第16話 とびきりの変化は、鮮明
「なんかちょっと新鮮ですね・・」
「そう?俺はかなり新鮮だよ」
「・・え?」
「もうねー、さっちゃんがこっちに歩いてくるのがバックミラー越しに見えた瞬間に、平良さんすっごい動揺しちゃって!あれ今井ちゃん?今井ちゃん?って」
「馬鹿、そんな聞き方はしてないだろ、もう間宮煩いよ」
「ええーだって本当の事ですしー!だってもうすんごい可愛いですよね!いつもの2割増しは確定ですよね!」
「ちょ、間宮さん、お世辞はいいですっ!ずっと着てなかった服なんで、弄らないでくださいっ自分でも微妙かなとは思ってるんですっ、でも、デザート食べるからお腹苦しいの嫌だなって・・」
「全然微妙じゃないよ、可愛いよ」
「っ・・」
「お世辞じゃなくてね」
さすがだ、こういうフォローも抜かりない。
「あ、ありがとうございます」
リップサービス、リップサービス。
分かってるのに、応える声が上擦ってるのは仕方ない。
だってこのシチュエーションで上擦ってなかったら嘘でしょう?
「うんうん、可愛いよー、うちの会社服装規定緩いし、うちのフロアは来客対応もほぼ無いから、もっと緩いしー、可愛い恰好して来てよー。女の子万歳しようよーお」
後部座席から身を乗り出した間宮が、祥香の顔を覗き込む。
ピンクのマスカラで塗られた睫毛が震えている。
こんな所まで女の子、なんだなぁ・・・
間宮は確かに標準体型よりややぽっちゃりしているが、それでも物凄く可愛い。
うん、体型は関係ない、可愛い。
「平日はちょっと・・あれですけど・・・ありがとうございます。勇気を出して着てみて良かったです」
同僚への社交辞令であっても、可愛いと声に出して貰えるとそれだけで嬉しい。
ほんの少しだけ、前向きになれる気がする。
海沿いのイベントホールは、かなりの強風だった。
膝丈の裾を押さえながらエントランスを抜けて中に入ると、ガラス張りの大きなフロントゾーンの奥に、4つ扉が並んでいて、その奥がイベントホールになっている。
かなり大きな会場だ。
現在はだだっ広い床が広がるばかりだが、ここに骨組みを組んで、メインステージが作られて、各会社のブースが設置される。
関西に拠点を置く宝飾品メーカーが一堂に会する、年に一度の大イベントだと間宮が説明してくれた。
会場の入り口で、美青と連れ立ってきていた宗方と合流して、五人で中に入る。
宗方が事前にホールに下見に向かう連絡を入れていたらしく、係員も慣れた様子で通してくれた。
それもそのはずだった。
同じように下見にやって来た会社がいくつもあって、すでにホールの中にも何人もの人がいた。
照明や電源の位置、ブースの配置について意見が飛び交っている。
こういう現場が初めての祥香にとっては、何もかもが新鮮に映る。
「橘さん、体調大丈夫ですか?」
「心配かけてごめんね、微熱なんだけど、宗方が煩くって。薬飲んだから平気。でも、さすがにデザートがっつりてわけには行かないから、下見が終わったら、先に帰らせて貰うね」
「それはもう・・デザートビュッフェはまた今度にしましょう」
「それは駄目、勿体ないよ。平良さんががっつり奢る気でいるから、心行くまで食べて来て」
「え、そんな・・・」
「いいから、菜々海もそのつもりにしてるし。多分、今回の展示会では色々手伝って貰う事になるから、今のうちに労われといて損はないよ」
「それは仕事ですから、勿論。無理せずお家で休まれてる方が良かったんじゃないですか?」
いつもより上気して見える頬が熱のせいだとしたら、無理はしない方がいい。
過剰に心配しているのなら、こんな日に家から出すのもではない。
少しだけ宗方に対して恨めしい気持ちになっていると、美青が首を振った。
「来年からね、展示会サポートメンバーに入れて貰うつもりだから、勉強で来たのよ。いつまでも宗方にばっかり任せてらんないでしょう?今年は、手持ちの仕事があって参加出来ないけど、来年は絶対やりたいから。こういう展示会、今井ちゃん見た事ある?」
「いえ・・宝飾品自体にも殆ど興味が・・無くて・・憧れは、あるんですけど」
その憧れは、もう過去のものですけど。
「社外向けの商品説明とか、かなり凝ってるから面白いよ。
うちの拘りが詰まってるから、楽しみにしてて」
「はい!」
「美青ー間宮、配線関係の説明訊くけど」
「今行く」
ホールの管理室から担当社員が来て、下見に来ているいくつかの会社に向けて説明を行うらしい。
じゃあ、ちょっとごめんね、と間宮を引き連れて美青が宗方の元へ歩いていく。
残った祥香はどうしようかと思っていると、照明の説明を受けていた平良が祥香に向かって手招きした。
数人の男性が、天井を指差して何やら話し合いをしている。
ここに割って入っていいものかと迷ったが、ホールにぽつんと突っ立っているのも手持無沙汰だったので、平良の元へ向かう事にした。
設計図を見ながらやり取りを続ける平良の後ろについて、邪魔にならない程度に手元を覗き込んでみる。
ここに入るには、出展者パスを受け取って、専用入り口から入る事が必須という情報だけが、今のところ祥香にとって有益なものだった。
一通りの説明を終えた担当者が、ぐるりと平良たちに視線を向けた。
「では、外に質問はございますか?」
「いえ・・」
「こちらは特に」
他者の人間が答えていき、担当者が平良とその後ろにいる祥香に視線を向けた。
「特にはないです」
応えた平良が、担当者の視線に気づいて祥香を振り返る。
同じように説明を受けに集まった人間のようにも見えるが、格好からして、出展者の人間には思えなかったらしい。
思いきり訝しげな視線を向けられて祥香は狼狽えた。
やっぱり、いつものようにモノトーンで来ればよかった?
困り顔の祥香の背中を軽く叩いて、平良が担当者に向き直る。
「うちの子なんで」
「左様でしたか、失礼しました。では、他にご質問が無ければこれで、終了させて頂きます」
「ありがとうございました」
挨拶を交わしてそれぞれの持ちスペースに戻って行きながら、祥香はこっそりため息を吐いた。
格好もうちょっと考えれば良かった。
そんなため息が聞こえたのか、平良が祥香を一瞥して、くすりと笑った。
「デートだと思われたかな?今井ちゃんが可愛い恰好してるから」
「っは!?」
自分でも驚く位大きな声が出た。
「っはは!今井ちゃん、びっくりしすぎだよ」
平良が苦笑を返した。
★★★★★★
「さあさあ、お嬢さん方、好きなものを好きなだけ食べなさい」
テーブルに着くなり鷹揚に手を広げて俺は言った。
だってもう物凄く気分がいいからね。
三人分のデザートビュッフェ代なんて、痛くも痒くもない。
約束だからと、遠慮する今井ちゃんとしたり顔の間宮を連れて宗方が予約していたデザートビュッフェに向かったのは午後2時過ぎの事。
さすがの人気店、賑わいが半端ない。
白い大皿を手に、意気揚々とケーキコーナーへ繰り出して行った二人の背中を見送りながら、俺は後ろ姿でもいいからあの格好の今井ちゃんの写真が撮れないかな?と考えた。
もうこのまま帰すのが本気で勿体ない位に可愛い。
朝の電話で宗方からたたき起こされた時には、俺、深夜までサーバーメンテでさっき帰って寝たとこだけど、貴重な休日をどうしてくれる?と憤りを覚えたけれど。
”これから俺と美青と、間宮と今井さんで、展示会会場の下見行く予定なんだけど、美青が熱っぽいから、お前間宮と今井さん迎えに行ってくれないか?”
と言われた瞬間に眠気なんて吹っ飛んだ。
”は?なんで今井ちゃんが!てか何でお前さ、それ先に俺に言わないわけ!?”
”うるせーな。お前深夜勤務明けだろ?”
”そういう問題じゃねーだろ?お前未だに俺と今井ちゃんの仲割こうとしてんの?ちょっと本気で友情疑うわー”
”引き裂くも何も付き合ってねーだろが。それより、車出せるのか?”
”出すよ!出すに決まってんだろ。どこ行きゃいいの?”
”間宮の最寄り駅に12時半。今井さんの最寄り駅は間宮が知ってる”
”ああ、大体わかる”
”はー・・抜かりないな、さすがだな”
”いや、違うから、まあそうだけど、あの子が普通に教えてくれたから!っつか、おい、宗方!お前これ以上邪魔すんなよ”
”邪魔してねーよ。協力もしてねー、そんだけだろ。とにかく、美青の調子によっちゃ俺行けないから、そん時はお前が”
”ああ分かってるよ、はいはい、責任もって諸項目確認してきますよ”
というやり取りの末、俺は大急ぎで眠気覚ましにもう一度シャワーを浴びにバスルームへ向かって、車を洗って、二人を迎えに行って今に至る。
いやー、早起きするといい事あるわー。
この俺が休日に朝8時前に起きるなんて滅多にないからな。
寝起きは悪くないけど、休日位好きなだけ惰眠を貪りたい。
勿論、あの子が会ってくれるって言うなら、喜んで早起きして家まで迎えに行くけどさ。
俺に気を遣った今井ちゃんが、ドリンクコーナーでコーヒーを入れて来てくれた。
それだけでもう舞い上がりそうになる位嬉しかった。
「平良さんも食べられそうなものあったら取ってきますね!ここのビュッフェは、軽食もあるんで、サンドイッチとかなら大丈夫ですよね?」
「しっかり下調べして来たの?今井ちゃん」
「勿論です、次いつ来られるか分かりませんから」
「・・食べたくなったらいつでも言いなよ」
「じゃあ早速来月の予約して貰いましょうか!」
「お前には言ってないよ、間宮」
「えー・・・もう男ってば可愛い女子に弱いんだからなぁ」
ぷんぷん!と唇を尖らせた間宮に、俺は宣言した。
「今井ちゃんだからだよ」
その格好はデート仕様なの?
その服着て前にどんな男と歩いてたの?
わー気になる、けど訊きたくない。
いつもより甘い匂いがするのは、香水?シャンプー?
それって俺の為に甘くなってるの?
ああとりあえず、何でもいいけどいつもは隠れてる膝小僧がふわほわのシフォンワンピースの裾から覗く度に、俺物凄いドギマギするんだけど。
見ていいのか駄目なのか、すっげ迷うんだけど。
嫌、迷っても見るけどね。
想像以上に白い無垢な脚が、罪悪感を掻き立てる。
ぜんぜんそういう目で見てませんよ、という顔を取り繕っては要るものの、さっきから俺の目線はケーキを前に破顔するあの子に釘付けだ。
目の前で焼き目のを付けてくれるクレームブリュレを見て、間宮とはしゃぐ様子がもう堪らない。
あそこに俺が入ったら、また温度が変わっちゃうんだろうな。
大皿を見れば、すでにいくつかのケーキが載っていた。
間宮と顔を寄せ合って笑ってる。
ああいいな、俺一瞬だけ間宮になりたいかも。
あまりにも凝視していたせいだろうか?
今井ちゃんが、ふいにこちらを振り向いた。
当然あの子だけを見つめていた俺とばっちり視線が絡み合う。
逸らすのは不自然すぎるので、咄嗟に手を振ってみた。
わー周りのテーブルの女性陣の目が怖い。
今井ちゃんが、大皿を持ち上げて、照れ臭そうに微笑んだ。
一瞬胸が苦しくなって、死ぬかと思った。
それと同時に、生足かと思ってドギマギした自分をほんの少し反省した。
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