第22話 とびきりの変化は、ドライブ

「荷物取ったら、買い物行こうかー」


ハンドルを握る平良が、ウィンカーを出しながら問いかける。


メガネを掛けている彼の横顔は見慣れていないせいもあって、さらに緊張が倍になる。


当たり前のように助手席に収まったけれどよかったんだろうか?


はいどうぞ、とナチュラルにドアを開けてくれた平良の言葉に従った訳だけれど、ここは、その、彼女が座る席では?と思ってしまって、今の自分の立場を振り返って、この選択で正解なのかという疑問が浮かんでは消える。


黙り込んだ祥香に一瞬視線を送って、平良が訝しげな表情になった。


「今井ちゃん?」 


心配そうな声色に我に返った。


考えない、考えない!


「あ、はい!是非お願いします!平良さん、今日と明日は、家にいますか?」


「うん、そのつもり。今日は片づけで終わりそうだけど、明日どっか行く?」


「私に気を遣わなくていいですよ、来週から展示会ですし、のんびりしましょう。


よければ、おうちご飯、しましょう」


平良さんにしてあげられる事があるうちは、ここに座る権利があると思うことにしよう。


祥香の言葉に、平良が楽しそうに頷いた。


「いいねー、今井ちゃんの好きなケーキも買って帰ろうね。

行きたいスーパーあったら教えてー

車あるから、いつも行けないとこでもいいよ」


「ほんとですか!?」


この提案は物凄く嬉しかった。


近場のスーパーもそれなりに便利だが、独り暮らしでは絶対に行けない、海外の大型スーパーが前から気になっていたのだ。


ファミリーサイズのパンやケーキが大量に並ぶ様子をテレビで見ていて、いつか行きたいと思っていた。


市内の外れに店がオープンしたのは随分前のことだ。


これから当分は二人暮らしだし、有難い事に平良の部屋の冷蔵庫はファミリーサイズの本格的なものなので、保存が利く。


出掛ける前に冷蔵庫と冷凍庫の空っぽ具合を確かめてきたので、何でも入る自信もあった。


名前しか覚えていない大型スーパーの名前を出した祥香に、平良はあっさりと了承した。


「俺も行ったことないけど、場所は大胆分かるし、後でナビで調べよう・・嬉しい?」


車のある生活に慣れていない祥香には、何もかもが不思議で特別な事に思える。


電車とバスの乗り継ぎを調べるのも面倒で、もういいかと諦めた事が何度もあった。


行きたい場所にいつでも行けるなんて、最高に贅沢だ。


「はい!すっごい嬉しいです!」


全力で訴えた祥香に、平良がよかった、と笑い返す。


和やかな空気に、緊張も少しずつほぐれていく。


「さっき食べたアボカドとサーモンのサンドも、凄く美味しかったです。


あんなお洒落なお店知ってるなんてさすがですね」


平良が祥香を連れて行ったのは、朝9時から開店しているお洒落なカフェだった。


隠れ家風のこじんまりとした店は、ナチュラルカントリーの家具で纏められた雰囲気の良い作りだった。


いかにもデートで行きそうなお店だ。


「いい店だったよね、宗方にお礼言わないとな」


「え、宗方さんから聞いたんですか?」


「そうだよ、あいつの趣味は、橘が好きそうな店を探すことだからね。


アボカドとサーモンて、もう女子のテッパンでしょ」


「・・はい」


「女の子から教えて貰ったわけじゃないよー」


「私、何も訊いてません!」


「んーそうだねー、俺の独り言だよ」


笑みを含んだまあるい声が返ってきて、悔しくなる。


綺麗に心情を見透かされた憤りをどうにかしようと、祥香は燻っていた質問をぶつけた。


「・・あのお部屋には何人女の子呼んだんですか?」


「ひとりだけ」


ひとり!?


その答えは予想していなかった。


逆に彼が部屋に招き入れた唯一の存在が物凄く気になる。


住まいを見せる事は、自分の生活や価値観も曝け出す事だと思ってしまう。


だから、よほど親しい間柄でなくては家には呼ばない。


平良がパーソナルスペースを見られても良いと思った相手。


きっと、本気で好きになった人なんだろう。


自分の中に芽生えた意地悪な感情にへこみそうになる。


平良の余裕が、酷く癪に障る。


私は、何も答えを出してないのに・・


「誰か気になる?」


なりません!と言い返せばよかったのに、出来なかった。


胸に広がっていく焦りと劣等感。


彼の隣にあり続けようと思えば、ずっとこんな気持ちと戦う事になるのだ。


「不毛なヤキモチ焼かないほうがいいよ」


さもありなん、と、教えでも説くように告げた平良の方を睨む。


ちょっと黙って下さいと言いかけた祥香よりも早く、平良が答えを口にした。


「呼んだの今井ちゃんだけだから」


「・・・っ」


「ね?自分で自分にヤキモチ焼くなんて不毛だろ?」


安心させるように、平良の手が祥香の頭を撫でた。









・・・・・・・・・・・・・・・・









「車ちょっと寄せるから、先に部屋行ってていいよ」


「はい、分かりました」


ハイツの前でまだ少し顔の赤い今井ちゃんを降ろして、俺は路肩に車を停めた。


ドライブにはもってこいの快晴。


隣には大好きな女の子。


しかも確実にあの子の気持ちはこちらに傾きつつある。


もうこのままどこか遠出でもして、ふたりで休日を満喫したいくらいだ。


でも、部屋から荷物を取って俺のマンションに帰っても、ふたりきりの状況は何ら変わらないわけで・・だったら、さっさと用事を済ませて、買い物をして、今井ちゃんを連れて帰ってゆっくりしたい。


パニック半ばのあの子を上手く丸め込んで部屋に連れて戻ったものの、いざ自分の部屋に着いたら、どうやって平静を装えばいいのか分からなくなった。


あの子の部屋では我慢出来た色んな事が、我慢出来なくなりそうで、ひたすら距離を取った二日間。


ようやく俺の気構えも出来て、どうにか狼狽えずに居られるようになった。


こっちの緊張が伝われば、今井ちゃんはさらに身を固くする。


俺が唐突過ぎる告白をしたせいで陥ったこの状況プラス不慮の事故。


今井ちゃんのアレは、答えじゃない。


嫌う理由がない、は告白にならない・・多分。


俺が駆けつけたと同時に抱きついてきたのは、不安故でそれ以上の理由はない・・多分。


だけど、あの子の表情の端々に見え隠れする柔らかくて甘い仕草は、間違いなく俺のことを意識していた。


もう一度、今度はこっちから抱きしめてみようかと思ったけれど、怖くてやめた。


拒絶されるのが怖い。


当然のように助手席に案内した時の、戸惑った顔、さっきのやりとりで、ふて腐れて俺を睨んだ顔、もう全部が可愛いかった。


助手席には、これからずっと他の女の子は乗せないし、俺の部屋に帰って来ていいのも、きみだけだよ。


尋ねてくれたら何でも答えて安心させてあげるのに、あの子は俺に何も訊かない。


だから、さっきの質問は凄く嬉しかった。


俺に興味がないと出てこない質問だろ?あれは。


こちらの出方を探るように、少しずつ少しずつ近付いてくる彼女。


一足飛びにならないように、慎重に手を伸ばせば逃げずにいてくれる事を知ったから、尚更手放せなくなった。


あんな風に触るつもりは無かったんだよ。


捕まれた時の赤い痕が無くなってる事に気付いて、確かめるように触れたら、何かもう夢見たいに柔らかくて、離したくなくなった。


慌てるかと思ったけれど、今井ちゃんは黙って俺の指を目で追っていた。


気まずいはずの沈黙が意外と心地よくて、俺はやっとあの子の薄いヴェールを一枚剥ぎ取れた気がした。


もっと他の場所に触れたらどうなるんだろうとぼんやり浮かんだ疑問をかなぐり捨てて、よかったね、と笑って指を解くのには相当の努力が要った。


一瞬ね、ほんっとに一瞬だけ、抱きしめてしまおうかと思ったのは秘密で。


そんな事したら、俺の頭も計画もこの恋も木っ端微塵になっていたと思う。


だってもうほんっとに隙だらけだったんだよ!!


頼むから、一言でいいから好きって言ってよ。


そしたら目の前の問題全部、何もかも綺麗に解決するんだよ。


俺が自分の部屋に連れて帰った時点で、どういうつもりかなんて分かるでしょ?


俺がいないとこで、俺の知らない他の男に、きみが傷付けられるなんて耐えられないからだよ。


俺じゃない誰かとの記憶が残る部屋に、一秒だって置いときたくなかったんだよ。


俺の部屋に囲い込んで、一緒に過ごす時間が増えれば、好きになってくれるんじゃないかって、馬鹿みたいに期待したからだよ。


出来ればこのまま俺のこと好きになって、一緒に暮らしてくれないかなって、そこまで考えてたのに。


なんでそこで、引っ越します、なの?


部屋を出ます、までは俺の描いたシナリオ通りだったのに。


じゃあすぐに部屋引き払って、ずっとここでふたりで暮らそうね、と言おうとした矢先。


あの子の口から飛び出したのは、俺が考えもしなかった答えだった。


甘えていいよ、俺のこと頼ってよ、って両手広げてた俺のことは綺麗にスルー。


自立心の強いしっかり者だとは思ってたけど、ここまでとは。


そこはね、ありがとう、頼りにしてるねって言ってくれればいいんだよ。


まあ、そういう思い通りにならないとこが、今井ちゃんらしいな、とは思うんだけど。


思い切り進路変更を余儀なくされた俺は、ひとまず部屋探しを先送りにして、ふたりの生活へと意識を向けさせた。


期限はひとまず一ヶ月。


俺はその間にあの子の心を完全に手に入れないといけない。


あー早くホンモノの新婚さんごっこがしたい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る