第23話 とびきりの変化は、牽制

さて部屋に向かおうとエンジンを切ったら、バックミラー越しに人影が見えた。


角の電柱の影に隠れるようにしてハイツを見上げている一人の男。


思い当たる節があり過ぎる。


一人で帰さなくてほんっとによかった。


車を降りた俺は、壁沿いに移動して、男の死角になる場所で立ち止まる。


送って貰った社員データの写真と同じ人物だった。


あーあ、一瞬でもあの子の気持ちがこの優男に惹かれたのかと思うと腸が煮えくりかえるんだけど。


顔の系統が同じ?雰囲気が似てる?


今井ちゃんはこいつのせいで俺を過剰に警戒していた。


どう考えても俺のほうがいい男でしょ?


一発どころか二発位殴ってやりたいけど、その手で今井ちゃんに触るのが死ぬほど嫌だ。


今は怒ってる場合じゃない。


相手が分かったなら、やることはただひとつ。


「木下喬一くん」


死角から踏み出して名前を呼ぶ。


「!?」


いきなり名前を呼ばれた木下は、俺の顔を見て慌てて背を向けた。


逃げ出そうとするその肩を掴んで、すぐ隣の壁にぶつける。


コンクリート壁に鈍い音が響いた。


ついでに手の甲に焼けるような痛みが走った。


「逃げるってことは、やましい事した自覚があるんだな」


「あんた誰だよ!」


「あの子の・・今は保護者」


さしずめ適当な答えが見当たらないので、とりあえずそういうことにしておく。


彼女、と堂々と言い切れる答えを、俺はまだ貰ってない。


「は?・・祥香の?あいつから俺のこと聞いたのか!」


うーわ、死ぬほどムカついた。


思い知り不審な表情になった本物の不審者の襟首を掴んで捻る。


「気安く呼ぶな。お前が、あの子の腕掴んで部屋に押し入ろうとしてる所を見てた住人がいる。

こっちはストーカー被害で訴えてもいいんだよ」


「な・・」


青ざめた木下が、捻り上げる俺の腕を掴む。


荒事は得意じゃないけど、宗方から遊び半分で習った組み手がこんな所で役に立つとは。


「ちょっと調べさせて貰ったけど、お姉さん結婚決まった所らしいね。弟がストーカーで警察沙汰になったら大変なんじゃないかな?因みに、お前の会社はうちの系列会社だから、一通り情報は握らせて貰ってる。俺の気分次第で、役員から直属の上司まで、この件筒抜けにする事も出来るよ?あの子が会社辞めた時期と照らし合わせりゃ誰も疑わないだろうな。このご時世、結婚相手探しも、再就職もなかなか厳しいと思うけど?」


人事部のコネを使って、今井ちゃんが勤めていた系列会社の人事情報を調べて貰った。


あの子の配属先と木下という名前で、ヒットした。


姉の結婚云々は、うちの会社の営業マンの振りで、ヘッドハンティング装って配属先に電話を架けた時に、対応してくれた事務員から聞き出した。


みるみる真っ青になった木下の手から力が抜けていく。


ずるりと落ちた力ない手を見下ろしても、俺の力は緩めない。


「お前がつけたあの子の傷は、俺がこれからドロッドロに甘やかして無かった事にするから。でも、お前があの子を傷つけた事実は、無かった事にはならない。俺は見た目ほど甘くないよ?お前がこれ以上あの子の側をうろつくなら、すぐにでも」


「に、二度と彼女には近づきません!」


震える声で木下が言った。


もう頭の中は自分の保身でいっぱいだろうな。


俺は、とりあえず望む言葉が引き出せたので憤りの半分は掻き消せた。


さて、残りの半分は。


締め上げていた手をそっと離すと、木下が漸く息を吐いて、肩の力を抜いた。


その隙を狙って足払いをかける。


アスファルトの上に見事に転んだ木下が、驚愕の表情でこちらを見上げた。


可愛い造形はしてるけど、今は見る影もない。


「もう行っていいよ」


これで残りの憤りも、こいつへの用事も無くなった。


俺は急いであの子の元へ向かう。


走り去る足音が聞こえたけれど、振り向くことはしなかった。


退場した悪役に用は無いからね。








・・・・・・・・・・・・・・・・












階段を上って、彼女の部屋のインターホンを鳴らす。


「開いてまーす!」


即座に返事が返ってきた。


もうちょっと危機感持ってよ、俺じゃなかったらどーするの?


もうそんなだから、放っておけないんだよ。


というか、これからは絶対放っておかないけど。


俺の部屋オートロックでよかった。


この子を一人にしといても、ウッカリ施錠忘れを防げる。


「遅かったですね、見に降りようかと思ってた所です」


ドアを開けると、紙袋を手にした今井ちゃんがこちらに向かって歩いてくる所だった。


「ごめんね、煙草吸ってた。それより、無用心だよ、すぐ来なかった俺も悪いけど、鍵はちゃんとかけなさーい」


「ごめんなさい!平良さんのお家では気をつけます」


「俺の家じゃなくても気をつけるの。心配してるんだよ」


「あ・・ごめんなさい」


「うん、いいよ。

うちオートロックだし、俺もこれからはより一層目を離さないからねー」


意識はして欲しいけど、困らせたい訳じゃない。


その加減が物凄く難しい。


「上がっていい?」


「あ、はい!どうぞ!すみません、気がつかなくて」


「お邪魔します。運んでいいやつどれー?」


不躾でない程度に室内を見回す。


この前は部屋の中をまじまじ眺める余裕がなかった。


上がってくださいと訴える彼女の背中を見つめながら、この部屋に上がった後の自分の行動を予想して、踏みとどまった。


あんな状態の今井ちゃんとふたりきりでいて、何もしない自信が無かった。


俺のとこに駆けよって来た時の泣きそうな顔思い出しては、手を伸ばしそうになったけど。


でも、今日は違う。


俺はさっきの一件で幾らか落ち着いたし、冷静だ。

 

玄関すぐにキッチンがあって、その奥が8畳程度の和室になっていた。


カーテンの色もベッドカバーの色も淡いグリーンで統一されている。


水切りカゴの食器、冷蔵庫の上に置かれた調味料、ベッド横の飾り棚、そこかしこに今井ちゃんの気配が溢れている。


あれ、落ち着いた筈なのに・・


女の子の部屋に行くのは初めてじゃない。なのになんで、こんな緊張してんの?俺。


ああ、そっか、ここは、俺が、好きな女の子の部屋だからだ。


完全に今井ちゃんのホームで、彼女が一番落ち着ける場所。


そこに入っていいよ、って言われたことが物凄く嬉しかったのか。


すげー単純、でも、すげー嬉しい。部屋の匂いも、照明の色も、何もかも記憶しておきたい。


「こっちの紙袋お願いできますか?

あと、お鍋とフライパンと、ザルとボウルと調味料も一式・・」


「うんうん、いいよー。全部持って帰ろう」


荷物が多ければ多いほど、今井ちゃんの内側を取り込めた気がする。


調理器具が入ったカゴを持ち上げると、今井ちゃんが申し訳なさそうな顔になった。


「沢山ですみません」


「キッチンがら空きだからね、使ってくれた方が嬉しいよ」


「はい。じゃあ、それお願いします。後は」


押し入れの方へ視線を移した今井ちゃんが、何かに気づいて俺の事をもう一度見た。


驚いた表情で指差してくる。


「平良さん!血!手から血が!」


悪役撃退した時に作った傷だ。


見ると手の甲に赤い線が数本走って血が出ていた。


「え?あーさっき・・塀でちょっと擦った、大したことないよ」


「大したことあります!こっち来て下さい!

水で洗って!!」


立ち上がった今井ちゃんが、俺の腕を掴んでキッチンへ向かう。


持っていたカゴは下ろされてしまった。


流しで傷口を水で流す。


あー改めてこうするとやっぱり痛いや。


今井ちゃんはベッド横の飾り棚の前にしゃがんで、絆創膏を探してるようだ。


「絆創膏、絆創膏・・あ、カバンの中にも入ってる!」


居心地の良いこの空間に、あの男の事も招き入れたの?こんな風に心配したりした?


名前で呼び合って・・


俺の部屋に持ってきていたカバンから、小さなポーチを取り出す彼女の横顔を見つめる。


気付いたら呼んでいた。


「祥香」


「はい!ありましたよ、絆創膏」


自然と返事して振り向いた今井ちゃんが、こちらにやって来た。


俺の前で立ち止まって、視線を合わせて大きく目を見開く。


「祥香」


瞬きして、絆創膏を持った手を意味なく動かしながら、頬を染めていく彼女が、無表情の俺をまじまじ見て、思い切り狼狽えた。


「呼んだら駄目です!」


「・・なんで?」


思い切り声のトーンが下がった。


あの男には呼ばせてたくせに。


祥香が後ずさったせいで開いた距離が悔しくて、もどかしくて、一歩近づく。


ちくしょう。思い切り目をそらされた。


絆創膏を持った手を頬に押し当てて、祥香が首を振った。


「っ!ドキドキするから!」


時が止まった。


ええ、待ってよ、それは、違うだろ。


やばい、頬が緩む!心がフニャフニャになる。


どうしよう、ふたりきり、目の前には大好きな女の子。


俺こんな純粋じゃない筈なのに。


祥香には見せたくない、不健全極まりない過去の恋愛は丸ごと纏めてゴミ箱に突っ込もう。


「それ、駄目な理由になんないよ?」


「なります!」


「ええー、嫌だ。一瞬に暮らすのに」


「それは、一時的な事ですから!」


「祥香」


「・・だから」


「祥香」


もう一度呼んだら、祥香が眉根を下げた。


あ、これは了承だ。


「っ!手、貸してくだい。絆創膏貼らないと・・」


差し伸べられた掌に、右手を預ける。


伏し目がちな彼女の耳元でもう一度名前を呼んだら、困った顔で返事が返ってきた。

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