第15話 とびきりの変化は、提案
「今井ちゃん-!来週の土曜日って暇じゃない?」
月曜日のランチの最中に間宮から尋ねられた時には、どんなアニメイベントに誘われるのかと戦々恐々の思いだったが、まさか展示会の下見だったとは。
特に予定はありませんが、何か?と尋ね返した祥香に、正確な情報を教えてくれたのは一緒にランチを取っていた美青だった。
「来月の関西宝飾展示会の会場が、ベイサイドイベントホールなんだけど、今年頭にリニューアルオープンしてるから、数人で下見に行くつもりなの。仕事じゃないし、無理にとは言わないわよ」
確かに最近展示会向けの会議で抜けるメンバーが多いとは思っていたが、来月に差し迫っていると知らなかった。
来週の会議で展示会の説明をすると宗方が言っていた。
「あー下見・・ですか、でも、私行ってもお手伝い出来ることありませんよね?」
機材のセッティングから操作まで、部門内の人間で全てこなしてしまうし、祥香にせいぜい出来ることといえば、配送便の手配やお茶出し位だ。
何も出来ないのについて行くのは気が引ける。
間宮と美青が気遣って声をかけてくれた事は嬉しいけれど、みんなが下見をしている間手持ち無沙汰というのも困る。
「急にお使い頼まれる事があるかも知れないから、場所は見ておいた方がいいと思うの」
「はあ・・・」
「下見って言っても、ホールをぐるーっと見て、電源とか確認するだけだし、本格的なものじゃないし!何よりね、そのイベントホールの隣がマリンピアホテルでね!」
間宮がどうしてここまで乗り気なのかよく分からない。
マリンピアホテルの名前は聞いたことがある。
結婚式場としても有名で、海と空に囲まれたチャペルが人気だとか。
「そのホテルがなにか?」
「デザートビュッフェがあるんだよー!!」
「!?」
それは初耳だった。
「季節のフルーツやチョコレートをふんだんに使った最高のスイーツでおもてなし!マリンピアホテルへようこそ!!」
まるでホテルの回し者のように朗々と述べた間宮が、芝居がかった仕草で両手を広げた。
本日は赤毛のアンのようなレトロなすみれ色のワンピースを身に纏った彼女のきれいにカールされた髪がふわふわ揺れる。
デザートビュッフェ。
なんて甘美な響きだろう。
大好きなケーキを好きなだけ、誰に気兼ねする事無く食べられたら、こんなに幸せな事は無い。
けれど、デザートビュッフェは種類豊富で味も確かなものを求めると、かなり高額になるのだ。
とてもじゃないが、今の祥香の生活では参戦出来ない。
「お誘いは嬉しいんですけど、気持ちだけ」
「えー!なんでー!行こうよ!タダだよ!?」
「!?」
いますんごい重要な単語が聞こえた。
「お、今井ちゃんの目の色変わった。タダならいいでしょ?甘いもの好きだもんね?」
「よっしゃあ!行こう!行こう!デザートビュッフェ!」
美青に続いて間宮もうんうん頷いている。
え!待って!話見えないけど!?
焦る祥香が、二人に向かって必死に挙手した。
「ちょっと、ちょっと待ってください!タダってどうしてですか?」
「お金出してくれる人が来るから、って言えば分かるでしょ?」
くるみパンを頬張りながら美青が答える。
その微妙な表情に、正解の人物が分かった。
「宗方さん?」
「正解!今回の展示会対応のメイン担当が宗方さんなんでーす!」
「間宮さん・・それは、宗方さんと橘さんがデートついでに下見するべきじゃないでしょーか?」
どう考えたってお邪魔虫だ。
その上デザートビュッフェ代まで出させようなんて恐ろしすぎる。
恐る恐る進言してみたが、間宮はちっちっち!と人差し指を立てた。
「宗方兄さんのアシスタントが私だから!ついて行くのは当然だから!」
「じゃ、じゃあ間宮さんだけご一緒してくださいよ、私そんなところにお邪魔するのはちょっと」
気まず過ぎますから!
ただでさえ胸焼けしそうなイチャイチャを毎日見せつけられているというのに、休日まで一緒とか!
確かに、デザートビュッフェは物凄く惜しいけど。
「私が一人で居たたまれない思いすればいいっての!?目の前で繰り広げられるイッチャイチャ全開のふたりの胸アツラブフォーエバーを前に!?」
「あ、あんたね!ちょっと黙んなさいよ!」
「分かりますよ、分かりますけど」
「分かるなら来てよ-!ケーキ食べようよー!」
「で、でも・・」
「菜々海もこう言ってるから、今井ちゃんも来てよ。デザートビュッフェ代は絶対宗方に出させるから」
「えええー」
「ケーキ食べたくない?」
美青の一言が止めを刺した。
「た、食べたいですっ」
反射で答えた祥香に、美青と間宮が顔を合わせて頷いた。
「じゃあ決まりね」
仕事じゃないし、デザートビュッフェだし、休日に買い出し目的以外で出かけるのは本当に久しぶりだったので、多少浮かれたのは認める。
だって、あの、マリンピアホテルのデザートビュッフェだよ!?
ネットで検索をかけたらすぐにヒットした。
ひと月前から予約可能の人気店は、あっという間に満席になるという。
写真に載っていたデザートのどれも美味しそうな事。
とてもじゃないが贅沢過ぎて派遣社員の祥香にはティータイムに出せる値段ではなかった。
次にいつ食べられるか分からないから、全力で挑まないと。
久しぶりに鏡の前で何度も洋服を迷った。
お蔵入りさせていたクローゼットの端に掛けてある胸下切り替えのワンピース。
締め付けがないところがビュッフェ向けだ。
色味は薄いラベンダー色で、仕事場向きではないけれど、今日くらいいいだろう。
だってこんな事でもないと、きっと袖を通さないままになってしまう。
理由はどうあれ、せっかく声を掛けて貰ったのだから、楽しまなくては申し訳ない。
いつもはひとつに纏めている髪を下して、毛先だけ軽く巻いた。
鏡の前でこんなに長時間座っていたのも随分久しぶりだ。
そろそろ毛先だけ切りそろえに行かなくちゃ・・・
くるんと巻かれた髪を持ち上げて、予定に美容院を付け加える。
だってもう、デートなんてしないし、きっと。
会社用ではない、小ぶりのショルダーバックに、いつもの荷物に加えてリップグロスを追加した。
お出かけだから、これ位は女子の身だしなみだ。
何度か自分の姿を鏡の前で確認して、いつもより軽い足取りで待ち合わせの駅に向かう。
イベントホールは、臨海ライナーの駅沿いに位置していたので、てっきり電車移動だと思ったら、宗方が車を出してくれるという事だった。
恐らく、体力のない美青の事を気遣っての提案だろう。
現地集合でいいですよ、と言ってみたが、言い出したのはこっちだから、と却下されてしまった。
ちなみに、前日に初めて間宮と美青と連絡先を交換した。
万一待ち合わせに遅れた時に、連絡が取れないと困るからだ。
SNSアプリの画面の中に”乙女会”というかなり恥ずかしいグループが表示されて、ドギマギした。
乙女と呼んでいい中身も外見を持ち合わせていないのに、と思ったが、間宮発案である事は一目瞭然なので、黙っておいた。
宗方と美青が先に間宮を拾って、最後に駅前で祥香を乗せるという予定になっている。
家賃重視で選んだハイツは、駅から徒歩15分ちょっと。
靴によってはもう少しかかる事もある。
ローヒールのストラップパンプスならちょうど15分というところだ。
少し早めに家を出て、駅に向かって歩いていると、早速間宮からメッセージが届いた。
”おっはよー。晴れたね!
今、運転手様とそちらの駅に向かってるよー”
祥香は知らないアニメキャラクターがおはよう!と笑顔を振りまくスタンプ付き。
うん、間違いなく間宮だ。
”おはようございます。もうすぐ駅に着きます”
”了解ー!あ、もう駅見えた!!さっちゃんちなみに今日のお洋服は?ちゃんとデート仕様?黒とかグレーじゃないよね?”
”いつも地味ですみません・・違います。今日は・・”
ワンピースです、とか言ったら気合入れてるって思われる?
デザートビュッフェに浮かれてるって思われる?
いや、実際浮かれているけれどもっ!!
返信に迷っているうちに、先に間宮からメッセージが届いた。
”もしやさっちゃんワンピース?”
”はい”
もしやどこかから見ているのだろうか。
返事を打って、顔を上げると、駅前のロータリーに止まっている黒い車の助手席から、間宮が降りて来た。
赤と白のギンガムチェックのシャツに、フレアのデニムスカートレースの靴下にピンクのスニーカー。
髪には小さなリボンがいくつも結ばれている。
うん、どこからどう見ても間宮だ。
「さっちゃーん!!きゃー!!ワンピースだあ!!やだ!髪も巻いてるうう!!ちょっとーなんでいっつもこういうかっこしないの!?めちゃくちゃ可愛いよー!!やばいよー!!写真撮っていい!?インスタに上げていい!?」
「や、ちょっと、写真は恥ずかしいから嫌ですっ!仕事には着ていけませんっ・・・」
祥香の周りをぐるぐる回って、上から下まで見聞した間宮が、親指を立てる。
「うん、大満足、はずれなし、やっぱりさっちゃんはさっちゃんだ!分かってるなー清楚系が何かを、うんうん!よし、じゃあ行こう!こんなさっちゃん見たら、平良さん緊張しちゃうかも!」
「へ?た、平良さん?間宮さん、宗方さんの車で来たんじゃないんですか?」
仰天する祥香に間宮がにっこり笑ってお車へどうぞと言った。
「・・迎えに来て頂いてすみませんでした」
間宮にぜひともと言われ、平良に手招きされて、なぜだか助手席に収まってしまった祥香が、シートベルトを嵌めながらぺこりと頭を下げた。
「気にしなくていいよー。俺こそいきなり合流してごめんねー」
「たまたま、予定が無くなったんですよねー、平良さーん」
「あー、うん、そう。俺も一応サブ担当だからね、下見はどっかで行かなきゃと思ってたし」
「そうなんですね、私だけ何も知らなくて」
「あ、いや、朝になって宗方から、車出せって連絡来たからほんとにさっき予定変更になったんだよ」
それなら祥香にまで連絡が来なかったのも頷ける。
未だに祥香と平良は連絡先を交換していない。
普通に話をするようになったし、何も抵抗はないのだが、何だか今更過ぎて、逆に連絡し難い。
「あ・・・はい」
「さっちゃん、疎外感感じること無いからね!私も待ち合わせ場所に平良さんの車が来て、びっくりしたから。なんか美青姉さんが熱っぽいらしくって、ぎりぎりまで様子見るから、現地集合しようって事になったらしいよー」
「橘さん大丈夫なんですかね・・・心配ですね」
「大丈夫だろ、宗方が今頃甲斐甲斐しく世話焼いてるよ」
「はい・・」
返事はしながらも、実際に祥香の胸の中にあったのは、美青の体調の事ではなかった。
あの時、意地を張らずに連絡先を教えていたら、私にも連絡は来たのかな?
間宮さんは、平良さんの車を見分けることが出来るんだ?
会社以外でも仲が良いのかもしれない。
そんな当たり前の事が、少し苦く感じた。
免許は身分証替わりの祥香は、当然車を持っていない。
タクシーにも乗らない祥香は、誰かの運転する車に乗ること自体が物凄く久しぶりだ。
その上、運転席に座っているのが職場の同僚で、男の人。
静かな振動も、車内に漂う心地よい香りも、スピーカーから流れている洋楽も、全部が落ち着かない気持ちにさせる。
いつもの状況と違い過ぎるから、変な事が気になるんだ。
すぐ右に平良の存在を感じるからか、伸ばせば届く場所にある左の手を妙に意識してしまうからか、さっきから鼓動が異様に早い。
どうしよう物凄く緊張してる・・
「今井ちゃん、もしかして酔いやすい?」
ちらりとこちらを見た平良が、優しく問いかけて来た。
いつも通りの穏やかな口調。
いつもと違うのは、彼がラフなシャツとデニムを合わせた休日スタイルという事だ。
そして、もう一つ。
「あ、いえ・・大丈夫です。車に乗るのが久しぶりで緊張して・・・すみません」
「そっか、なるべく揺れない様にするけど、気分悪くなったら言ってねー。海岸線乗るまでは窓開けても平気だよ」
「はい、ありがとうございます。平良さん、メガネかけるんですね」
「あー運転するときだけね、普段は裸眼でもいいんだけどさ」
フレームに軽く指を触れさせて、平良が微笑む。
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