第11話 とびきりの変化は、謝罪

久しぶりの朝当番で8時前には自席に着いた。


この時間帯ならラッシュに被らないし、いつもは混雑するエレベーターも余裕で乗れる。


就業前に、夜間のシステムエラーが無いか確認して、各店舗の売り上げデータを吸い上げるのが主な仕事だ。


新人も、二回ほど一緒にやったら十分対応出来る程度の内容。


パソコンを立ち上げながら、半分だけ開けられているブラインドの向こうに見える景色をぼんやり眺める。


早出が雨だとテンション下がるんだよなぁー。


今日はばっちり晴天でよかった。


貸切状態の無人のフロアをのんびり歩いてプリンタの電源を入れる。


よしよし、エラーもないし、至急案件も来てない。


しまった、久しぶりの朝当番でコーヒー買ってくるの忘れたーいつもは駅前のコンビニでコーヒー買うのに、きれいさっぱり抜け落ちていた。


しょーがないから自販機行こうかな?

えーと、今日はー、ああそうだ、来週から本格的に準備始まるから、午前中に展示会の事前準備の相談しときたいなー・・配線どんくらいいるかなー?プロジェクターは二台?


メールの予定表機能を確かめながら、タイムスケジュールを確認していると、入り口のドアが開いた。


「!?」


ドアを開けて入ってきたのは今井ちゃんだった。


え?あれ?夢?いや、現実?なんで?


「おはようございます、朝当番ご苦労様です」


「あ、うん、おはよー。あれ、今井ちゃんいつもこんな早く来てる?」


始業ギリギリまで喫煙所にいることが多い俺は、彼女が何時に出勤しているのか分からない。


「いえ、いつもは半過ぎに来てます。えっと、今日は・・平良さんにお話があって」


酷く緊張した面持ちで、俺の方へ歩いてくる今井ちゃん。


お話?え?もう嫌な予感しかない。


なに?俺、なんかした?言った?


仕事と称して事あるごとに呼び付けたり、張り付いてるのが、迷惑です、とか?


うーわーあり得る、めちゃくちゃあり得る。


だってしょーがないでしょ?これ以外にきみに近づく方法がサッパリ分かんないんだよ!


なにを言えば、きみの心に引っかかるの?


強張った表情からは、その真意は読み取れない。


逃げ出したい。


いや、逃げちゃ駄目だ。


ここで逃げたらもう絶対後がない。


「ええーっと、なに、かなー?」


出来るだけ普通に問いかけたのに、やばい、語尾が震えた。


仕事の質問かもしれないし!


いや、それならこんな時間に来ないだろ!


自問自答を続ける俺の目の前に、今井ちゃんが有名コーヒーショップの無糖コーヒーを差し出した。


「あげます」


素っ気なく言った今井ちゃんが、物凄く困った顔になった。


慌ててそれを受け取る。


俺のために買ってくれたんだよね?え、でも、なんで困ってんの?てか、これはどういう?


「え?あ、はい、ありがとう・・えーっと?」


「あの、前にお水買ってもらったので」


「水?ああ、こないだの?気を遣わなくてよかったのにー」


飲み会帰りにコンビニで買ってあげた水のお礼。


律儀な子だな、でも、あれ結構前よ?


今更こうして差し入れを届けてくれた彼女の意図を図りかねていると、今井ちゃんが続けた。


「それと、あの、色々と失礼な態度を取ってすみませんでした。平良さんすごく親切にして下さるのに、私が過剰反応しちゃって、本当にごめんなさい!あの、私勘違い女じゃないので、ちゃんと同僚って分かってるんで、今後は態度を改めます!許して、貰えますか?」


え!は!?ちょっと待ってよ、今井ちゃん!?


「いや、そもそも許すも何も・・俺怒ってないし・・勘違いって何が?」


「平良さんが、私だけに優しいとか、下心があるとか、全然思ってませんから大丈夫です!」


「え?」


勘違いじゃないよ!きみには一等優しくしてんだよ!?


下心なんて大ありに決まってるでしょ!?


何からこの子の誤解を解いていけばいいのか分からない。


今度は俺が思いっきり困った顔になった。 


「あの、今井ちゃん!」


「あのーすみませんー総務部なんですけどー」


俺の言葉に被せるように入り口から顔を覗かせた女子社員が、今井ちゃんを見つけて声をかけた。


「あ!よかった、今井さん来てたんだ!今日の社内便の受け取りの件で、ちょっといい?」


「はい、伺います!平良さん、ほんとにすみませんでした。あの、これからもよろしくお願いします」


ぺこっと頭を下げて、小さく頬笑んだ今井ちゃんが入り口から廊下に出て行く。


言いたいことを言って、すっきりした表情で俺の側から離れていった彼女の後ろ姿を見送って、俺は深々と溜め息を吐いた。


ええーこれどーすんのよ。


つまりあれか、この子は俺が皆と同じように今井ちゃんにも接していると思ってるわけか。


いやいやいや、ちょっと待ってよ、あり得ないでしょ?


フロアうろうろしてはきみの側に行こうとするのは、勿論何か困ってないか心配だからってのもあるけど、それ以上に会話のきっかけを探してるんだよ?


日報の置き場所案内したのも、フロア以外のとこまで連れ出せば、話すチャンスが増えると思ったからだし!


議事録の作成が初めてで不安だと思ったから隣に呼んだのが半分、他の誰かの隣に座って欲しくなかったのが半分だよ!


こんだけ分かり易いアピールしといて、なんでみんなと同じって思うかな?


明らか間宮や橘の数倍優しくしてるでしょ?


宗方が優しいとかいうから、俺も優しいよ、なんて子供みたいな嫉妬丸出しの発言まで聞いといて、なんで分かんないんだよ?


もうこうなったら、本気できみの事落としにかかってますって告白したほうがいい?


そうすりゃ俺の行動が全部、きみの気を引くためだってわかるのかな?


いや、でも。








「平良さん、すみません、今って大丈夫ですか?会議室のパソコンのセッティング見て貰ってもいいですか?」


野良猫みたいに警戒心剥き出しだったあの飲み会が嘘みたいに、穏やかに今井ちゃんが尋ねて来る。


「うん、いいよー」


「ありがとうございます!助かります、私、手順メモしたんで、それ見ながらやるので、間違ってたら遠慮なく指摘してくださいね!」


「あー取説作るってゆったくせに手ぇ付けれて無かったわ、ごめんね。ついでに今から一緒に作ろっか?」


「いいんですか?お忙しいのにすみません!ありがとうございます!一人だと間違えそうだから、付いてて貰えると有難いです。よろしくお願いします」


わー今まで見たことないやーらかい笑顔しちゃって。


いつもずっと微妙な表情で俺との距離を取っていた今井ちゃんはもういない。


これはつまり、俺は要注意人物枠から外れたってこと?


今井ちゃんが危険視しなきゃいけない男ではなくなったってこと?


その笑顔はめちゃくちゃ嬉しいし、やっぱり可愛いし、癒されるよ。


きみの纏う雰囲気がほわんと緩んでくれたから、俺も妙に緊張しないで喋れるし。


でも、俺のこと異性の枠から外して、同僚の枠に入れてくれちゃったんだよね?


そっちじゃないよ、って訂正しなきゃいけないのに。


こんな顔されたら言い出せなくなる。


だって言えば、また警戒モードの今井ちゃんに戻っちゃうんだろ?


いくら俺がモテるったって、気になる子に話しかける度微妙な顔されるとめちゃくちゃ傷付くんだよ?


女の子笑わせるのは得意なのに。


なんで肝心の相手に限ってその効力発揮してくれないかな?


ああもう、とにかく何でもいいから、俺はこれ以上今井ちゃんに嫌われたくないし、距離を置かれたくない。


長机に置かれた小型のラップトップをメモ片手に操作しながら、今井ちゃんが俺の方を振り返る。


「あの、平良さん、このポップアップって前も出ましたっけ?」


あーこの距離、気易さ!


そう、俺が望んでたのはこーゆーことだよ!


間違いなく俺を頼りにしてくれてると確信出来る眼差し。


こういう視線を向けてくる時の女の子は隙だらけで扱いやすい。


ん、だーけーどー、この子に限ってはそれだけじゃないから、油断出来ない。


ポップアップに表示に出てきた英文をざっと見て、今井ちゃんに笑顔を返す。


こういうメッセージはパソコン詳しくないと不安になるよね。


「んー?どれ、ああ、うん、大丈夫大丈夫。セキュリティパッチのメッセージだから、後でやっとくよ。とりあえず消しとこう」


「ありがとうございます、助かります!」


「いえいえ、次は大丈夫?」


「あ、はい・・えーっと」


神経な表情で画面に向き直る今井ちゃんの横顔を眺めながら、この状況について改めて考える。


仕切り直せばこの距離はあっという間に逆戻り。


現状維持でいけば、今井ちゃんの屈託ない笑顔を見れる。


「これを、こーして、こっちを開いて・・あ!」


もう一度振り向いた今井ちゃんがパッと表情を明るくする。


「うん、よく出来ました」


「よかった・・画面、ちゃんと映ってますよね?」


「うん、繋がってるよー」


「ありがとうございます!」


「どういたしまして」


うん、俺のこのモヤモヤした気持ちも一旦は置いとこう。


今は今井ちゃんとの日常が優先だ。


こんな自然に接してくれるなら、当分同僚でいーや。


そのうちちゃんと訂正させて貰うけど、勘違いじゃないよ、きみのこと追っかけてんだよ、って。


ああもう、牽制されて逆に燃えたとか、見た目が好みだったとか、どうでもいいです。


とにかく俺はきみに笑って欲しい。


困った顔じゃなくて。

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