリー一つ持っていない私なんかが、来ちゃいけない場所のような気がする。


平日にも関わらず、多くの来場者が訪れているようで、スーツ姿の人間も多いが、私服姿の様々な年齢の人間も見受けられる。


上顧客には、会社が招待状を用意したというから、祥香のような物見遊山出はなく、購入目的でここを訪れている来場者も多いはずだ。


質の良い石を買ってそれを工房で加工して貰うなんて、祥香には想像もつかない。


キラキラ輝く宝石達が至る所で祥香を呼ぶ。


こんな間近で見るのは初めてだし、見たこともないような宝石も沢山ある。


そらで言えるのなんて、ダイヤ、ルビー、サファイヤ、エメラルド、それに真珠くらいのものだし。


そもそもジュエリーにそれほど興味が無かったので、自分でご褒美に買うような事は今まで無かった。


欲しかったとしても、金額を見て諦めていただろうけれど。


人の流れに沿って、ひとまず中央スペースを目指していたら、テーブルの上に並べられている小さな箱に入ったカット済みの石たちが目に止まった。


1ミリ2ミリの極上の石は、数千円のものもある。


質を問わなければこれ位でもあるんだ・・


何十万、何百万のものばかり目に付いて、雲の上の存在と思っていたけれど、これ位なら現実的だ。


ジュエリーに興味は無かったけれど、憧れも無かったわけじゃない。


人並みに、大好きな人から輝くダイヤの指輪を受け取る瞬間も想像したりした。


そういえば、木下くんは、私に一度もそういう話してくれなかったな・・あの綺麗な人には、買ってあげたのに。


ジュエリーショップから彼らが出てくる場面が蘇って首を振る。


もう、なんの関係もない。


それに、数千円の宝石より引っ越しの資金だ。


顔を上げて、次のブースに目を向けると、パンフレットを配っていた男性と目が合った。


「あれ、この間の・・」


下見の時に平良と一緒に説明を受けていた人物だった。


「あ、こんにちは。お、お疲れ様です」


なんと言って良いか分からずに、社内の人間にするような挨拶になってしまう。


軽く会釈した祥香に、彼も同じように返した。


「お疲れ様です。出展企業の方だったんですね」


「え・・あ、はい」


直接関わりはなくとも、一応出展企業であることに違いは無いだろうと小さく頷く。


「てっきり一緒に来られてた方のお連れさんかと思ってました」


普段は着ないようなデート仕様のワンピースで出掛けていたし、所在なさげに平良の後ろにいた姿が、そう思わせたのだろう。


「っ、え、あ・・」


平良とそういう風に見えていた事実に狼狽えてしまう。


しかも今の微妙な関係が余計に祥香の返事を鈍らせた。


あれから当たり前のように名前で呼ぶようになった平良は、事あるごとに祥香を呼ぶ。


そして、赤くなったり困ったりする祥香を見ては幸せそうに目を細めるのだ。


あんな事言うつもりなかったのに!


考える前に口にしていた返事を今更取り消してももう遅い。


名前を呼ばれる度に胸の奥がきゅうっと苦しくなる。


こんな毎日が続けば、間違いなく寿命が縮まる。


なのに、嫌じゃないのだ。


恋って怖い。告白前からこんなので大丈夫なんだろうか。


大事そうに名前を呼ばれると、それだけで自分が上質な女性になった気がする。


忘れようとしていた、恋特有の、あのドキドキふわふわに見舞われると、もう身動きが取れなくなる。



彼は明確な答えは望んでいないと分かっているのに、曖昧に誤魔化す事も出来ないなんて。


第三者でこれじゃ、平良さんに告白なんて死んでも出来ないじゃない!!


答えに窮する祥香の右肩に誰かの手が触れた。


「祥香」


「っひょえ!?」


慌てすぎて変な声が出た。


左から背中へ回された掌が、祥香の肩を抱き寄せる。


見上げるとすぐそこに平良の姿が見えた。


いつもと違う印象を受けるのは、スーツとネクタイのせいだ。


普通にしていても十分人目を惹くのに、こういう格好だと尚更目立つ。


今日も集まる視線は無視して、困惑顔の祥香を覗き込んだ。


展示会期間中は、一応ジャケットと、ヒールのあるパンプスで出勤しているので、いつもより視線が近い。


家の中での目線の高さの違いを知っているので余計ドギマギしてしまう。


「やっぱり迷ってたの?電話鳴らしても出ないから・・探しに来て正解だったよ」


「え、あ、う」


「ん、なに?」


言葉にならない祥香の訴えに首を傾げた平良が、視線を向けてくる目の前の男性に気づいた。


「あ-、この間の、どうもお疲れ様です」 


平良が、外面全開でにこやかに挨拶をした。


会釈を返しながら男性が苦笑いを祥香に向ける。


「お疲れ様です。やっぱりお連れさんだったんですね」


「ええ、うちの子ですよ」


平良が、祥香に向かって、ね?と微笑みかけた。


そこに二重の意味がある事をもう知ってしまっている。


「はい・・」


頷いた祥香の手から紙袋を取り上げて、平良が重たいのにごめんね、と言った。


「重たくはないです、遅くなってすみません」


「急いでないからいーよー。うちのブースさらに奥だから、一旦出て、別のドアから入ろうか。じゃあ、失礼します」


平良に促されて、もう一度頭を下げる。


「祥香、こっち」


手招きする平良の方に踏み出すと、彼がもう一度手を差し出した。


「これは自分で持てますよ?」


肩から提げていたカバンを軽く押さえる。


通勤の時も持っているし、さほど重たくない。


祥香の答えに、平良が眦を下げた。


ああ、だからなんでそんな柔らかい顔で笑うの?


「違うよ、こっち」


伸びてきた手が優しく指先を捕まえる。


「え?」


手?手なの?


一気に指先まで熱くなる。


繋がれた手と平良の顔を見比べる。


けれど彼は手を解かない。


「人ごみ抜けるから」


「あ・・はい」


迷子防止の意味ね・・深読みした自分が恥ずかしい。


俯いた祥香の手を軽く引いて、平良が人並みを縫うように歩き出す。


「それが半分ね」


「っ!」 


残念に思った心を読んだかのような返答に、無意識に平良の手を握り返してしまった。


「大丈夫、解かないよ」


もうやだこの人なんなの。


唇を引き結んで、こみ上げてくる色んな感情を押さえつける。


すいすい混雑を抜けた平良が、目の前に現れたドアを押し開けた。


「今日も最後まで待機で、土曜日は終日こっちになりそうなんだ。日曜日は宗方が橘と出るって言ってるけど」


先に祥香を外に出して、後から続いた平良がそっとドアを締めた。


水曜日から5日間開催される展示会は、トラブル対応の為に常にシステムのメンバーが駐在している。


開催前日は深夜までセッティングとリハーサルが行われており、平良と宗方は会場から徒歩で迎えるホテルに宿泊した。


翌日からは当番制で立ち合いになったが、その間も宗方と平良はほぼ休み無しで働いている。


「分かりました。今日は帰ってきますか?」


「うん、やっぱ数時間でも自分のベッドで寝たいしねぇ。でも、遅くなるなら、先に寝てていーよ」


「はい。あの」


「うん、なに、淋しい?」


満面の笑みで問われて、言おうとしていた言葉が頭から抜け落ちる。


まだあの部屋に馴染めてはいない。


オール電化に漸く慣れた位だ。


「家主不在じゃ心細くて寛げません」


淋しいと直接言うのは憚られた。


きっと言えば彼はもっととろんと微笑むんだろう。


簡単に想像出来てしまう自分が悔しい。


もうすでに平良さんの掌の上なの?


「ごめんね、仕事終わったらすぐ帰るよ」


小さい子供に言い含めるように優しく言われて、こくんと頷いてしまう。


声に潜む愛情に気付いてしまったのだから仕方ない。


「日曜日は、平良さんの好きなもの作ります。

食べたいものあれば、リクエスト下さいね」


出来ることといえば、預かっている台所をフル活用する事位だ。


途端、平良が目の色を変えた。


パタパタ揺れる尻尾が見える。


「ほんと?すっげ嬉しい。こないだの豚汁食べたいなー」


ふたりで初めて食卓を囲んだ日に、祥香があり合わせの材料で作ったのが豚汁だった。



あんなもので喜んで貰えるとは思わなかった。


少しだけ自信が出来た。


「あれは冷蔵庫の残り野菜入れただけですよ。じゃあ、もっと具材豪華にしますね。和食で揃えていいですか?バラバラで良ければ他にも好きなもの作りますよ」


「うん、考えとくね」


「はい。後、これは、ご飯食べれてないんじゃないかと思って・・」


カバンの中から保冷バックを取り出して差し出す。


「今朝、おにぎり作ったんです。具材はすごく定番ですけど、おかかと、梅干しと、タラコ。空き時間に食べてくださいね。カイロ入れておいたから、少しは温かいかも」


おにぎりを確かめた平良が目を細めた。


「ありがとう。わざわざ作ってくれたの?」


「平良さん、すごく忙しそうだったから・・タバコもいいですけど、ご飯も食べて下さいね」


「あー気づいた?匂い気になる?」


平良がスーツの肩口へと鼻を近づけた。


祥香も同じように一歩彼のほうへ近寄る。


風向きにもよるのだろうが、あの家で暮らし始めてから、殆ど感じなかった匂いが、今日は強く感じる。


家でタバコを吸わないと言った平良の言葉は嘘では無かった。


どうしても吸いたいときはベランダ行くよ、と言われたけれど、祥香が起きている間に、彼の姿がベランダへ消えたことはない。


「今日は、匂いわかります」


「ごめんね-、こっちでは外で吸うから匂い飛ぶんだろうけど、一人だと手持ち無沙汰でさー。

ホテルの部屋で吸っちゃったから」


「仕事忙しいと本数増えますか?」


「んー、バタバタし始めると息抜きで煙草吸っちゃうんだよね。あ、でも、祥香いたら吸わないよ。副流煙心配だから。俺が禁煙するためには、常に一緒にいてくれないと」


「お、おにぎり食べて煙草は我慢して下さい」


祥香は恥ずかしさを誤魔化すために俯いた。


「はーい」


頭上から降ってきた余裕たっぷりの間延びした返事に唇を尖らせる。


やっぱり恋愛経験が豊富だと、言わない気持ちまで見透かせちゃうものなの?


私、一言も好きなんて言ってないのに!


恋愛の主導権を握れるなんて思ってないけど、告白するならせめて対等でありたい。


でも、どう考えても目の前の男のほうが一枚も二枚も、いや、もっと上手だろうと考えるまでもなく分かる。


シーソーゲームにすらなっていない。


平良さんは私が怖いと言ったけど、私だって平良さんが怖い。


人の気持ちは縛れないし掴めない。


それがこの間の一件でいやというほど分かったから、尚のこと怖い。


私に向ける甘い視線が、いつか別の人に向けられる日が来たら?


前のように箱に押し込んで心の奥深くに沈めてしまえるだろうか?


こんなに優しい平良さんを前にしても、未だ不安が拭えないなんて、私どれだけ臆病なの?


どこかで、私なんかが、という意識が常につきまとう。


こういう人種を好きになるとついて回る当然の不安なんだろうけど。


恨めしげに平良へと視線を戻したら、彼の手の甲が目に入った。


「・・あ」


「ん?」


「かさぶた!剥がしちゃったんですか?また血が出てる・・」


三日目から絆創膏を貼らなくなった平良の傷口は、一番大きなかさぶたが剥がされていた。


爪で引っ掻いたんだろう。


綺麗な見た目とは裏腹に、平良は自分のことに関してはガサツで適当だ。


「祥香かさぶた剥くの好き?剥がしたかった?」


「なんでそっちに行くんですか、好きじゃないです!あれは自然に剥がれるまでそっとしておくべきなんです!痕が残ったりするから!だから、もうちょっと絆創膏貼っておいてって言ったのに」


「ごめんねー。意外と動かすから気になって。まー男はこんなもんだよ」


「もーちょっと大事にしてください」 


呆れ顔で言い返したのに、平良は笑みを絶やさない。


「なんでそんなに嬉しそうなんですか?」


「えーそんなの決まってるでしょ、祥香が俺のこと気に掛けてくれるからだよ」


真顔で返されてしまった。


「祥香のことはうんと大事にするよー」


さらりと付け加えられた言葉に、飛び上がりそうになった。


何でそんな、当たり前みたい・・


「わ、私じゃなくてっ」


カバンの中から先日のポーチを取り出す。


裁縫セットとハサミとリップ、それから絆創膏が入っている。


祥香がいつも持ち歩いているものだ。


「平良さん、手!」


絆創膏のフィルムを剥がしながら呼びかける。


「はーい」


やっぱり甘ったるい返事が返ってきた。


こんな声ひとつだけで心の奥が疼くから困る。


「もう、触ったら駄目ですよ?」


「また絆創膏貼り替えてくれる?」


首を傾げた平良が、祥香の耳元へ問いかけた。


「・・・はい」


不承不承言った筈なのに、喉から出た声は驚くくらい弱くて、震えていた。

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