第7話 とびきりの変化は、相席

定時を回ってチラホラ人が抜けたフロアで、宗方が、この後18時から会議なーと残業メンバーに声をかけた。


もっと詳しく言うなら、橘の机にホットの紅茶のペットボトルを置きながら。


わーほんとにまめまめしさ満点-。


ちらりと視線を上げた橘が、宗方と視線を合わせてすぐに逸らした。


それに含み笑いを返して自席に戻るあいつの背中を蹴飛ばしてやろうかと思う程度にはイラッとした。


すげーな、芹沢のニヤニヤ顔以外、皆無表情を通してるし。


あれか、俺のいない間にすっかりコレが通常モードにシフトチェンジしたのか?


うわー・・面白いけど、面白くない。


面白くないついでに今井ちゃんにちょっかいかけようと視線を巡らせるけれど、いない。


俺が一服してる間に帰ったのかなー・・


まあ、定時回ってるし、いつ帰っても俺に文句言う権利なんて無いんですが。


派遣さんは基本的に残業なしの勤務条件で来て貰ってるし、システム内の書類管理と契約関係が主な仕事で、後は社内便とかの雑務がメインだから、そもそも残業になることがまずない。


部内のコミュニケーションミーティングとか、会議室の片付けで残ることはあるだろうけれど。


飲み会で、狙ってます宣言してから、芹沢が今井ちゃんとやり取りしていた日報管理を引き継いだ。


芹沢としては仕事が減ってラッキーだろうし、俺としてはあの子との設定が欲しい。


私的アプローチがタブーなら、仕事をフル活用するしかないよねぇ。


宗方は当然ながらいい顔しなかったけど、喫煙所でグタグタ言い出したから、橘との事を突いたら押し黙った。


お前のアプローチも大概職権乱用よ?ととどめの一言を投げたら、物凄く不機嫌な顔になってたから、自覚はあるんだろう。


橘の面倒は俺が見ますと、彼女が着任して早々に内輪のミーティングで言い放って、誰も近づかないように牽制したのは誰だ。


まあ、牽制なんかしなくてもあの極度の人見知りなら、誰も近寄れなかっただろうけど。


その点、宗方は物凄く有利だった。


内向的な橘は自分から必要以上に他部署の連中と関わろうとしない。


でも、あの子は違う。


物凄く普通の常識的な社会人だ。


言葉少ななフロアメンバーともちゃんとコミュニケーションを取っているし、愛想もいい。


俺以外には。


うわ、自分で考えたくせに胸が痛い。


特に懸案事項がなければ、報告のみですぐに終わる定例会議だけど、俺が戻ってひと月だから、全体の仕事量の調整も兼ねてるだろう事は簡単に予想出来た。


無駄な会議をダラダラ続ける上司ではないし、進行役の宗方が早期帰宅(愛しの恋人と甘い時間を過ごすために)を目指してサクサク会議を進めたとしても、まあ、一時間は掛かるだろう。


やっぱり先に煙草買いに行こう。


さっき喫煙所で吸ったのが最後だったのだ。


仕事終わりでもいっかと思ったけど、終わった後すぐに吸いたいし。


向こうにいる間に本数増えたのかな?


仕事量と比例して煙草の消費量が増える傾向にあるから仕方ない。


生憎注意してくれる彼女も今はいないし。


そういやこれまで付き合った彼女に煙草嫌がられた事無かったな。


というか、俺にアレコレ意見してくる子がそもそもいなかったし。


たぶんあれだ、見目良い彼氏を連れ歩くには文句や指摘は御法度と理解していたんだ。


皆どの子も物わかりの良い子達で、ごめんね、と別れ話を切り出しても、やっぱりなという顔しかしなかった。


そーゆう相手ばっかり選んでんだけど。


だって本気は疲れるから。


宗方は、橘を持ち物にしたくて堪らないみたいだけど、俺は女の子に対してそんな感情抱いた事が無い。


自分以外の誰かを必至に繋ぎ止めておくのは疲れるし、見えない心を疑えばきりが無い。


そういうのは全部面倒くさい。


こーゆうこと言うから、誠意がないとか言われるんだろーな。


浮気しません、だけじゃ足りない、圧倒的な何か。


恋愛に、必要不可欠な何かが俺には欠落してるんだろう。

 

それでもどっかで淋しいから、伸ばされた手を掴むんだ。


そして、いま掴むのはあの子の手がいい。


あの子の手なら、足りない何かがいつか埋まるのかな?なんて考えながら。


「コンビニ行くわ、なんかいる?」


これは芹沢への台詞ね。宗方は無視。


悪意ではなく、何やら橘と話し込んでるから。


「いや。いいー」


「ん、じゃなー」


フロアを抜けてエレベーターで1階に降りる。


好立地のオフィス街は徒歩圏内にコンビニがいくつもある。


今日はどこにしようかなと思いを巡らせながら本社を出て通りを歩き始めると、左手のカフェに見慣れた二人を発見した。


三人娘でランチに出掛けていることは知っていたけれど、橘美青を抜いて二人きりってのは意外だった。


今井ちゃんと間宮って共通の話題とかあんのかな?


「珍しい組み合わせだなー」


目当てのテーブルに着くなり、間宮を奥に詰めさせる。


今井ちゃんの隣に座らなかったのは、警戒させたくないのと、真正面の方が表情が見えるから。


俺を見た途端、凍り付いた今井ちゃんをとりあえずスルーして、ええー何なんですかー女子会なのに今日はー平良さん担当会議はー?と喚く間宮に、奢ってやると告げて黙らせる。


いそいそとメニューを開いて、デザートアラモードを指さした間宮が、今井ちゃんに半分こしよう!と提案した。


当然ながら、彼女は困惑顔だ。


「乱入してごめんねー。この後会議なんだ。ちょっとだけ休憩させてー」


「あ、はい」


頷いた今井ちゃんの警戒モードは解かれない。


でも、嘘はひとつも言ってない。


その裏にある下心が見えたかどうかは不明。


彼女が身構える原因はまあ、俺にあるから仕方ない。


とにかく業務内容で関わりを持てる所は、全部いっちょ噛みしているから。


そうでもしないと俺とこの子の接点は皆無だ。


ウェイトレスのお姉さんを呼んだ間宮のデザートアラモードと一緒にホットコーヒーを注文する。


煙草はもう買わなくてもいいや。


「二人とも仲良かったんだな」


「これから仲をさらに深めようとしてるんですー」


「邪魔して悪かったよ。今井ちゃん甘いもの好きなの?」


二人の前に置かれているプレートには、苺の乗ったショートケーキと、チョコレートケーキが乗っている。


女の子は色々食べるの好きだよねぇ。


尋ねた俺に向かって、彼女がこくんと頷いた。


「はい、好きです」


とりあえず甘いものは俺の味方になると記憶する。


「この後の会議、間宮さんは行かなくていいんですか?」


「今日のは、担当会議って言って、それぞれフォローしてる部署のチームリーダーが参加するやつなんだ。最近起こったエラー報告とか、依頼量、その内容の報告がメインだから、出るのは課長以上と、宗方、芹沢、田中さんと、増田さんと、村川と、俺」


「なのでー私はバッチリ暇だから!今日は新刊発売日でも無いし、深夜アニメまで時間はたっぷりあるのでそう簡単には帰さないよーう」


俺の後を引き継いだ間宮の怒濤の攻撃に、今井ちゃんが目を泳がせている。


「間宮さん、好きな漫画の話になるとずっと喋ってますもんね」


「そりゃあキャラへの愛は尽きないからね!でも、今日は、さっちゃんの事を知りたいなぁ」


それをお前が言うなよ。


ニッコリ笑った間宮が、一瞬だけこっちを見た。


勿論、勝ち誇った目で。

 

わーほんっとに可愛いくないわお前は。


完全に面白がってる、けど、同席許してくれたからそこだけは感謝。


「私の話聞いても面白くないです!」


「今井ちゃんはどんなケーキが好きなの?」


間髪入れずに質問を投げた。


考えさせる暇を無くした方が早いと思ったから。


この子がさらに鎧を着込む前に。


考えるように、頬に落ちた髪を耳にかける仕草で、彼女が髪を下ろしていることに気づいた。


いつも仕事中はひとつに結ばれている髪が、肩下でサラサラと揺れている。


「こういうスポンジのケーキも、タルトも、エクレアとか、プリンとか、大福とか和菓子も、甘いものは何でも好きです。いつも選べなくて迷うんですけど・・あ、多すぎますね!」


指折り好物を数えた今井ちゃんが、ぱっと俺を見て、慌てたようにすみません、と言った。


全然悪くないし、むしろ自分の事を話してくれるのは大歓迎だ。


そうか、こんな風に話すのかぁ。


あれもこれもとこの子の頭の中が好きなもので埋め尽くされているのが、手に取るように分かる。


素直で可愛い。 


「ううん、多すぎないよ、そっかー何でも好きなんだ」


「私には訊かないんですか-?」


「訊かないよ」


「ええー!」


「私は訊きたいです、何が好きですか?」


今井ちゃん、それは間宮じゃなくて俺に訊いてよ。


きっと少しも興味なんて無いんだろうけど。


「や、優しい!さっちゃん天使!こゆとき美青姉さんは、スルーだし、宗方さんは煩いとかゆーし、芹沢さんはそれ見てニヤニヤしてるしー!私が求めていた癒しはここにあったのか!」


身を乗り出して、うふふと笑った間宮のスマホが震えた。


液晶画面を確認して、ちょっと失礼しまーす、と席を立つ。


このタイミングで二人きりに慣れるのは、願ったり叶ったりだ。


さて何の話をしようかと、今井ちゃんが引かない無難な話題をさがしていたら、先に彼女が口を開いた。


「あの、平良さん」


「んー?なに?」


「どこかに行かれる途中だったんじゃないんですか?」


会議前に財布とスマホだけ持ってふらっと外に出てるんだから、そう見えるに決まってる。


「煙草買いに、コンビニ行こっかなと思ってたんだけど、いいんだ」


「え、でも」


「面白い組み合わせの二人が居たから、ちょっと喋りたくなったから、こっち優先」


「そう、ですか」


「困ってる?」


「え?いえ、そんな」


首を横に振った今井ちゃんから漂う空気は思い切り困ってる。


あれ?俺なんかすっげ緊張してる?


え?あれ?手汗かいてる?


そんな彼女を前にいざ二人きりになると、ここに来てド緊張とか有り得ないだろ?


待てよ、どの話題を振れば良い?


このこ普段どんな会話してんの?やばい、分からない。


注文したデザートアラモードとコーヒーが届いたけれど、間が持たない。


先に食べていいよ、と言ったのに、間宮に遠慮してフォークを持とうとしない彼女の気遣いが今はきつい。


せめて一口食べてくれたら、美味しい?とか話題を振れるのに。


だって、この子全く俺に興味ないんだよ?どっちかと言えば関わりたくないんだよ。


あー自分で言って傷付いたわ、凹む。


そんな相手を前に何を話せば距離は縮まるわけ?


これまでの女の子は何言ってもニコニコ笑顔で喜んでくれた。


けど、この子は違う。


一歩間違えれば大怪我する、俺が。


今になって気づいた。


これまで俺がどの子とも上手くやってこれたのは、相手の女の子が、俺を好きだという大前提があったからだ。


その大前提がない今、俺は完全丸腰状態。


お得意の愛想笑いも今井ちゃんには通用しない。


どう動けば彼女の心を捕らえて、どう動けば彼女がさらに離れてしまうのか、全く分からない。


「ごめんね。困らせるつもりは無くて、えっと・・」


とうとういつもの軽口も出てこなくなった。


だって、何言えば喜んでくれるかさっぱりだよ?


とにかく俺はこれ以上圏外に行きたくない。


「いえ、私こそ。あの、なんかすみません」


挙げ句、今井ちゃんが気まずい空気に謝罪とか。


女の子に謝らせるとか有り得ない、まじで、どーなってんの俺。


もうこうなったら俺との距離とかこの際どーでもいい、とにかくすぐに会話が弾みそうな話題を!


「間宮と何の話してたの?」


「え?ええっと、間宮さんの好きなアニメのお話、とか、です」


「間宮見た目も中身もあんなだけど、意外と周り見てるでしょ?」


よかった。そうだ、職場の話題なら地雷を踏む心配もない。


俺はあわよくばお近づきに考えていた下心を粉々に踏んづけた。


「はい、色々気遣って頂いて助かってます。私は別部署と殆ど関わらないんで、飲み会の時とか、特に」


ようやく会話の糸口を見つけてホッとする。


よかった。今井ちゃんの表情が少しだけ緩んだ。


このまま間宮の話題に乗っかることにする。


「前も言ったけど、間宮のペースで飲むと潰れるよ、あいつほんと強いから気をつけて」


「はい、会社で羽目外すような事しませんから、大丈夫です」


「じゃあ、どこでなら羽目外すの?」


うわ!やらかした!!


思ったことそのまま口に出てた。


「っ!ど、何処でもないです、あ、間宮さん」


視線を泳がせた今井ちゃんが、縋るように俺の後ろを見つめた。


のんきな顔で手を振りながら戻って来た間宮が、俺の肩をバシッと叩いた。


なんだその遠慮ない力加減。


「平良さんの空気が固い!何緊張してんですかぁ」


「煩いよ。デザートのアラモード届いたけど食べなくていいんだな」


「わー!いただきます勿論!さっちゃん待っててくれたんだ!ごめんねー食べよう!あ、ありがとう!」


今井ちゃんが渡したスプーンを真ん中のプリンに勢いよくぶっ刺した間宮に急かされて、やっと彼女自身もスプーンを手に取った。


プリンの回りを囲む生クリームを掬って頬張る。


「わぁ、美味しい!」


今井ちゃんが柔らかく微笑んだ。


やっと笑顔が見れた。


俺のおかげじゃないけど、そのことにホッとする。


アラモード様ありがとう。


「あの、平良さんありがとうございます、頂きます。言う前に食べちゃってすみません」


スプーンを手にしたままで、今井ちゃんが軽く頭を下げた。

 

ほんっとに律儀な良い子だ。


「いいよ、いいよ。たーんと食べなさい」


それで笑顔になってくれるならお安いもんですよ。


鷹揚に先輩面で頷いて、俺はそれから短い残り時間いっぱい、今井ちゃんが美味しそうにスイーツを頬張る姿を、ただ、見ていた。


頼んだコーヒーは冷えていって、殆ど口をつけないままだったけれど、少しも不満はなかった。


不思議と煙草も欲しくならなかった。

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