第18話 とびきりの変化は、告白

何となく間宮の頭を撫でるのをやめられなくなっている事に気づかれてしまった。


手持ち無沙汰なのと、昔、弟に同じように膝枕したことを思い出したのだ。


「そんな事ないですよ。でも、こんな無防備な顔されたら、守ってあげなきゃって思いますよね」


お酒を飲むようになってから、一度も酔い潰れた事はないし、帰れなくなった事も無い。


当然親以外の膝枕にお世話になったこともない。


独り暮らしをするようになってから、さらに慎重になったし、用心深くもなった。


女友達とどれだけ仲良くなっても、こうは出来ない。


怖がりだし、失恋以来さらに疑り深くなった。


そんな自分は嫌だけど、自分を守れるのは自分しかいない。


平良さんの言葉はマシュマロみたいに柔らかくて、苦い過去を包み込むけど、心から頷くことは出来ないよ・・


私はどうしたって一生間宮さんにはなれない。


そういう風に出来てない。


「間宮はオンとオフの差がめちゃくちゃ激しいから 。運転手さん、左手に見えてきた茶色のマンションの前で停めてください」


平良の指示に従って、運転手がウィンカーを出す。


「おーい間宮-、家着いたよー」


肩を軽く揺さぶると、間宮が返事した。


「うぁいっ!降りまぁーすっ」


本当に大丈夫なのかと思ったが、意外にもタクシーから降りる足取りはしっかりしていた。


少し眠ったのがよかったのかもしれない。


平良と祥香に向かって大仰に手を振って見せた間宮が、

上機嫌で挨拶をする。


「平良さん、さっちゃん、ありがとうございましたー!おやすみなっさぁーい!」


「明日寝坊するなよー」


「酔い覚めるまではお風呂駄目ですよ!お疲れ様でした。おやすみなさい」


7階建てのワンルームマンションに入っていく間宮の姿が見えなくなるまで見送って、再びタクシーに乗り込む。


今度は、平良は祥香の隣に腰を下ろした。


さっきまで間宮が居た距離に、平良の存在を感じると何となく落ち着かない。


この間、車に乗せて貰った時よりも距離が近く感じる。


運転手が後部座席を振り向いて、次はどちらに?と尋ねた。


土地勘が無い祥香には、ここがどの辺りか全く分からない。


ハイツの名前を言っても場所は分からない気がする。


駅まで戻れば道を説明出来るかもしれないが自信がない。


「えっと、平良さん、私ここから家までの道が」


「うん、大丈夫。運転手さん、来た道戻って、国道出て貰えますか?その後は西方面に走って下さい」


迷うことなく指示を出した平良に、感嘆の眼差しを向けると、その視線に気づいた平良が軽く首を傾げた。


「ん?」


「この間の一回で道覚えちゃったんですか?すごい・・」


展示会の下見の帰りにハイツの前まで送って貰ったのだが、二週間前の事だ。


祥香はどの道を通って帰ったのかも記憶にない。


平良の運転は丁寧で安心出来た。


緊張はしたけれど、助手席に座っている時間は苦痛では無かった。


「運転すると自然に覚えるんだよ。俺この辺り長いしね。今井ちゃん、間宮の相手疲れたろ?」


「大丈夫ですよ、平良さんこそお疲れ様です」


「俺は慣れてるから平気。今日は歩いて部屋まで行ってくれたからよかったよ。もっと手ぇかかる日はずーっと背中で泣いてたりするし」


あー慣れてるんだ。


口を突いて出そうになった感想は飲み込む。


別に羨ましくなんかない。全く。


間宮はフロアのメンバーほぼ全員と仲が良いし、良く飲みにも行っている。


休日に遊びに行ったりもしているようだった。


過ごしてきた時間の長さがそもそも違うし、私は期間社員だし。


胸にわだかまるザラザラした感情は見ない振りをした。


「間宮さんがあんなに酔っぱらったの初めて見ました。いつも飲んでも、ちょっとテンション上がる位だったのに」


「今日は橘いないから、更に飲みすぎたんだろうな。あいつあー見えて真面目で世話焼きだからさ、宗方から橘の事頼まれたら、ちゃんとペース守って橘の事も見てるんだけど・・まー日頃頑張ってくれてるから、こーゆー時は世話してやんないとね」


後輩を思う優しい言葉なのに、頷けないのは何でだろう。


優しいですね、平良さん。


そういつも通り言えばいいはずなのに。


気づけば不機嫌な声になっていた。


「平良さんは、ほんとに良く間宮さんの事見てますよね」


こんな事言ってどーするのよ?これじゃあまるで・・


違う、違う。


よく見てるのは間宮さんだけじゃ無いのに、分かってるのに、何でそんな事言うの?


「そんな事ないよ」


「無いことないです」


これじゃあまるで駄々っ子だ。


情けない・・


顔を見もせずに突っ張ねた祥香の隣で、平良が小さく笑った。


「俺は、今井ちゃんの事も見てるつもりだけどなー」


ああ、また巧みなフォロー。


分かってます、割り切ってます、今更意識なんてしませんから。


そうやって、皆にいい顔するから、勘違いしちゃうんですよ、これだからモテ男は。


もうやだ、絶対酔ってる・・間宮さんが居なくなって気が抜けたのかもしれない。


さっきより、頭も身体も重たい。


私は間宮さんじゃないんだから、あんな風に絡んだり甘えたりなんて、絶対出来ない。


しちゃいけない。


しっかりしてよ、自分!!


「っ!ちゃ、ちゃんと周りの事全部気に掛けてるの知ってますっ!も、もう忘れて下さい、すみませ・・」


自分が作り出した気まずい雰囲気をどうにかしようと、酔ってるみたいです、と言おうとした祥香の手を、平良が握った。


「平良さん?」


振り解ける位の弱い力で、まるで祥香の刺々しい気持ちをくるみこむように、優しく手の甲を撫でる。


包み込まれた指が震える。


どういう事?


平良さんも実は酔ってる?


伺うように恐る恐る視線を向けると、暗がりの中で静かにこちらを見つめる平良の眼差しとぶつかった。


タクシーの無線の声だけがやけに響く車内に、沈黙が横たわる。


読めない彼の表情から、真意を汲み取ろうとするけれど、彼の目を見つめ続けるということは、同じように、自分も見られる事になると気づいて、早々に白旗を上げた。


僅か数秒間の事なのに、息が止まるかと思った。


どうしよう、頬が熱い。


平良が少し身体を傾けて、祥香の耳元に顔を近づけた。


内緒話でもするように、平良が囁く。


「この前、今井ちゃんが俺に、勘違いはしません、って言ったけど。俺は、一等気に掛けて、優しくしてるつもりだったんだよ、きみには。下心なんて有りまくりだよ、最初っから」


「っえ・・?え?」


目を白黒させる祥香を見つめて、平良が眉を下げた。


「だから、間宮にヤキモチ焼かなくてもいいよ 」


「っ!?」


びっくりしすぎて、違います!と否定できなかった。


嘘でも否定しなきゃいけなかったのに。


びくりと肩を震わせた祥香の手をそっと解いて、運転手に道順の続きを告げると、平良が前髪をかき上げた。


「ごめんね、そういう反応になるような気はしてたんだけど。なんか、俺もどのタイミングで訂正すりゃいーのか分かんなくて。今井ちゃんあれから普通に話してくれるから、嬉しくて、尚更言えなくてさ」


「え、あの」


つまりこれは、告白?まさか。


平良の言葉を咀嚼して飲み込んで、祥香はますますパニックに陥った。


「困るよね、ごめんね。とりあえず、連絡頂戴とか言わないから、今は俺の気持ちだけ覚えといて」


平良さんの気持ち。


じゃあ、社内便手伝ってくれたのも、会議室のセッティング手伝ってくれたのも、買い出し手伝ってくれたのも。


展示会の下見でワンピースを誉めてくれたのも、デザートビュッフェで優しく手を振ってくれたのも。


連絡先聞いて来たのも、名刺渡したのも。


全部!全部!?


どくんと心臓が撥ねた。


何か言わなきゃ気まずすぎる、こんな時どうしたら良いか分からない。


だって告白されたことなんてない。


静か過ぎる車内。


エンジン音が追いかけてくる錯覚に陥りそうになる。


連絡先!


平良の言葉に、唯一生き残っている僅かな思考が唇を動かした。


声も震えてしまう。


平良さんが私を好き?好き?駄目、訳が分かんない。


「あ、あの、私、も、貰った平良さんの連絡先、登録したんです・・でも、れ、連絡出来なくて、ごめんなさい」


「登録してくれてたんだ」


「はい」


「そっか、ありがとう」


優しい声に引き寄せられるように顔を上げかけて、引き戻す。


今視線を合わせたら、とんでもない事を言ってしまう、絶対。


そのまま顔を窓に向けたら、赤信号でタクシーが止まった。


街頭の明かりと見慣れた看板に、ここが家のすぐ近くであることに気づいた。


早くなる一方の鼓動を抱えて、彼の隣に後数分座り続ける自信がなかった。


「あの、私ここで大丈夫です!降ります!運転手さん、ドア開けてください」


「え、今井ちゃん!?家まで送るって」


慌てる平良を振り切るように、開いたドアから車外へ降りる。


ひんやりとした夜の空気が肌と、頭を冷やした。


うん、この選択で間違ってない。


ここは撤退が望ましい。大丈夫だ。


「ほんとに大丈夫です!平良さん、お金明日清算させて下さい」


「そんなのいいから!じゃあ、約束して。家着いたら、電話して。メールじゃなくて、電話して、心配だから」


伸びてきた手が祥香の手首を捕まえる。


これ以上は逃げられない。


「わかりました」


勇気を振り絞って答えると、平良はゆっくり指を解いた。

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